秘め事
斎花
前編
夏のある日、祖父が死んだ。
七十三歳だった。
それは若いのか、それとも長生きなのか、まだたった十三年しか生きていない楓介には判断できない。
+++++++
うーん、絶景?
祖父の通夜後、
地域によって様々らしいが、楓介の祖父が暮らしていたこの場所は、通夜の後故人を偲ぶ者たちが集まって思い出を語り合うらしい。ただ、酒が振る舞われることが大半のため故人の知り合いによってはどんちゃん騒ぎになってしまう、とため息をついていたのは祖母だ。
へべれけになりながらも近くの者同士で楽しそうに祖父との思い出を語り合っているのを見るのは悪い気分ではなかったが、田舎の旧家の座敷ともなれば、その広さは都会育ちの楓介には馴染みのない広さで正直居心地が良くなかった。
加えて子供は楓介しかいないとなると必然的に話す相手もいなく、騒ぐ大人たちを眺めながら一人でちびちびとコーラを飲むはめになっており、冒頭の感想である。
(さすが田舎。いや、じいちゃんの人徳? どっちにしても半端じゃないよなぁ)
感心しながら眺めていると「祖父の友人」だと思われる人が楓介に手を振った。
その頭のてっぺんには動物の耳がちょこんとついていた。
あれは、たぶん猫だ。
お尻から生えてるしっぽが猫のっぽいし。
楓介は手を振り返さず、会釈するだけにとどめておく。
周りが酔っぱらいだらけとはいえ、もし手を振っているところなんて見られたら、言い訳するのがめんどくさい。
その人はにこっと笑うと、日本酒の瓶を片手に向かいの人と会話を再会する。
ちなみに向かいの人は正確には人の姿をしていなくて、どうみても狸に見えた。
この座敷には人間もたくさんいたが、「人間と違うもの」もたくさんいた。
人間によく似た姿をしている人もいるし、どこから見ても動物の人もいた。
それはきっと、世界中のどこにでもいる人たちだ。
ただ、人間には少し彼らが見えにくい。
本当はいつでも側にいてくれているのに、見えないというだけで人間は彼らをないがしろにしてしまう。
それは、とても悲しいことだ。
(って、じいちゃんが言ってたなぁ)
祖父にも楓介にも、霊感なんてものはいっさい無い。
祖父も、生きているときに「幽霊なんぞこの年になるまで一度も見たことがないわ。死ぬまでに一度は見てみたいもんじゃがなぁ」と言っていた。
「人間とは違うもの」たちは動物や植物、長く大切に使われた道具などが「変化」した姿だそうだ。長く存在することによって魂が生まれ、明確な意思をもって人間と同じように笑い、時に泣く。祖父はそんな彼らを「
そして幽霊はというと、器が無くなった魂だけの存在だ。
新たに魂が宿ったものと、魂だけのもの。違うのは当然だろう。
という解釈も、全て亡き祖父の受け売りだが。
祖父に対して「亡き」とつけてしまったことで、じくりと胸が痛む。
今さらだけれど。
本当に祖父は死んでしまったのだ。
とろり、と、一つの感情が胸の中に滲み出す。
その色は赤くて黒い。
押さえることができずに、滲み出した感情は楓介のちっぽけな胸を塞いでゆく。
(何で死ぬんだよ)
人間は死ぬものだ。そんなことはわかっている。
理性ではわかっているのだ。
けれど赤黒いものが叫ぶ。
どうして? どうして? どうして?
(自分から『お前に「人と違うもの」とのつきあい方を教えてやる。師匠と呼べ!』
とか言い出したくせに。最後まで教えてもらってねーぞ)
ムカムカして、楓介の感情のような色をしたコーラを一気に煽る。
気の抜けたコーラは砂糖をそのまま飲んでいるみたいだった。
+++++++
コーラの後味を消したくて、楓介は台所に水を飲みに行った。
ついでにここでしばらく休んでいくことにする。
食事用のテーブルにだらしなくうつ伏せになった。
顔を横に向けると、頬にひんやりとした感触が気持ちよかった。
あそこは騒がしすぎて耳が痛む。
「おや、先客だ」
「えっ!?」
じいちゃん!?
祖父の声だと思った。
「ああ、驚かせてしまったかい?」
台所の入り口に垂れている暖簾をくぐって現れたのは祖父とよく似た雰囲気の、しかし姿形は似ても似つかない青年だった。
祖父のかけていたような眼鏡をかけ、男用と思われる濃紺の着物を着ている。
「しんみりしているよりはいいと思うんだがね。騒がしすぎるのは性に合わなくてねぇ」
そう言いながら、青年は勝手に食器棚からコップを取り出し、水を入れて飲み干す。
「生き返るねぇ」
水を飲む姿も、そのあと旨そうにため息をつくのも人間と全く変わらない。
しかし、楓介の勘は訴えていた。
この人は「変化」だと。
そしてこの雰囲気と声。祖父と無関係だとは思えない。
「あんた、じいちゃんの、何?」
ほ、と青年は微笑う。
「晴介さんの言うとおりだね。いい目を持ってる」
そして青年は楓介の正面に座った。
「あたしは晴介さんの使ってた煙管が変化したものさ。晴介さんとはもう五十年になるかねぇ。大切に使ってもらったよ。こんな姿までいただいちまってさ、感謝してもしきれないねぇ」
青年が話す「煙管」は楓介にも覚えがあった。祖父が学生だった頃から使っているとかで、随分大切に扱っていた。
それにしても、あの煙管が「変化」だったとは。
「でも、俺あんたのこと見たことないよ」
「あたしは惚れた男以外に姿を見せる趣味はないよ」
何をぬかすのか、この男は。
「……あんたも男に見えるんだけど」
どこからどうみても。
さらに目の前の青年が言うと祖父が言っているようで、気持ち悪さ倍増だ。
「それにそのしゃべり方。どうにかなんない?」
「姿は男だけど、あたしらに性別なんかないんだよ。晴介さんに教わらなかった?」
「教わってない」
憮然として言い返すと、青年はふーんと楓介を流し見る。
「晴介さんとよく似てるのに、頭はあんたの方が固いんだね」
「じいちゃんと比べるの、やめろよ!」
椅子が派手な音を立てて倒れた。
また、とろり、と胸に赤くて黒いもの滲み出す。
どうして。どうして。どうして?
青年は苦笑した。
「晴介さんのこと嫌い?」
「別に。比べられたくないだけだ」
楓介は祖父の若い頃に生き写しらしい。
それは姿だけでなく性格もで、楓介は何かにつけて祖父に似ていると言われ、祖父はそんなことはしないのにと言われた。
似ていると言われるのはまだ良い。しかし、「おじいちゃんはそんなことはしないのに」といわれるのは苦痛だった。
そう言われると、それじゃ、俺は何なんだよ、と思う。
見た目だけそっくりで、中身は出来損ないのまがい物?
そんな楓介を見て、何が面白いのか青年はけらけらと笑った。
「なんだー。晴介さん、最後まで気にしてたのに。『わしは楓介に嫌われているのかもしれん』って。気がつくとぼやいてたなぁ……あんたたち、ほんとによく似てるんだね。素直じゃないところも、恐がりなところも」
「恐がりって」
何だよ! と怒鳴り返そうと思った。
けれど、青年の楓介を見る目が濡れていた。
青年の白い頬を、涙が一滴、滑る。
ぽとん。
テーブルに黒い染みができた。
「晴介さん、どうして」
どうして。
そう呟いて、瞬きの間に青年は消えていた。
確かにあったはずの、涙の跡と一緒に。
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