第6話 『ミステリー作家殺人事件』殺人事件

 


午後の日差しが物憂く、けだるい。

それはまるでほろ苦い一杯のコーヒーのようだった。


************


 小説の最後の文章を読み終えると耐え難い睡魔が襲ってきた。

 文庫本を開いたまま、はからずもうたた寝してしまう。

 ぼくを起こしたのは森沢君だった。

「何読んでるの」

 越谷の『珈琲塾』は日当たりのいいログハウスの喫茶店だ。

 昨日、ひさしぶりに森沢君から電話があり、いつものように涼子さんを含めて三人でここで落ち合う約束をした。

 ぼくは待ち合わせの時刻より少し早めに店に来て奥の席を陣取り、新越谷駅のキオスクで買った文庫本を読んでいた。

 ところが森沢君と涼子さんが来る前にぼくは不覚にも居眠りしてしまった。

「これって、『ミステリー作家殺人事件』じゃない。確か作者は今話題の三城茂だったかしら」

 涼子さんの声を聞いたのはひさしぶりだった。

「そうです。三城茂の『ミステリー作家殺人事件』です」

 ぼくは涼子さんに文庫本の表紙を見せた。

 森沢君と涼子さんはいつものように金魚鉢入りアイスティーを注文した。先に来ていたぼくはブレンドを飲んでいた。

 森沢君はぼくの大学時代の友人で、現在はフリーのウェブデザイナー。漫画家を目指している涼子さんは森沢君の妹で、現在は実家に暮らしている。フリーター兼ニートだ。

 


「それにしても、三城茂が殺された事件、まだ犯人は捕まってないんだろう。このままでは迷宮入りになるってうわさ、ネットで見つけたよ」

 森沢君がアイスティーをすすりながら言う。

 ミステリー作家、三城茂の殺人事件は数日前から連日、テレビニュースで報道されている。

 半年ほど前、同じミステリー作家の丹羽静子が自殺したので、SNSではミステリー作家の連続密室殺人事件などという書き込みで炎上した。

 三城茂はベストセラー作家の丹羽静子にくらべると、一部のミステリーマニアだけが知っているマイナーな作家だったが、それだけに熱狂的な愛読者がいるタイプの作家だった。

 本格ミステリーでなく、犯人の視点から描く倒叙物のピカレスクロマンを得意としていた。

 作家としてそれほど売れてなかったが、丹羽静子以上に裕福な生活をしていたのは、三城茂が三城コンツェルンの御曹司だからだ。

 三城ホールディングスを親会社に、三城銀行、三城鉄道、三城建設などの大企業を傘下に収める三城コンツェルン。三城茂は長男にもかかわらず、家業のビジネスの大半は弟にゆずり、自分は作家活動に専念していたが、生活の主な収入源は親から受け継いだテナントビルの経営だったらしい。

「三城茂の殺人事件だか、担当編集者の手記を雑誌で読んだんだ」

 森沢君が低い声で語りかける。



 俊英社「月刊ホームズ」でいつも三城の原稿を担当している編集者、武田光彦宛てに、あるときバイク便の郵送物が届いたんだ。差出人は三城。手紙の他に三種類の鍵が入っていた。手紙はこんな内容だった。

「明日の5月23日、午後2時過ぎに私の別荘まで来てほしい。秘書の菅原には事情は説明してあるが、菅原と連絡して待ち合わせ、彼の車に乗って一緒に来てほしい。その際、同封した鍵も持参するように。実は私の最高傑作の原稿が仕上がりそうなのだ」

 武田は言われたとおり、菅原と連絡し、23日の正午近く、新宿の俊英社の前で待っていた。菅原とは面識があり、スマホの番号もすでに教え合っていた。三城の原稿は菅原が武田に届けることがよくあった。

 菅原はワンボックスカーに武田を乗せると奥多摩にある三城の別荘に直行した。

 別荘についてみると、ドアホンを押しても返事がない。そこで武田が持参した鍵を使ってドアを開け、菅原と一緒に中に入った。

 三城を読んだが返事がない。そこで書斎に向かったが、鍵がかかっていた。

 武田は別の鍵でドアを開け、書斎に入ろうとした。

 すると、書斎の安楽椅子に首無し死体が座ってたんだ。

 武田も菅原もショックでしばらく動けなかったが、机の上に手紙があり、それを読んでみた。

「これが私のミステリーの最高傑作だ。三つの鍵を使った三重の密室殺人事件。三つの鍵とも簡単に合鍵は作れず、錠もピッキングできない仕組みにしてある。犯人はどんなトリックを使って私を殺したのか。もし私が自殺したとしたら、どうやって私は自分の首を切り取って金庫にしまって鍵を閉めたのか。この謎を君に解いてほしい」

 手紙を読んだ後、武田は三つ目の鍵で部屋の奥の金庫を開けた。すると三城の首が中から転がり出てきたんだ。

 武田たちはまたしてもショックで動けなくなったが、しばらくしてスマホで警察に電話した。

 ここまでが事件の概要だ。

 警察の調べでは死体は作家、三城茂本人で死因は首の頸動脈を刃物で切られたこと。死亡推定時刻は20日の午後1時ごろと推定された。

 武田はこの時間、俊英社にいたので同僚の証言からアリバイ成立。

 また菅原は午後2時にワンボックスカーに乗って札幌の一人キャンプ場に入ったことが確認されているんだ。キャンプ場の管理人が入場口で宿帳に菅原の記述を確認している。

 つまり午後1時のアリバイはないが、1時間で東京の奥多摩から北海道の札幌まで行くのは不可能だからアリバイ成立というわけだ。

 また奥多摩の別荘だが窓はすべて内側から鍵がかかっており、玄関以外から屋内に侵入するのは不可能であることが証明された。つまり完璧な密室殺人事件だ。



「でも変じゃない」

 涼子さんが言った。

「どうして武田と菅原のアリバイを調べるの。彼らに三城を殺す動機なんである?」

「警察はまず通報した武田たちに虚言があるのではないかと疑ったらしいんだな。考えても見ろ。三重の密室殺人だぞ。武田と菅原が共謀して虚言の通報をしないかぎり不可能じゃないかな。

