第2話 コロボックル殺人事件

 喫茶『珈琲塾』の奥の席は、いつものようにぼくたち三人が占拠していた。

 大学の友人の森沢君、彼の妹の涼子さん、それにぼくの三人だ。

 森沢兄妹はこの店では必ず金魚鉢入りアイスティーを注文する。一方、ぼくはその日の気分で飲み物を変えるが、今日は彼らをまねて金魚鉢入りアイスティーを飲んでみた。

「コロボックルって知ってる?」森沢君が言った。「アイヌの伝説の小人だ」

「それくらい知ってるわよ」涼子さんが言った。「子供の頃、アニメかなんかでやってたわ」

「まあ和製、白雪姫の七人の小人みたいなもんだ。凶悪な妖怪では決してない。人間に害を及ぼさない優しい妖精のイメージがある。ところがコロボックルが複数の人間を殺す事件が起きたんだ」

「アニキ、またそれネットで見つけたトンデモ都市伝説?」

「これ見てくれ。ここに面白い話が書いてある」

 森沢君がタブレットPCを見せる。怪しげなブログがディスプレイに表示されている。

 森沢君は低い声で話し始める。


 舞台は北海道室蘭市の製鉄工場だ。

 それほど大きなニュースにはならなかったけど、半年前、製鉄所で工員が三人亡くなった。しかも密室殺人事件なんだ。

 吉村製鉄という会社名だったと思うが、日曜日、社長の吉村の他、田中、佐々木という工員が製鉄所で働いていた。また隣接する事務所には一人の女性事務員が詰めていた。

 平日は製鉄所に二十人、隣接する事務所に三人働いているんだが、この日は休日出勤ということで、社長が命じた社員だけが出社する。

 吉村は四十歳のワンマン社長だ。若い頃、柔道かレスリングか忘れたが、国体に出場したことがあるらしい。そのせいかどうかわからないが、性格はきつく、仕事は厳しく、部下の些細なミスを見つけただけで怒号を飛ばす。社員たちは影で”雷おやじ”と呼んで吉村を恐れていたようだ。

 休日出勤も残業もよくあり、いわゆるブラック企業かもしれなかったが、吉村自身は職人気質で、製鉄工としての腕は一流だった。

 彼は仕事の鬼で、一年中、正月以外は工場に出社していたという。

 事件の日、一人で事務所に詰めていた女子事務員は、数発の銃声と怒号が製鉄所から聞こえた。ところが最初は怖くて体が動かなかった。

 社長の吉村の怒号なら、毎日聞いていて何でもなかったが、どうも複数の人間が大声で罵り、本気で殺し合いをしているような物音がしていたからだ。

 しばらくして、騒ぎがおさまったようなので、彼女は製鉄所の方へ様子を見に行った。

 事務所と製鉄所は一本の渡り廊下で接続している。

 すると製鉄所の入口で吉村が全身、血まみれになって倒れている。

「コロボックルにやられた」

 吉村はそう言って気を失った。

 製鉄所には吉村の他に田中と佐々木が銃に撃たれて死んでいた。

 女子事務員は急いで救急車を呼んだ。

 吉村は病院で運ばれる途中、出血多量で死んだ。

 警察の調べでは、吉村は左腕を銃で撃たれ、しかも腹や胸を数か所、ジャックナイフで刺されていた。

 当初、警察は小久保こくぼという二十代の男を指名手配した。

 その日、職場のタイムカードには吉村、田中、佐々木、女子事務員の他に小久保が出勤したことになっていた。女子事務員は小久保の姿は見なかったが、自分より先に出勤していれば、小久保が製鉄所にいた可能性はあると証言している。

 小久保は実は一週間前、吉村から来月付けの解雇を言い渡された。出勤態度はまじめな方だったが、なかなか仕事を覚えなかったからだ。

 その小久保が休日出勤を吉村から命ぜられた。どうせ後一ヶ月後は解雇なのだ。会社に相当の不満がたまってただろう。社長の吉村だけでなく、先輩社員の田中や佐々木にも遺恨はあった。それが爆発して三人を殺害した、というのが警察の解釈だ。

