緑の織手

片山順一

緑の織手

―1―


 まさか、家を追い出されるとは。

 それも、宿題の取り掛かりが遅いくらいで。


 おかんの言い分は分かる。

 自慢じゃないが、ぼくは夏休みの宿題を無事に全て提出したことは一度も無い。

 問題集だとかは、どうにか帳尻を合わせるんだけど。

 自由研究とか、絵とか、感想文とか、日記が最悪。

 8月31日にいくらもがいても、埋めようがない。


 成績はいいとか、先生が意地悪だとか、ありきたりな文句を言うくらいなら。

 せめて人より、早く取り掛かり、期限通りに終わらせる。

 そういう約束しといて、ゲーム三昧のぼくが心配なのは分かるけど。


 だからって5月の初めに、夏休みの宿題用の種か苗買ってこいってどうだろう。

 しかも夜の10時前に。今をときめく13歳のショタっ子のぼくに。


 さらに言えば、都合よく歩いて5分でホームセンターがあるのもどうなんだろ。

 しかもお店の名前まで『ドーナン』だもんね。


 全国チェーンのホームセンタードーナン、三呂市さんろし鱒磨ますま店。

 ほかは知らないけど、結構大きい方なんだと思う。


 横に長い建物の入り口前には、柵で囲ったスペースに、向かって左が苗や種の置き場。

 右は資材置き場。店内には、ぼくの部屋をいくつ作っても無くならないくらいの本棚やら壁紙、柱に内装、あらゆるものが置いてある。

 お菓子とか、プリント用紙とか、文房具に、昔雨の日に買ってもらった微妙な安売りDVDまである。全部用はないんだけどね。


 5月となると、昼は結構暑くて、夏と間違えそうになる。

 けど、涼しい夜気は、まだ春の終わりなんだと思わせてくれる。


 ぼくは外の苗を見て回っていた。

 今はちょうど、夏野菜の苗を植える時期だ。

 トマト、ナス、ピーマン、ししとう、すいか、かぼちゃ、とうもろこしに、メロン、まくわうり、ゴーヤ。


 結構売れるみたいで、わりと数がそろえてある。一種類について、最低十数個はプラスチックのかごとか、段ボールに入れてある。


「トマトにするかな……」


 園芸部の幽霊部員のぼくは、ちょっとした知識を持っている。

 トマトは育てやすい。小学生のときも、プランターで育てたのは、プチトマト。小さい子でも、簡単に作れるという、何よりの証拠。

 それを枯らして、ひとつも食べられなかった黒歴史があるけど。


 だからこそ、苗の時点での厳選が大事。

 ある程度緑が濃くて。茎が太く、どっしりしてて、花が咲いてないやつ――。


 あった。

 手を伸ばしたそのときだった。

 黒い影みたいなものが、いきなり飛び出して来て。


「いたっ! いたた、なんだこいつ、ああああっはなせこら!」


 リスだ。でかい尻尾をぼくの手首に絡め、てのひらに噛みついている。

 動物は嫌いじゃないけど、こんなのなら保健所で即処分だ。


 たまらず柱に叩き付けようとしたところで。

 今度は服のすそを引っ張られる。


「何だよ! 今いそがしいんだ! こいつをはがさないと……」


 怒ろうとして、動きが止まる。

 目の前の女の子が、ぼくの好み過ぎたから。


 そう、見た目は大体、11歳くらい。

 ひょろっと長いこのぼくの、胸あたりの背丈。

 大人しく清潔で、礼儀が正しい感じだけど。

 どこか夢見がちで、ぬいぐるみとかが好きだと完璧。


 夢みたいな姿が、ぼくの目の前に現れた。

 小熊を思わせる、真っ白なふわふわのフード付きケープを羽織って。

 ひざ丈に少し足りない、清潔なワンピースドレスに、サンダル。

 しかも、病的にならない程度に、真っ白い肌。しとやかさの証拠じゃないか。


 そんな子が、ぼくのシャツの裾を引いて、上目づかいなんだから。

 リスの一匹なんて、どうってことはない。


「謝るから、やめてあげてください。おねがいします……ギイは、必死で」


「……いやあ、なんでもないよ、なんでも。ほら、なかよしだから」


 ギイと呼ばれた黒リスは、撫でようとするぼくの手をにらみ、前歯を剥きだす。

 女の子の目に、おびえと警戒の色が浮かぶ。


 動物がなつかない奴は、大抵悪役だってのに。

 話題を変えなきゃ。トマトの苗を、見ているみたいだけど。

 

