第8話 バンドマン
橋の下で
ビニールシートから水が漏れている
罠で獲らえた獣は
ぜんぶオレのペットにしてやった
だからオレは草を喰らって生きている
あと、屋根から落ちてくる水滴と
でも魚は食べても問題ない
だろう?魚には心がないから
- Something In The Way -
音楽好きの若者に長年愛され、現在でも一番読まれている音楽専門誌「月刊・音(ミュージック)の世界(ワールド)」の、八月号の目玉記事は、最近もっとも活躍しているバンドのひとつ〈スサノオ〉の40000文字インタビューだった。
〈スサノオ〉は、メンバーの不慮の事故死を乗り越え、メジャーデビュー第一弾アルバムからミリオンヒットを出し、その後も順調に売れっ子の階段を登ってきた。デビュー後、初となる武道館ライブも、チケット即ソールドアウトの大成功をおさめた。そんなメンバー達の、今の肉声を、40000文字という、雑誌としては異例の長さのインタビューで伝えるという、雑誌にとっても、思いきった勝負企画であった。
インタビュアーは、邦楽ロック好きなら誰でも知っている音楽評論家の重鎮、西山田モンジロウ。この雑誌の編集長でもあった。
編集長自らがインタビューを行うことからも、〈スサノオ〉の成長の著しさを物語っていた。
ヴォーカル兼ギター シオン 以下 シ
ベース リク 以下 リ
ドラムス ユキト 以下 ユ
―初めまして、西山田です―
一同 よろしくお願いします。
シ なんか緊張しちゃいますね。
リ モンジロウさんってもっと怖い感じの人だと思ってました。
ユ 昔から「音の世界」読んでるのでなんか不思議な感じですね。
―今日は、えっと、そんなに緊張せずに、お互い本音で行きましょう(笑)まず、デビューからの足跡ですが、シオンさんは自分でも順調だと感じてますか?―
シ いきなり難しい質問ですね(笑)もちろん、あの、ご存じかと思いますが、うちのギタリストだった彼(注釈・GEN)を、デビュー前に事故で亡くしてまして、そこから考えると、よくバンドが再生したなぁと。(*インディーズ時代、スサノオのギタリストだったGENはライブ中に原因不明の心不全で死去している)
リ 奇跡だと思ってます。
ユ ぼくもそれで解散になると当たり前に思ってましたね。
― ええ、その件は〈スサノオ〉にとっても、やはり一番のターニングポイントだったと、私も思ってますが、GENさんはそれほど大きな存在だったのでしょうか?―
シ 大きなと言うよりも、もともと〈スサノオ〉は、彼のために作られたバンドだったので。
―それはどういう?―
リ 彼、GENがいて、俺たちはオーディションで選ばれたメンバーだったんで。バンド名はシオンが考えたんですけど、もともとGENのバンドだったんです。
―それはここで明かしても大丈夫なんですか?―
一同 笑
シ いや、ファンにとっては周知の事実ですし、隠すほどの話でもないので大丈夫です。よね?(ここで、シオンはマネージャーに確認をとる。マネージャーさんは苦笑しながらもOKのサイン)
― 良かった。なんかいきなりのぶっちゃけトークでこちらがヒヤヒヤしました―
一同 爆笑
リ それで、一時は解散も考えたんですけど、もしそこで終わりにしてしまったら、それこそ彼の死が無駄になってしまうからって、メンバーやスタッフと何度か会議を開いて…会議って言っても居酒屋で呑みながらですけど(笑)で、もう少し頑張ってみようって結論になって。
リ 運も良かったんだよね。ちょうどそのタイミングで、インディーズで発売したアルバムが、シャインレコーズさん(注釈・スサノオのCDを発売している版元の大手レコード会社。ちなみにスサノオは現在も「ブリーチ」という個人レーベルで活動している)に気に入ってもらえて。そこから一気にメジャーデビューが決まって。
― でも、ギタリストを新たに加えるという話は無かったんですか?―
シ それはまったくなかったですね。今もうちのギタリストは彼だと思ってますし、いわゆる永久欠番ですね。ぼくもギターは弾いてますが、これはオマケでしかないですし。
― おっと、爆弾発言ですね!―
シ (笑)いや、ホントに正直な気持ちですよ。もちろん自分のギター演奏に手を抜いているって意味じゃなくて、どうやっても彼には届かないって言うか。彼はある意味天才でしたからね。
― 私にはシオンさんのギターも充分すごいと思いますが―
