第1話 初恋 

【殿山京香13歳】



京香きょうか!おまえ顔は美人だけど、性格は女じゃなくて男だ男。生まれてくる性別、間違えてるんだよ!」


 悔しい、悔しいのに泣けない自分がもっと悔しかった。どうしてこう自分は素直になれないんだろうと思った。


 殿山とのやま京香きょうか中学一年生。

 今日、入学して三週間目の放課後、クラスの男子と掃除当番の事で言い争いになり、思わぬ暴言を吐かれて悔しいのに言い返すことも、泣くことも出来なかった。


 どうしてだろう、なぜ言い返せなかったのだろう。その理由は分かっている。私には負けず嫌いなところが有り過ぎる。


 有り過ぎるから人前で泣くということが出来ない。出来ないどころか。なにか、泣けば、そこで全部終わりで負けてしまったような気になる。

 だから、あのとき何か言い返したら涙が出そうな気がして何も言えなかったのだ。


 多分、素直に泣けたら強がることも無く、楽に可愛らしい女の子ことして、あの、掃除当番をズルして早く帰ろうと嘘泣きをしていた、松風まつかぜやや子のように、クラスの男子にもちやほやされて楽に生きて行けるのかもしれないけど…、そんなズルはしたくは無かった。というより私には出来なかった。


 出来ない代わりに中学校のすぐ後ろにある裏山に登り、どこか人の来ない所で思い切り泣いてやろうと思った。

 いや、大きな声でこの悔しさと言葉にして、怒鳴りたおしてやろうと思ったのかも知れない。

そう、この腹立たしさに、喚いてやろうと思った…、のに、


「もぉー?ここ!どこよぉー」


 泣く場所を見つける前に、怒鳴る場所を見つける前に、時間をかけて学校の裏山で、私は迷子になってしまっていた。


 はじめは結構広い道だったが、奥へ、奥へと進むうち、道はどんどん狭くなり・・。

 暗くなる。


 自分の目の前の道はどう見ても人が通る道というよりは、獣が通る道。獣道と言う方が正しいくらい細い道がヒューと山の奥に向かって伸びている。


 おまけに、お腹も空いてくるし日も落ちてきた。このまま、帰れなかったらどうしょう。と不安に駆られ始めたとき…、〝ふっ〟と頭に閃き手前の木に体重を預けて木立の間から下を覗き込んだ。


〝このまま、一気に滑り降りたら、下に着かないかなぁ?一か八か、やってみるか!〟


 上に登って来たのだから、下に降りればいい。

 それなら、単純に一直線に降りれば早く降りられるのではないかと、あたりが茜色に染まりだして心細くなった私は、早く家に帰りたい一心で恐ろしいことを考え、実行しようと制服のスカートを持ち上げて、もう一度手前の木に手を掛けよとしていた。


 そのとき、『きゅるるるぅーー』と変な泣き声のような音がした。


「なに?」

 耳を澄ます。もう一度聞こえたその声は、さっきより少し遠くで泣いているような気がした。私は、好奇心の心を抑えられずに泣き声のする方へと歩き出した。


〝うわぁー、どうしょう。もし、猛獣とか出て来たら、どうする?〟


 怖い。

 でも、なんなのか確かめたい。

 自分でもこの性格には手を焼く。けど止められない。恐る恐る細い道を進んで行くと。なんだろう、風に乗って冷たい水の香りがした。


「えっ、川?が、あるの・・」


 右手に行けば細い獣道がスルスルと伸びて続いている。

 左手には、さっきまでの斜面にまばらな間隔を置いて生えている木々の群れとは違い。まるで何かを隠すように、守るように、何層にも重なるようにして規則正しく生えている、真っ直ぐな木立の壁が続いている。


 水の香りは、その木立の壁の向こうから風に乗って香っているように私には思えた。


「ええぇーい!」

 自分に喝を入れる気で大きな声を出した私は、木立の壁を突っ切って歩き出した。薄暗い木と木の間を、ちょこまかと右へ左へと行き来しながら前に進む。


 突然、目の前の視界が開けた。

 私の目に飛び込んできたのは、今まで見たことも無い光景、沈む夕日の光に染まるきらびやかな世界だった。


「綺麗ぃー、これはどういうこと?何が光っているの?」


 私は木立の間を抜け出し、前にでて足元に注目する。屈んで地面を見て見ると、尖った水晶の六角柱の原石がびっしりとついた石が、大小に割られた様々な大きさの石が、目の前の湖まで無数に続いていた。


