5 さかさ文字
ザワークラウト(ドイツ語/漬物)
レバークネーデル・ズッペ(ドイツ語/肉団子スープ)
ブラートヴルスト(ドイツ語/ソーセージ)
ヴァイツェン(ドイツ語/白ビール)
ジェジェ(イタリア語/衣料品ブランド名)
パジェ(フランス語/衣料品店・銀楽)
アムール・ド・パトゥ(フランス語/衣料品店・原渋)
カッコ書きの後ろには、〇△×といった記号から点数やパーセンテージまで記入されていて、それぞれが等記号や矢印によって複雑に絡み合っていた。
イルマ曰く、チカの評価を分かりやすく図式化したものらしいけれど、かえって情報が
「……それにしても」
ノートを眺めてわたしは呟いた。
「なんだろう……。この台無しな感じ」
イメージの中に漂う
せっかくのお
チカの思考はワルツのように
好きなものは好き。
嫌いなものは嫌い。
彼女は経験によって
モラトリアム的な
そういった意味では成熟のひとつのあり方とも言えた。
アイデンティティが完成されているのだ。
自己イメージには常に具体的なヴィジョンが
抽象的な
良くも悪くも彼女の世界は半径五メート以内にあった。
ともすれば理屈屋たちから、
思索家たちが抽象的な概念の大行列に四苦八苦しながら、事物の本質に迫るのに対し、彼女たちははるかに軽いフットワークでそれらを飛び越え、イメージライブラリーでのカテゴライズによって、瞬く間に事物の相対的な価値を弾き出していく。
思考でもなく道徳でもなく、ましてや規定やルールですらないその枠組みは、美意識としてチカの言動の多くを規定していた。
「……美意識ってすごいね」
自然と
その
「同時代、同世代、同共同体、同ヒエラルキー内などといった限定的な条件下でのみ機能する価値観ですからね。瞬時に物事を仕分けできる反面、
言いながらイルマはノートに記号を書き足した。
クロア(フランス語/ブランド名)のオープン・トゥ(靴の種類)に、大きな花丸がつけられる。
「“トレース”を続けてください」
慌ててペンを握り直すと“トレース”のために意識を集中した。
チカの雰囲気を自分にまとわせるようなイメージで、自分で自分をチャンネリングする。
カメラのピントがあうように、イメージがぴったりわたしに重なると、右手が文字をつづってノートの上を滑り始めた。
手癖に任せて絵を描いている感覚に近い。
手が勝手に書いていくのだ。
あっと言う間にノートは名詞の
「チカさん。楽しそう。とても──」
死ぬなんて思えない。
最後の言葉をわたしは呑みこんだ。
声に出す勇気はなかった。
「自殺ではなく事故に近いですからね」
イルマが頷く。
彼の赤ペンがわたしの“トレース”に
テーブルの向かい側から書き込んでいるのに、文字の向きはきっちりとノートの向きに合っていた。
鏡文字の速記にイルマは何の苦も感じてはいないらしい。
そればかりか彼は既にことの真相を知ってもいる。
ただし、知ってはいても教えてはくれないし、「手伝い」はしても「解決」はしてくれない。
それが“彼ら”のマナーなのだそうだ。
「イルマが教えてくれたら万事解決なんだけどな……」
イルマにはイルマの理由と破れないルールがある。
それは分かっていても、いっかな要領を得ない“トレース”に、わたしの口から弱音がもれる。
イルマは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「教えないのではなく教えられない。解決しないのではなく解決できないのです」
しないのではなくできないのだと、イルマは重ねて言った。
それはルールというよりも仕様に近い
「本来なら“手伝い”という
心底すまなさそうなイルマの様子に、逆にわたしの方が申し訳なくなる。
スミのときは真っ先に
「ごめん。感謝してる」
ぽつんと謝って、わたしは“トレース”を続けた。
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