7 事後処理


   ◆◆◆


 すごいなぁ。

 さすがです。


 総務のイケガヤは小柄な体格のわりに声だけは大きい。

 彼は声高に“ワタシ”を褒めちぎった。


 クリップの止め方がきれい。

 コピーの印字が鮮明。


 そんな些細な仕事のクオリティについて、彼はことあるごとに惜しみない賛辞を寄せ“ワタシ”をまつりあげた。

 かと思えば返し刀のような早業で、他の女子社員をなじってみせる。


 あー。ダメダメ。

 あいつつかえないから。

 あのオバサンひがんでんだよ。


 他の女子社員をけなしては君だけが特別なのだ、と暗に示す。

 年嵩としかさには特に辛口で彼女たちの年齢を揶揄やゆしては“ワタシ”の若さと容姿を称えるのだ。


 限りなく迷惑だった。


 そもそも子供のお使いレベルの雑務を絶賛されても、かえって失礼というものだろう。同期にも関わらず褒めるという一段上の位置に、ちゃっかり自分を置いている図々しさ、特別扱いすれば喜ぶに違いないという安直さ、全部が全部、迷惑だ。


 今し方も、彼は“ワタシ”を称賛しつつ、会話に加わろうとしたタナカさんを、冷淡な態度で黙らせた。

 興味がない相手にも、どれだけの気配りが出来るかで、その人の本質がわかるというもの。

 そういう意味で彼はサイテーだった。


 「あー。気持ち悪い。サイアク」


 イケガヤが立ち去ると、“ワタシ”は椅子の背もたれをウエットテッシュで拭いた。

 彼はPCを覗きこむていで背もたれに手をついて密着してくるのだ。


 「大変ねー」


 タナカさんがクスクス笑う。


 「ホント勘弁してほしい。誰か代わってよ」


 “ワタシ”の代替案に「遠慮しときます」と誰かが答えて、フロアに残った女子社員の間からちらほらと笑いが漏れる。


 いかに彼が気持ち悪いのか。

 いかに彼の態度に迷惑しているのか。


 “ワタシ”はことさらに自分も被害者であることを周囲に示した。

 それが『特別扱い』後の適切な処置なのだ。

 この処置をおろそかにすれば、瞬く間に、彼のまき散らした対人関係の不均衡ふきんこうへの不満は、“ワタシ”にもふりかかってくるだろう。

 当人が望むと望むまいとに関わらず、『贔屓ひいき』や『特別扱い』の裏では、「美人はいいよね」「若い子はこれだから」といった暗喩あんゆの言葉が飛び交うものだった。

 そうした火の粉がふりかかる前に、『特別扱い』を『被害』に置き換えることで、ある程度やっかみの延焼えんしょうは避けられた。

 とはいえ皆無というわけではない。

 だから限りなく迷惑なのだ。

 『特別扱い』は。

 社内という限られたコミュニティで無用な軋轢あつれきは避けたい。

 少し考えれば容易に想像がつきそうなものなのに。


 『特別扱い』すれば喜ぶだろう。

 口説かれて嫌な気はしないはず。


 勘違いも甚だしい、そうした愚直なまでの鈍感さには閉口したし、存外、そこまで気が回らない男のほうが多いから、たまらない。

 なんの責任も負わない冗談めかした位置からの口説きという姑息さにも腹が立つ。

 “ワタシ”のこうむった迷惑などつゆ知らず、彼らが見当違いの自己満足に浸っているのかと思うと、憎悪すらわいた。

 

 背もたれを拭く手に力がこもる。


 「ホント男ってバカ」


   ◆◆◆

 

 「だいぶ読み易くなったね」


 ノートを読み返して、わたしは感心した。

 名詞とシチュエーションのオンパレードに意味がつかめず、滂沱ぼうだの涙を流すわたしに見かねたイルマがアドバイスをくれた。


 「チャンネリングをチカではなく自分寄りにしください。貴女に理解し易い形式に翻訳されるはずです」


 イルマ曰く、“トレース”とは異なった思考プロセスの翻訳なのだそうだ。

 半信半疑ながらイルマのアドバイスに従った結果、“トレース”は格段に読み易くなった。

 けど──


 「なんだろう……この身もふたもない感じ」


 実際のチカは言語化というプロセスをほとんどはさまない。

 全ては感覚的な行動様式に則って、刹那せつなのうちに判断が下される。

 どのような発言を、どのような表情で、どのように表現するとより効果的であるのか。まるで踊り慣れたダンスのような滑らかさで、それらを体現してみせるチカ。

 もし彼女が、この“トレース”を読んだなら、こんなことは考えていないと主張するかもしれない。


 事実、彼女はロジックではなく、感覚的にことの処理にあたっている。

 洒落た名詞によってふんだんに演出されたシチュエーションが、日常的な意味を付与されることによって台無しになったように、チカの行動様式のほとんどは、言語化によって露骨ろこつで不格好になった。


 言語化された現実は事実を忠実ちゅうじつには語らない。

 時として現実を語らなかったり語り過ぎたりする。

 それが“トレース”の限界なのだ。


 「キシの言葉を借りるなら『言葉は不器用』ですからね」


 とイルマが笑った。

 確かに、とわたしも頷く。

 もう少し気の利いた感想を述べたいところだったけれど、残念ながらそれだけの気力がわかなかった。

 わたしはこめかみを押さえ、ぐったりとテーブルにもたれかかる。

 気分は最悪だった。

 しつこい頭痛は未だに脳髄のうずいに居座ったままだし、どこかで繋がっているのか、左腕の骨折まで一緒になってうずく。

 ともかくクタクタで全身がだるくて熱っぽい。

 そして何より──


 「眠い」


 時刻は深夜零時まで残り五分。

 “トレース”を開始してから九時間が経過。

 体力的にも精神的にもぎりぎりだった。


 「そろそろ休みましょう」

 「……でも」


 チカさんが、と言いすがるわたしにイルマが首を振る。


 「限界です。休んでください」


 時間ならたっぷりありますから、とイルマは繰り返した。

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