シ ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいですね。彼のコピーをやるつもりはないですが、ぼくなりに一歩でも彼の音に近づけたらと、今でも模索しながら弾いてます。今使っているギターも実は彼の遺品なんです。残念ながら一本は、もう潰れてしまって使えないので事務所に大事に保管してますが、もう一本の方を使ってます。
―フェンダーのジャズマスターですね―
シ ええ。ギターは基本それ一本だけでやってますね。
ユ だからライブで弦が切れたりしたら代えがないという。この間もそれで、お客さんをだいぶ待たせちゃって。
一同 笑
シ プロとしてはもう一本くらいスペアがあった方がいいんだけど、なんかそれじゃないとしっくりこないというか…。
―GENの魂が入ってるって感じですか?―
シ そう言うとなんかカッコよすぎますね(笑)でも、本当にそうかも知れませんね。彼と活動した期間はすごく短かったですが、やっぱりバンドの形が出来ていった期間でしたし、今の〈スサノオ〉があるのもあの時期をみんなで越えたからだと思いますし。
―じゃあ、気ごころが知れた仲ではなかったけど、バンド内の雰囲気はすごく良かったんでしょうね―
シ はは。そこはむしろ衝突してばかりでしたね。
ユ 毎日ケンカしてましたね。
リ ぼくはメンバーの中では一番年上なのでいつも仲裁する役でしたね。
―それは意外ですね。てっきり仲の良い集まりだと考えていましたが―
シ まぁ仲良しバンドだったら上達するってわけでもないですし、やっぱりGENは音にすごく拘りを持ってて、ライブのたびに衝突してましたね。
―ということはGENさんとのケンカが絶えなかったと?―
シ はい。もう毎日でしたね。ユキトなんかしょっちゅう泣かされてましたもんね(笑)
ユ (苦笑)
―でも、それでよくバンドを続けられましたね。よくそういうやり取りから解散するバンドもいる中で―
シ やっぱりライブ本番になると音に魅了されちゃうっていうか、このバンドでじゃないと出せない音だなぁと、そこは音楽の一番良い所だと思うんですけど。
リ そう。ライブになるとさっきまでケンカしてても、無かったことになっちゃうんだよね。もうこの音が出せるならこのバンドでやっていこうと。
ユ 神がかってたと思いますね。あのころの音は、プロになった今も出せてないかもしれない。
シ うん。ぼくもそう思います。確かに演奏は荒削りでしたけど、勢いっていうか、「どうだ!これがスサノオだ!」って感じは、あの頃の方が勝ってたとはっきり言えますね。
―じゃあ話は戻りますが、やはりGENという存在は〈スサノオ〉にとっては大きな存在だったんですね?―
シ もうそれは。
ユ 大きすぎましたね。本当によく再生できたなと思います。
リ もう一回最初からスタートだってなって、一ヵ月合宿したもんね。あんなに練習したのは初めてでしたね。GENを失った喪失感を拭う意味もあったのかもしれない…。
シ 鬼のマネージャーにしごかれましたからね。そんなんじゃ〈スサノオ〉の音じゃねぇって。デビューが決まってましたから、もう必死に練習の日々。マネージャ―によく叩かれました(笑)
同行しているマネージャ―(苦笑)
―では、デビュー後の話になるんですが。いきなりのミリオンヒットになった「日本のロック」ですが、このタイトルも、どストレートなタイトルですね。いや私は個人的に大好きですが―
シ うちのバンドはよくパンクバンドだと分類されがちですけど、やっぱりぼくたちの底辺にはロックンロールの魂があると思ってますんで。却下されるだろうなと思いつつ、このタイトルにしたら、すんなり採用されちゃいまして。
リ オレたちがやってる音楽は日本のロックだろと。
ユ もうそれ以上言うことはないですね。これが正解。
一同 笑
―収録曲はインディーズ時代の曲を入れてないのはどうして?―
シ やっぱり同じ音は出せないっていうのが理由ですかね。
リ GENの音はGENしか出せない。ただの焼き直しになっちゃうのは違うかなぁって。これはみんなで相談して、全曲新曲で行こうってなりました。
―結果、いきなりの大ヒットという、バンドとしても嬉しい成功だったわけですけど、今年に入ってからの初武道館もソールドアウトだったようですし―
シ もうそれは運が良かっただけっていうか…。
以下省略
― では最後になりますが、自分たちの音楽とは?―
シ ありきたりな答えですが、「現実に対峙するための唯一の武器」ですかね。
リ かっこつけすぎですね。
ユ だから女にモテるんですかね。怖いですね。
シ おいユキト、おまえ完全にバカにしてるだろ!
