第6話・残された者達




「……晶子様!!……晶子様、どちらですか!?返事をして下さい!!」

「晶子ちゃんっ、どこだい!?いたら返事をしてくれ!!」

「お嬢様っ、お嬢様!?」

「晶子お嬢様っ、お返事を!!」


 深夜、北条邸では、晶子を捜す声が響き渡っていた。


 邸の者達は、すぐに異変に気付いた。

 それは庭からの強すぎる光故に。

 何事かと起き出した皆は、第一に晶子の無事を確認しに行き、常ならば閉じられているはずの部屋の扉が開いる事実に不安を感じた。急ぎ中を見ると晶子の姿はなく、代わりに貴史が腹を押さえながら窓から逃げようとしている姿があって。

 ──貴史が手に掛けている窓硝子は割られ、明らかに異常。

 誠らの姿を認めた貴史は慌てて外へと逃走を図るが、すぐに取り押さえられ、姿の見えない晶子の捜索が始まった。


「……そっちには!?」

「いらっしゃらない」

「くそっ、どこに!?」

 けれどいくら探しても見つける事は出来ず。

「……ちょっと、どうして貴史を拘束しているのよ!しかも私達までこんなところに閉じ籠めて!巫山戯ないで頂戴!!」

 部屋に入れられ、哲夫共々見張りが付けられた公子は叫んでいた。

「──貴方方は、晶子様のお姿が見えないと判明し、貴史さんが拘束されたと知った途端、早々に邸を出ようとなされました。それもこんな夜中に。……もう昨日になりますが、『時間も時間だから今夜も泊まる』と仰った方とは思えない。慌てて邸を出なければならないような事をした、もしくは知っているのかと思いましたので、この様な措置を取らせて頂きました」

 口調は淡々と。けれども表情は明らかに苛立っている様子の尚之は告げた。

「な、名誉毀損よ!!」

「どうとでも。私にとっては、晶子様が一番大切なので」

 名誉を傷付けるような事は言っていないが、しかしそんな事どうでも良かった。

 弁護士としては失格かもしれない。だが、それでも尚之にとって大切なのは晶子。

 歳の離れた大切な、大切な、可愛い妹のような

 彼女の無事をどうしても確かめたかった。

 その時、ふと言葉が尚之の脳裏に蘇る。

『もし、──……』

 それは通夜、晶子から伝えられた言葉。

 はっとした尚之は、その場を見張り役の使用人に頼み、慌てて駆け出す。

 それを不思議に思った誠が後を追った。横には、晶子を心配して顔色の悪い由紀の姿もあり。

「秋津?どうした」

「動揺しすぎて、晶子様から言われていた事を失念していました」

 そう言って尚之が入って行ったのは、喬尚の部屋。

「ここは、会長の部屋だぞ」

「ここに晶子ちゃんがいるの!?」

 きょろきょろと由紀が視線を彷徨わせる。一刻も早く晶子を見つけ出したいと。

「違います。晶子様に言われていたのです『自分に何かあれば、会長の部屋に行くように』と」

「どういう、事?」

 困惑する誠と由紀に目もくれず、尚之は一直線に部屋の中にある書斎へと向かった。

 書斎の中をずんずんと進み、机の後ろ、椅子の背後に壁一面に取り付けられた大きな本棚の上から四段目、左から六冊目の緑の表紙の本に手を触れる。そして──僅かに力を籠めてそれを押した。

 すると──。

「っ!」

「きゃっ、動いたわ!!」

 本棚の右側の一角がゆっくりと静かに動き出して奥に下がり、横へとずれて行った。

 棚が一部姿を隠したその奥に、今度は今まで人の目に晒される事のなかった扉がその姿を現す。

「隠し扉……」

「こんなものがあったなんて……」

 尚之はその扉に近付いた。

 扉には暗証番号を入力する機器が取り付けられており、それに躊躇いなく番号を入力していく。

「知っているのか?」

 驚いた様子を見せる誠に、番号を打ち込みながら尚之は答えた。

「通夜の時、晶子様から教えて頂きました」

 ぴ、と最後の番号を入力し終えると、カチャ、と鍵が外れる音が聞こえた。

 ドアノブに手を掛け、扉を開く。

 そこに広がっていたのは。

「モニター室……?」

 幾つもの画面が並び、映像が映し出されている光景。

「以前、会長の留守中にあの方々が邸に入り込み、物を勝手に運び出したり、晶子様に暴言を吐いたりとなされたために会長が出入り禁止にされました。が、万が一という事があったため、邸の数カ所に防犯カメラを目立たないように設置なさったと。邸の者も、多分知らないと仰っていました」

