第2話

 ある日の我が家。

「……っくしゅ!」

 学校から帰った後、リビングでのんびりしていると、ついくしゃみが出た。

「ど、どうしましたご主人!?」

 洗濯物をたたんでいたフィリが、慌てた様子で言う。

「白胡椒ですか!? 黒胡椒ですか!? あれほど吸っちゃダメですって言ったじゃないですかー」

「吸うかそんなもん!」

 あと黒胡椒でくしゃみはしないだろ普通。

「じゃあ誰かが噂してるんですかね? 『あそこの息子さん、メイドを雇ってるらしいわよ』って」

「お前のせいじゃねえか」

「『しかもそのメイドに、主従の域を超えた想いを抱いているらしいわよ』って」

「それお前の願望じゃねえか」

「『そのメイドはとっても有能でしかも美少女らしいから仕方ないわよね』って」

「もうそれお前の噂じゃねえか」

「えー、じゃあ何だって言うんですか」

「フツー最初に風邪とか思いつかないか?」

「かっ……風邪!」

 はっとしたような顔になるフィリ。

「たったっ大変です! まさかご主人が風邪を引いてしまっただなんて!」

「いや一般論を言っただけであって、俺は別に……」

「ごめんなさいご主人! このわたしが付いていながら風邪菌の侵入を許してしまうだなんて、ああっ、わたしはなんて情けないメイドなのでしょう」

 話聞いてくれるか。

「こうなったら、全力全開でご主人の看病をする他ありません! とりあえずあったかーくして寝てください、ぐっすり寝てください!」

「今まだ五時なんだけど。晩飯も食ってないし」

「ご飯! そうでした、晩ご飯は病人食を作らないと……ええと、ウナギと、トロロと、イモリの黒焼きに、スッポンの生き血……」

「病人に強精食作ってどうすんだ。お粥だろお粥」

「ご主人が我を忘れて襲いかかって来るかなーと思いまして」

「本人目の前にして堂々と言うな」

 看病する気あんのかこいつ。

「ええと、とりあえず身体を冷やしちゃいけませんからね、厚着してください厚着!」

「だから風邪じゃないんだけど……」

 フィリは俺の言葉も聞かず駆け出すと(おい気をつけろよ)、二階から俺の冬物の服を持ってきた。

「はいご主人、これ着てください!」

「……なぜ病人にダウンジャケットとトレンチコートを着せる?」

 トレーナーとかセーターとか半纏とかそういうのだろ普通。つーかパジャマもあっただろ。

「えーとえーと、じゃあとりあえず寝てください! そこのソファーでいいですから!」

 ぐいぐいと俺を押してソファーに突き飛ばすと、フィリは持ってきた毛布をぽいぽい投げてくる。

「今お粥作りますから、大人しく寝ててくださいね! くれぐれも身体冷やしちゃダメですよ!」

「いや、だから……」

 俺を毛布の海に沈めたフィリは、ばたばたと台所へ消えていく。

 さてはこいつ看病下手だな。

「あーっ、ちゃんと毛布かけてないとダメじゃないですかっ」

 しばらくしてお粥を持ってきたフィリは、普通にソファーに座っていた俺を見てそう言う。

「暑いんだってば。冬ならともかく五月だし……」

「もう、しょーがないご主人ですね。お粥作りましたから、どうぞ」

「あー、おう」

 ソファー前のちゃぶ台に置かれたお粥。病人でもないのに晩ご飯お粥か……とちょっと思ったけれど、実は結構お粥好きなのでまあいいや。

「? 何これ、あんかけ?」

「はい。鰹出汁のあんをかけてあります。ただの薄味のお粥じゃ、元気出ませんからね」

 さすがフィリ、美味そうだ。

「いただきます。ずず……うん、美味い」

「なんちゅうもんを……なんちゅうもんを食わせてあげたんや……」

「誰だよお前」

 食後、フィリが薬箱を抱えてきた。

「あれ? ご主人、風邪薬がありませんよ?」

「んー、そういえば前に飲んだヤツ、最後だったような」

「そんなっ、ここに来てご主人を助けることが出来ないだなんて……ごめんなさいご主人、わたしの力及ばずっ……」

「なけりゃ買ってくるっていう発想はないのか?」

「光の速さで一足お先に買ってきます!」

「待て待て行くな」

 慌てるフィリ+外出=人前で死亡。

「薬はいらねーよ。風邪じゃねーし」

「なるほど、ご主人ほどの方になると薬なしで風邪なんて吹き飛ばす訳ですねっ」

 俺の言葉、後半も聞いてくれないかな。

「じゃあわたしに出来ること何かありませんかっ?」

「そうだな、テレビ観るから邪魔しないでくれるか?」

「わかりました! …………」

「…………」

「…………」

「…………」

「って、何でですかぁ!」

 反応遅っ。

「ちゃんとお休みになってなくちゃダメですよっ。ご飯も終わりましたし、後は寝るだけです」