一同 爆笑
―それでは、長い時間ありがとうございました。これからの活躍も期待してます―
一同 はい、頑張ります!
「音の世界」八月号より抜粋
マネージャーの御厨紗江子が殺されたのは、このインタビュー記事が掲載された本誌が発売されて三日後の夜だった。
2
「くそ…。どういうわけなんだ」
戸倉はもうとっくに根元まで吸って火の消えているタバコのフィルターを奥歯でギリギリと噛みしめながら、苛立ちの声を絞り出した。
「科捜研の鑑定が間違っているんじゃ…」
「いや、そう思って、無理言って再鑑定もして貰ったんだ。なのに、違っていた…」
戸倉と相棒の野宮は、捜査会議を終え、近くの喫茶店で遅い昼食をとっていた。いつもは大もりを頼む戸倉だったが、今日はそんな食欲が出ない。ナポリタンをひと口食べて、もうそのままになっていた。甘党の野宮も、今日ばかりはいつものパフェを頼む気にもなれなくて、空になった水のグラスに残った氷を口の中で持て余している。店内の冷房はよく効いているはずだが、二人とも嫌な汗を掻いている。刑事が行き詰った時の汗だ。
「成瀬と、二年前の少女殺人の犯人は別人なのか…」
「死神はひとりじゃなかったってことですか」
「また事件は振り出しか…」
「御厨紗江子の件も進展なし…」
先日の事件の顛末はこうだった。
ライブハウス「弁天」の近くのビルで、少女の絞殺体が発見された。戸倉と野宮の二人の刑事は、必然的に、二年前の少女殺人を思い出した。両方の事件も、少女は絞殺されたあとに屍姦されていた。
両方の事件に類似点が多いことから、二人の刑事は、事件後すぐにライブハウス「弁天」に向かった。
そこで「御厨紗江子殺し」の重要参考人である糸井忠光の息子、糸井嵩と、二年前の少女殺人事件の時、最後に少女と一緒にいた、杉田莉子と偶然居合わせた。
一応の形式的な職務質問を終え、犯人らしい人物がいなかったため、弁天を後にしようとした二人だったが、糸井嵩の推理によって、犯人が、弁天の音響係であった成瀬彰人と判明した。その後の捜査で、少女に残された精液と成瀬のDNAが一致し、成瀬は犯人だと断定された。そこまでは、まるでシナリオ通りの出来過ぎた展開であった。二年前の少女殺害事件との類似点により、おのずと、成瀬が二年前の少女殺人の犯人だと疑われた。
しかし、二年前、少女の遺体から採取された精液のDNAサンプルと、今回証拠となった成瀬のDNAが、一致しなかったのだ。
「じゃあ偶然同じ場所に、快楽殺人者が二人出現したということですか?」
「可能性はゼロではない…。だが、偶然にしてはあまりにも共通点があり過ぎだ。それに、あの日、糸井嵩と杉田莉子が、あのライブハウスに居合わせたことだって、なにか出来過ぎている気がしてならない」
「でも、成瀬と、あの二人の面識は無かったようですし、糸井嵩の方は、あの夜「弁天」に行ったのも初めてだと、調書でそう供述しています。杉田莉子も、たまたまあの夜、弁天でオーディションを受けていただけだと」
「二人の関係は、子役時代の同じ芸能スクールに通っていた仲だと二人とも答えているな。そこに間違いはなかった。確かにスクールの在籍名簿に二人の名前は載っていた」
「ぼくは言われるまで、糸井嵩が、あの天才子役と言われた糸井嵩だと気づきませんでしたよ。彼の出演した映画も見てましたし」
「俺はまったく知らなかったがな」
「戸倉さんはテレビも映画もまったく見ないから」
「バカ。ニュースくらいは見るぞ。映画だってサスペンス物はよく見ている」