「ねえ、この苗大事なの? 確かにいいやつだけど、もうちょっといいのもあるよ。一緒に選ぼうか」


「いえ、あの、その苗でないと」


 言いかけた女の子の懐、ワンピースに隠れた薄い胸の中から、ぼんやりとした光があふれてくる。薄い緑色、草木の若芽を思い出させる穏やかな波長だ。


「……なに、それ?」


「こりゃ驚いた、見えるのか、あんちゃん」


 ギイが、リスが喋った。渋いおっさんの低い声だ。


「ミリク、父さん呼べよ。久しぶりだろ、素質のあるやつは」


「え、で、でもこの人の」


「ああ、いいや。もう来たぜ」


 ばさっ、という音がした。目の前が真っ暗、ほっぺたや手が、ちくちくする。

 袋か何かをかぶせられたのか。抵抗しようと体をよじるけど、袋の中はバニラみたいな甘い匂いが充満している。かいでいると、感覚がぼやけてきた。

 ありえない。近所のホームセンターで、誘拐されるなんて――。



―2―


 体が揺れている。

 痛みは全然ないけど、誰かに運ばれているらしい。

 お腹を軸に、体を曲げてるみたいだから、多分肩に担がれてるんだろう。


 相変わらず真っ暗だ。バニラの匂いはだいぶましになったけど。


 ぼくはどうなるんだ。なんでこんな目に遭わなきゃならない。

 女の子に声をかけたから、宿題をやらなかったから。

 園芸部でもろくすっぽ活動してないから。

 それともそういうの全部のせい、明らかにいい加減な生き方のせいか。


 怖さと後悔が押し寄せて来る。鼻の奥がつんと縮まる。

 唇を噛んでも、嫌な感じの涙があふれそうになる。


「……あの、大丈夫ですよ」


 鈴の鳴る様な声だった。ほっそりした柔らかい手が、袋越しにぼくの背中に触れる。


「いきなり、ごめんなさい。すぐ、着きますから、心配しないで」


 あの子、ホームセンターで見た、あの子の手だ。

 心臓の鼓動に寄り添うように、優しくゆっくりとぼくの背中をなでる。


「わけは、お話します、理由も見せます。今は、心配しないで、大丈夫ですから」


 ぼくよりまだ小さいのに、なぜこんなに温かい声が出せるんだろう。

 バニラの匂いが、またやってきた。

 今度は心を落ち着けて、穏やかに眠りに誘っている。


「貧弱なやつだなー、使い物にならねえかもよ」


「ギイ、だめ。そんなこと言わないで。お父さんは、どう?」


「……分からん。こちらの者の事は、全く」


 低い声、頭の上から聞こえた。多分、ぼくをかついでる、この子のお父さん。


 意識が遠のくけど、もう怖くはない。事情が分かるまで、またひと眠りしよう。


 袋の不快な感じが無くなってる。体が、揺さぶられてるのか。


「うん……何、ですか」


「何ですかではない。いつまで、呑気をこいておるか」


 年寄みたいな口調だ。でも年取った声じゃない。

 どっちかっていうと、あの女の子、ミリクをちょっと低くした感じだ。


 目を開けると、紫のフードが目に入る。

 ぼくの体は、ベッドに横たえられていたらしい。


 フードが動く。その下から出て来たのは、紫の髪に、異様な色の皮膚。

 大げさに言ってるんじゃない。本当に、青白い色の皮膚だ。

 というか、額から2本の角が出てる時点で、もう普通の人間じゃない。


 でも、顔の造詣は将来確実に美人の部類だ。ミリクと同じくらいだろうけど、どこか冷たい、端正な整い方をしている。


 香水か何かの匂いをさせながら、悪魔っこがぼくの隣に座る。

 細く軽い体に、思わずどきっとする。

 先っちょが三角になった尻尾をにょろりと動かし、見ているのはぼくの財布。


生花いけばな隆見たかみか、平凡でもないが、半端な名前じゃのう」


