敷島晴海の事情-Ⅱ
■
昼休み。
突然にかかってきた電話に、あたしは肝を冷やされた。
「ごめん、ちょっと電話ー」
「あいあい行ってらー。ねえ、本条くんでしょそれ? 言っといてよ、今度また一緒に勉強しましょうって。小テストの結果良かったんだー!」
にこにこと隠しもしない下心で笑う宮岸さん。最近はその味がわかってきた――彼女は付き合ってみれば印象が変わる相手の典型で、喜怒哀楽に裏表が無い素直な子なのだった。
それを愛嬌と取るか否かは各人に委ねられるところで、あたしがこうして友達をやっているのはつまりまあそういうことだ。
――そして。
『こんにちは晴海。一月経つわね。経過は順調?』
それをもたらした相手は、最後に会った時と同じ口調で尋ねてきた。
「うん。おかげさまでうまくやってる。あんがと燕、今回は何とか大丈夫っぽい」
『それは善哉。我が事のように嬉しいわ』
「お、そう言ってくれる?」
『ええ。自分の関わった仕事が成功したのだから』
ひゃー大真面目に言うなあコイツ、とトイレで戦慄するあたし。
ドライっつーか、クールっつーか、どうにも目線が違うっつーか。
「ヤな感じー。燕はあたしの幸せを祈ってくれるものだと思ってたんだけどー?」
『買い被りだし愚かよ晴海。祈り程度でどうにかなるほど、この世は柔でないでしょうに。まあ、骨を折ったならば話は違ってくるけれど』
「お? お、お、お、おー? さすが円芭校生サマ、自分の技術に自身がおありでいらっしゃるにゃー」
『当然。己に期待を持たないで、一体何に縋れというの。人が真に自由に出来るのは、自らの能と心だけよ』
「はーはーそですかー。んじゃあ早速それを覆すと致しますかー。今日の放課後、四時過ぎに来てくれる、本条くん? 中間に備えて勉強教えて欲しいの。勿論こっちのトモダチも一緒にねー!」
『良くってよ。これからも、遠慮なく脅して頂戴』
ご利用ありがとうございます、と言われて電話は切れた。
……おっかしいなあ。なんでだろなあ、どうしてこうなるだろなあ。
もう少し和やかにお礼を言って、その為に会おうよって話をして、そんで何をしようかなってワクワク放課後を迎えるつもりで個室に駆け込んだんじゃなかったっけ?
「……燕の、ばか」
悪態ひとつで、表情を戻す。
切り替えて教室に戻り、岸原さんに『放課後会えるってー』と告げれば、【迫る試験に向けた学力強化の為に今日は部活を休みます】と連絡すべく職員室に向かって一目散。
ううむ。
宮岸
■
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
「私はチーズケーキとドリンクバー。本条くんは?」
「水」
「か、かしこまりました……」
やばい。
テンションがやばい。
人はたった五分でこんなにも落差が生まれるものなのか。
宮岸さんたちが七時過ぎに解散して、今回も役目を終えたとばかりに変身を解こうとした本条くんを、『もうちょっとだけ話さない?』と手近なファミレスに連れ込んだ矢先にこうなった。
その眼力といえば、ウェイトレスさんも引くほどだ。
「あんたさあ」
「うん!」
「寂しいんなら、彼氏作れば?」
「ううーん!」
その姿でとんでもないことを言うね!
そして何気に痛いトコ刺してくるね!