 言って、尚之はモニター画面の前に座った。

 映されている映像は、邸門、庭の入り組んだ場所、邸内の人の出入りの激しい居間や応接室、廊下、階段、喬尚の部屋と、そして晶子の部屋。

「これ、晶子ちゃんの」

「晶子様もご承知だったようです」

 使用人達の部屋や客室にはカメラはない。

 監視するためではなく、あくまでも晶子を護るための物だからだ。

 尚之が画面を操作し、騒ぎが起こる前の映像を出す。

「……あ」

 一時間程前の晶子の部屋の中の映像に、貴史が窓硝子を割って侵入して来るところが映し出された。

「っっ、音声も出します」

 設置されているカメラは高性能マイクが内蔵されているもの。

 晶子が襲われている映像を目にし、怒りに震えながら尚之が操作した事で、声が聞こえた。

『祖父さんの遺産を相続するお前に子供が生まれれば、何れそいつが相続する。だから、晶子に俺の種を植え付けるんだ。父親にも親権はあるからな。ガキが小さい内にお前を死んだ事にして遺産を相続させれば、手に入れたも同然だろう?大丈夫だ。晶子は本当に死ぬまで俺が閉じ籠めて可愛がってやるから』

 モニターを睨む三人の表情が憎悪に染まった。

『安心しろよ。今からたっぷりと生で入れて中に注いでやる』

「ゲス野郎が……!!」

 誠が吐き捨てる。

 過去の映像だと分かっていても、すぐにでも助けに行きたい衝動に駆られ、それを必死に押さえながら、尚之は映像を見続けた。

 その目に、晶子が反撃して貴史を伸し、部屋を飛び出した姿が映る。

「どこに行った!?」

「探します」

 幾つも映像を切り替え、そして。

「いた!」

 廊下を駆ける、晶子の姿。

 方角から言って、尚之の許へ行こうとしているのだと分かる。

「晶子様……っ」

 自分に助けを求めに行こうとしてくれていたのだと知り、尚之は胸を詰めた。

 映像を切り替えながらその後を追っていると、晶子が足を止めた。

 どうしたのかと思い、同時刻の他の映像を確認すると、廊下の片隅、公子が泊まっていた部屋の近くで江藤夫妻が何やら話しているのが映っていた。

 どうやら晶子はそれに気付いて足を止めたようで。

 夫妻を映しているカメラの音声を出した。

『よく言うよ。昔、晶子を誘拐して身代金をたっぷり頂いた後で殺そうとしていたくせに』

「……は?それって……」

「あいつらだったのか……!」

 怒りに満ちた由紀と誠の声。

 彼らはその時の事を知っている。

 尚之も怒りから拳を握った。

 けれど次に聞こえた言葉に、彼らは言葉を失った。

『──全く。あの時、晶子も家にいる事を確認した上で火を付けるべきだったわ』

「……!!」

 ──それは。

 大きく目を見開いた三人に、映像に映る夫妻は続けた。

『本当に。あんな事金で雇った奴らにさせたら何処で漏れるか分からないからわざわざ俺達自身の手でやったのに、誤算だった。まさかこの邸に晶子が泊まっていたなんて。結局死んだのは亮子と彰だけだったし』