「はぁ、すいません…。で、二人の関係に不審な点はなかったと…」
「ああ。でもやはり偶然居合わせただけだとおまえは思えるか?」
「…そうですね。ぼくもなにかあるんじゃないかとは感じているんですが。今の時点では、正直分からないです。戸倉さんはどう考えているんですか?」
「んー。まず、成瀬の事件はまったく別だと考えた方がいいのかもしれん。そこを無理に関連づけようとするから、事件が複雑になるのだと思う。もっとシンプルに整理し直したほうが良さそうだ」
「シンプルにですか…」
「とりあえず、もう一度、糸井嵩に会ってみるか。父親についてなにか新しい情報が掴めるかもしれん」
「杉田莉子の方は」
「ああ、もちろん二人ともだ」
二人の刑事は、平日でまだ学校に行っている時間だろうと、杉田莉子は後まわしにして、まず糸井嵩を訪ねることにした。
先日の事件を解決に導いた名探偵だと持ちあげれば、あの内気で少し変わった少年も、素直に話をしてくれるだろうと、姑息な作戦をたて、二人は嵩の住むマンションに向かったのだった。
3
都内のとあるオフィスビルの一室に、芸能プロダクション「ブリーチ」はあった。御厨紗江子が一人で立ち上げた会社だ。メジャーレーベルの傘下に属しているため、CDやノベルティなどの版権は、母体であるレーベルが所有していたが、所属タレントのマネージメントは「ブリーチ」が行っていた。所属タレントも少ない、御厨紗江子の個人事務所であるために、事務所もそれほど広くはない。給湯のための簡単なシンクとトイレ。十畳ほどの会議室と、来客用兼社長室の八畳の応接間。普通の2DKマンションとさほど変わらない広さのオフィスだった。そこの会議室に、現在、専務をはじめ、事務スタッフ数名と、バンド〈スサノオ〉のメンバー三人が集まっていた。会議の内容は、もちろん社長御厨紗江子の件だった。
重苦しい空気が狭い会議室に充満している。
「みんなもすでに知っていると思うが、社長が先日亡くなった。警察の話では誰かに殺されたらしい。おそらく、もうすぐみんなの所にも、事情聴取の話が来ると思う」
専務の小池達也が長い沈黙を破って言った。小池は、御厨紗江子が事務所を立ち上げる際に、御厨自らが、ヘッドハンティングして引き入れた。もともと他の音楽レーベルでディレクターをしていた男だった。頭も良く、仕事のできる男だ。以前、御厨紗江子がまだ大手音楽出版社に属していたころ、何度か同じプロジェクトで仕事をした仲だった。二人には体の関係はなかった。御厨紗江子が、自分の女の武器を使わなくても、この小池という男は、紗江子のマネージメントの才能を認めていたからだ。紗江子も、そんな小池を信頼していた。それで、「ブリーチ」を立ち上げる時に、小池に直接声をかけたのだ。小池もちょうどそのころ、転職を考えていた時期だったので、渡りに船で「ブリーチ」の専務職についた。
専務と言っても、スタッフは社長の御厨紗江子と、数名の事務スタッフ、あとは小池だけだったので、便宜上「専務」と名刺に書いてはあるが、電話番からタレントの送迎まで、他のスタッフと同様の仕事をこなしていた。とは言え、給料も良く、前の会社よりも、自由に自分の意見が言えるので、小池はこの新しい職場に充分満足していた。
「事務所は無くなっちゃうんですかね?」
〈スサノオ〉のドラムのユキトが泣きそうな声で訊いた。
「今はまだその話をする時じゃないだろ!」
ヴォーカルのシオンが大声で一喝した。ユキトはビクっと肩を竦める。
「やめろシオン。ユキトが不安になるのも無理はないだろ」
