第3話 縛られた二人

 第二図書準備室には、二つの城壁の様な本棚がそびえたっている。本来この部屋は、あまり使われない資料の倉庫であって、入り口付近においてあるテーブルや小さな本棚はむしろおまけだった。二つの巨大な本棚こそがこの部屋の本体と言ってよかった。

 この大きな本棚は、床から天井まで伸びていて、図鑑の様な大きな本がびっしりと埋まっている。だから、二列に並んだ本棚の奥は少し薄暗くて、本のかび臭い匂いが少し強い気がした。

 そんな場所に、僕は夏目さんを追い詰めていた。

 二つの大きな本棚の間の通路は、人ひとり通るのがやっとの狭さだった。僕を通り抜けなければ、夏目さんはドアの方に向かうこともできない。

「え? と、藤堂君?」

 じわじわと追い詰める僕に、怯えながら夏目さんは少しずつ後ずさりしていった。奥は柱がある少し出っ張っている壁で行き止まりになっていて、左右の巨大な本棚を倒しでもしない限り逃げ場はなかった。

「ここは死角だから、エッチなことできるって誘ってきたのは夏目さんでしょ?」

 僕は壁に手をついて彼女を逃がさないように通せんぼすると、上から体を眺めながら迫っていった。

「誘ってなんていないんだけど……」

 夏目さんは嫌がるように顔を背けて、口を尖らせた。横を向いた時にポニーテールが揺れると、ベストも着けていない白いシャツの豊かな胸も揺れていた。気持ち悪そうに拒否している構えを見せているけど、僕の腕に挟まれたままのその顔は、本気で抵抗しているようにも見えなかった。

(これはオッケーなのか。オッケーなんだよね)

 夢だというのに、壁に押し付けた手が汗で滑りそうな気がした。

(これは夏目さんはログインしているのかな。どうなんだろう……)

 オンラインゲームの様なたとえをしながら、夏目さんの様子をじっと観察していた。

 もう僕は慣れたもので、これは夢だと認識しながらこの夢を見ていた。このシチュエーションは、僕が寝る前にしていた妄想そのものだ。ただ、この僕の夢が以前みたいに夏目さんや冬月さんの見ている夢と繫がっているかは分からないので、もう一歩妄想通りに踏み出せなかった。

(いいや。夢なんだし、そんなに怒られることはないだろう)

 僕は、意を決すると夏目さんの顎をつかんでこちらに顔を向かせた。ちょっとだけ抵抗された気もしたけれど、本気で暴れる様子もないことを確認すると、僕は夏目さんの唇に自分の唇を押し付けた。

 柔らかい感触に飛び上がりそうになるくらい感激しながら、次にどうするべきかを考えていた。

(舌を入れるべきか、それともほどほどにしておいて胸を触るか)

 大問題だった。童貞男子としては一生物の選択だと言ってよかった。

 数秒間悩んだ末に、僕は自分の素直な欲望に身を任せた。空いている手が夏目さんの胸へと伸びていった。四月から、いや去年からずっと触ってみたいと願っていたその胸をシャツの上からわしづかみにすると、何度か手を大きく閉じて、開いてを繰り返した。

 夢だというのに、柔らかい感触が伝わってくる気がした。シャツのボタンが一つ外れて、可愛らしいレースのついた白いブラジャーが上から覗き込めてしまい理性の抑えが効かなくなるのが自分で分かった。

「時間切れみたいですね。はい、今晩はここまでね」

 手をシャツの中に入れて直接柔らかい感触を一瞬だけ抱いたところで、夏目さんに手首を掴まれた。今までの『抵抗できずに責められていた態度は演技でした』とでもいうように普通に立つとそう言って笑っていた。

 まるで電車で女子高生に痴漢していたおじさんが捕まったかのようなポーズで僕たち二人は固まったままだった。

「あ、でも放課後、この部室に来てくださいね」

 この夢が終わるのだと感じながら、ただその時を待っていると夏目さんに手首を掴まれたままそんなことを言われた。

「え?」

「現実で、一緒に良いことしましょうね」

 僕を捕まえたまま顔を近づけるとにっこりと笑って夏目さんはそう言葉を続けた。心臓が跳ね上がりそうなくらいにどきりとしたところで、目が覚めた。

 ゆっくりと布団から上半身だけ起き上がったけれど、あり得ないくらいに胸が高鳴って苦しいくらいだった。

 そう、あり得ないしいけないことだと思いながらも、さっきの続きが実際にできると想像したら、やばいくらいに朝から興奮してきてしまった。



「……分かっていた。分かっていたさ」

 僕は、鉛筆を強く握りしめながら何度か小声で繰り返した。

「藤堂君。この部屋で静かに、さあ一緒に勉強しましょうね」

 冬月さんはにっこりと笑って僕をなだめていた。

 期待をふくらませて放課後に第二図書準備室にやってきた僕は、気がつくと教科書を広げて勉強をさせられていた。

(まあ、可愛い女の子二人と勉強会なんてそれだけで嬉しいけどね……)

「でも、何で三人で勉強会?」 

「私たち受験生ですし、ちょっと余裕を持っておかないといけませんから」

 僕の素朴な疑問に、すぐ隣に座っている冬月さんは真面目な答えを返してきた。それが上っ面だけの答えなのは僕も冬月さん本人も何となく感じながらも何も言わなかった。

「余裕を持ってもらわないとエッチな妄想の打ち合わせとかできないからねー。私たちとエッチなことばかり考えて、成績が落ちたりしたら責任重大だし」

 『そういうこと』と冬月さんの向かいに座っている夏目さんはにこにこと笑いながら解説してくれた。

「ち、違います。そんなつもりはありません」

 冬月さんは夏目さんの言葉を否定しようとしたけれど、僕も『まあ、そうだよね。それなら勉強頑張ろうかな』くらいの気持ちで受け流していた。

 

「ほんと! 男子は下着大好きよね」

 数十分後……勉強に飽きたらしい夏目さんは、怒っていた。世の中の馬鹿な男性に対する呪詛であって、別に僕に向けて文句を言っているわけではないのは分かっている。でも、どうしても目の前にいる僕に向けられているような気がして首をすくめてしまう。

 僕が勉強している……いや、させられることになった目の前で夏目さんは文句を言いながら僕の鞄から少年マンガを取り出して見ていた。

「あのー。何で、僕の鞄からマンガを勝手に取り出して見ているのでしょう?」

 おそるおそる聞いてみた。……けれど、僕のささやかな抗議は完全に無視されてしまった。聞こえているはずなのに、じっと僕のマンガに目を落としていた。時折り文句を言っていたけれど、普通に楽しんで読んでいるように見えしまうのは気のせいではないだろう。

「なんでつき合ってもいないのに、この娘たち主人公と一緒にお風呂とか入っているのかしら」

 それどころか、僕の横に座っている冬月さんも、『信じられない』と小声でつぶやきながら僕のスマホの画面をみつめていた。僕がこの間、ちょっと動画サイトで見ていたハーレムアニメの音声がこの第二図書準備室にBGMとして流れはじめた。

 図書室の中でもあまり使われない資料が並べられた書棚に囲まれたあまり広く無いスペースに机と椅子が置いてあるだけの部屋で、他の人はもちろん誰もいない。せいぜい、聞こえるとしても隣の図書準備室にいる司書教諭の先生くらいだろう。

「ちょ、ちょっと冬月さん」

 そうは言っても、アニメの女の子たちの声が鳴り響くのはさすがに恥ずかしくて、僕は立ち上がると手を伸ばして僕のスマホを奪い取ろうとした。

「何でしょう?」

「さ、さすがに人のスマホを見るのは良くないんじゃないかな……」

「え? 人のスマホを勝手に見て、私の夢日記を読み上げた藤堂君がそんなことをいうのですか?」

「いや、あれは……夏目さんに言われて……仕方なく……ないか」

 丁寧な口調だけど、冬月さんにじっと見つめられると奇妙な圧力を感じてしまう。見えない壁が作られているような気がして、近寄れないどころかわずかに仰け反ってしまう。

 さらに夏目さんが冬月さんの後ろから覗き込んできて、やましい気持ちのある僕としては何も言えなくなってしまう。

(まあ、分かっていたさ。こんな感じになるってことは……)