 財布の、生徒手帳を見たな。余計なお世話だ。


「ま、良いわ。わしはギニョル。ミリクの母じゃ、よしなに、のう」


 ぼくにしだれかかり、上目遣いをくれる悪魔っこ。これ、明らかにこの年頃の女の子の動きじゃない。本当にお母さんなのか。戸惑うぼくにくすりとほほ笑むと、ギニョルはベッドを降りた。


「何をしておる、早く来ぬか。我が娘も、我が伴侶もぬしを待っておるわ」


「え、あっ、はい」


 色々聞きたいことはあるはずなのに。まるで糸で引っ張られるように、ぼくはギニョルに付いていった。


 照明は少し薄暗いけど、意外と広い家だ。周囲に他の家は無いけど、小高い場所にあるみたいで、途中の廊下で窓の外から見えた明かりの中には。


「ドーナン……?」


 さっきのホームセンター。

 この位置、ぼくの家の近くの山の中。ぼくの家は、山を切り開いて作った住宅地だから、綺麗な新しいマンションの間に、昔そのものの農道や、畑、田んぼがある。そういう山の中に建っているのだろう。

 小さい頃からあっちこっちの山で遊んでたわりに、そんな洋館記憶にないけど。


「どうかしたかや? 隆見よ。怪我でもしておるのか」


「あ、いえ……」


 聞き出せる雰囲気でも無い。ギニョルについて、歩く。

 茶色い、板チョコみたいなドアを開くと、ぼくは客間に案内された。


 革張りのソファーとか、シャンデリアに近い電球とか、きちんと燃やした跡のある暖炉とか、調度品も豪華だけど。

 それ以上に、変なものがごろごろ置いてある。

 魚と鹿が交じった様な、見たことも無い動物の頭蓋骨。花弁に生えた歯をかちかちと鳴らす食虫植物。極め付けは、虹色のキノコがいくつも生えた、とげとげの太い木の幹。


 奇妙な部屋の中心で、2人と一匹がソファーに座ってる。

 ミリクに、ギイ、それにたぶん、ミリクの父親も。

 

「お兄さん、目が覚めたんですね」


「うん。でも一体どういうこと。ぼくをさらったりして」


「それは」


「わしから説明しよう。ぬしには、この光が見えるかや」


 ギニョルが薄い胸元から出した、振り子の様なもの。

 黄緑色に光っている。ホームセンターで、ミリクの胸元が光ったのと同じ様に。


「……顔で分かるな。見えているぞ」


「キキキキ、当たりだぜ、大当たり。まーた、礎が増えた」


「ギイ、そんな言い方無いよ。まだ協力してくれるかどうか分からないんだもん」


「そうじゃの。隆見よ、わけがわからんじゃろうが、この光が見えたそなたには、ちょっとした素質がある。もうしばらくわしらに付き合って欲しい、今晩のこと、親御さんには伝えておこう」


 そんなこと急に言われても、拉致されたうえに要求に付き合えだなんて。

ムシが良すぎる話じゃないか。

 むっとしたぼくを察したのか、ミリクが頭を下げて来た。


「あの、お願いします、本当に、今夜一晩だけでいいんです。悪い事じゃないですから、見るだけ、見てみてください。私たちの、世界の事」


 必死に頭を下げるミリク。それに対して、他の3人はそうでもない雰囲気だ。

 期待されてないってことだろうか。


 なんかむかつくな。見てろよ。


「分かりました、付き合います。おかん達には言っといてくれるんですね」


「お兄さん……」


 まぶしそうにぼくを見上げるミリク。3人は意外そうな顔だ。ざまあみろ。



―3―


 ぼくが答えると、ミリクの父親が立ち上がった。


 いや、本当に父さんか。なんか男の人にしては、ずいぶん雰囲気が綺麗というか。薄化粧でもしてるのか、ミリクくらい肌が白いし、すらりと背が高い。豊かな黒い毛は肩までふさふさ。ぼくの父さんと同じとは思えない。


