第2話 少女

おいオレを乗っけろよ どうせなにも感じないんだろ?

オレは助けが必要なんだ オレ自身の救済がな

オレを乗っけろよ!

―(polly ポーリー)―


 夕方から本格的な雨になった。雨が降ると、直に集客に響いてしまう。インディーズのバンドではめずらしく、そのバンドにはマネージャーが付いていた。完全に、メジャーデビューを考えての活動なのだ。本当は、今夜のような、五十人も入れば、オールスタンディングでもギュウギュウの満席になってしまう小さなライブハウスでのライブは、一銭にもならないし、名を売り込むための捨て舞台と考えても、あまりにも狭すぎる。

断っても良かったと、パンクバンド〈スサノオ〉の自称敏腕マネージャー、御厨紗江子は考えながら、受付のあるロビーで、新譜のチラシを急ごしらえの会議用テーブルに、整然と並べていた。キャパ五十人の狭いライブハウスであったが、ここでかつて演奏していたバンドで、のちにメジャーデビューして売れっ子になったバンドは、両手でも数えきれないほどいた。ここで、ライブを成功させれば売れるという、音楽業界内の都市伝説になるほど、ライブハウス「弁天」は名前だけは有名だった。

 正直、歴史こそ感じられるが、ボロボロに破れた壁紙に、隙間のないほど書き殴られた、サインと言っていいのか、ほとんどバンドの怨み節のような無数の落書きの数に、紗江子は心配になってきた。   

かつては、メジャーの第一線級でバリバリ働いていたのだ。あの年末の紅白にだって、担当していたアーティストを何組か出場させていた。汚いと言われても仕方のないような、裏の根回しも怠らなかった。売れればすべてはあとからついて来るというのが、彼女の信念だった。こんな草の根運動をいくら続けたって、一回テレビに出る影響力に比べれば、万に一つさえ届きはしない。

分かっていたのに。

今夜の出演は、〈スサノオ〉だけではない。他にも三バンドの出演が決まっていた。いわゆる対バン方式のライブだった。紗江子はそこも気にいらない。〈スサノオ〉はインディーズとはいえ、すでに集客数千人規模のステージでのライブチケットが、即日ソールドアウトするほどまでに名が知られるようになっていたし、実際、メジャーレーベルのバンドが出演する、夏の大型音楽フェスでも、何度も舞台に立っていた。お客さんと近い空間で演奏がしたいという、バンドメンバーの意見も、もちろん分からないわけではない。コアなファンがいかに重要な客であるかも知っている。だが、ひとつ、どうしても納得できない点があった。

なぜ?今夜、このタイミングで、ここのライブハウスで演りたいと、バンドリーダーのGENは強く希望したのだろう?今まで、私のいいなりに動いていた、バンド内でも一番メジャー志向の強かったGENが。それに、このライブハウスにそんな思い入れがあるなんて、今まで一度も口にしたこともなかったのに。

納得はいかなかったが、バンドの人気を支えているのが、このGENという男である事実は、紗江子が一番理解していた。GENがもし機嫌を損ねて、バンドを脱退するなどと言い出したら、それのほうが大事だ。だから、〈スサノオ〉初めてのフルアルバムのレコ発ライブという、バンドにとって最も重要な舞台を、この「弁天」でやる事に渋々GOサインを出したのだ。

紗江子の本心とは逆に、〈スサノオ〉のメンバー達は、やる気を漲らせていた。

「すげぇ。見てよ、ここ。このサイン、これアマテラスのサインじゃね?何回もここでライブしたけど今まで気づかなかったよ。もう解散したけど、オレ一回くらい同じ舞台に立ちたかったなぁ」

