死神コバーンと無邪気なコートニーラヴ

垂季時尾

第1話 死神

俺は得意なことさえ上手く出来ない

この超ヤバい才能に祝福されてる気分だ

俺の仲間はみんな一緒、最期までそうだろう


なぁ 最低だな


―(スメルズ・ライクティーン・スピリット)―




 「またいつもの変わらない朝だ。自分にとっては、もはや朝も夜も違いは無い。夜寝て、朝起きる。そんな当たり前の生活サイクルも、とっくの昔に狂ってしまっている。睡魔に勝てなくなれば、自然と眠りに落ちる。眠ったとしても、いつも浅い眠りだ。数時間もすれば、決まった夢で目が覚める。それか、なにも夢を見ないかだ…」

嵩は自分でも珍しく、夜が明ける前に眠りについた。カーテンの隙間から微かに漏れる太陽光が、目覚めて、最初に瞳をチカチカさせる。昨夜は久しぶりに、パソコンの電源を入れ、インターネットではなく、DTM用のDAWソフトを起動させていた。

 DTM。デスクトップミュージックの略。大きなスタジオがなくても、狭い部屋でも録音ができるというメリットがある。シーケンサーという自動伴奏ソフトやシンセの音源ソフトを使い作曲する。

 以前は、単体機器のシーケンサーや、シーケンサー、音源ソフトをひとつの機材に内蔵した、オールインワン型のシンセサイザーを核として、そのような音楽機材で作成した楽曲を、MTR(マルチトラックレコーダー)などの録音機器に落として、その上からヴォーカルやギターの音などを重ねていくというやり方が自宅録音の主流であったが、パソコンが安価になるにつれ、パソコンを核とした音楽制作ソフトの集合体、DAW(デジタルオーディオワークステーション)がDTMの主流となってきた。作成した曲は、パソコン内蔵のハードディスクに記録しておけば容量の許す限り何千曲でも残しておける。嵩も全ての楽曲をこの方法で作成していた。

 録音、ミックス、最終工程のマスタリングまで、椅子に座ったまま、一人ですべての楽曲制作を行う。これだと、誰からも文句を言われることなく、完全に一人きりで、音楽を完成させる事ができる。今の自分には一番合っている制作手法だと嵩は考えていた。音楽性の違いなどでメンバーと揉める事もない。曲を制作している時の無防備でマヌケな姿を誰にも見せなくていい。演奏のほとんどは、シーケンサーで奏でさせれば、プログラミングさえ完璧に打ち込んでおけば、勝手に楽曲を演奏してくれる。譜面が読めなくても、ピアノが弾けなくても、一曲のちゃんとした作品が短時間で出来てしまう。もっとも、他人に聴かせられるほどのレベルの作品を作ろうと思えば、それなりに時間も労力もかかるのだが、時間はいくらでもある。無限にある。

 極端に言えば、もうこの世の終わりの日まで、もしくは自分の命が尽きる日まで、延々と打ち込んでいられる。

 孤独にさえ打ち勝てれば…。いや、孤独は自らが望んで選んだ道なのだと、「孤独」が頭を掠めるたびに、嵩は、心の中でその言葉を打ち消す。


 嵩自身は、DTMと言っても、すべてを機械任せにするつもりはなかった。唯一、他人に誇れる物と言えば、幼少期から、ロックの好きだった父親に無理矢理教えられていたギターの腕前くらいか。小学六年のころには、超絶ギターで有名なイングヴェイマルムスティーンの鳴きのギターを完全に弾けるようになっていたし、ライトハンド奏法もすぐにマスターした。とは言っても、そのころの、父親に無理矢理やらされていた曲たちを、嵩は大嫌いだった。

「子役の寿命は短いから、今のうちに特技のひとつくらい持っておいたほうがいい」

 これが父親の口癖だった。嵩は、物心つく前から、児童劇団に入れられていて、いわゆる子役で、そのころはけっこうテレビやCMにも起用されていた。まだ子どもで、大人の社会の仕組みなどまったく知りようもなかったし、自分のやっている事が仕事だなんて意識もなかった。当たり前のように、オーディションに行かされ、受かると、字もろくに読めないのに、分厚い台本を渡された。生まれつき勘が良かったのか、台本も父親が朗読してくれたその一回で、だいたい頭に入ったし、演技も、自分では分からないのに、なぜか好評を得た。最年少でなにかの映画賞を受賞したほどだった。嵩自身もよく覚えていない昔の話だ。

 母は、嵩と父親が芸能活動する事につねに反対していた。子どもは子どもらしく育てたいというのが母の教育理念だったらしい。そして、子役の寿命は短い事も、母はちゃんと知っていた。