「ではよろしく、隆見よ。私はレノウンだ。月が満ちる、ギニョル、行こう」


「そうじゃの。魔法陣の調子も良いわ」


 魔法陣だって。外を見れば、家の周囲の地面に、太い電飾みたいなものが輝いてる。

 薄緑色の光、ミリクやギニョルの振り子と同じだ。


「へへっ、2週間ぶりだぜ。牙がうずきやがる」


「ギイ、危ないことはしないでね」


「俺が良くても、連中が来たら仕方ねえだろ」


「そうだけど……お兄さん、落ち着いてくださいね。きっと、私たちが守りますから」


 もしかして、危険な場所に行くんだろうか。


「魔力が高まっておる。戻れるぞ、我らの世界へ」


 ギニョルが振り子を掲げた。地面の魔法陣、家の壁、すべてのものが共鳴し、濁流の様な音があふれる。光が際限なく強くなり、視界が覆われる。ぼくは思わず両耳を覆ってしゃがみこんだ。

 体の感覚が失われていく。でも眠るときとは違う。うまくいえないけど、ぼくの存在そのものが、だんだんあいまいになっていく様な。


 ――感覚が戻って来た。光が退いてきた。同じ家の、同じ部屋だけど。

 何か妙に明るい。この家、照明はそんなに強くなかったはずなのに。


「……さあ、来たぞ。相変わらずだ、我らがアランドの地は」


 ミリクの父さん、レノウンがカーテンを開けた。

 嘘だろう、と思わずつぶやく。

 家の外には、雲一つない真っ赤な空。

 太陽らしき真っ赤な発光体が、2つも浮かんでいる。


 地面には砂と、ごつごつした岩。理科の資料集でみた、火星の光景みたいなのが、延々続いている。


「こ、これどういう事なんですか、一体」


「騒ぐんじゃねえよ。お前俺達と来るって決めただろうが」


「そうだけど……うわあっ!」


 声のした足元を見て、後ずさる。

 ギイ、ギイなのかこいつ。

 黒い毛並みは変わらない。動物であることもたぶん変わらないんだろう。


 けど、十数センチの小生意気な黒リスがなんで。

 2メートルもある、でかい黒ヒョウになってるんだ。


 おびえるぼくの手を、ミリクがそっと握る。


「お兄さん、それがギイの本当の姿です。このアランドでは、お父さんやお母さんが、本当の姿になれるんです」


 言われてみれば、レノウンの姿も違っている。どことなく浮世離れした感じだったけど、サラサラの金髪に、真っ白い肌、あのとがった耳、エルフってやつだろうか。完全に普通の人じゃない。


「うむ、やはりアランドじゃな。この干からびた魔力、へどが出るが故郷じゃ」


 一方ギニョルは、あっちと同じ姿だ。魔力とか言ってるけど、そんなの本当にあるんだろうか。

 いやある、使えるんだ。さっきの魔法陣、こっちに来るときに魔法を使ったのは、多分このギニョルだ。


「説明に移ろう。ついて来てくれ」


 途中寄った部屋で、レノウンがポットに入った花や野菜の苗をかついだ。

家を出ると、また奇妙な景色だった。

 レノウンの開けた窓の方は、砂漠だったのに。裏から出ると、柵に囲まれた村になっていた。村、というより、バラック、スラム、と呼べばいいんだろうか。


 足元は土と砂、石の中に雑草が交じってる。外とこっちを覆う壁は、コンクリートのブロックを積んで、セメントでくっつけ、ペンキか何かを塗ったもの。建物もばらばら。同じようにコンクリートを積んで、屋根に波型のプラスチックを張った小屋とか、セメントのレンガを積み重ねたもの。


 これもしかして、全部ホームセンターで売ってる材料じゃないか。


 というか、レノウンと同じエルフが、ツナギ姿でセメントをこねたり、ブロックを積んだり、鉄の棒を切ったりしてるから、多分そうだ。道具も、製材のコーナーで見たものが結構ある。


