伍、接触、平塚織斗
盆のピークより少し早目に、司良は実家に帰った。
ギリギリで良いと司良は主張したのだが、仁式に親孝行しろと言われ、京都を追い出された形になったのだ。
両親は、大学を卒業しながらもアルバイトという身分の司良に何か言いたそうにしていたが、結局は腫れ物のように扱った。
もう、実家は本当の意味での家ではないのだと痛感した。
司良は墓の掃除を手伝い、墓参りをし、盆のご馳走を食べた。
そうすると、はっきり言ってもう、することが無かった。
両親が慌ただしそうで親戚が来て司良に就職について根掘り葉掘り訊いて行く環境は煩わしいばかりなので、司良は少し予定を繰り上げて京都に戻った。
別れ際の両親はひどく安堵したようだった、無職の、愛想のなくなった息子がまた視界から居なくなることに。
残った盆休みを、司良は部屋でごろごろして過ごした。
親孝行しろと言って長めに休みをくれた仁式に悪い気がして、下紅戯屋にも行き辛かったのだ。
そして漸く明日から仕事である。
それまでの食事は母親が持たせてくれた野菜やら肉やらを適当に調理して済ませた。
道中は大荷物が恥ずかしくて仕方なかったが、こうなってみれば感謝である。
しかし、どうも味気なかった。
焚田さんの方が美味いよな、と当たり前のことを考える。
それから干野はもう戻っているだろうかとか、呪詛が来ていないだろうかとか、考えることは職場のことばかりで。
いつの間にか随分と馴染んだものだ、と司良は自分自身に呆れてしまった。
この数ヶ月間、この頭の中を支配していたのは、たった一人だったというのに。
それは生存本能の成せる業なのか、それとも。
まるで裏切りのようだと思う。
今でも思い出せば涙が出るのに、段々と思い出さない時の方が多くなっている。
それが一般的には「癒されている」状態で、良いことなのは分かっているが、司良はひどく切なくなった。
そして食べ終えた茶碗などをテーブルの上に放り出したまま、ごろりと横になった。
ぼうっと天井を眺める、相変わらず染みは何の模様にも見えてこない。
そのままゆっくりと目を閉じた。
すぐに目を開けるつもりだったのが完全に眠ってしまい、けたたましい目覚ましの音に起こされた。
金色の光が差し込んでいる。
朝、だった。
司良は慌てて朝食を取り、皿を洗い、出勤の準備をする。
そして自転車に乗っていつも通り出勤した。
更衣室に荷物を置き、羽織を纏って事務室に入る。
「お早う御座います!」
と勢いよく挨拶も付けて。
が、中は蛻けの殻だった。
タイムカードを入れ、自分の担当となっている庭掃除に出る。
仁式は、庭の隅にいた。
「お早う、時間通りだな」
振り向きもせず、仁式は司良に声を掛ける。
仁式の目は、電柱に止まる鴉を見ている。
「お早う御座います。よく、俺だって分かりましたね」
「お前の人間臭い霊気は駄々漏れだからな。ここで、俺以外で人間臭いのなんて、お前だけだろう」
霊気に匂いなんてあるのだろうか、と司良は首を傾げながら、仁式に近付いた。
「おい、仕事は」
「ちゃんと箒と塵取りは持って来ました。……ところで、何をしてるんです?」
「飛ばした式から報告を受けてる」
「シキ?」
「式神のことだ」
「ああ、守り神」
「そういう使い方もできるな」
「他にも何か使い方があるんですか?」
「陰陽師にとっては、使い走りの神ともなる。お前が言ってた、壊れた家の修復な、あれもやろうと思えばできなくもない」
独り言のようによく喋った仁式は、指先を電線に向けた。
そしてつい、ついっと動かす。
停まっていた鴉が、があと鳴いた。
司良は掃き掃除を始める。
「実家では何事も無かったようだな」
「はい、墓参りも行ってきました。……って、何で、」
驚く司良に、仁式の浮かべる笑みは人を食ったようだった。