 天才子役とまで言われた嵩だったが、小学校高学年になると明らかに仕事が減っていった。もちろんそうなる未来は、父親も覚悟していた。自分の好きなエレキギターを、無理矢理息子に教えるようになったのも、その先を見据えての、明確なプランがあった。今はダメでも、すでに芸能界に太いパイプはある。またいつの日か、実力をつけて返り咲けばいい。父親も、若いころミュージシャンを目指していた。自分の叶えられなかった夢を、子どもに託すのはよくある話だ。子どもにすれば、迷惑でしかないのだが、親の喜ぶ顔を見ていると、この生き方も仕方のない事なのかも知れないと、嵩は子ども心に思った。

 だが、夢を託すだけ託しておいて、父が業界の女と不貞の恋に堕ちて、蒸発してしまったのは、これは別の話だ。今でも絶対に許せないと嵩は思っていた。まだどこかで生きているかもしれないと考えただけで、吐き気がした。嵩は、まだ幼い心のままで、宙ぶらりんに放り出されてしまった。学校に行っても、落ちぶれた元子役としか見られなくなった。なにも生意気な言動を発したわけでもない。でも、メディアに顔を晒す事がすでに、一般人からしたら侮辱の対象になってしまうのだ。

 嵩は、学校にもまともに行けなくなってしまった。母は、父の情事のショックから心を病み、元々専業主婦だったので、生活保護に頼るしかなかった。世間から見れば、ドラマ出演のギャラもあるだろうし、そのうえ生活保護を受けるなどもってのほかだと、親族にさえ中傷され、母はさらに心を病んでいった。主演ギャラ?あんなもの遠の昔に、父親がすべて持ち逃げして、うちには一銭も残ってはいなかったというのに。なぜ、大人は理解しようとしない。少しでも、歩み寄ろうとしない。嵩は明確な怒りを胸に、人を絶対に信用しなくなった。

 バイトの面接も何度か受けだが、有名人だからといって、すべて断られた。いっそ、すべてのプライドを捨てて「あの人は今」などという、低俗極まりない番組に出ようかとも本気で考えた。

 だが、まだ若かった嵩の心も、母と同じで、もう限界に達していた。外に一歩出るだけで、全身に震えがきて、往来でも吐いてしまう。電車にも乗れない。人ごみが怖い。

 こうして、嵩は中学校にはほとんど行かず、高校にも進学できなかった。そのまま自宅に引き籠るようになった。生活保護でぎりぎり食いつないではいるが、今着ているスウェットだって、もう三年も着続けていて、至るところに穴が開いてしまっている。散髪にも行けず、髪も伸び放題だ。母との会話もない。

 時々、本当に死んでいるんじゃないかと、母の気配を探るくらいだ。この生活に、朝も昼も、時間の流れさえも、もう関係はない。嵩は死んでいるのと同じだ。ギターの練習中に一七歳で感電死した山田かまちのように、ある日突然に、理由もなく死ねたらどんなに楽だろうにと、本気で考えつつ、なにに未練があるのか自分でも理解できないまま、こうやって、父親が唯一残していった、少し古い型のパソコンと、一世代前のDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)ソフトで、夜な夜な、不毛な楽曲をデータに残している。親父の失踪のあと、安い家賃のアパートに引っ越したので、大きな音は出せなかった。だから、ヘッドフォンは必需品だった。誰にも聴かれる事のないギターのリフを、傍から聴けば、間の抜けた素の鉄弦の音だけをチャカチャカ外に漏らして、得体のしれない夜中の不安を振り切るように、かき鳴らした音を、パソコンのデジタルデータに変換させていく作業。金に変わるわけでもない、ただ、不安を掻き消すだけ。脳のアドレナリンが溢れ出て、少しだけ楽しい気持ちになれる。一瞬でも現実を忘れられる。

 そして、ようやっと、そろそろ休めと睡魔が囁いてくれる。

 もう五年もこの生活が続いていた。

 もし高校に進学していれば、嵩は今年卒業するはずの歳になろうとしていた。

 あの子に出会わなければ、本当にこのまま朽ちていたかもしれない。嵩にとって、とても哀しく、一生忘れられない夏になった。

 だが、あの夏が無ければ、嵩はもう空を見上げる事も無かった。喪失し、再生し、人が己の成長を止めることは、自分の意思ではコントロールできない。それを運命だと言い変える事もできるだろう。しかし、同時に「意思」だけでなく「意志」も無ければ、その一歩を踏み出せはしない。(死を選ぶのだって意志が必要だ)

 ほんの些細なきっかけ。嵩は部屋の中で、メッセージインアボトルを拾ってくれる海の向こう岸の住人を、ずっとずっと待っていた。


 2012年のあの夏は、唐突に向こうからやって来た。


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