 ここは、アランドは、エルフが居て、魔力っていうのがある、ファンタジーみたいな場所だろうに。なんでそこに住んでるはずのエルフが、ホームセンターの材料で、みすぼらしい建物を建てているんだろう。


 ちぐはぐだ。真っ赤な家の外も、この村も、住んでる人も。


 レノウンやギニョルは、作業してるエルフに挨拶したりしながら、歩みを進める。

 数分歩くか歩かないかのうちに、ぼくたちは中央の建物にぶつかった。


 いや、これ建物って言っていいのか。互いに幹をくっつけるみたいに、まっすぐな太い木が何本も生えて、壁みたいになってるんだ。太さは杉に近いけど、上の梢は、どんぐりの木に似ている気がする。

 右の根元からは、水が流れて、村を十字に切った溝に入っていた。溝は、コンクリートブロックの下にもぐって、そこから先は分からない。


「ミリク、頼む」


「はい、お母さん」


 ギニョルから受け取った振り子を、ミリクが幹にかざすと。

 まるで自動ドアみたいに、幹の形が変化して、入口が生まれる。

 やっぱりあの黄緑色の光だった。


 木の中は、別世界だった。学校の中庭くらいの広さに、花壇や野菜の畝、見たことある木や、無い木の苗がある。丈の短い、芝みたいなものが地面を取り巻き、小さな池もある。


 中央には、大人が2人を縦につなげたくらいのばかでかい切り株。

 レノウンとギイが物も言わずに切り株へ駆け出す。ミリクも、ギニョルもついていく。ぼくも迷ったけど、従うしかなかった。



―4―


「おお何という温もり。やはりアランドの木、我らの森よ、清浄なる森の魔力よ」


「にゃあ、ごろごろ、にゃあ、にゃあ~」


 一人と一匹がまたたびで狂った猫状態になっている。この木は相当貴重なものなんだろうか。やれやれとため息を吐き、ギニョルがその脇に座る。こっちも気分は悪くなさそうだ。


 ミリクは微笑みながら、親御さんを見守り、切り株に座った。振り子をかざすと、緑の光が反応して、切り株の中央、年輪が色づき、線を描いてく。

 これは、地図か。青いのが海や川、茶色っぽいのが陸。その中に、緑色の点が2、3か所ある。


「心なしか、大きうなったかの。ミリク、緑の織手の仕事、頼めるか」


「はい」


 振り子をワンピースの胸元にしまうと、レノウンが持ってきた苗を持ち、花壇の一画へ向かう。手が汚れるのも構わず、黒い土をかきわけて、花を植えていく。


「ううむ……まだ先は長いのう。織手が増えれば良いのじゃが」


「森が戻るのに、どれほどかかるか」


「愚痴るんじゃねえよ、ご主人。ミリクは良くやってる、こいつが使えりゃもっといい」


 3人の視線がぼくを向く。聞きたいのはぼくの方だ。


「あの、いい加減に教えてください。ここは何なんです、あなたたちは、ミリクは何をしてるんです」


「ここはアランド。私達の世界。魔法の素である、豊富な魔力に彩られ、様々な生き物が住まう、美しい世界だった。ギニョルの様な悪魔も居たがな」


「もうそのことは良かろう。こうなっては種族も何もあるまい」


「……そうだな。今の私たちの様な争いが元で、魔法を使った戦争が起き、やがて世界に広がった。私の様なエルフも、ギニョルの様な悪魔も、最も多かった人間達も、お互いを倒すため、世界中で思うがままに魔法を使ったのだ。後の事も考えずにな」


 レノウンの苦い表情。何かに似てる、そうだ、環境破壊を語るときの、学校の先生みたいだ。ギニョルが、レノウンの肩を抱く。女の子と大人の男に見えないくらい、長年連れ添った雰囲気だ。


「気づいたときには、遅かったのじゃ。全ての種族は、争いの果てにその数を大きく減らし、魔力の枯渇した土地は、お主が見た様な赤い砂漠と化した。砂食いの他、どんな生き物も住めず、魔法も使えぬ不毛の地じゃ」


 真っ赤な光景、不気味な岩と砂だらけの外。この木の外、コンクリートブロックの外は、そんなものが世界中に広がってるのか。ということは、この地図の茶色、全部赤い砂漠なのか。これがこの世界全てだっていうなら、もう――。