『そうよ。あの時晶子も死んでいれば、こんな事にはならなかったのに……。腹が立つったらないわ!』

「彼奴ら……っっ」

「許せない……!!」

「っっ、」

 怒りのあまり、目の前が真っ白になった。

 ──けれど今は。

「……っ、晶子様は!?」

 晶子の映る映像へと視線を移す。

 映像に映る晶子は衝撃のあまりふらつき、崩れ落ちそうで。

「っ、晶子様……!」

 思わず尚之は画面に向かって手を伸ばした。

 何とか身体を支えた晶子はその場を離れ。

 尚之は慌てて画面を切り替えながらその姿を追う。

 けれど、晶子は庭に出てしまい。

 庭には入り組んだ場所にしか防犯カメラはなく、晶子が向かったウメモドキのある場所にはない。

 ──それ以降の時間、カメラには晶子の姿は映っておらず。

 邸から出た様子もなく、最早、探しようがなかった。

「晶子、様……っっ」

 尚之は顔を覆った。

 誠も由紀も絶望に項垂れる。

「会長に『晶子様を力の限りお護りする』と誓ったのに……!!」

 悔しさに、情けなさに、強く握り締めた拳から血が滴った。

 と、そこへ。

「……秋津様……!どちらにおられますか!?」

 慌てた様子の声が耳に届いた。

 顔を上げた尚之は、悔しさの滲む表情をそのままに、書斎を出て、喬尚の部屋から顔を出した。

 すると、尚之の姿を認めたこの邸で十年以上働く家政婦の一人が駆け寄って来る。

「……どうしました?」

「あ、あの、お嬢様の居られる場所の手掛かりはないかと、お嬢様のお部屋を色々と見て回っていたのですが、これが机の上に置いてあった本の間に挟んでありまして……」

 そう言って差し出されたのは、封筒。

 宛名は、『秋津尚之』となっている。

 目を見開いた尚之は、急いでそれを受け取った。震える指先で手紙を開く。


『──尚之さん。この手紙を貴方が読んでいるという事は、私に何かあったのですね。きっと心痛を与えてしまったでしょう。ごめんなさい。もし、私が死んでしまったのならば、部屋のクローゼットの中にある金庫の中に、遺言書を置いてあります。それを使って下さい。暗証番号は、私の好きな数字八桁。順番に、お父さん、お母さん、お祖父様、尚之さん。これがヒントです。簡単かな?尚之さん。どんな事があっても、尚之さんは自分のすべき事をなさって下さい。大丈夫です。尚之さんならきっと出来ます。何て言ったって、尚之さんは私の自慢の『お兄ちゃん』なんですから。大丈夫。『一緒にいるよ』。尚之さんが良く私にくれた言葉。私もそれを返します。──尚之さんの妹 伊吹晶子』


 尚之は、晶子からの手紙を胸に押し当てた。

「……晶子様……」

 閉じた目から涙が溢れ、その頬を伝う。

「あ、秋津様……」

 それを少し焦ったように家政婦は見上げた。

 ──瞼を上げた尚之の目に、強い光が戻った。

 手の甲で涙を払うと、手紙を届けてくれた家政婦に指示を出す。

「──すみませんが、警察を呼んで下さい。それと江藤親子には厳しい監視を続けて」

「はい」

 頷いた家政婦がその指示を皆に伝えに走り去る。

 踵を返した尚之は、モニター室へと戻った。

「……何の用だったんだ?」

 問う誠に、尚之は晶子の手紙を差し出した。

 それに目を通す誠と由紀は、瞬く間にその目に涙を溜めた。

「晶子ちゃん……」

「予期、していたのか……」

「多分」

「どうするんだ?」

「警察を呼んで、全てを白日の下に晒します。彼らを野放しにはしない」

 尚之の強い意志を感じ、誠と由紀は頷いた。




 ──防犯カメラに映った映像、録音された音声によって警察は動き、それを見せられた江藤親子は犯行を自供。

 誘拐未遂については時効が成立していたために罪に問う事が叶わなかったが、江藤貴史は婦女暴行未遂で、江藤哲夫・江藤公子夫妻は殺人で逮捕、起訴された。

 警察は、行方不明となった伊吹晶子の捜索にも着手。

 この一件は、マスコミにも大々的に報道され、当然の事ながら哲夫の会社は倒産。

 世間は晶子への同情を募らせた。




 ──警察に江藤親子が連行されたのち、尚之は手紙に従って晶子の遺言書を見つけた。

 保管されていた金庫の暗証番号は、尚之らの誕生月と生まれた日を合わせたもの。

 ──とても嬉しく、同時に切なかった。

「……これは、今はまだ開ける事はしません。晶子様を諦めるわけじゃないんですから」

 何か不測の事態が起きた時、それを解決するために開ける時が来るかもしれない。

 けれど、だからと言って晶子の生存を諦めるわけじゃない。

 そんな尚之に、反対する者は誰もいなかった。

「──何時、晶子様がお帰りになられても良いように、この邸は──」

「私共がお護りいたします」

 尚之の視線を受けて、しっかりと初老の使用人は頷いた。その背後では他の者達も確かに応じ。

「社は任せろ」

 誠もきっぱりと言い切った。

「お願いします」

 尚之は頭を下げた。



(──ずっと、ずっと、貴女の帰りを皆で待っています。晶子様──……)



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