「や、そりゃあたしも女子ですし? 人並みにその、青春と愛にかける熱意とか展望とかありはしたんだよ?」
「ふーん」
「でもさあ」
その。
自分でも、妙だとはわかっているけれど。
「ここのところ、彼氏かー、って考えるとね。……まず真っ先に、この顔が思い浮かんじまって」
苦々しく、鼻先を指差す。
宮岸さんとかならわかる。あの人たちは彼のことを、実は変装した女子だと知りはしない。
だけれど、真実を知った上で尚“本条くん”がちらついてしまうあたしは、どうかしてるんじゃなかろうか。
「男子と付き合うのに、私にとって【本条文弥】より理想的な相手がいるのかなって……そんなことを思うのさ……」
イケメンだとか、肩書きだとか、そういう部分を差し置いても、しっくりくる。
優しいし。
気が利くし。
一緒にいて、楽ちんだし――
「――落ち着くの。心がなんか、ふわってなる。気を張らなくていいんだ、って気持ちになれる」
「そりゃそうだ。だって、そういうふうに演じてんだから」
しれっと。
本条くん――燕はそう言って、意地悪に笑う
「あたりまえじゃん。俺が
「……燕」
「人間関係なんてのは、化かしてナンボだ。痛々しい本音を振り翳して、自分の
隠しとかなきゃあ、本当の気持ち《そういうの》は。
「また、小学校の時みたいなのはゴメンだろう?」
それで、十分だった。
泣きそうなぐらい、伝わった。
「心配してくれてるんだね、燕」
「どうとでも好きに取れば。あと、本条な。今は」
“自分にとって都合のいいだけの人物”。
それは誰もが求めていて、そして、目の前に現れたとしても信じてはならない幻想。盲目に追い掛ければ、手酷い目に合う蜃気楼。
だからこういうことを言う。
燕は、【本条文弥】は、『苦々しいもの』としてあたしに接し、バランスを取る。
夢に酔う馬鹿なあたしが、忘れないように。思い違わないように。
昔みたいに、ならないように。
「ねえ。燕は、なんでそういうのを始めたの?」
本題を切り出す。
再会を思い出す。
一月と六日前。
昔、離れ、そして帰ってきた故郷の町で見た、思わず手を引き呼び止めてしまうほどの、変わりよう。
「新しい趣味を持つのに、“楽しそうだったから”以外の理由があるかな?」
上っ面の笑い。
立ち上がった彼女の、前回、あの淡々としたものとも明確に違う――『これ以上踏み込むな』という意思の伴った眼に、あたしはソファに縫い付けられる。
そして、自分は何の注文もしていない会計の代金を置いて、彼は去る。一人で帰る。その隣に、誰も伴う相手も無く。
「――山原さん」
口をついて出たのは、懐かしい呼び方。
あたしたちがこんな関係になるより前の、四年振りの六文字。
それに、
「はい?」
通り掛かりだった、中学生の男子が反応した。
え、と思う。
こちらの困惑を余所に、彼は私をまじまじと見詰め、
「……もしかして。敷島、晴海さん?」
「え、は、は、はい、そうです、けど」
「やっぱり! どうも、ご無沙汰してます、
人懐っこい笑み。
はきはきとした声。
それは、つい今しがたまで側にいた誰かを、痛烈に思い出させる雰囲気で。
「ふわあぁあ、すっごく綺麗になってたから、一瞬わかんなかったなあ! そうだ、姉貴にはもう会いました? 小学校のころ、めちゃくちゃ仲良かったですよね、二人とも!」
良ければ連絡を取りましょうか、と。
四年振りに顔を見た、椿くん――山原椿くんは、きっと親切心で尋ね、
「ああ、あと、一応」
そして、
「今は僕、【山原】じゃなくって、【本条】です」
とても重要なピースを、はにかみながら渡してくれた。
■
その次の朝。
敷島晴海は、家族の誰もが起き出す前に、ひとつの決意と共に、家を出た。
何しろ一晩中頭を回転させていたもんで、多少の疲れは仕方ない。
けれど、気分は弾んでいる。
この上も無く、朝陽が優しい。
ハイテンションも極まって、近所のおばちゃんに昔みたいに挨拶をしたのだけれど、向こうはなんともきょとんとした顔だった。
――うん。
成程、こりゃあ、確かに。
「ヤミツキにもなっちゃうわけだ」
さて。
随分と、時間は掛かってしまったけれど。
今こそきっと、四年分の経験を生かす時だ。
そう、それ即ち――
――自分の立場を、手に入れる為ならば。
耐え忍ぶだけではなく、挑まなければならない時がある。
「おまたせ。もっと、楽しく生きようぜ――燕」
青い空に、鳥が行く。
羨ましく思いながら、しかし追い掛けはせず眺めて見送る。
とてもとても、清々しい寂しさで。
そうだ。
どう足掻いても地上の事情に縛られ続ける我々は、
そのことを受け入れたなりに、見つけられる楽しみがある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます