異世界

第7話・出逢い




 ──ゆっくりと瞼を上げた先に見えるのは、見慣れない天井。

 何があったのか、と考えるのと同時に蘇る言葉達。

「っ、──……」

 つうっ、と蟀谷こめかみを涙が伝う。

「……大丈夫かい?怖い夢でも見たかな?」

 突然聞こえた、男性の声。

 視線を滑らせると、灰色の髪をした六、七十代の男が、心配そうに目を覚ました晶子を見つめていた。

(……外国……?)

 ふと、そんな疑問が湧き上がる。

 目の前に存在する男は洋風の顔立ち。かと言って、欧米系でもヨーロッパ系でもなく。言葉は通じるが、しかし、日本人でない事は明らかだった。

 売り飛ばされたのだろうか、とそんな事が頭に浮かぶ。

 晶子は上体を起こそうとした。が。

「まだ寝ていなさい」

 男が優しい声でそれを制する。

 ──その眼差しが、温かな音が、何となく喬尚を思い起こさせて。晶子はそれに素直に従った。

「身体は辛くないかい?」

 それに晶子は頷く。──辛いのは心。

「はい。……あの、ここは……?」

 取り敢えず自分が置かれている状況を把握しようと言葉を発した。

「ここは私の家だよ。孫が君を連れて来たんだ」

 男はにこやかに答えた。

「お孫さん……?」

「憶えてないかな?孫は夜狩りに出掛けていてね。そこに君が突然現れたようだよ。目の前で倒れたから、連れて来たんだそうだ」

 その言葉に晶子は記憶を呼び起こす。

 そして──。

『……──お前、どうした!?』

 その声を思い出した。

「ん?何か思い出したかな?」

 晶子の表情の変化に気付いた男が首を傾げた。

「どなたかにお会いしたという事だけ……。ですが、顔までは……」

 申し訳なさそうな晶子に、男は目を細めた。

「そうか。だがそれは仕方がない。暗かったのだし、気を失ったのだからね。まあ、直ぐに孫も帰って来るからその時に顔を見れば良い。孫も君を気に掛けていたから」

「……はい」

 頷いた晶子は、少し躊躇いがちに男を見る。

 男は終始穏やかな表情で晶子に視線を送り。

「うん?もっと何か訊きたい事があるのなら、遠慮しなくて良いよ」

 その言葉に甘えて、晶子は口を開く。

「……貴方は、どこの国の方ですか?」

「私かい?私はここ国の出身だよ」

「……フェスト、レアル……?」

 男の告げた国名に、晶子は戸惑いを隠せなかった。

 ──そんな国の名など知らない。聞いた事もない。

 晶子の困惑に気付いた男は首を傾げる。

「……知らないのかい?」

 声もなくただ頷いた晶子に、不思議そうな視線を送った。

「そうか……。──そう言えば、君は何処の国の出身かな?その漆黒の髪といい瞳といい、私は見た事がないんだが」

 じっと晶子の容姿を見つめる男に、動揺のあまり答える声が震える。

「……日本……」

 ──男の反応を見るのが、怖い。

 案の定。

「ニホン……?聞いた事がない国の名だな……」

(……やっぱり……)

 男が嘘を吐いている可能性もあるが、しかし演技をしているようにはどうしても思えず。

 有り得ない状況が頭を過ぎり、晶子は全身から血の気が引くのを感じた。


 ──まだ売られたという方が、納得出来る。


(どういう、事……?や、だ……、怖い……)

