第4話・娘を護りし、生者と死者




 通夜式後の食事も済み、弔問客の多くは、同じ街中にある北条グループが経営する大きなホテルへとその身を移動。残った十数人の客は、邸内の客室へと案内された。

 但し江藤親子に於いては、北条家の意思とは関係なく邸から出ず。

「娘の私に、家ではなくホテルに泊まれって言うの!?巫山戯ふざけるんじゃないわよ!」

 ホテルを用意したと言えば、そう騒いだ。

 夜も遅く、一日中せわしなく動き回ってくれていた人々の負担を考えると、これ以上騒がれるのは好ましくない。仕方なく一家の、その日の滞在を許可した。

 北条邸は大きい。

 しかし部屋数は多くとも、八畳から十畳の部屋は住み込みで働く使用人達に一部屋ずつ分け与えられており、客室として用意されている部屋は八部屋のみ。

 客人一人当たり一部屋と振り分ける事は出来ず、同家族なら一室を共に使って貰う事となった。

 けれど五人家族でも十分な広さの部屋。ベッドもその数あり、シャワールームとトイレもそれぞれに完備されている。

 一部屋一部屋が豪華なホテルのような仕様だ。

 当然、江藤親子も三人一室のはずだった。──が。

「何ですって!?同じ部屋に泊まれって、貴女の頭どうなっているのよ!?」

 喬尚の長女なのだから一人一部屋用意するのが当然だ、と喚き、説得を試みるも頑として聞き入れず、そのあまりの傲慢さに邸に泊まる誠と尚之の堪忍袋の尾が切れかけた時、困っていた晶子を見兼ねて声を掛けた人物がいた。

「晶子お嬢さん、ちょっと……」

 手招くのは、邸に泊まる北条グループと最も取引のある企業の社長。

 その背後には、また別企業の社長二人の姿があった。

「真木様。──青田様と武藤様。……申し訳ございません。お騒がせして……」

 誠と同年代の社長三人に、晶子は頭を下げた。

 それを真木が優しく止める。

「いやいや。晶子お嬢さんは何も悪くないよ。それでね、ものは相談なんだが……」




『──青田君と武藤君と、久々に夜通し話をしたいと思ってね。だけど、居間で話そうものなら迷惑を掛けてしまう。だから誰かの部屋で話そうという事になったのだけど、それならいっそ三人同室にして貰おうかと思って。どうだろうか。お願い出来るかな?』




 ──それは、三人の気遣い。


 公子らは己の欲に忠実で、意が通らなければ気が済まない。すぐに癇癪かんしゃくを起こし、騒動を起こす。


 今日、愛する喬尚を亡くし、哀しみに浸る間もなく葬儀や弔問客に出す弁当の手配。そして弔問客を迎え、喪主を務めて。

 尚之らの手を借りたとはいえ、晶子の身に掛かる負担は計り知れない。肉体以上に、その心が疲弊している。加えて今夜は寝ずに喬尚の遺体に寄り添い、蠟燭ろうそくや線香の火を絶やさぬよう番をするのだ。