 私はその一つ手に取ってみる。小さな水晶の結晶は、手のひらの中で光を集めて小さくキラキラ輝いている。

 その六角柱水晶の結晶たちが、いま茜色の空の光を浴びて、辺り一面を煌びやかに輝かせていた。


 目の前の湖は、空の色と紅色に燃える木々の色を鏡のように映し出している。


「きれい…」と呟いた私は、余りの美しさに、自分が迷子になってしまい、不安でいっぱいの心細さを忘れていた。家に帰れぬ恐怖を忘れて、暫し呆然と立ち尽くし、馬鹿のように口をぽかんと開けて目の前の光景に見入っていた。





 

『迷子に、なったのか』

 突然声がした。

〝えっ!〟


 突然のその声に私は驚いた。

 目の前の美しい光景に我を忘れて見とれていた私の身体は動きが鈍くなっていたのか、逃げるという行動を取るよりも先に、声のする方へとゆっくりと首を回していた。


〝さっきまで、誰もいなかったのに・・・〟と、私はぼんやりとした頭まで思った。


 そう、確かに誰もいなかった。だのに、そこには一人の青年が静かに立っていた。その青年は、周りの風景に溶け込みながらも存在感のある、そのすらりとした立ち姿が息を飲むほど美しい。


 天からの光りと、天の光りに揺れる湖の輝きを受けて・・、いえ、集めて立っていると私は思った。


〝この人、人間・・?〟


 あまりの美しさに私はそう思った。彼は目を細め、私を見て、ふっと、優しく笑った。


 私は、今、自分の心の中で思ったことが、彼に全て知られてしまったような気がして、恥ずかしさで耳まで熱くなり、顔中が一気に赤く染まったことが自分でもはっきりと分かった。


 そんな私のもとに、彼は、ゆっくりと近づいてきた。

〝来ないでー〟と私は声に出して叫びそうなる。


 恥ずかしさで、私はそこから急いで逃げだしたい気持ちになった。でも、身体がいうことを聞かない。

 そこから一歩も動けないのだ。


 気持ちは、恥ずかしさで風のように後ろを向いて駆けだしているに、身体は、顔は、目は、彼の姿を一つも見逃すまいと捕らえて離さなかった。


 彼の吐息の音が聞こえる。柔らかな優しい音。

 甘い香りが鼻孔に容赦なく流れこんでくる。抗う事など出来ずに、私はその香りを一つも逃すまいと大きく息を吸い込んだ。

 吸い込んだとたんに頭がクラクラした。


『迷子になったのか』


 彼は私に、もう一度聞いた。

 私は目の前の彼を見つめる。陶器の様になめらかな肌、思わず触りたくなる淡い桜色の唇。そして、そして…、瞳の色が左右で違っていた。余りの美しさに私は息を止めて見つめていた。


