(Dis)infopia
人は他人を理解したかった。言葉を得て、文字を得て、映像を記録し、感情を保存し、すべてを厳密に伝えることで行き着く果て。自分とあなたの同一化。その先に今の暮らしはある。今では情報は共有されて当然、「知る」ということは公共的な概念になった。
私が目覚めた瞬間から、私の脳にはタスクが割り振られる。世界には120億、宇宙まで含めれば210億人以上の人間が存在するが、ほぼすべての人がこの仕事を課されている。私は言語に関する仕事が多く割り振られる。いや、演算の分配だったかな。とにかく、個々人によって異なっている脳の資質を特化させることを選択した我々人類は、考えることさえ分業にしてしまった。別の脳には別のタスクが割り振られているだろう。それらはすぐに共有される。
人間が知覚した情報はすべてノイマン野に保存され、大気中に形成されたエアロゾルネットワークを介し、一点に集約される。人間の分散コンピューティングだ。一昔前まで、情報はわざわざ電気を使って保存していたらしいが、エアロゾルの回路接続を組み替えることによって情報を保存する技術が確立してからは電子端末なんて化石となった。
私が身体タスクとして農作機構の保持をしている間、ノイマン野は私の脳を使って思考タスクを処理する。タスク処理のプログラムを走らせている間はすこしぼんやりするが、あと30分もすれば脳の支配権は個人に戻される。個人ですることといっても、情報をひたすら受け入れ続けるだけだ。
人間の経験が寸分の違いもなく他者に伝えられるようになった。その結果、新たな娯楽の姿が生まれた。中途半端なコストをかけて若干の幸福を体験するよりも、皆で持ち寄った資源を感覚の鋭敏な一人に逐次投入することで、人類全員が幸福を体験できる。ほとんどすべての人類はごく少数の個体に体験をもたらすための資源を提供し、体験された幸福はすべての人に共有される。この仕組みを作り出すことができたのは、有史以来最大の快挙だ。
私はおそらく、全力で走ったことも泳いだこともないだろう。しかし体験したことはある。友人と議論した経験もないだろう。しかし議論などなくとも意思の共有はできる。他人を完全に理解したこの世界では、人と関わること自体が無駄になってしまった。
精度の低いコミュニケーションがいらない世界で、人類は今日も知を共有し続ける。人類すべてが、「知る」を突き詰めて幸せになれたのだ。
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