14 残響


 オシャレに興味が無くなったわけではない。

 歳のわりには小奇麗にしているほうだ。

 けれど、楽しくはなかった。


 かつてファッションには、より美しくより華やかに、更なる高見を目指して磨き上げる喜びに溢れていた。


 綺麗は努力。


 可愛いは我慢。


 デザイン重視の靴は足先をキリキリと締め上げたし、着たい服を着るためには平均体重からマイナス7キロを目安にした食事制限も当たり前だった。

 そうした小さな積み重ねがあってはじめて、女は女として磨かれるのだ。

 いつからだろう。

 努力と我慢が加齢によるほころびに追いつかなくなったのは。


 法令線ほうれいせん

 目尻の笑いジワ。

 痩せてはいても年々くずれていく身体のライン。

 加齢と同時に生じていく綻びの数々……。


 いつしか化粧という磨き上げる喜びは、綻びを補うための作業になった。

 ストイックなまでの美容への努力も虚しく、若さは砂粒のように指の間からサラサラと零れ落ちていく。

 家で。

 ブティックで。

 ちらりと映るショウ・ウィンドウの反射で。

 鏡を見るたび、歳月によって傷めつけられた無残な現状と、もはや届かないかつての高見を思いしらされる。


 ファッションを楽しめるはずがない。

 仕事にかまけて、なんて言い訳だった。

 自分が楽しめていないから身なりにもあらが出るのだ。

 彼女に“ワタシ”はどう見えているのだろう。

 “ワタシ”は向こう端の女に視線を向ける。

 彼女は気取った仕草で肩にかかった髪を払いのけた。

 彼女の仕草の端々に、かつての自分を垣間見る。

 “ワタシ”は知っている。

 若さに裏打ちされた自信と高揚感こうようかんがどれほど残酷な目で世界を睥睨へいげいするのかを。


 チェリーブロッサムを呑み干すと、マスターに指で小さくチェックサインを出して立ち上がる。

 会計を済ませて“ワタシ”はバーを出た。

 背後から彼女の声が聞こえてくるような気がした。


 ──ああはなりたくない。




 ほろ酔いとは程遠い気分でマンションに帰宅した。

 喉に残ったアルコールの温度がチリチリと中途半端に現実的で、もう少し呑んでおけば良かったと後悔する。

 郵便受けから回収したハガキを、ひらりとテーブルに放り投げた。

 ウエディングドレスに身を包んだ旧友と、タキシード姿のしらない男の写真。

 結婚しました、の文字はデカデカとした金色で、こんなにセンスの悪い子だったかしら、と噴き出しそうになる。


 ――またか。


 仕事に恋愛に旅行に趣味にと、なにかと忙しくしていた友人たち。

 自分の時間が無くなるから結婚なんて二の次だし、子供なんて考えられないと豪語していた彼女たちが、年齢の節目ごとに申し合わせたようにバタバタと結婚していく現象には、そろそろ飽き飽きしていた。

 “ワタシ”はコップに水を汲んでキャビネットを開く。

 中からジュエリーケースを取り出して、パラパラと掌に錠剤を転がした。


 ひとつ。ふたつ。みっつ……。


 錠剤じょうざいの数をかぞえ、カルキ臭い水道水と一緒に喉の奥へと流し込む。

 水道水の鉄っぽい味が喉に残って、なんとなくいがらっぽい。

 軽くむせながら“ワタシ”は一人、ダイニングテーブルで頬杖をつく。

 数年前に購入したマンションのリビングは、いまだにどこか余所余所しくて、他人の部屋に迷い込んだような気がしてしまう。

 室内が暗いのは、蛍光灯の白々しい明るさが嫌で、サイドランプしかつけなかったからだ。

 “ワタシ”はテーブルに残されたジュエリーケースを眺めながら、眠気がやってくるのをじっと待った。


 ラボナ。

 イソミタール。

 ベゲタミン。


 ジュエリーケースの中にはさまざまな睡眠薬が入っている。

 どれも睡眠効果の高いバルビツール酸系睡眠薬だ。

 二十代の中頃から“ワタシ”は強い不眠に悩まされるようになった。

 風邪のついでに不眠の相談をもちかけた内科で、ごく軽い睡眠薬を処方されたのをきっかけに、睡眠薬を手放せなくなっていった。

 今ではずいぶん強い薬を処方されている。

 副作用もかなり危険なものらしい。

 飲みはぐった時には処分するように医師からは指示されていたけれど、肝心な時に眠剤みんざいが無い状況がえられなくて、“ワタシ”は指示を守らなかった。

 飲みそこなった眠剤をジュエリーケースにめ込むようになったのだ。


 こうしておけば急に眠れない夜がきても大丈夫。

 そう思うだけで少し気が楽になった。

 眠れない夜は、それだけ“ワタシ”にとって恐ろしいものだった。

 それとも恐ろしいから眠れないのだろうか。

 

 ――あのオバサンひがんでんだよ。


 不意に昼間の声が脳裏のうりをよぎる。

 背後に“ワタシ”が居るとも知らず、イケガヤが『ミソラちゃん』に言った『あのオバサン』とは、“ワタシ”を指したものだった。


 「あのオバサンか……」


 別に否定するつもりはないけれど、かつての崇拝者にオバサン呼ばわりされるとは、自分もちたものだなと可笑しくなる。

 

 ――面倒くさいよなー。いつまでも美人待遇もとめる元美人ってやつ?


 記憶の中で、イケガヤはガハハと笑った。


 美人待遇?


 別に求めてはいない。

 そうは思うけれど、はたして絶対に求めていないと言えるだろうか。

 オフィスで、街路で、コンビニで、すれ違い様で。

 “ワタシ”を無視していく異性の視線。

 パタンと鼻先で閉ざされたガラスドア。

 年々、透明化していく自分という存在を思い知る度、かつての待遇との歴然とした差にやるせなくなる。

 それはやはり心の底で女として、美人待遇を求めているからではないのだろうか。

 重いと言えば持ちに、固いと訴えればゆるめに、山盛りのジョークと愛嬌を携えてさんじたかつてのジェントルマンたちは、いったい何処へ消えたのだろう。


 重かろうが固かろうが、いくら困っていようとも、“ワタシ”のもとには紳士も騎士も白馬の王子も現れなくなった。

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