「ふう……それでも、夢で明日の約束とかされたら期待しないわけがないよなあ」

 思わず声に出してしまった僕の言葉に、二人はとても満足そうににっこりと笑った。

「なかなか不思議で、ロマンティックな……」

「そうよねー。本当に来てくれるのか、不安だったけれど感謝してよねー」

 冬月さんの言葉をさえぎるように、夏目さんは前に出てきて押し付けがましく、アピールしてきた。

「だからって、人に勉強させておいて鞄を勝手に開けないで」

「えー、いいじゃない。もうキスもした仲なんだし」

 夏目さんのその発言に、冬月さんはちょっとぎょっとしたように驚いた視線を向けていた。そして、その視線は徐々に僕の方を移ってきていた。

「ゆ、夢の中でだろ」

 冬月さんの鋭いレーザー光線みたいな視線が向けられる前に、僕は慌てて弁明していた。

「あ、夢の話なのね……」

 冬月さんは勘違いしていたことに気がついて恥ずかしくなったのか、のりだしていた体はむしろ後ろに下がっていった。

「そもそも、一緒に勉強するんじゃなかったの?」

「私たちは、成績良いもの。藤堂君が来る前に、今日の宿題も終わらせちゃったわ」

 夏目さんは、『ねー』と言いながら少し後ろに下がった冬月さんに同意を求めていた。

「う、うん。そうね。藤堂君がちょっと遅かったから……」

「ごめん、先生に捕まってたから。……それにしても、夏目さんが成績がいいのはちょっと意外だな」

「えー。そんなにお馬鹿に見える?」

 夏目さんは口を尖らせて抗議した。でも、ちょっと勝ち誇ったような顔だった。

「いいから藤堂くんは、今日のミニテストの復習をしてて。私たちは藤堂君の性癖を研究するから」

「え? な、なにそれ」

「藤堂君のダメダメな妄想に出演させられる私たちのことも考えてくださいって、何度も言っているじゃないですか」

 口を尖らせて、そう言ったのは冬月さんの方だった。

 いつもは穏やかに微笑をかかさないイメージの冬月さんだった。それなのに、今、目の前でこんなに表情を豊かに迫って来ているのは、五月に入って少しだけ暑くなってきた部屋の空気の中で胸の奥ももやっとした熱気が満ちていく気がした。

(でも、冬月さんに怒られるのって、何か癖になりそう)

 自分でも気持ち悪いなと思いながら、この状況を楽しんでいた。

「え、でも、この間、少女漫画とかも見て勉強したんだけど……」

 これ以上近づかれると、熱気で僕が倒れてしまいそうな気がしたので両手で遮りながら後ずさっていった。

「強引に、壁ドンしてアゴクイすればいいと思っているですか?」

 冬月さんは、少し嘲笑するようにそんな言葉を返してきた。

(この間、『強引に』が良いって言わなかったかなあ……)

 冬月さんは、僕の戸惑いに気がつかないふりをしながら更に言い切った。

「あんなのは恋愛妄想初心者のする妄想です」

(何を言っているんだろう。この人は……。)

 僕が勝手に抱いていた冬月さんの知的で真面目で大人しいイメージが、崩れてきていた。もちろん、これはこれで親しくなったからで、ちょっと特別な仲になれた気もして嬉しかった。

「そーね。自分からは何もしないけれど、イケメンに強引に迫ってきて欲しいだけよね」

 夏目さんもよく分からないけど、妄想初心者に勝ち誇っているようだった。

「それで、妄想上級者のお二人は、どんな夢に出演したいの?」

 僕の投げやりな質問に、二人はお互いに顔を見合わせた。

(具体的な話はないのかな……?)