「お前には式神を付けているし、俺はお前の霊気を感知できる。お前の感情もある程度は察知できる。だから分かるんだ」
「か、感情も?」
「心配しなくても、あくまで『ある程度』だ。俺とお前は波長が合うって言っただろう。お前がどういう状態なのか、無事なのか、もう暫くは把握しておかなくてはならないからな。お前だって訓練すれば、俺の感情が分かるようになるだろうさ」
「そ、うなんですか……」
「ああ」
司良は俯きながら砂を集めていく。
目の前の人物を把握できるような気が、全くしない。
「年末も帰ってやれよ」
「この年で、大学まで出たのにアルバイトなんかしてる不肖の息子が戻ってきても、持て余されるだけですよ」
「それでも、だ。それから、ちゃんと就職も考えるように」
「仁式さん、何か俺の父親みたいです……」
「そこまで年離れてないだろぉが!」
ごつっと仁式の拳が降ってきて、司良は蹲った。
「奴は俺の包囲網を掻い潜って隠れているが、京都からは出ていない。用心を怠るな」
「は、はい」
仁式はぱん、と手を叩いて縁側から中に戻った。
司良が電線を見ると、鴉はいなくなっていた。
時計を見るといつもは掃除を終える時間になっていて、仁式と喋りすぎていたことに気付き用具を片付ける。
そして次の仕事に掛かった。
次は部屋の掃除。
今日は「天の間」を任されていたな、とその部屋に入ると、部屋は子供が暴れた後のような有様だった。
花瓶は倒れているし掛け軸は落ちているし蒲団はシーツが外れているし襖は外れているし、兎に角酷い。
雑巾とバケツを持って来て、クレヨンで落書きされた畳をごしごしと擦っていく。
が、なかなか落ちない。
三十分掛かっても、半分しか落書きは消えていなかった。
「おわらぁなぁいぃい!」
部屋を片付けていた司良は、困り果てて叫んだ。
客がいないのは確認済みだ。
この部屋に泊まったということは神様なはずなのだが、一体何の神様やら。
いっそ泣きたい気持ちになっていると、小包を抱えた小林が顔を出した。
「司良……、あぁ、やっぱり駄目なんだわな」
「小林さん、終わりません……」
「分かった、お使い一緒に行こうと思ったんだけど、後にするんだわな」
司良に泣き付かれて嘆息しながらも小林は蒲団をシーツに押し込み、襖を直していく。
掛け軸や花瓶も片付けられた。
司良がどうにかこうにか落書きを消した頃には、小林によって他の部分も綺麗にされていた。
「有り難う御座いました……」
「何の。郵便局と、菓子屋に行くんだわな」
「はい」
更衣室に羽織を置いて、二人は出かける用意をする。
「ナオサン、お使い行って来るんだわな」
事務室の中に声を掛ければ、仁式から寄り道するなよと返ってきた。
「おやつは?」
調子に乗って司良も声を掛ける。
さっさと行けと応えがあった。
二人は行ってきますと声を掛けて逃げ出す。
そしてバスを待ち、乗り込んだ。
時間帯が良かったのか、座席はなかなか空いていて二人とも座ることができたし、道もあまり混んでいない。
離宮道は残念ながら市バスの一律料金の範囲からはみ出ているので、追加料金を払って降りた。
最寄の郵便局に荷物を預けて控えを貰い、小林はそれを財布に入れる。
「バスまで時間あるし、何か甘い物でも食べて行くんだわな。奢るわいな」
「有り難う御座います、ご馳走様です」
一仕事終えた解放感で、二人の足取りも軽い。
和菓子屋を物色していると、司良は
「もし」
と話し掛けられた。
振り返りながら
「はい?」
と応える。
目の前にあったのは一面のダークグリーン。それから。
怖いくらいに満面の笑み。
「八速、見付かったか?」
「駄目よ、蜘蛛の網には何も掛かってこない。そっちはどう?」
「こっちの目にも何も映らない」
「鳥目だからじゃないの?」
「冗談言ってる場合じゃないだろう」
仁式の眉間に皺が寄り、八速は素直に謝った。