〝綺麗…、なんて、綺麗な瞳の色、こんなの見たことない。初めて、宝石のような瞳・・〟


 おかしな話だが彼に見惚れてしまった私は、どうやら完全に思考回路がストップしてしまっていた。


 彼の質問に答えなければと必死になって考えているのに、思い出そうとしているのに、なぜ、ここに居るのか、ここに来たのかが自分でもどうしてだか分からない。

〝私は、何をしたかったのか〟が、まったく分からないのだ。


 それでも必死に頭を動かそうとするけども、なにも考えられない。時間にすれば、ほんの何秒の間だったかもしれないが、私は恐ろしく長い時間黙りこんでいたような気がする。


 そして、やっと自分が迷子になったことを思い出した。でも、慌てた私は声の出し方まで忘れてしまったかの様に、「はい」とたった一言だけ答えるのがやっとだった。

 後から考えると中学生にもなって、すっごく情けない話しだった。


 彼は承知したというような笑顔で、目で、優しく私を見る。

 私はただその笑顔が嬉しくて、頬を染めポーッとなって見つめていた。


『お腹も空いているのか』

 私は、彼の言葉に素直につられて頷いた。頷いた後、何故だかひどく恥ずかしくなって下を向いてしまった。


 迷子になって、そのうえお腹まで空かせている私は、さぞ馬鹿な子に見えるだろうと思うと、彼に思われているのだと考えるとひどく悲しくなった。


『これを、お食べ』


 彼は、彼の白くて美しい手の中にある、赤い小さなイチゴに似ている実を私に食べなさいと渡してくれた。

 私は消え入りそうな声で「ありがとう」いうと、なんの躊躇いも無く、その実をつまんで口に運んだ。


 赤い実は信じられないくらい甘かった。口の中でプチプチと小さな粒が一粒ずつ甘さをはじき出す。今まで食べたことが無い、感覚。


「なに?これ?すごく甘くて、美味しい。それに・・」と言いかけて恥ずかしくなった私は黙ってしまった。


『それに?』

 彼が私に問いかけてきた。だから、私は正直に話そうとした。


「それに、なんだか分からないけど、とても幸せな気持ちがする。さっきまで、どうしょうか不安で、不安で、仕方なかったのに。今は、この実を食べて、甘くて、とっても幸せな気分になってウキウキとした、なんて言っていいのか言葉が見つからないけど、ふわぁーっと心が上に広がるような、軽くなるような、とても嬉しい、優しい気持ちがする」と私は彼に向けて笑顔でこたえていた。


『それは良かった』と彼は言った。


「あのぉ?この実は、なんて名前なんですか?どこで、売っているんですか?」

随分を不躾な質問をしてしまったと思う。思うけど、聞かずにはいられなかった。止めたいけど、止められない、知りたいと思う好奇心には勝てない。これが厄介な私の性格だから仕方が無い。


『これは、龍の実。どこにも売ってはいない』と彼は言った。

「えっ、龍の実?売ってないのに、どうして、ここにあるの?」

 止まらない私の口。でも、彼は嫌な顔一つせずに言った。


『この実は一年に一度だけ、一つの花を咲かせて実を結ぶ。そして一年に一度、たった一つの実をつける』と彼は言った。


「えぇ!じゃ、今、私が食べた実が、その一年に一つの実?たった一つの?実」

『そうだ、たった一つの実だ』


 私は、言葉を失った。

 たった一つの貴重な実を、私が今、一口でパクリと食べてしまったのだ。何処にも売っていない実。私のお小遣いで支払うことができるだろうかと、頭の中がクルクル回る。

どうしょう、食べたものをいまさら口から出すわけにもいかない。


『気にすることはない。龍の実をどう使うかは、我の決めること』

彼は、こともなげに言った。

 その言葉は魔力の様に、なんだか自分が彼にとって特別な存在の様な気がしてきて嬉しくなっていた。


『さあ、もう時間がない。送ろう』


 私は一瞬、彼が何を言っているのかさえ分からなかった。

 私は、またも自分が迷子になっていることを忘れていたのだ。違う、そうじゃない、私はもっと彼と一緒にいたかったのだ。


 けれど素直に自分の気持ちをいえない私は、慌てて、「はい」と返事した。

 彼はとても柔らかな笑顔を私に向けてくれた。ただそれだけで私の心は、春の風のように嬉しくて揺れている。自分でも初めて感じる感情だった。


 次の瞬間、私の目の前には道が現れていた。祠が見える。何がなんだか分からない。慌てた私は無意識に後ろを振り返る。少し、離れたところに彼は静かに立っていた。


 そして、

『そのまま真っ直ぐ進むがよい。気を付けてお帰り』

「はい、ありがとうございます」


 彼のゆっくりとした静かで優しい声に、私はフワフワとした気持ちのまま彼にお礼を言い歩き出す。


 でも、待って、このまま別れていいの?いいえ、別れていいはずがない、もう一度会って、お礼を言わなければ、それに私は彼の名前さえ聞いていない。


〝なんてバカなんだろう、私〟


 次の瞬間、私の身体は勢いよく反転した。

 けれどもうそこには、彼の立っていた場所には誰も居なかった。心が萎んでしまった私は、それから家にどうやって帰ったかあまり覚えていない。


 覚えているのは、玄関先で母の顔を見た瞬間、大泣きしてそのまま高熱を出して倒れ3日間学校を休んだことだ。


 やっと熱がひいて起きられるようになったが、土日が来たのでそのままベッドにへばり付いていた。





 ☆-☆-☆


 日曜のお昼、親友の海道かいどうまどかが、お見舞いに来てくれた。そして、まどかはお土産ではなく、お土産話を持って来てくれた。


「それ?本当なの?まどか?」

 私は、驚きながらもう一度まどかに聞いた。


「本当も、ほんと。京香が休んだ3日間、クラスと言うか、学校はこの事で嵐よぉ!」


 私とまどかは母の入れてくれた、温かくて甘いココアをすすりながら、私の居なかった3日間に起きた、信じられない出来事にどうリアクションしていいのか分からず、二人とも妙に淡々と話していた。



