私の形をした、からっぽ
どうしていつもそんなに転々と、文の調子を変えられるの。と、聞かれてしまった。この人はいまさら何を言っているのだろうか。私は生まれてこのかた自分らしい文体なんて持ち合わせたためしもなく、その直前に読んだちょっとした文章に影響されながら言葉を紡ぐ人間だったというのに。わたしがその旨をあたりまえのことのように彼に伝えると、彼は私にきょとんとした顔を向ける。そう、この人は私の文章をよく褒める。褒めていた。わたしにとっては直前にみた言葉の模倣でしかない創作活動のまねっこを彼はいたく気に入ったらしく、ものを書いて彼に読ませるたびに、彼は私の書いたものと私を無条件にほめる。
きっと彼にとっては、人の手によって書かれたものは書いた人と結びついていて、そこに書き出された言葉を褒めることは書き出した人間そのものを承認することと一緒になっていたのだと思う。だから私は、いちおうは彼のルールに乗ってあげた。他人の息づかいを真似て書いた物語を褒められたときも、誰かの飄々とした視線を意識して書いたエッセイを褒められたときも、彼は私を褒めるつもりで文章を褒めているのだと意識しながら彼の言葉を受け止めた。しかしほんとうは違う。褒められているのは私ではなくて私の書いたものでしかないし、私の書いたものは私の読んだものの模倣でしかない。私の書き出した言葉を受け入れられることは、私の内面を褒められているのではないとわかっていた。
私は私自身を見て欲しいのではなかった。できることなら私の好きなこの作家を見て欲しい、この音楽を聴いて、わたしと同じ舞台を観て欲しかった。ただ、そんなことができるほど、私は恥を捨てることはできなかった。自分のすきなものを教える行為は、自分の内臓を見せるようなものだ。私という人間が何でできているのか、なにに影響され、なにを信じ、どんな言葉をどう解釈したのか。それらすべてを彼に知られてしまう気がしたから。私はそれがとてもおそろしかった。彼はアタマのいい人だから。底の浅さを、その目で射抜かれ、見抜かれるような気がしたから。みられることが怖いのに、彼からの言葉を欲してしまった。だから私は、何を書くにも私が好きなものを真似しないようにした。自分というものを隠し、言葉から染み出す自分の香りを隠した。次第に文章から、自分を消し去った。そこに人間がいない、意味だけしかないものを目指した。
彼はいつも私の書くものを褒める。その言葉の中に私はいない。そこにあるのは私以外のすべてで形作られた、私の形をした、からっぽ。
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