第3話・忌むべき者達




 大企業である北条グループ会長の死は、テレビなどでも速報として取り上げられ、瞬く間に世間に広がった。


 大切な祖父を失ったばかりの晶子は、けれども気丈に振る舞い、秋津や邸で働く者達の助けを借りながら早急に通夜と葬儀の手配を行い、喬尚の死を知った少しでも接点のあった者達は急ぎ駆け付けた。

「この度は、ご愁傷様です」

「お気遣いありがとうございます。木坂様がお別れに来て下さった事、祖父も喜んでくれております」

 喪服に身を包み、玄関先で弔問客の挨拶を受ける晶子の目は、赤くなっており、度々、涙を流している事が分かる。

 それでも喪主として立派にそこに立ち。


 晶子の存在が喬尚を良い方へ変えたという事実は誰しもが知っている事。そして彼女が喬尚をとても慕っていた事もまた周知の事実であり、その胸の内に思いを馳せた人々は、心を痛めた。


 静かに、しめやかに式までの時間が過ぎて行く。──かに思われた。

 カツ、カツッ、とヒールの甲高い音がその場に突如として響き渡る。

 自然とその音がする方角に顔を向けた人々は、一様に顔を顰めた。

 場に相応しくないその音を鳴らすのは、五十前の少しふくよかな香水の匂いの強い化粧の濃い女。

 女の隣には夫と見られる五十代の少し下腹の出た男。そして二十代半ばの茶色く髪を染めた男が、共に玄関扉の前で人々を迎えている晶子を目指して歩んで来る。

 その三人の姿を認めた晶子は、微かに身体を震わせた。

「……ちょっと、晶子!貴女、長女の私を差し置いて喪主だなんて一体何を考えているの!貴女はただの孫でしょう!?何様のつもりなの!!」

 晶子の前に着いた途端、場も考えずにいきなり怒鳴りつける女。

 その夫は見下したように晶子を睨め付ける。

公子きみこ伯母様……」

 晶子は小さく声を発した。


 江藤えとう公子きみこ四十八歳。隣に立つ、江藤えとう哲夫てつお五十一歳の妻で、喬尚の長女である。

 そして共に立つ若い男は夫妻の一人息子である貴史たかし、二十五歳。晶子の従兄弟に当たる男だ。


 この三人、喪服こそ着ているものの喬尚の死を悲しむ気持ちがないのは誰の目にも明らかで。

「貴女はこの家の居候じゃない!自分の立場をわきまえなさい!!」

 只々晶子をけなす。

 弔問に訪れた人々は不快げに顔を顰めた。幾人かが晶子の許へ駆け寄ろうとする。

「──立場を弁えるべきは、貴女方の方だと思いますが?」

 そこに男の声が割り込んだ。

 はっとしたように声のする方へと顔を向けた晶子は、安堵したように表情を和らげた。

「高柳の小父おじ様……」

 公子達に鋭い目を向けていた恰幅の良い男は晶子へと視線を移し、変わって気遣うように優しく目を細めた。

「遅れてすまなかったね、晶子ちゃん」

「いいえ。会社の方をお任せしているのですから。……もう、大丈夫なのですか?」

 心配そうに晶子は眉尻を下げた。


 言葉を交わすこの男の名は、高柳たかやなぎまこと。現在四十七という年齢ながら、北条グループの社長の椅子に座って早八年。

 喬尚の信頼も厚い男である。

 弁護士である秋津を除き、社で誰よりも喬尚の情報を持つ誠は、喬尚の死によって動揺の走る会社を鎮めるためその一報を受けても社に残り、指示を出し続けていた。

 加えて北条グループは一社だけではない。

 傘下や子会社、取引企業を含めるとそのかず数百に登り、それらから問い合わせなどが掛かる事は必至。社員で対応出来るくらいに落ち着くまでは社長である彼は社を抜ける事が許されなかったのだ。