「だからね、京香が掃除当番をズルして早く帰ろうとした松風まつかぜやや子の事で、京香が悠木ゆうきしんと喧嘩になったじゃん。それで悠木が、京香のことぼろくそ貶してさぁ。


 でもさぁー、悠木がそこまでしてかばった嘘泣きやや子は、お母さんの病気の看病でも、家の手伝いでもなんでもなくて。

 隣の県の、ほらぁ、大きな橋が二本架かってる川の向こう側で。やや子、そこで援交してたんだよ。


 そこなら、ここから電車で三十分あればいけるし。でも、その町の人は、やや子のことなんか知らない。知らないは顔がばれない、ばれないから安心してたんだよ。


 おまけに相手のおっさんが悠木の父親だよ。やや子は、お客さん、この時はぁ~、悠木の父親との約束の時間に遅れたくないから早く帰りたかったわけ。


 だから掃除当番なんかしている暇は無かったってわけ。

 京香がいう様に、やや子は嘘ついて掃除当番バックレたの」


と、まどかは、最後の方はなぜかちょっとおどけた口調で一気に話してくれた。


「でも私達、まだ中学一年だよ」


 何故か分からないけど、私はそう言いながらココアが入ったカップを口に近づけて、顔を隠そうとしていた。そんなこと出来っこないけど隠したかった。


「まぁーね、信じられないけど、これは本当の話し。その日、二人がホテルから出てきたところを御用!二人とも即警察行き。悠木はそれから休んでる。うちのママが、多分、悠木さんチは引っ越すんじゃないかって言ってるよ。私もそう思う」


 まどかは、口を少し不満げに付きだしてから肩をすぼめて辛そうに言った。


 そして…、

「仕方ないよ。自分でもそんなことがあったら恥ずかしくて学校へなんか来れないし。まして京香と顔を合わせるのは多分、悠木のヤツ死ぬほど嫌だと思うよ。嘘つきやや子をかばって京香を貶してさぁ。喧嘩して、で、やや子が援交してた相手が自分の父親。洒落になんないもんこんな話」


 確かに、まどかがいう様に洒落にならない。もしかしたら悠木真は今、私に言ったことを後悔しているかも知れない。


〝でも、それよりも・・〟


「おばさん、可愛そう」

「悠木のお母さん?」と、まどかが私に聞いた。


「うん、そう。悠木のお母さん・・」

 まどかは下を向いて暫く黙っていたが、

「あのさぁー、おばさん、離婚するんだって。この町も出て行くって」


「えっ?」

「ここは田舎だしね。朝起こったことがお昼にはみんな知ってる。なんてことざらじゃん。そんなとこじゃ…、暮らせないよ」と、まどかが言った。


 私は、「そっか、そうだね」と言うことしか出来なかった。だって、本当のことだ。

 私が暮らすこの町は、海がきれいで、山がきれいで、水がきれいで、空気もきれいなところだ。人ものんびりしている。

 多分、都会で起こる事件などは、みんな別世界のことだと考えている。そんな町で、真の父親の事件は人の口にのぼらないはずがない。


 真の母親が真の父親と離婚して、この町を出て行こうとする気持ちも分かる。分かるけど、なんでまどかはそんな詳しい話を知っているのだと、私は問いかけるようにまどかを見た。


 私の視線を捉えたまどかの目が、一瞬横に泳いだのを私は見逃さなかった。


「まどか、なんか隠してない?」

 ちょっときつい言い方になった私の言葉に、まどかが目線をさげて口をへの字に尖らせている。

 これで決定だ。


 まどかは、私に何か隠している。

 白状するまで私は口をきいてやらないとばかりに、まどかを睨んで黙りを決め込んだ。



「ごめん、京香。実はうちのママと、悠木のママは幼馴染なんだ。昨日、悠木と悠木のおばさんがうちに来てて、ママに泣きながら相談してた。そのとき悠木がね。もう京香には会えないから、ごめんね、って謝っておいて欲しいって、目ぇ真っ赤にして言うからさぁー。私、可愛そうで・・」と最後まで言い切れずに、まどかの言葉が詰まった。