バンドで一番年長のリクがシオンをなだめた。会議室は再び沈黙に包まれた。専務の小池が続ける。
「まぁ、その話なんだが、事件の進展にもよるが、うちの母体であるシャインレコーズが、そのまま〈スサノオ〉のマネージメントを引き継げるように、本社に行って話はつけてきた。この「ブリーチ」も、すでにプレス済みの来月発売のセカンドアルバムに表記されているので、しばらくはこのまま存続させるつもりだ。残念ながら他のスタッフは、別の部署に異動となる。失業しないだけマシだがな。社長がいてこそのブリーチだと私は考えている。しかし、君たちを手放すのも惜しい。君たちのマネージャーは、私が引き継ぐ。シャインレコーズにもその話はすでに了承を得ている」
「社長の椅子に座りたくてあんたが紗江子さんを殺したんじゃないのか!」
シオンが、尚も感情的になり、立ち上がって思っている本音をぶちまけた。直情すぎるところがシオンの長所でもあり一番の短所でもあった。
「私がそんなことをすると思っているのか?」
大人の小池は、感情的なシオンとは反対に、ごく冷静なトーンで返した。シオンも、自分がなんの確証もなく発言したことに気づき、ぶつけようのない怒りを押し殺し、しかたなく椅子に腰をおろした。
「とにかく、もし警察が来ても、余計な事は話さなくていい。自分達のアリバイさえはっきりすればいいのだからな」
小池は念を押すように言った。
会議室に充満する負の空気に耐えかねて、スタッフの一人が窓を開けた。冷房の効いた会議室に、そとの生温かい空気が流れ込んできて、会議室は余計に不快な空気になった。スタッフはすぐに窓を閉め直した。
〈スサノオ〉のメンバーは、無言で会議室から出て行った。その日もライブの予定が入っていたのだ。千人規模の会場でのライブであったので、キャンセルは許されなかった。皆、ライブなどできる精神状態ではなかったが、キャンセルすれば、負債はすべて「ブリーチ」がかぶる。社長のいない今、「ブリーチ」にチケット代金の穴を補てんできるほどの余裕は無かった。負債はすべて借金として、キャンセルした〈スサノオ〉のメンバーに降りかかってくる。三人は、重い体でタクシーに乗り込み、会場へと向かった。すでにリハーサルの時間に三十分以上遅れていた。
4
今日も嵩の母は朝からパートに出かけていた。今は、嵩と、招かれざる客、戸倉と野宮が、嵩の自宅のリビングにいる。嵩は慣れない手つきで、母がいつも作りおきしている麦茶を二人の刑事の前に出されたグラスに注ぐ。
弁天での事件解決のあと、二度警察に呼び出され、まったく同じ内容の話を調書に取られた。警察に関わるのは心底うんざりしていた。警察の対応は、言葉使いこそ丁寧であるが、どこか人を見下している感じがして嫌だった。十八にもなって、今は無職で引き籠っている話まで、やはり二度させられた。もう自分はすべて話した。これ以上なにを調べようというのか?むしろ、父親の行方を捜すのは警察の仕事だろうと、憤懣遣る瀬無い気持ちでいっぱいだった。早く、その不味い麦茶を飲んで帰って欲しいと、嵩は心で思いながら、二人の刑事と対峙している。
「で、お父さんのことなんだが…。その後なにか連絡とかなかったの?」
「はい、なにもありません。父の話は、警察でもさんざん話ましたし、この間の事件も、本当に偶然居合わせただけです。信じてください」
「いや、こちらとしては別に君を疑っているわけじゃないんだよ」
「ではなんで、しつこく家までやって来るんですか?」
嵩は不信感たっぷりな口調で、戸倉と目も合わせようとしない。