 誠はしっかりと頷く。

「大丈夫。うちの社員はみな優秀だからね」

「そう……。良かった」

 心から安堵した様子を見せる晶子に微笑むと、すぐに公子達へ軽蔑の籠った冷え冷えとした視線を向ける。

「それで?何故、貴女方がいるのですか?」

 低く、冷たい声。

「なっ、私は喬尚の長女よ!?父が亡くなったから駆け付けたに決まってるじゃないの!!」

 怒り、声を荒げる公子に、誠は微かに眉を上げた。

「ほう?……確か会長は貴女方に絶縁を言い渡し、この邸の敷地内に足を踏み入れる事も、晶子ちゃんの視界に入る事も禁じたはずですが。──そうだったな?秋津」

「はい」

 晶子の背後から、弁護士バッヂを身に着けた秋津あきつ尚之なおゆきが現れた。

 騒ぎに気付いて、馳せ参じたのだ。

「何よ!それは父の生前の事でしょう!?それに絶縁って言ったって法的には意味がない事じゃないの。知っているのよ!!」

 ──確かに、絶縁は人と人との問題であって法律の上には成り立たない。

 ここ数年、公子達が邸や晶子に近付けなかったのは喬尚の監視の目が厳しかったからであって、その喬尚が逝った今、それは意味を成さないが。

 しかし。

「おや、ご存知ではなかったのですね」

 尚之は含みを持った言葉を呟いた。

「……どういう意味よ?」

「いいえ?通知は行っていたはずですが、それも確認されていなかったのだな、と思いまして……」

 訝しげな公子に、尚之は嘲笑しながら口を開き、それが更に公子の怒りに油を注ぐ。

「っ何なのよ……!!」

「それは──、……晶子様?」

 言葉を続けようとした尚之の袖を軽く引いた晶子は、小さくかぶりを振った。

「これ以上の騒ぎは……」

「……そうですね。後程に致しましょう」

 晶子の心に、尚之は言葉を引いた。

「伯母様」

 晶子は、ぐっと拳を握り、公子を見据える。

 その瞳の奥には確かに怒りがあって。

「今日ここは、お祖父様の死を悼み、別れを惜しむ場。そのお気持ちがないのであれば、お帰り下さい」

 先程、この家族を見て怯えを見せたとは思えない程に、凛とした姿。


 ──晶子は確かにこの家族、特に公子には憎悪感情ではないが、苦手意識を持っている。

 それはひとえに幼い頃から彼女達に受けた仕打ち故に。


 公子は幼い頃から父親である喬尚の権力の上に胡座あぐらをかき、常に己が一番でなければ気が済まないような女だった。

 変わって妹である晶子の母・亮子は、穏やかで思い遣りのある性格で。

 真逆の姉妹。

 喬尚は娘のどちらかを優遇するといった事はしなかったが、公子の目に余る言動に次第に嫌悪感を募らせたのは、自然な事。

 自分にも他人にも厳しい喬尚は、常ならば救いようがないと判断すれば迷う事なくそれを切る。

 けれども公子は血を分けた娘。

 流石に関係を断ち切る事は躊躇われたようで、それを行う代わりに幾度となく苦言を呈してきた。

 だが、公子はそれに一切耳を傾けず、逆に、叱られるような事をしない亮子を目の敵にし、それは娘の晶子にまで及んだ。

 顔を合わせる度に、喬尚の目を盗んでは両親や晶子に対する罵詈雑言を浴びせ掛け。


 ──それは両親が亡くなった際にも行われた。


 司法解剖された両親がまだ戻って来ていなかったその日。

 慌ただしい邸内で喬尚の部屋にいた晶子。

 傍に付いていた喬尚が人に呼ばれて部屋を出た事によって一人になった時、それを見計らっていたかのように公子が現れた。

 共に哲夫もいて。

 ──本来、この邸の主である喬尚の部屋に許可なく立ち入る事は許されない。

 にも拘らず、それを平気で行う夫妻。

 感情の抜け落ちた表情をして一点だけを見つめ、ただ座っているだけの晶子を認めると、二人は、にやりと口角を上げた。

 そして公子は口を開く。

『あらあら、貴女の両親は焼け死んだんですってね。きっと、貴女を使って父に取り入ろうとした罰が当たったのね』

 くすくすと公子は愉快そうに笑う。哲夫もうんうんと頷いて。

『さぞ苦しかったでしょうね。だって焼かれたんだもの』

 とても嬉しそうな声音。

 だが、笑っていた公子は急にそれを止めると、晶子の目の前まで顔を近付けた。