昼に出て行ったはずの司良と小林が戻らない。
それも、一瞬だけ小林の霊力が高まり、その後急速に萎んで消息を絶ったのだから、異常事態である。
従業員総出で探しているのだが、妖怪の捜索網にも仁式の式神の包囲網にも二人の足取りは引っ掛かって来ず、全員に焦りと疲れが見え始めていた。
「ねえ、司良君を護らせてた式はぁ?」
「さっきから呼び掛けてるんだが、『在る』感じが全くしない。多分、存在が消滅しているんだろう。いや、させられた、か。麗木にも呼び掛けてみたが、俺の呼び掛けを感じ取ったような反応も無い。どうやら意識が落ちてるみたいだ」
仁式は小さく舌打ちする。
と、ガラッと玄関の戸が開く音がした。
そしてガタンバタンと扉を開け閉めする音。
「ナオサン! 豆太が戻って来た!」
どたばたと滑りかけ転びかけながら、外に探しに出ていた鍋島が知らせに来て、その場にいた全員が浮き足立つ。
「どこにいる!」
「事務室に寝かせてるッ」
急いで事務室に行くと、座布団の上に狸が寝ていた。
妖怪としての姿ですらなく、本当にただの狸なのである。
全身傷だらけで、干野が消毒液を染み込ませた脱脂綿で傷を撫で、包帯を巻いて手当をしている。
「おい、小林。大丈夫か!」
仁式が呼び掛けると小林はうっすらと目を開けた。
そして仁式の姿を見止め、必死に起き上がろうとした。
「いい、起きるな」
慌てて仁式がしゃがむと、小林は苦しそうに息を吐き出す。
「すみません、ナオサン、ワシ……」
「何があった?」
「街中に式鬼が、出て……ワシがそっちに気を取られてる間に、司良が……」
「麗木が?」
「攫われ、たんだわな……」
「式鬼はどうした?」
「ワシが倒したんだわな」
「そうか……やっぱりさっきの妖気の噴出は、お前か」
「ごめん、ナオサン……司良が……」
「いい、式鬼を片付けてくれただけでも充分だ。それに、お前が無事で良かった」
仁式は微笑んで、小林の頭をするりと撫でた。
「司良を……」
「分かってる。絶対に助ける。約束する」
だからもう眠れ。と仁式が言うと、小林は静かに目を閉じた。
仁式は懐から札を出して息を吹き掛けると、それを飛ばした。
札は白い鳥になって出て行く。
そして程なくして、卍が息を切らせてやって来た。
「豆ちゃんが怪我したってっ?」
「ああ、外から見える傷は干野が消毒したが、中が傷付いているかも知れないから、診察を頼む」
「了解」
小林の傍にいた干野はすっと身を引き、代わりに卍が入った。
そして暫く小林に手を翳していたが、
「後ろ足が折れてる」
と言って鞄を開けた。
「折れてるって、どういう風に?」
「大丈夫、単純骨折だから三日で治るね」
「そうか」
「うん、上手に戦ったね。さすが豆ちゃん」
卍の手が金色に光る。
その光を暫く患部に当てた後、卍は添木をして包帯を巻いた。
「後は安静にしてれば問題ないよ」
それを聞いて、全員の表情が明るくなった。
卍は道具を無造作に鞄に突っ込むと、仁式に視線を投げた。
「ところで、直ちゃん、ちょっといい?」
一瞬だけ眉を顰めた仁式は、しかし重苦しく
「ああ」
と応えた。
二人は立ち上がり、事務室の入り口に向かう。
「お前等、小林を頼む」
「ナオサンは?」
「ちょっと卍のと話してくる。それに。奴の狙いは俺だ。だったらきっと、俺に連絡が来るはずだ。それを待たなきゃいけない。多分、奴はもう俺の包囲網の外にいるだろうから、もう少し範囲を広げて捜索もしなくちゃな。手の空いてる奴は、戸締り頼む。それも終わったら、捜索に戻ってくれ。ああ、それから、誰か一人で良いから小林から目を離すなよ」
簡潔に指示をして、仁式は事務室の扉を閉めた。
二人は離れの、仁式の私室に向かう。
仁式が襖を開けて、卍を招き入れた。
勝手知ったるとばかりに入り込んだ卍は、座布団を引っ張り出して腰を下ろす。