 一瞬、そう疑ったけれど、二人の間には微妙な空気が流れていた。以前にも聞いたけれど、どうやら二人の間で好きな妄想の路線が少し違うらしかった。その辺で喧嘩をしたくないようでお互いに牽制をしながら提案してきた。

「そ、そうね。ちょっと背徳的な感じが欲しいかしら」

「そうですよね。ちょっと危ない感じがいいですよね」

 夏目さんの方がちょっと難しい言葉を使って、冬月さんの方が軽い言葉で賛同しているのが不思議な感じだった。本当に同じイメージを持っているのか疑問だったけれど、仲良く二人は笑っていた。

「じゃあ、今晩の夢はそんな感じでよろしくね」

 二人の声がハモる。

 背徳って結局どうしたらいいのかよく分からなかったけれど。僕は愛想笑いをしながら頷いていた。

「何か……二人はすっかり仲良しになったね」

  タイプが違うけれど、美少女二人が並んでいるのは目の保養だったし、微笑ましく思った。良く分からない理不尽なことを言われているのだとしてもだ。

「そうでしょ? すっかり打ち解けたわ私たち。ねー」

 夏目さんの嬉しそうな言葉に、冬月さんもにっこりと笑いながら『ねー』と小さな声で返した。

 この光景だけをみれば本当に仲の良い姉妹のように見えた。ついこの間、ここで羽交い締めにしていた人と、されていた人とは思えなかった。

「でも、二人はクラスじゃ話さないよね」

 深い意味はなかった。ふと思っていた言葉を口にしただけで、皮肉とか二人の欠点を指摘してやろうだとかそんなつもりのない他愛のないちょっとした疑問だった。

「え?」

「いえ、そんなことは……」

 二人は明らかに強張った顔をしていた。さっきと違って、二人は目を合わせようとはしなかった。ただ、お互いに相手の様子を窺うようにちらりと横目で見ていた。

「ああ、女子はグループとかあるもんね」

 何に戸惑っているのかよく分かっていない僕は適当にフォローした……つもりだった。でも、明らかにさっきよりも厳しい目で二人は僕をにらんでいた。

「女子のことなんて何も分かってないのに、適当なこと言わないで」

「そ、そうです」

 二人は僕を責めていた。でも、どこかそれは当たっている部分もあったから、強く言ってごまかしているような気がした。

「はいはい。童貞の知ったかぶりで、ごめんなさい」

 これ以上、二人が変な雰囲気にならないようにちょっと自虐的にふざけてみせた。微妙な空気は少し漂いながらも、二人は僕を馬鹿にしながら徐々に仲の良い感じに戻っていった。

 別に二人がどんな関係だろうが、僕にはどうでもいいはずだった。

 でも……どこか……うわべだけしか触れ合っていなかった徐々に心を許している光景は何かのドラマを見てるみたいでもう少し見ていたいと思った。

 僕の夢の中でそのドラマが進んでくれるなら、なおさら嬉しいことだった。

 そう願いながら僕は二人を残して、第二図書準備室をあとにした。

「そういえば、背徳的って結局、どうすればいいんだろうなあ……」

 夕日が差し込んできて赤くなっていた校舎を歩きながら、首を捻りながら真剣に考えるのだった。



 悩んだ末に結局、夢アプリの日記になんて書いたのかは覚えていなかった。

 とりあえず僕の目の前にいるのは、見慣れたいつもの制服姿のまま両手を縛られてベッドに横たわっている冬月さんだった。まあ、そんな他人事ではなくてシチュエーションからすれば、どう考えても縛ったのは僕なのだろう。夢の中なのに、そんな風に妙に冷静に見ている自分がいた。

 殺風景な地下室のようなコンクリートで閉ざされた部屋だった。パイプベッドが真ん中にポツンとある以外は何もない風景は自分の夢ながら、もう少し何か想像できなかったのかと呆れてしまう。

 ベッドの上で両手を頭上のパイプベッドのパイプを通して縄で縛られている冬月さんは、じたばたと体を捻らせていた。

「え? あれ? 何ですか? これ。離してください」

 たぶん、冬月さんはインしているのだ。反応からそう推測すると、夢の中なのに全身の血が沸騰しかみたいに興奮してきてしまった。

(夏目さんといちゃいちゃするのもいいけれど、冬月さんに迫るのはすごくいけないことをしている気分になるな)

「藤堂君?」

 怯えるように僕の顔を確認する冬月さんだった。でも、僕は何も言わずに、ベッドの横で冬月さんをじっと見下ろしていた。冬月さん両手は頭の上のパイプを通して繫がれていたけれど、足は自由だった。じたばたと足をばたつかせたり、腰を捻ったりするたびにスカートの中の白い太ももがちらりと見え隠れする。