『……でも、残念ね。晶子も家に居れば良かったのにね?』


 決して人に向けるべきではない言葉を、両親を失ったばかりの幼い晶子に、何の躊躇いもなく投げ付けた。


 その後、公子らの所在が分からない事に嫌な予感を感じて駆け付けた喬尚の手によって、すぐに晶子は夫妻から離された。

 当然の事ながら喬尚は、断りもなく室内に立ち入った夫妻を詰問し。

 けれども、問い詰められてもしらを切り通す夫妻と、話す事を止めてしまっていた晶子が相手では、何があったかを当事者以外が知る事は難しい。

 しかし当時、人形のような状態であっても、晶子には意識も心もちゃんとあった。

 ──そしてその出来事が、人を平気で貶し、傷付ける公子への恐怖を含んだ苦手意識を決定付けるものとなった。


 今も尚、消える事ない奥底にある恐怖。けれどもそれに、晶子は屈するわけにはいかなかった。

 大切な、愛する喬尚自身を侮辱されているようで、喬尚の通夜の席をこれ以上掻き乱される事に耐える事が出来なかった。

「っ、何ですって!?今年高校を出たばかりの小娘が、生意気言うんじゃないわよ!無礼よ!!」

 見下している相手に強く出られて怒る公子の言葉に反応したのは、晶子ではなかった。

「無礼なのはどちらか」

「全くです」

 誠と尚之が晶子の両脇に立ち、江藤親子を鋭く睨み付けた。

「会長の通夜の席で騒ぎを起こし、人に不快感を与える。ここにいらっしゃる方々にお訊きしましょうか。非常識で無礼なのは、晶子ちゃんか、──貴女方か」

 誠が右手を上げて、騒ぎを見つめている弔問に訪れた人々を示した。

 公子らが玄関先で騒いでいるために中に入れず、また邸内からも様子を見に集まっているため、結果大勢で。

 彼らは皆、冷たい目で江藤家族を見ていた。

 自分がどこで声を荒げていたか漸く思い出したらしい公子は周囲を睨み付ける。

「何よ!!」

「これ以上の醜態を晒しますか?」

「、チッ!……分かったわよ。調子に乗らないでよね!」

 尚之の確認に舌打ちをした公子は晶子の横を通り過ぎる。その際、一言言うのは忘れずに。

 彼女は夫と息子を連れて邸の中に消えて行った。

 帰るのではなく、中に。

「「……」」

 ──この状況で、よく残ろうと思ったものだ。

 その心臓の強さだけは、尊敬に値する。

 はぁ、と至る所から呆れたような溜息が聞こえた。

「──皆様、大変お騒がせし、申し訳ございません。不快な思いをさせてしまった事、お詫び致します」

 晶子は集まっていた人々に深々と頭を下げた。──晶子に非はないにもかかわらず。

「お嬢様、頭を上げて下さい。我々は気にしていませんから」

「そうですよ、晶子お嬢さん。お気になさらないで下さい」

「大丈夫ですよ」

 たくさんの声が掛かる。

 顔を上げた晶子は、優しい彼らに感謝を込めて微笑んだ。

「──ありがとうございます」

 薄っすらと涙を浮かべている事に気付いた尚之が、そっと背中に手を添えた。

 見上げた晶子は、気遣いの色を浮かべた瞳を向ける尚之に大丈夫だと頷くと、再び人々に顔を向けた。

「さあ皆様、中へお入り下さい。和尚様は後二十分程でご到着されますので」




 ──檀家には入っていないが、懇意にしている寺の住職が到着し、しめやかに通夜式が執り行われた。

 喪主の席には晶子が。

 晶子の父・彰と同様に天涯孤独の身であった喬尚に親戚はおらず、親族席には誠とその妻、尚之、そして晶子の希望で長年邸で喬尚に仕えてきた初老の、共に喬尚を看取った使用人が座した。

 変わって、一応故人の娘家族である江藤親子が座るは一般席。

 これは嫌がらせなどでは決してない。れっきとした事由がある。

 それは先程尚之が言いかけた事。

 晶子は詳しくは知らないが、誠と尚之が『喬尚の意思だ』と告げれば、それを尊重する。

 ──偽か真か。

 生前の喬尚の江藤親子に対する対応を知っていれば誰しもが分かる事。


 当然と言っていいものか、ここでも公子らは散々に喚いていたが、誠と尚之、更には弔問客らの睨みを受けて、流石にこれ以上騒ぎ立てれば追い出されると分かったらしく、渋々と、不満を露わに席に着いて。