 そんな晶子には、これ以上の騒動は耐え難いもの。

 しかし、騒ぎを収めるためとはいえ、公子らの要望を叶えてやる事は出来なかった。

 邸に残った弔問客は尚之を除き、会社の代表を務める者とその家族ばかり。──北条グループ会長を務めた喬尚の葬儀なのだから、当然と言えば当然なのだが。

 彼らが導く企業は地盤が強固で、譬え規模が小さくとも確かな力があり。比べて哲夫が長に就くそれは脆弱で、彼らの足許にも及ばない。

 公子がいくら自分は喬尚の長女だと喚いたとしても、家を出て、嫁いだのならば夫の位が重要視される。

 それが序列というもの。

 実力があれば話も違ってくるが、それすらない格下である公子らの意を通すわけにはいかなかった。

 それを三人は分かっているから。自分達の都合だという事にして、頼むように言ったのだ。

 そうすれば、晶子は首を縦に振る事が出来る。

 ──三人はこれ以上、晶子に負担を掛けたくはなかった。


 晶子は三人の気遣いに、心を震わせた。

「……っ、ありがとう、ございます……」

 礼を言った晶子の頬を、一筋の涙が伝った。


 真木らの気遣いのお陰で如何にか公子らを部屋に入れる事が出来た晶子は、喬尚の眠るひつぎを一夜守るため、その傍らに腰を下ろした。


 ──座ってからどの位の時が経ったのか、ふと気配を感じて、顔を上げると、部屋の入り口に喪服のままの尚之が立っていて。

「……晶子様。私が通夜を変わりますから、少しお休みになって下さい。──倒れてしまいますよ」

 歩み寄った尚之が同様に喪服姿の晶子の肩にショールを掛けた。

 それを受け取りつつも、晶子はかぶりを振る。

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。どちらにしろ眠る事は出来ませんし……」

「それでも横になるのとならないのでは全く違います」

 重ねて言う尚之に、しかし晶子はそれを拒否する。

 かぶりを振る晶子に困ったように眉尻を下げると、分かりました、と隣に腰を下ろした。

「尚之さん?」

「私もお付き合い致します」

「ですが……」

「させて下さい」

 渋る晶子に、尚之は引かなかった。

「……では、お願い致します」

 苦笑気味に、けれどどこか嬉しそうに、晶子は軽く頭を下げた。

 二十、歳の離れている尚之は、晶子にとっては兄のような存在で。尚之も晶子をとても大切にしており、二人は絶大なる信頼関係で結ばれていた。


「──ねえ、尚之さん」

 他愛のない会話を交わしたのち、晶子は唐突に尚之の名を呼んだ。

 視線を向けた尚之を見る事なく、晶子は棺を撫でながら口を開いた。

明日あす、お祖父様が講じられた手というのを聞いたら、きっと伯母様達は騒ぐのでしょうね」

 内容は知らないけれど、そうなる未来は分かる。

「……はい。そうなるでしょう」

 喬尚が生半可な手を講じたとは思えない。それは、公子らに大打撃を与える事が確実であると示しており。

 そうなれば──。

「……きっと、何かしら動くでしょうね……」

 呟くように言った晶子は、真剣な表情で尚之を見据えた。

「もし、──……」



 ──翌日。

 一睡もしていない晶子の事を分かっている出席者らが、一丸となって江藤親子に睨みを効かせたお陰で、告別式は出棺まで滞りなく進行出来た。

「──本日は、祖父・北条喬尚の旅立ちのためにお集まり頂き、ありがとうございます。この様に素晴らしい方々に見送られる事を、祖父も喜んでおります。七十五年という長くも短い年月の中で、皆様に出逢い、支え、支えられ、生きた時間を共有出来た事は祖父の誇りだったと思っております。もう言葉を伝える事の出来ない祖父に変わりまして、心より御礼を申し上げます。──ありがとうございました」