 俺にも言わせろ、とばかりに、ギイが鼻面を突きだしてきた。


「俺達、森の獣はいい迷惑だぜ。ヒトガタどもの争いで、住処も食い物も無くなって、砂食いに狩られて、いろんな種族が根絶やしになった。望みは、お前らの世界に生まれる、緑の織手だけだよ」


 緑の織手。ミリクのことだろうか。いや、ここまでの話で言うなら、多分ぼくもか。

 ぱらぱらと音がする。森の中で雨に降られているかの様だ。ざわざわと枝や葉がうごめき、落ちて来る水を端にある池に誘導している。

 砂漠といっても、雨が降るじゃないか。こうして植物も育つし、本当に不毛ってわけでもないんだろうか。

 恵みの雨だというのに、3人の表情は厳しい。


「来たな。新入りの織手を狙っておる」


「爪と牙がうずきやがる、ぶっ裂いてやるぜ」


「殺しは野蛮だが、奴らだけは別だな」


 ギニョルも、ギイも、レノウンも。殺気っていうのか、怖い雰囲気を抑えることなく立ち上がる。ミリクが作った出口から、外へと飛び出していった。


 後に残されたぼくは、仕方がないのでミリクの所に行った。

 もくもくと、苗を植え続けるミリク。花は終わって、野菜の苗、ぼくが渡したトマトの苗もあるらしい。


「ねえミリク。大変な世界だっていうのは分かったけど、織手って何。そうだ、魔法は使えないんじゃなかったの。君はなんで、魔法みたいなことができるの?」


「緑の織手は、赤い砂漠に草木を育み、魔力を回復させられる者です。アランドの魔力を使い尽くし、大地に嫌われた住人と違って、魔力が味方してくれるんです。こんな風に」


 ミリクが振り子を掲げると、苗木から梢が伸び、網の目の様に絡み合い、小さな葉っぱで満たした。かと思うと、色とりどりに紅葉し、画面みたいな映像を作った。

 これが魔法か。黄緑色の光は、魔法の光だったんだ。


 葉っぱの映像が動く。鮮明なものだ。岩のパーツを砂でつないだ、ゴーレムみたいな怪物が、赤い砂漠から湧いて出る。何十体もの軍勢相手に、エルフや悪魔、動物たちが戦う。


 レノウンは皮の鎧をまとい、動物の牙や枝を削った短剣で、次々に怪物を倒していく。足を払い、バランスを崩させた拍子に、覆いかぶさる様に頭を貫き。肩を突きさし、回り込んでは喉笛を裂く。続くエルフ達も、ある者は剣を振るい、槍やこん棒も使って、戦う。


 ギイは唸り声を上げ、砂食い達に牙を突き立て、爪を振るう。怪物から怪物へ、飛び移る様にして一体ずつ確実に仕留めていく。まるで黒い風だ。後を追う同じ黒ヒョウや、狼の群れも容赦しない、腹やのどを次々に食いちぎっていく。


 ギニョル達悪魔は、驚いたことに銃を使ってる。多分、こっちの世界から入手したのだろう。AKっていうのか、ニュースで振り回しているのを見たことがあるもの。マガジンがいっぱい入った箱の周りに固まり、補充しながらがんがん撃って、自分たちに近づけなくするのはもちろん、レノウン達エルフや、ギイ達動物の援護もこなす。


 優勢かと思ったけれど。狼が何匹か、砂食いの拳を食らって動かなくなったり、エルフが怪我をして引いたりしている。楽な戦いじゃないんだ。


「……これ、こんなことを、ずっと」


「はい。砂食いは織手を、魔力を狙います。枯渇した赤い砂漠でしか生きられないですから。魔力は砂食いにとって毒なんです。それを生み出す織手は敵です」


「なら、ミリクが危ないじゃないか。それに、向こうでも暮らせてるんだろ、わざわざこんな世界に戻って来なくたって」


「どんなになっても、戻りたくなるから、故郷なんですよ。きっと、お父さんも、お母さんも、ギイも。私はかなえてあげたいんです、みんなの願い。この世界を、もう一度魔力で満たすこと」


