龍の鱗

しーちゃん

物語のはじまり

 駅からバスで20分と少し、バス停に降り立った私の目の前に私の目の前に人も車も居ない歩道と車道が真っ直ぐに延々と伸びている。その横には、これもいつ終わるのか分からないくらい白く長い壁が延々と続いている。


 いったい何処が終わりなのだろうか…とふっと思った私は無意識に腕時計を見た。時計の針は、午前十時を後五分ほどで指そうとしている。


「ギリギリね。急がないと…」と私は呟き歩き出す。


 たが途中から終わりのない白い壁に焦りだした私の足は、急ぎ足に変わり、やがて小走りに変わった。


 そして、延々と続くかと思われた白い塀が途切れ大きな門扉が見えたときには心底ホッとした。

 息があがり、薄らと全身に汗をかいた私は深呼吸をして、息を整え、腕時計を見る。


 十時二分前、ギリギリ間に合ったとインターホンを鳴らし「初めまして、今日十時にお約束しておりました、秋川法律事務所の麻生あそうです」と相手に私の訪問を告げた。


 インターホンからは、「はい、お待ちしておりました」と言う優しい女性の声と共に、カチャリと自動で解除された門扉が開き「失礼します」と声をかけて私は慌てて中に入る。



 私が数歩中に向かって歩くと、扉は私の後ろでまたカチャリと音をたてて自動で閉まった。


 目の前のコンクリートで綺麗に舗装された広い玄関前には、既に置かれた車2台の他に、あと4、5台は置けそうだ。


 その先に見える玄関扉は、観音開きの黒くどっしりとした大きな扉で、殆どどんなに大きな物でも飲み込みそうな勢いである。


 どこからか、甘い梅の微かな香りが漂っている。立ち止まり、あたりを見回したが、それらしき梅の木は見当たらない。


 私は、大きく肩で息をした。



 冷ややかな空気が鼻から気管を通り胸に広がり心地良い。暫く息を止めてから思いっきり吐いた。身体の中にあった緊張が吐きだす息と共に外に出たようだ。落ち着く…、


 私は胸を張り、背筋を伸ばし、顔を上げ、黒くそびえ立つ恐ろしげな玄関扉へと向かい歩き始めた。




 扉の向こうには、天井高く吹き抜けの広い空間が広がっていた。一旦玄関を上がってすぐの右手、応接間で待たされた私は座ったまま、ゆっくりと部屋の中を見回し観察した。


 たぶん古いものだろう。私がいま座っているビロード張りのソファと、黒光するどっしりとしたテーブルが永い歴史を物語っている。


 置かれている和家具も、綺麗に手入れされ磨かれてはいるが所々に小さな傷が微かに光って、赤みがかった重厚な色合いが年代を感じさせる。


 もし、ここに置かれているもの達に口がきけたなら、この家の歴代の主の話をしてくれるのではないかと、そんな馬鹿げた事が私の頭をよぎった。


 やがて、優しく笑った顔が、そのままその人の人柄を表すような、小柄でふくよかなお手伝いさんに伴われ、この家の主の元へと私は案内された。


 歩き出した廊下の前方にガラス戸が見える。

 その向こうに大きな桜の木が見えた。きっと花が咲けば綺麗だろうと思いながら、そのままぼんやり見入ってしまい立ち止まっている自分に気が付き私は慌てた。


 前を行くお手伝いさんは、そんな私の心など気が付かずにガラス戸の前を左に曲がる。


 私もそれに従い慌てて後を追いかける。

 

 そして、なぜかドキドキとし出した心臓に向かい、“落ち着け、落ち着くのよ”と心の中で自分に呟き、鼻からゆっくり前を歩くお手伝いさんに気づかれないように深く息を吸い、その背中を見ながら左に曲がった。


 そしてまた、突き当りを右に曲がると、右手にさっきの桜の木を見ながら長い廊下を渡り、別棟の離れに足を踏み入れた。


 洋館造りの母屋を抜けた別棟の離れは「和」だ。


 足を踏み入れた先は、畳が2枚ずつが並んで平行に敷かれていて、左手内側にある和室二室をぐるりと取り囲んでいた。


 その右手外側には黒光りした床が離れ全体をぐるりと囲む。恐ろしく広い縁側だ・・と、私は思った。


 右手のガラス障子からは、柔らかな春の日差しが入り込み、正面には美しい日本庭園が広がる。その奥に置かれた籐のガラステーブルと椅子に座れば、なぜか私は、その日一日が穏やかに過ごせそうな気がした。


 足元の、肌に伝わる畳の温かさも心地いい。お手伝いさんが静かに奥の和室に声をかけ、中からの返事と共にゆっくりと障子を開けた。




 そして、声の主は私に問う。

・・・恋をしたことがあるか・・・と。

・・そんなものは私に必要ない・・、とそのときの私の顔には書いてあったのかもしれない。



 やがて、彼女の時と私の時が交わるとき、彼女の身に起きた不思議な物語は、言葉は、私の心に深く沈んでいった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る