ドラムのユキトが興奮して話す。

「アマテラスか…。懐かしいなぁ。最後にライブに行ったのって、まだ俺が大学のころだったかなぁ」

ベースのリクが、丹念にチューニングしながらしみじみと答える。「もちろんCD持ってきたぜ。ほら、これ〈ベイビーゲーム〉」

 ボーカルのシオンが、コード譜や、ウーロン茶のペットボトルやらが乱雑につっ込んであるビニール製のリュックの中から、一枚のCDアルバムを出す。

「おっ!久しぶりに聴きたい。弁天の楽屋で聴くなんて感慨ぶかすぎて超ヤバい。泣けてきた」

 ドラムのユキトがさらに興奮気味にシオンに駆け寄る。

「バカじゃねぇの…」

 その興奮を一気に打ち消すように、GENが冷たく言い放った。

GENの一言に、一瞬楽屋の空気が止まった。

「い、いや、だって、すごいだろ。バンドマンなら感動して当然だろ?アマテラスのサインだぜ。しかも楽屋に」

 ユキトがおどおどしながらも弱々しく言い返す。

「昔の事だろ?アマテラスなんて、もう若いやつは名前も知らない。解散したのだって、結局メジャーに行ってからインディーズのころのように売れなくて、たった一枚CD出しただけで…。ようは解雇だろ?見ろ、ウィキの記事じゃ、元メンバーは今道路工事のバイトで暮らしてるって書いてあるぜ」

 そう言って、GENは先日発売されたばかりのタブレット端末をこれ見よがしに指先で、シャッと擦って、〈アマテラス〉の記事をユキトに見せた。

「おい。言い方ってもんがあるだろ!アマテラスは俺らの憧れなんだ。解散したとしてもこのアルバム一枚でどれだけ俺たちが救われた事か」

 シオンは音楽の、特に好きなバンドの話になるとつい熱くなってしまうところがあった。

「そういうのがダセぇんだよ。今のスサノオは、アマテラスよりも人気あるだろ?もうとっくに追い抜いてるさ。だいたいこの〈スサノオ〉ってバンド名だって、アマテラスを真似て付けたんだろ?メジャーデビューしたらバンド名変えようぜ。ダゼェしよ。だいたいおまえ、いまどきCDウォークマンまだ使ってるって、奇跡としか思えねぇよ。いちいちその汚ねぇリュックにCDの束詰め込んでよ。おまえのその古いところが大嫌いなんだよ」

 GENは悪態をつくだけついて、ろくにメンバーの顔も見ずに、自慢のタブレット端末で外車ディーラーのサイトを開いて見ている。興味はもうそっちに向かっていた。

 シオンが、GENに殴りかかろうとするのを、ドラムのユキトが両腕を抱え込んでなんとか止めに入った。

「ほら、なに喧嘩してんの!前のバンドのリハ終わったわよ。次はあんたらの番よ。早く準備しなさい。GENもなにPADかなにロイドかしらないけど、ネットばっか見てないで、ギターのチューニングできてるの?」

「紗江ちゃん。ここの楽屋ぜんぜん電波来ないからさっきからすぐ停まっちゃうんだぜ。支配人に言っといてよ」

「バカな事言ってんじゃないの!あんたがどうしてもここでやりたいって言うから無理にブッキングねじ込んだんでしょ!この業界は天狗になったらお終いって何度も言ってるでしょ!」

「おー怖。三十すぎて恋人もいないと女はどんどん化もんになっちまうんだな」

「く!」

 紗江子はなにか言おうとしたが、ギリギリのところで言葉を飲み込んだ。

 〈スサノオ〉のメンバーは各々の楽器を手にして、楽屋を出て行った。紗江子は、舞台袖でなく、ロビーから一旦迂回して、舞台でリハーサルを始めるメンバーを客席から見るようにした。バンドの出音をチェックするのも、マネージャーの大事な仕事だ。

 さんざん悪態をついていたGENだったが、リハーサルが始まると、いつもよりも冴えたギタープレイで、リハであるのに、他の対バン相手が楽屋から見学に来るほどに切れた爆音と流れるようなリフを箱に響かせた。

