社会譚
現在の日本から続いた未来。マイナンバー制度から派生したPINは、すべての雑多な情報を人間と一対一対応させることを可能にした。各社コンビニに代表されるように、データは人間と紐付されてはじめて価値を持つのだ。
当初はビッグデータ解析など、統計によって人間全体の傾向を知る方向へと向かった。POSでは購買のデータ、携帯端末は位置情報、ウェアラブル端末によって身体データを。SNS、GPS、Google Glass、iC。そうして得られた情報はあまりに膨大であり、既存の解析を行うにはジャンクデータが多すぎた。時代に対して情報が多すぎたのだ。しかし時は流れ、情報を扱うシステムが変化した。扱う情報が増えすぎた結果、あたまの良い人たちは情報の圧縮を試みた。画像情報をフーリエ変換で圧縮するように、可逆変換を用いた圧縮は一定の効果を挙げた。しかし、一割程度データの総量を圧縮しただけではたいして意味がない。もっと革新的なものを必要とされ、必要は発明の母であった。ある日本人のSF作家が作中で用いた情報の性質が、数理的に証明されたのだった。複雑なので詳細は省き、結論を言おう。「情報は波であった」。大量の情報を二変数関数で扱う。次元を上げれば情報の可視性は上がる。そして波を寄せ集めて量子スピンに置き換える。これによって情報は物理的に保存される。
増えた情報は扱う者によって結論を変える。世界では情報の使い方が変わってしまった。今では広がった情報から全体の動向を知るだけではなく、ある個人が何を知るのかを知ることもできる。情報の流れを追えば誰が何を知っているのかもわかる。誰が何を感じているのかもわかる。しかし、「知られている」ことを知る人間は少ない。
多くのデータは統合され、計算機は小型化、軽量化、高速化、低価格化した。その結果、奔流のような情報を「治水」する者が登場したのである。文明が水の流れに寄り添って発展したように、新たな社会は情報の流れに寄り添って育つ。日本中の情報は今や関東北部のLiberty Towerに集められ、文明の中心として東京と双肩を成す無人都市となった。Liberty Towerはコンピュータの塊だとよく誤解されるが、やはり機械の限界か、人間が働いている。この辺鄙な土地に住むのはTowerの住人か、その生活を支える人間だけだ。情報は機械の中では扱えるようになった。
古代文明の頂点には、荒れ狂う河川を治める知識を持つ者が就いた。そして未来文明では、情報を治める者だけがLiberty Towerの高みに立ち入ることができる。情報を治める人々は「Not-MIND」と呼ばれる。人間の脳は直近100万年で進化などしていないが、科学がそれを可能にする。難しい横文字の並んだ名称を持つコンタクトレンズ型のモニター兼カメラがインプットを司り、脳に取り付けた機械、ノイマン野が処理を司る。このノイマン野は人間の代わりに「理解」してくれる。知覚と理解のギャップを埋める脳の部位がノイマン野である。量子スピンの状態を表す記号的な文字列を表示した画面を見ると、その「意味がわかる」のだ。これを埋め込んでいない人間は記号を処理できず、情報をまともに見ることも難しいだろう。こうした脳のサイボーグ化を施した人間に対する本能的な忌避感こそが、「Not-MIND」と呼ばれる所以だ。この時代でも心は人間の象徴だ。
ノイマン野を武器にした脳のはたらきはおぞましく、グルーピングやぼんやりした推定、並列処理などの限られた面では、この時代の機械すら上回る。この能力はエラー検知に向いている。例えば、オセロのチップが100枚黒い面で並んでいて、ランダムに一枚だけ白いとき。プログラム・コードを走らせて探すならば一枚一枚認識し、判定を進めるしかないが、人間ならばぼんやり眺めればわかるのである。この能力はエラー検知に利用される。
さて、人の認知は所詮、神経の電気信号に集約される。つまり、0か1で塗りつぶせる。人間に与えられた刺激をひとつ残らず再現すれば、確かに神経の発火を再現できる。では、神経の発火を直接1bitの誤差も無く再現できたならば?
この疑問に答えるために、答えるためだけに【プロジェクト・アカシックレコード】は始動した。認識世界の再現、想像力の超越。それは夢物語のようであり、夢を再現する物語でもある。未だ認識世界の完全な再現には至らないが、ブレイクスルーがあと三度もあれば到達できるだろう。人は他人に自らを伝えるためにメディアを育て、過去を知るためにメディアを使う。【プロジェクト・アカシックレコード】は究極のメディアを目指した。
人を理解することは未だできない。
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