 無理だ。子供のぼくにでも分かる。

 一面の砂漠に、この小さい村。地図から見たらただの点だった。

 あんな点を、生き残りで守りながら広げていくなんて、何百年、何千年、何万年かかるか分からない。おまけに、たった一回砂食いが襲っただけで、この騒ぎじゃないか。


「どうか、協力してもらえませんか、隆見さん。アランドをもう一度魔力に満ちた世界に戻すには、一人でも多く、緑の織手が必要なんです」


 答えは決まってる。

 勝てない戦いは、したくない。終わりの無い事になんて、関わりたくない。

 いつもいつもこなせない、読書感想文や絵と同じだ。

 結果の保障されない努力、やっても傷つくだけの努力は意味がない。


 でも今ここで、そう答えるのは――。

 黙っているぼくに近づくと、ミリクは肩に手を置いてきた。


「……無理にとは言わない約束でしたからね。あちらに帰りましょう、私達のことは、黙っておいてもらえると助かります」


「ごめんなさい」


「いえ、無茶でした。また織手を見つけたときは、あんな強引なことしないように、ギイやお父さんに注意しますね」


 負ける事が分かっている戦いに、誰が協力するんだろう。

 ミリクが、振り子を掲げようとしたときだ。


 木の外側で、大きな音がした。何か固い物が激しくぶつかったような、低くこもった音。ばらばらと崩れる様な音も一緒だった。

 ミリクが木の壁に駆け寄る。開いた隙間からは、恐ろしい光景を見た。


 壁の3倍はあろうかという、巨大な砂食い。岩と砂の化け物が、壁を崩したのだ。悪魔達の銃も、エルフの枝や動物の牙でも、効果が無いらしい。


「……隆見さん、魔法で帰ってください」


「えっ、でも」


 戸惑うぼくに、ミリクが振り子を押し付ける。


「この振り子は魔法の媒介です。起こしたいことを強く願えば、魔力がこたえてくれます。帰りたい、危ない目に遭いたくないって願ってください。今夜のことは夢です。きっと帰れますから」


「で、でもミリクたちは」


「逃げることは、できないんです。私はアランドに生まれた、父さんや母さんと生きることに決めたから。きっと、無事に帰ってくださいね」


 ミリクが森を飛び出した。脱いだケープに黄緑色の光、魔力、魔法。

 ただの布が膨れ上がっていく。真っ白い毛並みで、鋭い目を怒りに歪めた白熊だ。


「お願い、あいつを倒して!」


 応える様におたけびを上げ、突進する白熊。巨大な砲弾の様な激突に、砂食いはよろめいたが。すぐに反撃が来る。岩石の腕を、熊の肩に向かって、ハンマーの様に振り下ろした。