 そうよ。やっぱりなんだかんだ扱い辛くても、このバンドはGENのギターがあるからここまで成長したのよと、敏腕マネージャーの紗江子も、さっきまでの不満が吹き飛んで、満足そうに演奏に聴きいった。

これならぜったいに売れる。いや、ぜったいに売って見せる。紗江子はリハの試聴をそこそこにして、受付ロビーに戻り、販促用のバンドロゴ入りTシャツを段ボールから出し、発売したばかりのCDアルバムをテーブルに平積みにして、細かい指示を、店のスタッフに的確に伝えた。あとは本番を待つばかりとなった、

本番直前、客入りを確かめるために、紗江子は一度ライブハウスの入り口に様子を見に行った。入口は雑居ビルのメイン玄関横の、狭い通路を奥に行ったところにあるのだが、その通路も人の列が出来ていて、行列は路上まで伸びていた。雨はだいぶ小降りにはなってきてはいたが、依然として、車道を走る車は、水を引き千切る、ビシャーッという派手な音を鳴らしていた。雨でここまで集客できるのも、スサノオの人気の表れであった。

そりゃそうよ。いつもなら千人規模の箱でやってるんだから。いくらなんでもここは狭すぎる。と、紗江子はさっきまでの安心から一転、なんでGENはこの場所にこだわったのか?という疑問が再び沸いてきた。

その疑問も、スタッフの「そろそろ客入れしまーす」の声に掻き消されて、いつもの本番直前特有の、緊張と興奮の入り混じった感情に書き換えられた。

「ほら、暴れてきなさい!」

紗江子はいつもと同じ掛け声で、スサノオを舞台へと送りだすのだった。


    2

 

「スサノオが弁天で演るって、なんかヤバくない?でしょ?やばいっしょ!ありえなくない?いやすごいんだって!」

 莉子は興奮気味に捲し立てた。一緒に連れてこられたクラスメイトの少女も莉子のテンションの高さに呆れ気味だ。

「だって、だって、だってよ!ここ知ってる?あの伝説のバンドアマテラスがデビュー前にホームグラウンドにしてたライブハウスだよ。それを、第二のアマテラスって言われてるスサノオが、レコ発ライブに選んだんだよ!ホントならクワトロとか、頑張ったら武道館でだって出来そうなのに、あえてここよ!この弁天でよ!」

 少女は莉子の言っている話の半分も理解できていない。チケット代おごるからと言われ、しょうがなくついてきたのだ。〈アマテラス〉も〈スサノオ〉もどんなに凄い凄いと言われてもピンとこない。

否、〈スサノオ〉は何度か話には聞いたことがあった。ギターのGENが、ヤバイくらいカッコイイと、クラスメイトが話していた会話を横から聞いたのだ。もちろんその会話の中心には、莉子がどっしりと鎮座していたのだが。莉子は高校の同じクラスで確かに友人であるが、親友と呼べるほどの親しい関係でもなかった。たまたま今日空いてたのが私だけだったから、きっと莉子もそこまで深く考えずに私を誘ったのだろうと、少女はチケット代がタダという話に釣られて来てしまった自分を少しだけ後悔した。

 ああ私は場違いすぎるなぁ。と、少女は、莉子のテンションとは逆に、早く帰りたくてしょうがないというのが本音だ。ライブハウス自体、生まれて初めて来たのだ。たばこの苦い匂いと、エスニック系の甘いお香の匂いがごっちゃになっている空気が、小さな客席スペースに充満していて、鼻について、ひどく息苦しい。

 そういや私、閉所恐怖症だったよなぁと、なにか理由を作って逃げ出そうと思っていたら、時すでに遅く、ライブがスタートしてしまった。真っ赤な色をしたモヒカンの男が、ボディの塗装がボロボロにはげ落ちたギブソンSGを、鼓膜が破れそうになるほどの爆音で掻き鳴らし始めた。

