母の日と、カーネーションと 1

 

 5月の第2週日曜日は「母の日」。1週間くらい前からメディア等が紹介したり宣伝しているので、内容について語る必要はないだろう。

 初回から時事ネタだが、母の日の何に疑問を感じたかというと、メディアの特集を見聞きしながら「そういや、なんで母の日にカーネーションを送るんだろう?」と今さら思ったのである。

 答えと思しきものは簡単に見つかったが、せっかくなのでいろいろと掘り下げてみたら、存外興味深い話だった。


 まずはカーネーション云々の前に、そも母の日というものについてつらつらと。


●世界各地の風習としての母の日

 母の日、あるいはそれに近い文化は同多発的なもので、国によって祝い方も日にちも違うことがある。たとえば「オーストラリアでは日にちは日本と同じだが、菊の花を贈るのが一般的」「ロシアでは11月最後の日曜日に実施」「イギリスではイースター(平たく言うとキリスト教の行事)の2週間前の日曜日にあたり、だいたい3月~4月にかけてのどこか」といった感じ。ちなみにイギリスの母の日の起源は17世紀ごろと言われている。


●日本での起源はアメリカ

 日本における母の日文化は、実はアメリカから渡ってきたものだ。南北戦争のまっただ中である19世紀、“母の仕事の日”をかかげる運動をしたアン・ジャービスという女性がいた。彼女の死後から2年後、彼女の娘アンナが亡き母を偲ぶ追悼式を5月に行い、母親へ白いカーネーションを捧げたという(参列者にも配ったともいう)。その後、アンナは母の日制定の運動を起こし、1914年には母の日がアメリカの記念日となった。アンナは「母が亡くなった人は白いカーネーションを、存命の人は赤いカーネーションを身につける」ことを提唱し、それが時代の流れとともに母へ花を贈る文化へと変わっていった。


●日本での広まり

 日本にはそもそも母の日の文化がはなく、大正時代にアメリカから母の日文化が渡ってきた。が、初期の頃はあまり広まらなかったらしい。

 その後、昭和6年には当時の皇后の誕生日「3月6日」を母の日として制定された。ところがこれも定着せず、日本に来た宣教師をはじめキリスト教信者がアメリカ式の母の日文化を広めていったこともあってか、戦後にアメリカと同じく「5月の第2日曜日にカーネーションを送る」という文化が浸透、一本化された。


 さて、最初の疑問であった「なぜカーネーションなのか?」についてだが……答えはお察しのとおり。「アメリカの起源とされる出来事でカーネーションを送ったから」である。

 身もふたもない話をすれば、インターネットで検索して5分でたどり着いた。


 なんともあっけなく解決した……はずだったのだが、ここでさらに疑問がわいた。

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