戸倉はなるべく優しいトーンで話しているが、長年凶悪犯を相手にしてきたせいで、どうしても一般人には無い圧がある。その点、部下の野宮の方が、まだ幾分人間らしさが残っている。心のシャッターを完全に閉じてしまっている嵩の交渉役を、戸倉は野宮に任せることにした。
「いやぁ、この間の事件はびっくりしたよ。正直、こんなに早く解決するなんて思ってなかったからね。嵩くんが、急に豹変したのは驚いたけど、あれは役に入りきったからだったんだね。見事な一人舞台だったよ。まさに名探偵って感じで。あの映画、僕も映画館で見たよ。何年前だったかな?まだ結婚前の彼女と二人で見に行ったんだ。魔界少年…えっと…」
「魔界少年デルタギヤ」
「そうそうデルタギヤ!あれは大きな賞も獲ったんだよね」
「もう昔の話です」
「でも、この間の弁天での名演技!あれはデルタギヤの主人公そのままだったよね。まだまだ役者として充分やれるよ」
「もう芸能界は引退したんです。父を思い出したくないので…」
野宮が必死に歩み寄ろうとするが、嵩はなかなか心を開こうとはしない。そもそも、自分が子役だった時期の話自体あまりしたくないのだ。どうしても、父親を思い出してしまうから。
野宮はこのままではまずいと思い、話題を変えた。
「ところで莉子ちゃんとはずっと友達だったの?」
「いえ、あの日呼び出されて何年かぶりに会ったんです」
「それでいきなりライブを?」
「あれも、突然の話だったんで。あの日、ライブハウスになんか行く予定もなかったのに、ボクが少し具合が悪くなって…。それで、ちょうどライブの予定のあった莉子ちゃんが弁天で介抱してくれたんです。ライブに出演したのは、本当にハプニングっていうか、流れ上たまたまそうなってしまっただけで…」
「じゃあ莉子ちゃんから君に連絡があったんだ」
「そうです」
嵩は、莉子が父親について知っている話をするからと、嵩を呼び出した事実を刑事に話そうか話すまいか迷っていた。警察での調書も、結局その話はしなかった。莉子から知らされた話は、父が不倫していたのは業界の人間ではなく、莉子の母親だったという内容だけで、御厨紗江子殺しの件はまったく話には出てこなかったし、そんなプライベートな部分は他人に知られたくなかった。
「どうして今までなんの連絡もなかった莉子ちゃんが、急に嵩くんに会おうなんて言ってきたの?」
さすがに警視庁のエリート刑事だ。まさに一番訊かれたくない話題をピンポイントでついていた。嵩は、またいつもの精神的な吐き気に襲われた。話すしかしょうがないのか。嵩は動揺がばれないように、ゆっくり立ち上がって、キッチンの戸棚に入っているグラスを一つ取り出すと、自分も、母の作った不味い麦茶をグラスに注ぎ、一口だけ飲み、今にも吐きそうなのを必死に我慢した。
嵩は、迷ったあげく、莉子との関係を正直に刑事に話した。
「警察の調書では話さなかったんだよね」
「すいません。事件とは関係のない話だったし、それに…」
「いや、プライベートな話だもんね。したくないのはよく分かるよ」
「父の行方については、まったく聞いてないです」
「莉子ちゃんは知らないと言ったんだね?」
「はい、たぶん莉子ちゃんは父が殺人事件に関わっているかもしれないことも知らないと思います」
「それはどうしてそう言い切れるの?」
野宮に訊かれ、嵩は途端に自信がなくなった。そういえば、あの時直感で、父が警察に追われている話を莉子は知っていないものだと思い込んでいたが、本当はなんの確証もなかった。実際は、莉子は父の行方を知っていたのかもしれない。あのあと、不倫相手が莉子の母親だと知らされて気が動転してしまい、そこまで考えが回らなかったのだ。今にして思えば、莉子の話の信憑性すら怪しいものだ。
