いつだって始められる。ここから。【五四〇文字】
雲の掴めそうなくらいの高山だった。肌を撫でる風は、少し冷たく乱暴だ。
だが、その寒さは、登山を終えたばかりの熱くなった体には心地いい。とはいえ、冷やし過ぎれば体に悪い。
体を抱き込むように外套の前を閉めると、愛用の双剣を岩肌に突き刺し、腰を落としていた灰髪の彼女が、窺うようにしてこちらを振り向いた。
「寒いの」
そういう彼女は平然とした顔だ。その脚を晒して絶対領域を作っているくらいなのだから、気にもならないのだろう。地上であれば見惚れる部分だが、この高山では、寒さを喚起してくるものでしかない。
「ああ、少し」と答えれば、微苦笑を浮かべられた。彼女より厚着をしているのにこれなのだから、笑いたくもなるだろう。
「ここは?」恥ずかしさを振り払うように問えば、しばらく沈黙があった。どう答えたものか、考えている空気だった。
やがて、その形のいい唇が音を作る。遮るように間を飛んで行った鳥が、甲高く鳴いた。
「私の好きな場所。ここから、始められる場所」
彼女は淡く微笑む。
その言葉が示すように、もはや彼女を縛るものは何もない。その横頭から伸びる黒い双角に、隷属の印はないのだ。
手の届きそうな距離で、鳥たちが羽ばたいている。
その翼がどこへでも行けるように、自分たちもまた、どこへだって行ける。
きっと、ここから。
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