 ──何とか無事に通夜式を終える事が出来た。


「皆様お忙しい中、遠い所を祖父のために足を運んで頂き、ありがとうございます。広間にお食事の用意がしてありますので、どうぞお召し上がり下さい」

 晶子の言葉に、人々がぞろぞろと移動する。

 そんな中。

「……あら、これ前来た時はなかったわ。──なかなか良いじゃない。後で持って行きましょう。貴方達も目ぼしい物を見つけておいて」

「ああ、分かった。既に目を付けてるのがあるんだ」

「了解、母さん」

 江藤親子がこそこそとする会話が耳に入る。

 当然、傍にいた誠と尚之の耳にも届く事となり。

「──堂々と窃盗の相談ですか?大胆な方々だ」

 尚之が眉根を寄せて、声を掛けた。

「「!」」

「!、ち、違うわよ。眺めていただけなのに、変な言いがかりを付けないで頂戴!!」

 はっ、とした様に父子は振り返り、公子は手にしていた広い廊下に飾ってあった陶器の置物を慌てた様子で戻しながら何故か怒り気味に言葉を投げ付け、そそくさと広間へ入って行く。

 はぁ、と誰ともなく溜息が漏れる。

「……本当、自分が何様だと思っているのかしら……」

 そう零したのは、誠の隣に立っていた愛らしい女。

由紀ゆき小母おばさん……」

 誠の妻である由紀は、誠と同じ四十七歳とは思えない童顔を怒りに染めながら、晶子の肩に触れる。

 ──子のいない高柳夫妻は晶子を実の娘のように可愛がっている。

 同時に、晶子も夫妻を慕っていて。

「晶子ちゃん、あの人達に気遣いなんて一切必要ないわよ!」

 勇ましい由紀に、自然と表情が緩んだ。

「こらこら、由紀。晶子ちゃんに迫ってどうする」

「あら、そうね」

 たしなめる誠に従い、由紀は晶子の肩から手を退けた。

 尚之が軽く笑む。

「……まあ、あんな風に大きな態度でいられるのももう少しです。明日になれば、そんな余裕はなくなるでしょうからね」

「どういう事ですか?」

 それに晶子が首を傾げた。

「あの方々に関して、会長が生前既に手を打っておられたのです。──当人にも通知は行っているはずなのですが、それを知らないようなので、きっとそれに目を通す事なく破り捨てたのでしょうね。自業自得です」

 ふ、と侮蔑が滲んだ息を吐く。

 由紀が口を開いた。

「どうして、今言わないの?そうすればあの人達の鼻っ柱を折ってやれるのに」

 勢い込む由紀から、尚之は優しい目を晶子に向けた。

「今ここで告げれば、通夜や告別式などを滞りなく行う事は難しいでしょうからね……」

「あ……」

 それで気付く。

 玄関先での騒ぎの折、尚之は何かを公子らに告げようとしていた。

 けれど、それを自分が止めたのだ。──あれ以上、喬尚を侮辱されたくなくて。

「ごめんなさい……」

 眉尻を下げた晶子に、尚之は笑み掛ける。

「いいえ。止めて下さって良かったのです。私はあの時、情動に駆られて冷静な判断を欠いていましたから。晶子様が先へと考えを巡らせ止めて下さらなければあの場で告げてしまい、確実に騒ぎ立てるあの方々によって通夜式を執り行うどころではない状況に陥っていたでしょう。明日の告別式の事も考えると……」

「「……」」

 ──想像に容易いそれ。

 まだ詳しい説明はないが、尚之の口振りからして喬尚が打っていた手が江藤親子にとって好ましい事ではないのは確かだ。

 そんな、彼らにとって不利益となる事を多くを控えた場で報せていれば、感情のままに通夜式をち壊されていたはず。

 翌日の告別式に乗り込んで来る可能性も、確かに高かった。


「私個人としても、会長の旅立ちを邪魔されたくはありませんからね。告げるのは告別式や火葬が終了した後に致しましょう。──どうせ、会長の遺言書を読み上げる場に同席させろと言ってくるでしょうから」

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