後編

 青年が消えたあと、時間を確認すると何と夜中の十二時を回っていた。

 四時間近く話していたのか、と驚いたが、祖父の「教え」を思い出した。

「変化」と一緒にいると、時々時間の感じ方を間違えることがある。

 自覚すると同時にどっと疲れが押し寄せてきて、楓介は倒れたままだった椅子を直し、座るとまたテーブルに突っ伏した。

 どうして、と。

 青年は泣いていた。

 彼は本当に……


「寝よ」

 

 明日には葬儀がある。

 あまり夜更かししていたらしんどいだろう。

 楓介はだるい体を何とか起こし、あてがわれた寝室へ向かった。

 その途中、通夜が行われていた座敷の前を通る。

 ふすま一枚を隔てた向こうに祖父の遺体があるはずだった。

 明日には燃えて灰になってしまう祖父であったもの。

 そう思ったとたん、そこから動けなくなった。

 何か。何かとても大切なことを、するのを忘れているような。


(何なんだよ)

 

 祖父と自分はよく似ているらしい。

 素直じゃないところも、恐がりなところも。

 良いところなんて一つも似ることができなかった。

 奥歯をかみしめて、楓介はふすまを思いっきり開け放した。

 部屋の中は、さっきまでの馬鹿騒ぎが嘘のように片づけられていた。

 そして見たのは。






 視界を埋める紅葉。







時折ろうそくの幽かな明かりに照らされながら、深紅の紅葉が闇を舞う。



ひらり ひらり ひらひらり。



紅葉の葉は、不思議なことに祖父の遺体だけを避けて降り積もっていく。

まるで祖父を飾るかのように、座敷の畳を深紅の絨毯に変えていく。



はらり はらり はらはらり。



降りしきる紅葉の中、楓介は祖父の遺体の前に少女が座っていることに気がついた。

後ろ姿だが、背中の中程まで伸びた真っ直ぐな黒髪と、深紅の着物に包まれた姿勢の良い背中。

彼女も、「変化」だ。


「誰だ……?」


 楓介の声に、少女が振り返る。

 はらはらと。

 その瞳からは涙がこぼれていた。


「お主は……」


 少女は呟き、立ち上がった。

 そして、こいこい、と手招きをする。

 楓介は操られるように紅葉の絨毯の上を少女に向かって歩いた。

 そして少女の前に立つと、さも愛しげに少女の手が楓介の頬に添えられた。

 その瞳からはまだ涙が流れ続けたままだ。


「晴介の孫じゃな? よう似ておる」


 時代がかった言葉だったが、よく似合っているように思えた。

 少女がにこりと微笑む。

 その拍子にまた雫が一つこぼれ落ちた。


「妾は晴介に世話になったもの。本来なら控えるべきなのじゃが……すまぬな、どうしても我慢できず、来てしまった」


 楓介は少女の顔を見つめ続けていた。

 そして彼女の髪が黒ではないことに気がついた。


(赤なんだ)


 浮かぶ哀しみを涙に変え続けているかのような瞳も、透明な赤。


「晴介が、死んでしまったのう。人は死ぬ生きもの。そう理解わかっていても、やはり愛しき者の死は哀しいものじゃ」


 独り言のようにも聞こえた少女の言葉を聞いた時、楓介は目を見張った。

 彼女は祖父を愛していたのだ。

 そしてその死を哀しんで、涙を流している。

 少女が楓介の頬から手を離し、自分の涙を拭った。


「そろそろ帰らねばな。まちこに気がつかれては、晴介に怒られてしまう」


 そして、楓介の唇にそっとその指で触れた。


「ここで会うたことは内緒じゃぞ? 二人だけの秘め事じゃ」


 涙で濡れる瞳が、悪戯っぽく笑った。

 瞬きの間に、少女は消える。

 そして。


「どうすんだよ、これ」


 楓介の顔から苦笑いがこぼれた。


「全然内緒になってないじゃん」


 少女は消えても、降り続けていた紅葉は消えていなかった。

 楓介疲労感にさいなまれながら、箒とちりとりとゴミ袋を持ってきて、床を掃き始めた。

 綺麗だからもったいない、とちらりと思うが、ばらまいていった本人が祖母に知られたくないようだからこうするしかあるまい。


「まったく、何だって俺が」


 愛した者の死を哀しんで泣いていた少女。


「俺は寝たいんだよ」


 祖父が死んで、「どうして」と泣いていた青年。

 彼もまた、祖父を愛していた。


「あー、もう! 量多すぎ!!」


 はいてもはいても終わらないじゃないか。

 何でだよ、何で俺はこんなこと。

 どうして。




 どうして。




 紅葉を掃いていた手が止まる。

 その手に、パタパタと、涙が落ちた。

 どうしてだよ、じいちゃん。

 胸を塞いでいた赤く黒かったものが、透明な涙に流されてゆく。

 青年は言った。

 どうして、と。

 それに続く言葉は。

『どうして、もっと生きていてくれなかったの』

『あなたが、大好きだったのに』


「うっ……うっく…えっ、」


 もう、それは、二度と伝えられない言葉。

 お互いが素直じゃなかった。

 祖父は「師匠」という形でしか孫に接することができず。

 孫は無愛想な態度しかとれなかった。

 二人とも臆病だった。

『嫌われているのかどうか』ということを問うことができず。

 『好きだ』ということを認められなかった。


「俺って、馬鹿」


 愛していたということを認めるのも死後ならば。

 その者の死を悼んで泣くのでさえもこんなに遅くなってしまった。

 本当に自分は素直じゃなくて、恐がりだ。


(じいちゃん、俺たち、悪いところばっかりそっくりだったな)


 涙でぐしゃぐしゃの顔で、楓介は微笑んだ。



+++++++



 楓介は結局一睡もしないまま葬式に出席した。

 火葬が終わって祖父母の家に帰ってきた今は、とにかく眠りたいという気持ちしかない。


「俺、とりあえず寝る~」

「昨日は早く寝なさいってあれほど言ったでしょう」

 

 母親が怒るが、しょうがないじゃないか、と思う。

 楓介だって好きこのんで夜更かししたのではない。

 そういえば


「なあ、ばあちゃん。じいちゃんの遺品って、何か貰える?」

「なんだい、急に」

「もし貰えるなら、俺じいちゃんの使ってた煙管が欲しいんだけど」

「ああ、あれかい。いいよ。その方があの人も喜ぶだろ」


 そう言って祖母は去りかけたが、ふと楓介を振り返った。


「ねえ、楓介。あんた、昨日は遅くまで起きてたのかい」

「うん、まあ、それなりに」


 また小言を言われるのか、とうんざりしかけたところに祖母は掌を上にして楓介に差し出した。

 乗っているのは、深紅の紅葉。


「今朝、座敷で見つけたんだよ。あんた、何か見なかったかい?」

 

 じーっと見つめてくる祖母。


「……さあ。俺は何にも知らないけど」


 無言で見つめ合うこと数秒。


「そうかい」


 意外にも、祖母は簡単に引き下がってくれた。

 楓介は寝室に行き、布団に転がった。


(やっと眠れる)


 目を閉じると、すぐさま意識が闇に吸い込まれるような感覚。

 その闇に、ちらちらと舞う赤いものがある。

 それは二人だけの約束。

 二人だけの、秘め事。

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秘め事 斎花 @letterholic

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