 僕のいやらしい視線から、逃げようとしているのかもしれないけれど、それは逆効果でしかなかった。スカートは、綺麗に足を隠してくれることはなく、むしろどちらかの足はめくれてふとももが見える時間は徐々に長くなっている気がした。

「いや。見ないで」

 それに僕のいやらしい視線は、膝あたりから太もも。そしてさらに上へと段々移動していった。もう、見ているのを隠すつもりもなかった。身動きがとれない美少女にいやだと言われたら、なおさら興奮して凝視してしまうものだと思った。

 人として最低だと思いながらも、じっと見るどころか自分の頭の角度を傾けて下から覗き込むような姿勢をとろうとしていた。

「な、何か言ってください。藤堂君なんですよね?」

 珍しく冬月さんが、大きな声をあげながら抗議をする。コンクリートの部屋の中で響くその声は、今の僕にはむしろ興奮する材料でしかなかった。

「夢だし、夢だし。きっと大丈夫」

 口の中で早口でぶつぶつと自分に言い聞かせながら、スカートの中を覗き込むように少しずつ少しずつ頭の角度を傾けていった。それと同時に指をスカートの隙間に、指を滑らせていく。

「ひゃん」

 冬月さんは、その瞬間に声を上げた。色っぽい喘ぎ声のようにも聞こえるし、ちょっと冷たいものが当たって驚いた時の反応と言われればそんな気もしてしまう微妙な声だった。

 思わずその声で、僕はびくりと怯えながら反射的に指を太ももから離してしまった。

「大丈夫、これは夢だ。同意済みのそういうプレイだ。勇気を出すんだ。頑張れ、俺」

 ふがいない自分の心に活を入れる。

 かっこいいことを言っているような気がするけれど、頭の中は煩悩の塊だった。太ももに再び触ることしか考えていなかった。もちろん、正確に言うと太ももではなくて、もっと上の方に触るのが男子として当然の目的だった。だけど、太ももがまず神々しすぎた。白く伸びた足は、みずみずしく光を反射している。生き物の皮膚というよりは、液体の表面の方が近い存在なんじゃないかと本気で思いながら、再び指を近づけていく。

 滑らかな肌を、今度は覚悟を決めて円を描くように手のひら全体で撫で回していく。

「あっ」

 冬月さんは、顔をそむけて耐えるように口を結んで嫌がった。

 でも、これはあくまで嫌がっている演技だ。普段の会話からすれば、実際にはこんな刺激を楽しんでいるに違いない。

 そう思いながら、勇気を出して撫で回す手を徐々にスカートの奥へと進めていく。

「ああん」

 ついに、手は下着までたどり着いた。その瞬間に冬月さんからは色っぽい声が漏れるのを聞いて、僕の興奮は最高潮に達していた。大丈夫だ、確信した僕は下着に当たっても撫で回す手を止めることはなかった。

(でも、よく考えたら、冬月さんと現実世界で話したのって数回だけだよな……)

 下着にまで到達した指を動かしながら、ふと改めて具体的な事実を確認してしまった。

(これってストーカーっぽい考えとかなんじゃないだろうか)

 冬月さんが、こんないやらしいことを望んでいるなんて言うのは、僕の思い込みなんじゃないだろうか。

 そんなことを考えたところで、夢は覚めた。


 その日は、教室に入るのもおっかなびっくりだった。言うまでもなく、冬月さんが怒っているのではという恐怖だった。伏し目がちに席までなんとかたどり着くと視線が合ってしまうのが怖かったので、眠そうなそぶりをして机にうつ伏せが基本姿勢になった。たまにちらちらと前髪の間から、冬月さんの様子を探るのが、今日の休み時間の過ごし方になってしまった。

(やっぱり二人はクラスじゃ話さないんだな)

 結果的に、いつもより数多く冬月さんのことを目で追ってしまっていた。我ながら気持ち悪いくらいにずっと観察していたけれど、冬月さんは夏目さんに話をしたいみたいだけれど近づいたりはしなかった。