 喪主としての挨拶を、その瞳に涙を湛えながらも決して零す事なく晶子は立派に遣り遂げた。

 会場では目許をハンカチで押さえる姿や、鼻を啜る音が聞こえ。

 彼らに見送られながら火葬場へと出発し、喬尚は荼毘だびにふされた。


 ──日も暮れて、喬尚の遺骨と共に邸に戻った晶子は幾人か残っていた客を全て見送ったのち、一息つく間もなく、応接室に置かれた椅子に喪服姿のまま腰を下ろしていた。

 その右隣の列には同様に喪服に身を包んだままの誠と長年邸に勤めた初老の使用人が着席し、テーブルを挟んだ向かい側には江藤親子がそれぞれ腰を下ろす。

 晶子の斜め左側、皆を見渡せる位置に尚之が立つと、江藤親子が息を呑む。


 ──予想通り、遺言書を発表すると聞いた公子らは自分達も同席すると言い出した。


 皆を見渡した尚之は、鞄の中からファイルに挟まれた紙を取り出した。

「……こちらは、会長の公正証書遺言書です。では、読み上げさせて頂きます。

『遺言書第一条────────……」




「────以上が、遺言書の内容です」

「……どういう事よ!!どうして私達の名前がないわけ!?」

 尚之が遺言書を読み終わると、ガタッ、と椅子を後ろに倒しながら公子が立ち上がった。

 哲夫と貴史も腰を浮かせて気色ばむ。

 それを尚之は冷たい表情で見据えた。


「当然の事です。貴女方は、推定相続人、または代襲相続人から廃除されているのですから」


「……え?」

「「……は?」」

 尚之の言葉に、江藤親子は固まった。

 遺言書には、所有する不動産の全てと預貯金のほとんどを晶子に相続させる旨が。

 また、所有する会社の二割の株を晶子に、八割を誠に相続させ、実質会社を誠に譲る事。

 そして、長年仕えてくれた初老の使用人に一千万円を相続させる事が記されていた。

 そこには一切、公子や貴史の名前はなく。

 それは彼らが既に相続する資格を剥奪されていたからだという。


 ──要するに、相続する権利のない公子らには、喬尚の遺産は一銭も入らない。


「そ、そんなの、聞いてないわよ!!」

 血の気を引かせた公子らに、尚之は淡々と答える。

「いいえ。相続人廃除の申し立てがなされ、審理が始められる際に通知が行っているはずです。信じられないのならば、戸籍謄本をお取り寄せ下さい。記載されていますので」

 ふ、と笑みが溢された。

 これには晶子も驚いていた。

 気付いた尚之が、優しい瞳を向ける。

「どうしました?」

「いえ……。相続人廃除の審理は、とても厳しいものと記憶していたのですが……」

 相続人廃除は遺留分権を剥奪する事になるため、その審理はとても厳しい傾向にある。

 例えば、被相続人を虐待した。被相続人に対して重大な侮辱を与えた。相続人となる者が著しい非行をした。被相続人の財産を不当処分した。

 ここで挙げたものは一例に過ぎないが、これらも酷くないと廃除の申し立てが認められる可能性は低い。

 尚之は、頷いた。

「ええ、そうですが、彼らは『被相続人の財産を不当処分』しましたので、廃除が確定されたのですよ」

 晶子は瞬いた。

 公子らは心当たりがあるのか、更に青褪める。

「九年程前になりますが、会長の許可なく邸から一つ十万円は下らない陶器の器や置物、不動産二軒分の登記簿を持ち出し無断で売却。これが『被相続人の財産を不当処分』に当たらないはずがないでしょう?」

 侮蔑の籠った冷え冷えとした目を、江藤親子に向ける尚之。

「刑法244条第一項に家族間での窃盗、不動産の侵奪の罪について免除する、というものがありますからね。この方々もそれを分かっててやったのでしょうが。──ですが、会長が見逃すはずがないでしょう?その事実を使って、相続人廃除をされたのですよ。彼らがそれらを処分して得た金銭よりも、遺され分配される財産の方が遥かに大きいですしね。そちらの方が打撃を与えられますし」