「あれがスサノオ?」

「え?」

「あのモヒカンがスサノオなの?」

「え?聞こえない。なんて?」

 爆音に消されてしまって、すぐ横の莉子の耳にもまったく声が届かない。なんとかジェスチャーを駆使して、あれがスサノオなのか?と、伝えることに成功した。

 莉子は顔の前で、両手で×印を作って、首を大きく横に振った。

 爆音のモヒカンの演奏は、僅か三分ほどで終わり、見ための派手さとは裏腹に、そそくさと恥ずかしそうに舞台袖にはけて行った。

「音大きくない?」

「そんな事ないよ。ライブハウスはこんなもんだよ。まぁ、ボサノバとかならもっと静かだろうけど」

「やっぱりここ苦手だ」と少女は確信した。ちょっとだけトイレと、嘘の理由を莉子に告げ、会場から受付のあるロビーに出た。

ロビーに置いてある、タバコの焦げ跡だらけの、フェイクレザーの赤いベンチに座り、人気のアニメキャラの描いてあるトートバッグに入れたジャスミン茶のペットボトルを出してひと口飲む。お茶はすっかりぬるくなっていたが、一息つけて、少しだけほっとする。   

このまま帰っちゃおうかなぁ。でも月曜日学校で、莉子になにを言われるかわからない。女子のグループから外されるのは困る。お腹が痛くなったとでも言い訳すれば許してもらえるかな。

少女はサンダル履きの両脚をプラプラさせながら天を仰ぐ。といっても、狭いロビーの、やや煤けた灰色の天井がすぐそこに見えるだけだ。ホール入り口の防音扉からは、さっきとは違うバンドの音が、少しだけ漏れてきている。

とりあえず、その〈スサノオ〉ってバンドの演奏だけでも聴いたらいいかなぁと、少女はぬるいジャスミン茶をもうひと口飲んで、同じトートバックからケータイを取り出していじり出す。最近始めたばかりのソーシャルネットワークサイトに「今友達とライブに来てまーす」と書き込む。高校に入ってすぐ、入学祝にと、おばぁちゃんから買ってもらった念願の、カワイイピンク色のケータイだ。子ネコのチャームが付いたストラップが、キ―を押さえるたびに小さく揺れる。

すぐに友達から、「彼氏が出来た」という興味深い返信があって、少女はつい時間を忘れて友達とのやり取りに夢中になってしまう。もう、扉から漏れ聞こえる音も頭には入ってこない。

それからどれくらい時間が経っただろうか。十何度めかの返信を送信したちょうどその時、突然大きな怒鳴り声が少女の耳に響いた。少女はハッと我にかえった。ロビーには少女以外は、その怒鳴り声の主と怒鳴られた相手の二人しかいない。ホールではもうバンドの演奏が始まっていて、誰も出てこようとしない。もちろん、扉の向こうの客達には、怒鳴り声は聞こえていない。


 少女は受付ロビーで、激しく罵り合う二人を目撃する。知らない二人。だが、この偶然が、少女の人生のピリオドを決定付ける事になる。神の悪戯と言うしかない。運が悪かっただけ。たまたま、友達の誘いで慣れないライブハウスに来てしまった不運。会場の爆音に耐えられなくて、場を離れてしまった不運。その夜雨が降っていた不運。要因は数々あるだろう。ただはっきり言えるのは、少女の運命がこの瞬間に決まってしまったという事だ。

 激しく罵り合っていた二人が、人の気配に気づき、同時に少女の方を振り向いた。ぎくりとして、少女は石膏で固められたように動けなくなった。そのくらい二人の視線に強い殺意が感じられたのだ。見てはいけない物を見てしまった。咄嗟に、そう少女は理解したが、少女の未熟な人生経験では、回避を選ぶ術がなかった。

翌々日のニュースは、私立黒谷高等学校の一年生、蟹江百合十六歳が、他殺体で、都内の萌葱公園女子トイレで発見されたと伝えた。死因は首を絞められた事による窒息死だった。下着は着けてなかった。少女はただ運が悪いだけだった。


 

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