 黙り作戦は私の勝ちだ。気のいいまどかは私が黙りを決め込むと大概のことは白状する。


 けど、まどかの言いたいことは分かる。初めから悠木真に頼まれたと言ったら、負けず嫌いで意地っ張りな私のことだ、素直にまどかの話を聞けなかったかもしれない。世の中には相手を想う嘘もある。


 それに、悠木は悪くない。

 悠木は男なのだ、か弱い女を守るのは男の役割と思っている優しい男の子なのだ。ただ、私が、か弱くなかっただけ、ただそれだけのことなのだ。


 だから今度も、か弱い自分の母親を守る為に、悠木真は母親とこの町を一緒に出て行くのだろう。


「そっか」と私は、なるたけまどかが変な気を遣わないように素っ気なく言った。


「うん。なんか京香を騙すみたいな言い方で、ごめんね。悠木ってさぁ、背も高くて頭いいし、スポーツ出来る。それに顔だっていけてるのイケメンの男前じゃん。


 そのうえ女子には優しいときてる。なんかぁさー、そんな悠木と知り合いだなんていったら、なんでも平均点の私だとさぁ、悠木大好きの女子軍団から理由も無くシカトされそうだし。


 こっちがなんとも思って無くても、みんなに、どうしてあの子が?なんて悠木と比べられるのもね~。私、そういうの苦手なんだよねぇ~。だからうちのママと悠木のおばさんが、すごく仲良いってことは誰にも知られたくなかったんだ。

 だから、ほんと、ごめん」とまどかは私に二回も謝ってくれた。


 なんでも平均点、身長も真ん中、成績も真ん中、顔も普通、おまけに色が黒いは、まどかの口癖だ。


 でも、私は顔をクチャクチャにして本当に素直に笑うまどかの笑顔が好きだ。大好きだ。なんだかホッとする。

 それは、まどかの笑顔には嘘が無いからだと思うからだ。


 けれど、まどかが悠木のことを、「こっちがなんとも思って無くても…」といったは、なんだか嘘のように私には聞こえた。


 でも、私はそのことでまどかを傷つける気は無い。まどかは優しい、いつも自分のことより相手のことを優先して考えている。私は、そんなまどかが大好きだ。


 だから、大好きなまどかを言葉で傷つけたくないから、まどかの口癖の平均点のところと、本当は悠木のことをどう思っているのかは無視することにした。


「いいよ、まどかが悪いわけじゃないし。それに、一番しんどいのは悠木と悠木のおばさんだもん。私の場合は、この口が災いしてんの、それと…」


「それと?」

 まどかが〝なんだ?〟というような顔で私をジッと見た。


「それと、何でも思ったら言わずにはおれない、やらずにはおれない、私のこの性格!」


 まどかは一瞬のけぞってから、

「あはぁ、確かにぃ~!でも、それが京香だもん。しかたないよぉー」と大声を上げてゲラゲラ笑った。つられて私も大笑いした。


 彼と別れた日から、初めて寂しい心が安らいだ気がして私の大好きなまどかの笑い顔に感謝した。





 ☆-☆-☆


 月曜日、悠木真も松風やや子も学校には来ていなかった。

 私を見たクラスの皆は、少し遠慮していたけど、私とまどかのいつもの会話のやり取りを見ていて、お昼休みになるくらいには元の雰囲気に戻っていた。が、真とやや子の事を私に話す子は誰もいなかった。


「今日はさぁー、なんか、みんな、京香のこと遠巻きに見てたよね」

 放課後の掃除が終わり、私とまどかしかいない教室で、まどかが私の方を向いておかしそうに言った。


「うん。そうだね」と私はまどかにこたえた。


「あのさぁー、京香は気づいてなかったかもしれないけど。クラスのみんなは、京香と悠木は美男美女でお似合いだっていってたんだよ。おまけに二人とも背が高くて目立つし。

それに成績だって私と違って京香はいつも上位に入ってるしね。悠木大好きの女子軍団も、京香にはかなわないって…」

 まどかが私の顔を見てなぜだか寂しげにポツリと言った。


「私が?美女?」

「うん、みんな京香は美人で、おとなしくて」と、まどかが言いかけたので「ストップ、それ、間違ってる。私は美人でも、おとなしくも無い。それに、私、自分の顔あんまり好きじゃ無い。ついでに性格も!」とまどかに向かって私は断言した。