 誠達は知っていたのか、驚いた様子は見えない。

 愕然とする公子らは拳を震わせた。

「……そ、そんなの無効よ!!認められるわけがないじゃないのっ!!」

「そ、そうだぞ!!公子は会長の実の娘で貴史は実の孫だっ!!」

「俺だって、晶子と同じ祖父さんの孫だっ!同じ額貰うのが当然だろ!!」

 喚き出した。

『喬尚の長女』であり口の立つ公子に任せっぱなしだった哲夫と貴史も共に。

 予想していたとはいえ、騒々しい。

 片眉を上げた尚之は、ふぅ、と軽く溜息を吐いた。

「相続人廃除は、財産を遺す者が廃除申請を取り下げない限りは無効となりません。でなければ意味がないでしょう。従って、貴女方に相続する権利はありません」

 きっぱりと言い切った尚之。

「そ、んな……」

「待ってくれ!会長の遺産が入らなければ、私の会社はどうなる!?」

 力なく床に座り込んだ公子の隣から哲夫が飛び出し、尚之に詰め寄る。

「そんな事は知った事ではありません。ご自分のお力だけで何とかなさって下さい」

 哲夫の会社は先にも言ったように脆弱。

 にも拘らず、喬尚の権力の上に胡座をかいていた公子の傲慢さと、その影響か、自分の身の程も知らない哲夫と貴史のそんさに年々人は離れ、経営が傾いていた。

 それでも態度や考えを改めようとしないのだから救いようがない。

 そんな彼らから尚之は離れる。

「──晶子様」

 静かに涙を流している晶子の傍に寄った。

 公子らの言動は、喬尚の遺産だけが目当てであると言っているのと同じ。

 ──分かってはいた。公子達が喬尚の死を悲しんでいない事は。

 寧ろ、喜んでいた事は。

 けれども、実際にそれを見せつけられ、言われると、胸が痛み。苦しくて、叫び出しそうで。

 頭と心が比例しているわけではなく。同じなわけではない。

 口を開けば彼らに対する憤りや悲しみ、悔しさを言葉として発してしまいそうで、そうなれば事態の収拾がつかなくなる事が予想出来たから、晶子は只々涙を流すだけだった。

 そっと気遣うように誠と尚之が寄り添い、初老の使用人は悲しげに見つめる。

「──戻りましょう」

 尚之の言葉に小さいく頷いた晶子は立ち上がる。それに従い、誠と使用人の男も席を立つ。

「──っ、何よ、良い子ぶっちゃって!!親そっくりの偽善者がっ!!」

 座り込んだまま公子が怒号を飛ばす。

 それに最早反応を示さずに、誠も尚之も使用人の男も、晶子を応接室から連れ出した。


「……晶子様……」

「……大丈夫です。ありがとう……」

 自室まで送り、尚之が気遣うように名を呼ぶと、晶子は弱々しく笑みを浮かべた。

「少し一人になりたいので、部屋にいますね。何かあれば、呼んで下さい」

 尚之に告げて晶子は部屋の中へと入った。


 ベッドに力なく腰掛けた晶子は、襟元から鎖を取り出した。

 そこには両親の形見である黒ずんだ二つの指輪の他に、昨日からもう一つが加わっていて。

 ──それは他の二つよりも大きく、美しく形成されたファントムクリスタルが取り付けられた指輪。

 生前、喬尚が好んで身に着けていた物である。

 晶子は形見となってしまったそれを、ぎゅっと握り締めた。

「……お祖父様……っ」

 揺らぐ瞳から、止めどなく涙が溢れた。

 ──どのくらいの時間、想いを流していたのか。

 漸く止まった涙を拭うと晶子は喪服を脱いでハンガーに掛け、利休色の丈の長いワンピースに袖を通した。

 そして机に向かって座り、何かを紙に記し出す。




「──お嬢様、お疲れのところ申し訳ございません」

 自室の扉が叩かれたのち、外から声が掛かった。

 壁に掛けてある時計に目をやれば、自室に戻ってから早二時間。

 晶子は立ち上がり、扉を開けた。

「どうしました?」

 瞼を腫らしている晶子に気付き、気遣わしげな視線を寄越すまだ若い家政婦に大丈夫だと笑むと、彼女は言い辛そうに口を開いた。

「それが……、『もう時間も時間だから今夜も泊まる』と、江藤様方が騒いでおられて……」

「……話が終わってから、随分と経つけれど……」

 帰っていなかったのか、と。

 家政婦は困ったように眉尻を下げた。

「その、……高柳様と秋津様に、何とかしろと今の今まで迫っておいでで……」

 ずっと騒いでいたのだろう。

 家政婦の表情に疲弊の色が見える。

 誠も尚之も晶子の事を思って、知らせずにいてくれたのだろうが、今度は泊めろと言う。

 喬尚亡き今、この邸の主人は晶子だ。

 泊めるか泊めないか、晶子の許可がいる。

「わかりました。すぐに行きます」

「いえ、秋津様が『お嬢様はお疲れだからお返事だけで良い』と」

 廊下に出て扉を閉めようとした晶子を、家政婦が止める。

 それは彼らの優しさ。

 少し表情を和らげた晶子は、頷いた。

「……では、今夜までは許可します、と。明日以降はいくら遅くともお泊めしない、とお伝え下さい」

 もう、江藤親子への情は無くなっていた。

「はい。承知致しました」

 それに頷いた家政婦は頭を下げて、来た道を戻って行く。


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