「あっしが何を言いたいか、分かるよね」
「大体は、な」
「麗木司良君、誘拐されたんだって?」
「あんた、どっから情報持ってくるんだ」
「蛇の道は蛇、だよ。ねえ直ちゃん、まさか彼のために、その力を捨てる気じゃあないだろうねえ?」
「さあ、……或いはそうなるかもしれない」
やれやれ、と卍は首を振った。
「その力がどれだけ貴重なものか、分かってる? 直ちゃんの曾お祖父さんが八咫烏と作り上げ、子孫に伝わるようにしたのは良いけれど、直ちゃんのお祖母ちゃんもお父さんも発現させられなかった、そういう力だよ。それを発現させて使えてる直ちゃんは、殆ど奇跡みたいなもんなんだ。それを、いいの?」
ああ、と仁式は頷いた。
「人命には代えられない」
「他人、でしょ?」
その言葉に、仁式は深く傷付いた表情を浮かべて卍を見た。
「俺は、下らないことをぐだぐだと悩んでいる間に手遅れになったなんてことに、二度としたくない。麗木を助けるのにそれしかなければ、捨てる。俺のせいで麗木が酷い目に遭うなんてご免だ。あんたは人間の世界にいて長いから、そういう気持ちも分かってくれてると思ってたけど、それは俺の勘違いか?」
卍は何も言えなかった。仁式は視線を逸らさない。
「あんたがずっと、俺達を見守ってきてくれたことは、感謝してる。この力の使い方を教えてくれた先生でもあるし。だからあんたには迷惑掛ける。悪いとも思ってるよ。でも、この力があることが誰かを死なせるなら、俺はそうしたい」
そして卍に深く頭を下げた。
これには卍も焦りを隠せなかった。
慌てて腰を浮かし、仁式の顔を覗き込む。
「止めてよ、顔上げてよ直ちゃん! 何もあっしは、直ちゃんを怒ろうと思ったんじゃないんだ。直ちゃんはきっと、麗木司良君を助けるのに必要なら力も捨てるだろうって分かってたよ。試すようなこと言って、ごめん。あっしは直ちゃんが力捨てるのを止めたりしないよ。まあ、あの世に行ったら、直ちゃんの曾お祖父さんに怒られる可能性は否定しないけど」
「……ありがとう」
冗談めかした言葉に応えて、仁式は顔を上げた。
「あんたは止めるかと思ってた」
「直ちゃんが決めたなら、それが正しい道なら、あっしにだって止められないよ。人殺しに使うとか言われたらさすがにだけどさ、助けたいって、言われちゃったらね」
「できるだけ力を捨てなくてもいい方法を考えるけど、どうしようも無くなったら、悪いが、先生」
「うん、覚悟してる」
そして卍は襖を開けた。
「何かあったら、遠慮なく呼びに来て。あっしは事務室で豆ちゃん見てるから」
「ああ、……悪いな」
「いえいえ」
ぱたりと襖が閉まり、仁式は唇が切れるほど強く噛んだ。
携帯電話を畳の上に落とす。
両手が酷く震えていて、それを必死に抑え付けた。
抑えなければ、壁でも花瓶でも何でも壊してしまいそうだ。
どうして。
どうして従業員達が傷付かなくてはならない。
どうして自分でなくてはならない。
どうして放っておいてくれない。
様々な感情が仁式の中を駆け巡っている。
もう二度と、関わらないはずだったのに。
また縁が結ばれ、また大切なものが傷付けられ。
離れの自室に戻り、襖を閉めた。
目を閉じるとちかちかと紅いものが煌く。
伸びてきた腕、抱き締めた力、感じた体温、衝撃、痛み、焦げていく匂い。告げられた言葉。頬を撫でる手。炎に巻かれていく笑顔。
忘れられない。忘れられるはずがない。
自分の運命が変わった、大切なものを喪ったあの瞬間を。
そして、その悲惨な瞬間を作り出したあの男は、炎を眺めてにやにやと笑っていたのだ。
憎悪が燃え上がる。
「畜生」
漏れた言葉は仁式の脳にだけ届いていた。
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