 恐怖に襲われた晶子の変化に気付いた男が顔を覗き込む。

「お嬢さん大丈夫かい?」

「……はい、すみません。少し混乱してしまって……」

 顔色の悪い晶子は、けれど微笑んだ。──言った事は決して嘘ではない。ただ過小に告げただけで。

 訳の分からない状況に身を置く恐怖に震える身体を寝かせられている寝具が隠してくれている事を幸いに、中で胸許にある指輪をぎゅっと強く握り締めた。


「──祖父さん、ただいま。あの、起きたか?」


 そこに、張りのある男の声が届いた。

 少し開かれた扉から顔を覗かせたのは緋色の髪をした年若い男。彼は寝具の中で目を開けている晶子に気付くと、嬉しそうに目を細めた。

「カイル、お帰り。さっき目を覚ましたんだよ」

「そっか。具合はどうだ?」

 そう言って傍に寄ったカイルと呼ばれた男は、ふと表情を改めた。

「……どうした?」

「え……?」

 問われて首を傾げる晶子頬に、カイルの手が添えられる。

「顔色も悪いし、震えてる」

「!」

 身を強張らせた晶子から視線を外し、カイルは祖父に顔を向けた。

「何をしてたんだ?」

「話をしていたんだよ」

「話?」

 男は先程の会話を説明した。




「……成る程な」

 話を聞き終えたカイルは、再び晶子へと視線を戻し、その瞳に気遣う色を浮かべた。頬に添えていた手を頭へと移動させ、髪を撫でる。

「怖いだろう。突然訳の分からない場所に一人置かれて」

 まるで晶子の心情や、その身に何が起きたのかを知っているかのような口振り。

「ど、して……」

 どうして分かるのか。どうして信じられるのか、と。自分でさえ混乱しているのに。

 一瞬で不安を露わにした晶子に、カイルは笑みを向ける。

「ま、人から聞いただけなら信じられないだろうが、俺はあんたが現れた瞬間を目の前で目撃しているからな。信じるも何もないだろ?」

 そう言ったカイルは、首を傾けた。

「あんた、名前は?俺はカイル。で、こっちが俺の祖父さんのジェス」

 髪を撫でられたまま、晶子は口を開く。

 ──自身の置かれている状況を理解してくれる人物がいる事に、伝わってくる熱に、晶子は少しずつその震えが治っていくのを感じた。

「晶子……」

「『しょうこ』?それが名前か?」

 頷くと、カイルは何度も何度も口の中で名前を転がした。

 そして、何処か嬉しそうなカイルは、身を乗り出すと晶子に顔を近付ける。

「しょうこ」

 間近で呼ばれ、晶子は幾度も瞬いた。


「しょうこは俺が見つけて拾った。だから俺の。しょうこが元いた場所に帰りたいと願い、帰る手段が見つかるまではここにいろ」


 ──一人で放り出したりはしない、と。好きなだけここにいて良いと。

 彼らが自分に向けてくれる言葉に嘘も、企みもない事は直感で分かる。

 それは北条喬尚の孫として生きて来た十八年間で身に付けたもの。

 喬尚が愛する晶子に取り入り、喬尚から支援を得ようとする者が後を絶たなかったから。

 自分を護り、人を見極めるために自然と身に付いた。

 そういった者のほとんどは尚之や誠、そして喬尚が追い払ってくれてはいたが。

 だから分かる。

 ──ぽろり、と晶子の目から涙が溢れた。

 理解出来ない状況下で、手を差し伸べてもらえて。それが嬉しくて。

 涙を流す晶子を間近で見下ろしながら優しい手付きで労わるようにその涙を拭うカイルに、晶子は言葉を発した。

「……お世話に、なっても、よろしいのですか……?」

「ああ。ここにいたら良い」

 躊躇いなく頷いてくれたカイルに、晶子は微笑んだ。

「!っ、」

 瞬間、カイルは目を見開き、そして勢い良く身体を離した。

「あの……?」

「あ、いや、何でもない」

 慌てて頭を振ったカイルに首を傾げながらも、晶子は涙を拭って上体を起こした。

 それをすぐ様カイルが支えてくれる。

 寝かせられていたベッドの上で正座をし、姿勢を正すと、晶子は三つ指をついてカイルとジェスに頭を深く下げた。

 それにぎょっと目を見開いた二人は慌てた。

「おい、しょうこ!?」

「お嬢さん??」

「改めまして、伊吹晶子と申します。ご迷惑をお掛けし申し訳ございませんが、暫くの間お世話になります。私に出来る事があればお申し付け下さい」

「しょうこ、頭を上げろ」

「そうだぞ、お嬢さん。そんな風に改まる必要はない」

 促され顔を上げた晶子に、二人は優しい笑みを向けた。

「別に何もしなくて良いし、遠慮せずに好きなだけここにいろ。……で、一つ良いか?」

「?はい」

「さっき、いぶき?って言ったよな。名前、しょうこじゃないのか?」

 先程の晶子の言葉を思い出しながら、カイルは首を傾げた。

「いえ、『伊吹』が苗字で『晶子』が名前なんです」

「みょうじ?」

「家名の事です」

 晶子の説明に、へぇ、とカイルは声を漏らした。

「家名が先に来るのか」

 何処か感心したような声。

 けれど、すぐに真面目な表情となり、カイルは晶子を見つめた。

 先が読めた晶子は居住まいを正した。

「……晶子、身体は辛くないか?」

「はい」

「なら、目が覚めたばかりで悪いけど、俺としては晶子の身に起きた事をちゃんと把握しておきたい。今分かっているのは、晶子がここじゃない『ニホン』という名の国から突然現れたという事だけだから。ここに来るまでの事を説明して欲しい」

 ──彼らの事は、不思議と逢ったばかりだというのに信用している。それは理屈ではなく本能で。

 けれどまだ、公子の事を話す気にはなれず。

「……はい」

 頷いた晶子は公子の事には触れずに、ただ両親を幼い頃に亡くし、引き取り愛し育ててくれた祖父が亡くなった事。

 葬儀を終え、祖父が自分が生まれた時に植えてくれた誕生樹の許へ行った後、気が付けばここにいた事を話した。

「そうか……」

 呟いたカイルとジェスは難しい表情をした。もしかすると、晶子が何かを隠している事に気付いているのかも知れない。

 けれど、それを追究する事はなく、カイルは表情を和らげる。

「なあ、しょうこ。疲れたか?」

「?いいえ、特には」

 不思議そうな晶子に、カイルは提案を口にする。

「それなら、外に出てみるか?」

「え?」

「見ておいた方が良いだろう?この世界を。この国を。その目で」

「──」

 確かに、自分の目で確かめておいた方が良いだろう。

 見たからと言って現状を変える事は出来ないが、より受け入れられる気がする。

 頷くとカイルは、ちょっと待ってな、と室内のクローゼットを開けた。

 どうやら晶子が寝かせられていた部屋はカイルの部屋だったようで。

「……デカいけど、ないよりは良いから」

 取り出したのは、フード付きの外套がいとう

 それを晶子に被せる。

「髪と瞳の色、珍しいからな。隠しておいた方が安全だ」

「はい」

 黒髪と黒い瞳を見た事がないとジェスに言われていたからか然程驚く事なく、晶子は求められるままに外套をきちんと羽織った。そしてフードも被るが──。

「……やっぱデカいな」

 子供が大人の服を着たというか、何というか。

 外套故、まだマシだとも言えるが、顔などは口許しか見えない。

「……ま、我慢してくれ」

「はい」



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