(あんなに第二図書準備室では仲良さそうなのになあ)

 やはり二人の所属しているグループの関係が微妙なようだった。冬月さんは、文系の黒髪率の高いグループのリーダー、いや先生という雰囲気でいつも信奉者たちの羨望の眼差しで見られていた。

 あの監視の目を振り払って、夏目さんのグループの中に入っていくわけにはいかないんだろうなあと一人納得していた。

 冬月さんとは接触しないで済んだままで、昼休みを迎えようとしていた。しかし、放課後が近づくにつれてこのまま第二図書準備室にも行かずに避けていていいのだろうかという気持ちが強くなってきた。

「今日も、放課後……例の部屋に来るよね」

「うわっ」

 予想せず耳元でささやかれて、机にうつぶせたまま僕はびくりと跳ねてしまう。

 頭だけをゆーっくりと動かすと、すぐ目の前に夏目さんの顔があった。僕の机に両手をちょこんと置いて、しゃがんで覗き込んでいる姿はかわいらしく餌をねだる子犬のようだった。

「……夏目さん?」

 すっかり夏目さんのことを忘れていた。朝から冬月さんのことばかり気にしていたので、近づかれたことに気がつきもしなかった。

「うん」

 夏目さんは当たり前でしょというようにうなずいていた。

 それから、しばらくの沈黙。

(ええと何を聞かれていたんだっけ? 放課後? 例の部屋に?)

 夢の中ではなく、いつもの教室でこんなにも女子に接近されて話しかけられたことはなかった。戸惑いながら、やっと答えを求められているのだと気がついた。

「えっ、あ、うん。大丈夫、行けるよ」

「よかった。じゃあ、あとでね」

 僕の挙動不審な手ぶりつきな返事を聞くと、夏目さんはそう言いながらにこやかに小さく手を振って去っていった。夏目さんが所属する女子グループの輪の中に戻っていくのを見ると、さっき話しかけてくれたのは幻なんじゃないかという気にもなる。

 ふと、数人の男子に怪訝そうに睨まれているのに気がついた。睨まれているとまでいうのは大げさかもしれないけれど、『何であいつが夏目さんと親しげに約束なんかしているんだ』という嫉妬に満ちた男子の視線が突き刺さっていた。

(まあ、実際。不思議な話だもんな……)

 困ったなと思いながらも、どこか優越感のような感情も溢れていた。

 あとで会う約束を思い出して、思わず顔がにやけながら正面を向きなおした。

 その瞬間に、冬月さんと目が合った。

 今日、始めて席から後ろを振り返った冬月さんだった。間違いなくさっきの僕と夏目さんの会話を聞いていたのだ。

(僕はさっき何の約束をした? そう、放課後に例の部屋に行く約束だ)

 例の部屋とは、第二図書準備室のことだと思いあたって、体中から冷や汗が流れるのがわかった。

 当然、冬月さんとあの部屋の中で向かい合わなければならない。

 いつも穏やかな冬月さんの表情が険しくみえた。そして、その次の瞬間には、くるりと前の方を向いてしまった。

 その瞬間、よく考えずに放課後に第二図書準備室に行く約束をしてしまったことを後悔する。

 冬月さんと会う心の準備ができていなかったので、色々考えてお腹が痛くなる。

 「いや、でも。このまま逃げていても駄目だ」

 放課後が近づくにつれて、僕は覚悟を固める。

 別に今までだって、好かれているわけではない。「気持ち悪い」から、「軽蔑」に変わっているくらいだろう。

(やっぱり、駄目じゃないか。それ……)

 自分を納得させようとした言葉に自分で落ち込んでいた。



「よし、行くぞ」

 放課後、僕は第二図書準備室に入る扉の前に立っていた。

 扉に祈るように、小声で気合いを入れる。今ので通算、三回目の気合い入れだった。

 今度こそ意を決して扉を開け……ようとした瞬間に、扉の方が勝手に開いた。

「何を扉の前で、ぶつぶつ言っているのですか?」

 目の前に冬月さんが、立っていた。怪しい人がいると思ったのか、おそるおそるこちらを伺いながら僕だと気がついてくれたようだった。

「すいませんでした」

 条件反射のように、素早く深々と頭を下げて謝った。土下座までする覚悟でシミュレートしてきたけれど、いきなり冬月さんが至近距離にいたことでその計画は消滅してしまった。