 そのために警察としては二人が共謀している証拠を探そうとしたんだと思う。しかし見つからなかった。二人は他人同士といっていい」

「もし二人のうち一人が犯人なら、こういうことなんじゃないかしら。犯人は三重の密室殺人の証人を一人ほしかったのよ。三重の密室殺人は虚言じゃなくて実際に起きた」

「自殺の線は考えられないのかな」

 ぼくが言った。

「それは論外よ。自分の首を切って金庫に入れるなんて不可能だわ。そんなことより、三城の女関係なんかどうなの」

 森沢君の話では三城は若いころ一度結婚したがすぐ離婚したとのこと。キャバクラ通いが盛んで多くの愛人がいるとのこと。

 表向きには子供はいないが、隠し子はいるとのうわさ。

「だったら三城を殺したい人は大勢いるわ。三城の財産をねらう人もいるし、女関係で殺される可能性もある。

 これだけの情報じゃ、三城殺しの犯人は特定できないわね。ところで武田や菅原には三城を殺す動機はなかったのかしら」

「武田にはないな」

 森沢君が言った。

「三城を担当していることで武田は出版社で首がつながってたようなんだ。編集者は担当する作家で自分の会社での立ち位置が決まるらしい。三城はベストセラー作家ではないが、マニアックな読者がいる作家だし、長期的にはこういう作家の方が出版社には利益をもたらすらしい。だから武田にとり、三城は死んだら困る作家だ。

 一方、秘書の菅原には三城を殺す動機がそこそこあった。

 もともと作家志望だった菅原は三城に弟子入りして秘書になった。最初は雑務をやらされたが、そのうちに小説のアイデアを菅原が考えて三城が文章を書いたり、三城がアイデアを考えてそれを菅原が文章化することがあった。それでも著作権と印税は全部、三城だけのもの」

「そいつはひどい」

 ぼくが口をはさむ。

「君がさっき読んでいた『ミステリー作家殺人事件』なんかはアイデアも文章も全部、菅原のものだったらしい」

「でも菅原のアリバイはどうやって崩すつもり」

「それをお前が考えろよ。お前、名探偵じゃないのかよ」

 涼子さんはふくれっ面でタブレットPCをいじり始めた。

「たとえばこんなのどうかしら。20日、菅原と三城は東京じゃなく、北海道にいた。

 菅原は午後1時頃、ナイフを三城の首に刺して三城を殺した。

 死体をワンボックスカーの後部に隠し、札幌の一人キャンプ場に向かった。

 一人キャンプのテントの中で三城の首を胴体から切断した。

 21日の早朝、菅原は三城の死体を乗せてワンボックカーで東京に向かった。北海道から青森へはカーフェリーでワンボックスカーごと船で運んだ。

 青森から東京の奥多摩まで、車で20時間弱くらいかかるかしら。渋滞があればもっと時間かかるけど。ともかく21日中に奥多摩の別荘まで行ったの。

 後は密室の設置だけど、一人だとこの作業にも時間がかかるわ。

 三つの鍵は菅原が持っていたの。そして22日、バイク便で三つの鍵と手紙を俊英社に送ったわ。バイク便だと武田のところに届く2時間くらい前に送ったことが想定されるわ。

 そして23日、菅原は武田を迎えにワンボックスカーで新宿の俊英社に向かった。後は武田の手記のとおりね」

「つまり、この殺人事件は密室の外で行われたということですね」

 ぼくが言うと涼子さんは無言でうなづいた。

「ただし、この推理で難点があるとしたら菅原の体力ね。トリックを思いついた知力は大したことないけど、これを実行するにはかなりの体力が必要よ。20日から23日までノンストップで動かないといけないわ。トライアスロンなみの体力が必要ね。

 それに女関係がはげしいなら三城を殺したい人物は他にもまだいるはず。ただ菅原でない人物が犯人の場合、どうやって三重の密室を実行できるかだわ。

 三城の愛人なら三つの鍵を入手できるかもしれない。でも女が一人でこれだけのことができる体力があるとは思えないし、三城の命令なしで武田を菅原に迎えに行かせるのはどうやったらいいかしら。これもほぼ不可能ね」

「三城の愛人と菅原が手を組んだらどうですか」

 ぼくが言った。

「しかもこの愛人と菅原と三城が三角関係だったらどうです。これなら二人が三城を殺す動機も十分でしょう」

「あなたって、結構、名探偵なのね」

「おれはその推理はちがうと思うなあ。まだ菅原単独犯説の方が信憑性がある」

 森沢君はそう言って、アイスティーをすすった。

「じゃあ、アニキの推理はどうなのよ」

 森沢君はそれには答えずウエイトレスを呼び、チーズケーキを三つ注文した。

「ここはおれがおごっておくよ、最近、仕事で羽振りがいいんでね」

「アニキって、たまには気が利くことするじゃない」

 ぼくは思わす微笑んだ。

 午後の日差しが物憂く、けだるい。

 それはまるでほろ苦い一杯のコーヒーのようだった。




(了)

 


 

 

 

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ネット探偵の事件簿 -金魚鉢入りアイスティー- カキヒト・シラズ @koshigaya

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