 悲鳴を上げて態勢を崩した熊を、さらに投げ飛ばす。熊の巨体が建物を破壊し、ぶつかった壁を崩した。


「立って、お願い、負けないで!」


 ミリクの悲痛な叫びに、再び体を起こしたものの、今ので腕が使えなくなったらしい。

 このままでは、だめだ。みんな、あの砂食いにやられる。もう危ない。


 ぼくは振り子を握りしめた。

 魔法は願いに反応するらしい。

 ここに居たら、あの化け物に殺されるばかりだ。この小さな村は潰され、オアシスみたいな森も砂に飲まれる。


 あんな化け物に潰されたくはない。願うんだ。向こうに帰れば、こんな事はみんな、悪い夢になる。


 帰りたい、帰る、帰るんだ。

 宿題に悩んで、適当に部活して、ゲームしてたら流れていく毎日。殺される事も無い、余計な困難をかわせる毎日に。


 ミリクの言う通り、振り子がひとりでに反応し始めた。緑色の光が、徐々に大きくなっていく。魔力が何かは分からないけど、考えもつかないことが起こりそうな気配がする。


 そうだ、帰ろう、みんなみんな夢だったんだ。


「……あ、あれ、なんで」


 光が収まってしまった。魔法の気配よりも、振り子を握るぼくの手の感触が強い。


 目の前の夢が、終わらない。


 ギイが砂食いに弾かれ、壁に激突している。

 ギニョルはがれきの破片を浴び、銃を支えにふらついている。

 レノウン達は壁の外で、他の砂食いに必死に食い下がっている。


 ミリクが、足をくじきながら、必死に熊を操っている。


 なんで、なんでだ、もう夢なんだろう。こんな人たちは関係ないんだろう。


「ちがう、のかな……ぼく、本当は」


 何とかしたい、と思ってるのか。

 魔法には、願ったことしか起こせない。

 ぼくは帰りたいわけじゃないのか、こんなことに付き合いたいっていうのか。


 なら、もう余裕はない。

 ぼくはもう一度、振り子を掲げた。


「魔法とか、魔力とか、良く知らないけど、聞いてくれ。あの化け物をやっつけて、みんなを助けて欲しいんだ、何千年かかっても、きっとみんな元に戻るんだよ。何か、何か起きてくれよ、頼むから!」


 かあっと、振り子が強く輝く。その場の誰もが目をくらますほどだ。

 巨大な気配を感じる。とほうもない大きさの動物、象のおばけの近くに立っているかのような。なにが出て来たんだ。


 切り株の根元から、無数の芽が吹き上がる。

 芽はみるみる成長し、樹皮をたくわえた木の幹になる。分かれた幹は梢に変わり、一気に伸びて葉をしげらせ、村のすべてと壁の外まで覆いつくすと、一面に花を咲かせた。花はすぐに実になった。丸く茶色い、クヌギに似た実。

 

 実が地面に降り注ぐ、砂漠に、荒れ地に、砂食いに。

 再び芽吹きが始まる。巨大なもの、小さなもの、あらゆる砂食いの体を突き割り、根が、芽が、砂を固めていく。


 クヌギの森が、できてしまった。切り株の根元に、ぼくはへたりこんでいた。


 魔法、だったのだろうか。

 へたりこんだミリクが、こっちを振り向く。

 ぼくは、ひきつった笑顔で答えた。


「……本当に、願いってかなっちゃうんだね」


「そう……なんですよ」


 ぼくもミリクも、まだ信じられなかった。



―5―


 ギニョルとレノウン、それにギイにも散々聞かれたけど。

 魔法についての心当たりは、無かった。


 ぼくは森づくりの協力をすることにした。

 というか、あんな魔法ができたせいで、ミリク以外のみんなは放してくれそうにない。


 アランドの人たちは、この町以外にも居て、人間に紛れて働きながら、緑の織手や魔力を含んだ植物を探し、アランドの再生を目指しているらしい。


 階下からおかんの呼ぶ声がする。

 下へ降りると、玄関の前に。


「こんにちは、迎えに来ました」


 ミリクだ。最近暑くなってきたせいか、あのケープはしていない。

 スニーカーにソックス、ミニスカートにキャミソール。まあなんていうか、活発な感じでなかなか可愛い。


「……でれっとしやがって」


 鞄から、ギイが顔を出した。ぼくがにらむと、ふす、と鼻を鳴らして引っ込んだ。


 アランドには最初の家から向かう。

 思っていた通り、川を伝って山の畑に入り、途中から竹藪の間を通って進んだ先だ。


 そんなに体力がないんで、息が上がってしまう。理想はいろんな話をしながらなんだけど。


「それ、じゃ、そんなに……長い間」


「はい。でもあの村、織手は私一人だったから、なかなか、先に進まなくて。お兄さんが来てくれて、本当に助かりましたよ」


「頑張らないと、なあ……」


 うう、何なんだこの傾斜。というか、小柄なのに体力あり過ぎだろミリク。


「おい織手さん、少しは鍛えろよ。体力つけば、もっとがんがん魔法出せる様になるんじゃねえのか」


「ギイ、むちゃ言わないで。お兄さん、ちょっと休みますか」


「いや……まだ、行けるよ」


 なんでこんなに疲れながら、終わりも見えないことをやるのか。


 答えは全然分からないけど。


 決めたことだ。

 強い願いは、叶うらしいから。

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緑の織手 片山順一 @moni111

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