「え? 何? ちょっと藤堂君」

 冬月さんの声には戸惑いが、感じられた。ここぞとばかりに、僕はさらに言葉を繫げようとした。

「欲望に負けちゃったけど、僕は冬月さんと……!」

「いいから、ちょっと中に入ってください」

 手首を掴まれて、第二図書準備室へと引っ張られた。

 第二図書準備室は、図書室に隣接している図書準備室から入る扉と廊下から入る扉がある。僕がいた廊下はすぐに行き止まりになっていて人通りは少なかった。それでも、誰かに見られたら恥ずかしいと思われたのか、冬月さんは慌てて扉を閉めた。

 扉を背にして、冬月さんは軽くため息をついていた。

「それで? 何を謝っているのですか?」

 下の方を向いた頭から目だけがこっちを見つめていた。睨まれているようにも見えるけれど、冬月さんならそれも歓迎だと思えるから不思議だった。

「え? いや、昨晩の夢はちょっといやらしいことしすぎたかなと……」

「ま、まあ、いやらしかったですけど……『しすぎ』とか言うことはなかったのではないでしょうか」

 冬月さんは、昨晩のことを一瞬思い出してしまったのか、三十度だけ体をひねらせて恥ずかしそうな素振りをしていた。

「夢ですし……。それに私も望んだことですし……」

 冬月さんから厳しく罵られると思っていただけに、意外な一言だった。僕の目の前は急に明るくなった気がした。

「そ、それは、僕が冬月さんにしたエッチなことは許されたってことでいいかな」

 小躍りしたいくらいに元気になって、僕は冬月さんに近づいていた。

「だって、お互いにみたい夢が一致しているから、繫がるのでしょう?」

「おお、確かに……。つ、つまり、それって」

 僕が喜びすぎて近づいたので、冬月さんは驚いてしまっていた。本を盾にするように、ちょっと前に押し出しつつ後ろに下がったので、扉に張り付いてしまった。

「あ、調子にのりすぎたね。ごめん」

 壁に押し付けている時の夢みたいだと思った瞬間に、ちょっと冷静になった。

「ま、まあ、昨晩のは合格点ってことです」

 完全に横を向きながらそんなことを言った冬月さんの表情を、僕はまじまじと確認する。

 頬から顔が真っ赤に染まっていった。普段が、白い肌だけに赤くなった顔は印象的だった。

わかっているらしくて『見ないで』と言いたげな表情がまたたまらない。

「え」

 我ながら間抜けな顔をしているのだろうと自覚していた。自分で見たことはないけど、鼻の下を伸ばしているとかいうのはまさに今の僕のことの言うのだと確信していた。

「じゃあ、この路線でいけば良いってことだね」

「は、はい。あんなシチュエーションでよろしくお願いします。」

 お願いをされてしまった。もし、僕が少年漫画の主人公なら今、鼻血を出して倒れているのは間違いないだろう。

「あ、あくまで夢の話ですからね。本当にやったら殴りますからね」

 にこやかに話していたけれど、近すぎた距離に気がついて冬月さんはまた顔を真っ赤にして飛び退った。

(殴っている姿を想像しても可愛い)

 かなり変態じみたことを、さすがに口には出さずになんとかとどまった。少し冷静になった僕は、冬月さんの要望に応えるために真剣に今晩の夢について妄想しはじめた。

(あれ? そういえば、夏目さんは、昨日の夢にはいなかったような……)