「プッ!」とまどかが吹き出した。


「なによ!吹き出すことは無いんじゃない」と私がむくれると。

「ごめぇ~ん、確かにおとなしいは違う。でも、美人は事実だよ。京香が自分の顔をあんまり好きじゃ無くても、京香の顔は人目を引くよ。

京香は私と話すのに夢中で気がついてなかったかもしれないけど、京香の顔見てハッと二度見する人や、振り返ってまで見てる人、何人もいたもん。だからその点は自信もっていいよ」と、まどかが真顔で言った。


「ふん、うるさい。自信なら顔以外でもいくらだってあるわい!」と、まどかに褒められたことが照れくさくて私はわざと怒って見せた。


「けど、京香のその目、魅力的でもあり引かれるんだけど、反面さ、人を射殺すくらいのきつい目をするのは気をつけないとねぇー」とまどかが突然言い出す。


「なによ、それ。なんでよ!」

「ほら、その目、その目だよ京香。その黒目がちの、瞳の奥にキラリと光る京香の目で、自分の目を正面切って見られたら…、なんか、全部見抜かれてるみたいで男はビビるよ。私だって初めビビったもん。今は平気だけどさ」とまどかが言った。


「仕方ないでしょ、これが私なんだから」

「そうなんだけどさぁー、正直、そんなきつい目で睨まれたら、『き、き、京香さん…。いや、やっぱりいいです』ってデートの誘いも始まる前から終わちゃってるから~」


「うるさい、おせっかいまどか」

 と怒鳴った私の顔を見て、まどかがプッと吹き出し、その後は二人で大笑いした。


 私の日常は、見た目はあの日以前となんら変わり無いものに戻ったように思えた、思えたがそれから暫くして、本当の意味で真も、やや子も、二人とも学校から、クラスから、そしてこの町からいなくなった。





 その後の私はというと…。

 中学、高校と、私は暇を見つけては裏山に登った。もう一度彼に会いたかったからだ。


 このことはまどかにも内緒だったから、まどかの目を盗んで行動するのにはちょっと苦労した。

 だけど、どうしたことか、何度裏山に登っても行き着く道の先は校舎反対側の民家を挟んだ墓地に出てしまう。


 意地になって何度か裏山の細い道を横にそれて登ってみても、そこから先の道はなくなり獣道さえ存在しなかった。


 そして、私は二度とあの美しい湖にたどり着くことはできなかったのだ。それどころか、彼と別れたあの祠さえ私には見つけることが出来なかった。


 それでもなかなか諦めきれない私は、大学進学の為に都会にでた時に一つの決心をした。二十歳の成人式に帰郷したとき、もう一度だけあの湖を探してみよう。


 もし、それでも見つけることが出来なくて、たどり着くことが出来なければ、そのときはきっぱりと彼のことは諦めようと心に決めた。



 そして、その期待は見事に裏切られた。

 もしかしたら、あの湖は私を嫌っているのかもしれない。図々しく一つしかない実を一口で食べてしまうような女は、美しい彼には相応しくないと思われたのかもしれないなどと訳の分からないことを頭の中でグルグル考えてはひとり暗くなり。


 あのとき、いくらお腹が空いていたとはいえ、女の子らしく断れば良かったのに、食べてしまった自分がいけなかったのだと思うとひどく落ち込んだ。


 けれど月日が流れるうちに、私はなんだか腹が立ち、誰に腹が立つのかはよく分からなかったが、大学を卒業しそのまま都会で不動産会社に就職すると、それ以降、あの湖のことも彼のことも心の奥に沈めて蓋をした。


 それから一つ下の田舎にいる妹が「お姉ちゃん、たまにはこっちに帰っておいでよ」と電話をくれても、学生時代は「勉強が忙しい」だの「バイトが忙しい」だのと言い。


 就職してからは「仕事が忙しい」と、もっともらしい言い訳を並べたてて、私は家に帰ろうとはしなかった。


 それは、その理由は、あの湖を、彼を思い出すすべてもものから逃げ出したかったからだ。

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