自分がどれだけ冷静ではなかったのか、野宮に訊かれ、嵩は初めて気づかされた。嵩はなにも言えなくなってしまった。
野宮は話の進展が望めないと考え、戸倉に了解をもらい、嵩の知らなかった莉子の過去を嵩にすべて伝えた。
「じゃあ二年前、弁天で同じような事件があったんですか?」
嵩は驚きを隠せない様子だ。莉子の、あの飄々とした態度からは、そんな重い過去があったなんて想像できなかった。普通の人間なら、心に大きな傷を抱えてもおかしくない話だ。
もしかしたら、莉子はすべてを隠して、嵩に接見してきたのかもしれない。嵩は莉子のすべてが信用できなくなってきた。
「莉子ちゃんから二年前の事件の話は聞いてないんだね?」
戸倉が、独特の迫力ある低い声で訊いた。
「ええ…。まったく」
嵩は真実を答えた。
「うーん。これは杉田莉子に話を訊いた方が良さそうだな…」
戸倉は一人ごとのように呟いた。
野宮が腕時計で時間を確かめた。時計は午後三時をまわったところだった。
「戸倉さんそろそろ学校の授業が終わるころです。杉田莉子の学校に向かいましょうか?」
「ああ、そうだな。嵩くん、悪いがまた話を訊きにくるかもしれない。これも事件解決のためなんだ。協力頼むよ」
戸倉はそう言って、残っていた麦茶を一気に飲み干し、お茶ごちそうさんと言って、嵩の自宅を後にした。
嵩は緊張の糸が切れたのか、急いで自分の部屋に入り、鍵をかけ、一人用ソファーに体を埋めるように倒れ込んだ。
自分が知らない間に、どんどん事件の暗闇に引きずり込まれていくような気持ちがして、陰鬱な黒い鉄球が、胸に広がっていくのを感じた。
また眠れない夜が続くのかと考えると、少しだけ死にたくなった。
その数時間後、思っていたよりもずっと早く、二人の刑事は嵩の自宅へと戻ってきたのだった。厄介すぎる新しい事件を連れて…。
誰もが予想しない緊急事態だった。
ボイスチェンジャーで声を変えた性別不明の声で「私立黒谷高等学校三年の杉田莉子を誘拐した」と所轄の警察署に直接犯人からの電話がはいったのだ。電話は、都内某所の公衆電話からだった。
犯人の要求は、警察を悩ませる不可思議なものだった。
「糸井嵩を、今から言うオーディションに出場させ優勝させろ。ただし、出来レースは許されない。本人の実力のみで優勝してもらう。さもなくば、杉田莉子の命の保証はない…」
それは前代未聞の要求だった。
莉子の命と引き換えに、嵩は逃れられない地獄へと堕とされた。死神は嵩を運命の迷路から解放してはくれない。それどころか、きっと何処かでこの命のゲームを楽しんでいるのだろう。
嵩は、杉田莉子誘拐の話を刑事から聞かされ、子役時代の演技レッスンの時間に見せられた「私は貝になりたい」の主人公の気持ちを思い出した。逃げ場のない絶対的な闇。あの映画を見た時も、主人公の絶望した気持ちが嵩自身に乗り移り、稽古場で発作を起こしたのだ。あの時の絶望感を思い出し、涙と全身の震えが止まらなくなった。
―なんでボクばかりがこんな目に遭わなくちゃいけないんだ―
誰を恨めばいいのか、嵩自身も分からない。
死神は待ってはくれない。この都会のどこかで、笑すら浮かべながら…。鎌はすでに振り下ろされてしまった。
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