 そう思ったところで、すぐ目の前の僕が入ってきた廊下側の扉が豪快に開いた。風圧で冬月さんの髪が揺れるほどだった。

「こんにちはー」

 元気に入って来たのは、もちろん夏目さんだった。寄りかかってきた冬月さんの背中を押さえて、ちょっと中腰で向かい合ったまま固まっている僕を見下ろして、首をかしげた。

「何をしているの? あー、もしかしてお邪魔だった?」

 夏目さんは目を細めて笑いながら、後ろ手で扉を閉めた。ちょっといやらしい目つきで、僕と冬月さんを順番に見回している。

「違うのよ。夏目さん」

「えー、そうなの?」

 夏目さんは、一歩前に進んだ。冬月さんの二の腕を掴みながら、背中にぴったりと張り付く。

「エッチなことしようとしていたんじゃないの?」

 これはもしかして僕を巡って、二人の嫉妬で修羅場な雰囲気なのではと怯えもしながらどこか期待もしていた。

「そんなことはあり得ません」

「うそうそ、分かっているから」

 残念ながら、そんな修羅場に発展しそうな雰囲気すらなかった。冬月さんが冷たく否定すると、夏目さんは、あっさりと冬月さんから離れると笑っていた。

 冷静に考えれば、そこまで二人が惚れてくれる何かがあったわけでもない。

「夢でもなかなか手をだせない。藤堂君だもんね」

「で、ですね」

 二人はもう仲良く並んで顔を寄せ合って、僕をいじっていた。

 でも、どこか冬月さんの顔がひきつっている気がした。きっと昨晩の夢のことを思い出してちょっとだけ後ろめたい気持ちにいるのだと思う。

(そういえば、なんで今朝の夢には夏目さんがいなかったのだろう……)

 僕がなんて書いたか詳しくは覚えていなかったけれど、元の文章からそんなに変えた記憶もなく、夏目さんを消した記憶もなかった。



(まあ、夏目さんの方が望んでいなかったら繫がらないとか……あるのかな)

 僅かな疑問が、僕の頭の片隅に残っていたけれど、全てが終わり、僕ら三人は小さな細長い机を囲んで席についていた。僕はと言えば、冬月さんが閉じていた参考書を再び開ける指の動きをじっと見ていた。白くて細い指がページを捲っていく仕草も優雅だと感じていた。

(そういえば、これ勉強会なんだっけ)

 そういう名目で司書教諭には、この部屋を使わせてもらっている。

 実際、静かに勉強できる場所が確保できるなんてありがたかった。まあ、もちろん、そんなことよりこんな綺麗な女の子二人とこんな仕切られた空間で一緒にいられるというのはありがたいなんてものではなくて、神様に土下座して感謝したいくらいだった。

 ふと気がつくと、夏目さんは僕の隣に座っていた。

(あれ? 今までもそうだったかな?)

 今までは机を挟んで二人が並んで座っていたのに、ちょっと違和感を抱いていた。一応、僕が教科書を取り出そうとする前に、夏目さんは僕の鞄を勝手に開けて漫画を探していた。

「ちょ、ちょっと夏目さん」

「いいじゃない。今日もチェックしないと」

「何をさ」

 文句を言ったけれど、実際には肩と肩が触れ合って、髪が僕の頬に触れるこの距離感は悪い気はしなかった。

 いや、そんな格好をつけずに叫んでいいなら、最高だった。こんな近くに親しく女の子と触れ合うことなんてもうないんじゃないだろうかと叫びたかった。

 反対側に一人座っている冬月さんは、今日はそんな僕と夏目さんの姿を見ても無反応で勉強をはじめていた。そんな姿をみるといかにもな優等生という感じがする。

 でも、さっきのやりとりのあとだともっと冬月さんも近づいてきてくれてもいいのになあと両手に花を妄想している自分が自分で気持ち悪かった。

「そ・う・い・え・ば」

 夏目さんが、大きく傾いて来た。頭がぶつかりそうなくらいに近づいて、僕の耳に息がかかるのが分かるくらいだった。

 この時、僕は責められるのだと思っていた。昨日、夏目さんだけ夢の仲間に入れずに冬月さんにエッチなことをしたことは、別に悪くない。……はずなのだけれど、どこか、何となく……ではあるのだけれど、さっきから夏目さんには、うしろめたい気持ちで一杯だった。

 だから一瞬びくりとしてしまった。

 でも、予想に反して夏目さんの声は優しかった。

 僕の漫画を机に置いて、両手で口を覆って内緒話をするポーズをして。

「今朝の夢は、よかったわ」

 最後にハートマークをつけた声で囁かれた。

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