「眠れねーよ、まだ六時だし、風呂も入ってないし」

「風邪のときってお風呂入ってもいいんですか?」

「まあ、湯冷めしないように気をつければいいんじゃねーの?」

 とりあえず俺は風邪じゃないしな。

「……わかりました! 不肖ながらこのわたしがご主人の背中をお流しします!」

「何がわかったんだ?」

「風邪のせいで身体を動かすのがつらいご主人のために、わたしが洗って差し上げるんです!」

「本当は?」

「大義名分の元にご主人と一緒に入浴できる、っていう」

「入ってくんな」

 浴室のドアに注意を払いながら風呂を済ませた後、テレビを観ようとするとフィリがまたうるさい。

「ご主人、ダメですよ! 湯冷めしちゃいますよー!」

「ああもう、わかったよ、寝るよ」

 わーわー言われるのに疲れて、仕方なしに二階の自室へ。

 えーと……まだ八時前か。眠れる訳ないし、ベッドで漫画でも読むかな。

 とそこへ、フィリがバタバタと飛び込んできた。

「ご、ご主人! ベッドに入ってはいけません!」

「はあ? なんで?」

「冷たいベッドに入ったら、それだけで湯冷めしてしまう可能性があります! ……なので、ここはわたしにお任せください! ご主人のベッドを温めるのもメイドの仕事です(ハート) という訳で、えーい♪」

 ズザァー、と俺のベッドに潜り込むフィリ。

「おいこらやめろ!」

「わーいご主人のベッドー♪ 超エキサイティ~ン……って、ひ、ひやぁぁぁっ!?」

 急にビビクン! と魚みたいに跳ねたかと思うと、フィリは動きを止めた。

「お、おいフィリ?」

「…………」

 死んでる……まさかベッドの冷たさで死んだのか?

「アホかこいつは……」

 自分のベッドに死体があるというのはあまり気分がよろしくないが、仕方ないので床に座り込んで漫画を開く。

「……ぷはっ!」

 やがて目を覚ましたフィリは、きょろきょろと辺りを見回した。

「こ、ここはご主人のお部屋……そしてご主人のベッド……じゃ、じゃあついにわたしたち、そういうことになっ」

「てねえよ!」

「うう……冗談なのにぃ……」

 まったく、こいつのせいでどんどん疲れていく気がする。

「お前の看病っぷりは全然ダメだな。病人を振り回してどーすんだ」

「うー、一生懸命頑張ったんですけど……すみません」

「ま、それはわかってるからいいけどな」

 いつも頑張るのがフィリのいいところだ。脱線しすぎるのが玉にキズだけど。

「ご主人……えへへー♪」

「反省もしろっつーの。そもそも、俺は風邪引いてないんだからな」

「え、そうだったんですか?」

「そうだよ、最初からそう言ってた……」

 と、そのとき。

「は、はっくしょん! あ、あれ?」

 くしゃみの音が、部屋に響いた。

 まさか……風邪?



 結論から言うと本当に風邪だった。……俺じゃなくてフィリが。

「なんでお前、不死身のくせに風邪引くの?」

「わ、わたしに言われてもぉ……くしゅっ」

 仕方なしに俺のベッドに寝かせているフィリの顔は、ちょっと赤みがかっていた。

「とりあえず、ほら、メシ。お前のお粥よりは美味くないと思うけど……」

「ご主人、料理下手ですもんね」

 ほっとけ。

「でもいいんです。わーい、ご主人の手料理だー♪」

「はいはい」

 たまにはこういうのもいいか。

「ご主人、ふーふーしてお粥食べさせてください」

「甘えんじゃねえこの病人が!」

「びょ、病人ですよ!?」

 む……。

「…………」

「あー、わかったわかったよ。……ほら」

「あむ♪」

 ったく、恥ずかしいったらありゃしない。

「今回だけだからな。今度風邪引いたらお粥の代わりにドリンク剤注ぎ込んでやる」

「えへへ。あっ、ご飯の後はお風呂ですよ♪ 身体洗ってくださいね♪」

「待ってろヤカンを火にかけてくるから」

「熱湯はノーサンキューですよ! じゃ、じゃあ、ベッドの中で、人肌で温めてください♪」

「待ってろ庭の石を焼いてくるから」

「高熱の岩肌はイヤですよぉ! ご主人の人殺しー!」

 風邪引いても大人しくならないな、こいつ。やれやれ。

「そういえば風邪薬ないのか。買ってくるから大人しくしてろよ」

「あっ……」

「ん?」

「いえ、その……ご主人、行っちゃうんですか」

 そりゃ行くだろ、と言いかけたけれど。

「……わかったよ、いるよ。その代わり薬なしだぞ」

「はーい♪」

 まあいいか。病気のときって、寂しいもんな。



「つーかお前、俺を置いて風邪薬買いに行こうとしてなかったか?」

「あ、あうう……」

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