 小久保はアパートに一人暮らしで、警察が逮捕状を持っていくと事件当日以降、行方不明だった。

 部屋を家宅捜査したところ、小久保の犯行を示す証拠がいくつか出てきた。

 小久保は農家の出身で、狩猟射撃が趣味だった。ライフル銃の他、狩猟に必要なジャックナイフも持っていた。

 犯行現場に残されたジャックナイフから指紋が検出され、小久保の部屋から検出された指紋と一致した。またライフルは犯行現場にも小久保の部屋にもなかったが、使用済みの銃弾が部屋の机の引き出しから見つかった。鑑識に回したところ、犯行に使われたライフルとライフルマークが一致したんだ。

 ライフルマークって知ってるかな。ライフルの指紋のようなものだ。

 ライフルを発射すると銃弾の側面に傷ができる。これがライフルマークだ。しかも同一メーカーの同一製品でもライフルごとにライフルマークが異なっている。つまりライフルマークを調べればどのライフルで撃ったか特定できるんだ。

 問題は小久保がライフルを持って逃走していることだ。第二、第三の被害がでないともかぎらない。

 


「別にどこも不思議な事件じゃないじゃない」涼子さんが言った。「犯人は最初からわかってるんだし」

「ところが製鉄所が密室なんだ」と森沢君。



 事件当日、犯行現場は密室だった。厳密に言えば、製鉄所は一本の渡り廊下で事務所に通じている。小久保が犯行後、廊下を通って事務所に行き、そこから逃げたとすれば犯行は可能だ。だが女子事務員は、その日、小久保の姿は見なかったと証言している。小久保が事務所を通れば必ず彼女の目に入るはずだ。

 別の出口から製鉄所を脱出できただろうか。製鉄所の裏口は施錠されて閉まっていた。すべての窓も施錠されていた。

 ただし一ヶ所だけ、トイレの窓が開いていた。だがとても小さくて、子供でも人間が通り抜けるのは不可能な大きさだ。猫やねずみでもなければ通過できない。

 そこでコロボックルだ。小人のコロボックルならトイレの窓を自由に通過できる。

 実は小久保の部屋には、北海道の土産物のコロボックル人形がたくさん飾ってあった。さらに黒魔術関係の書物が本棚に並んでいた。

 小久保が魔術をコロボックルにかけたらどうなるか。コロボックルがライフルを持って製鉄所で三人を殺し、トイレの窓からライフルを持って逃走した。呪いをかけた小久保自身は黒魔術の生贄にされて、アパートからいなくなった。

 このブログにはそんなふうに書いてあるんだ。



「あきれたわ」涼子さんが言った。「アニキって、どうしてそんなくだらない都市伝説を信じるの」

「もしかしたら」ぼくが言った。「犯人は吉村じゃないですか」

 ぼくは自分の推理を語り始める。

 あの日、小久保は出勤していなかったが、吉村が小久保のタイムカードをわざと押した。

 吉村は田中と佐々木をライフルで殺した後、ライフルをトイレの窓から捨て、ジャックナイフで自殺を図った。すると女子事務員が製鉄所にやって来た・・・・。

「アニキよりはましな推理だけど、それもちがうわね」涼子さんが言った。「吉村が田中や佐々木を殺害する動機がないでしょう。それにトイレの窓からライフルを捨てたんなら、警察がとっくにライフルを見つけているわ。小久保だけじゃなく、ライフルも行方不明なのがこの事件の最大の鍵よ」

 涼子さんは金魚鉢入りアイスティーを一気に最後まですすった。

「おそらく、あの日、小久保はライフルで田中と佐々木を撃ち殺した後、吉村の腕を撃った。本当は撃ち殺すつもりだったのが、狙いがそれたの。すると吉村が小久保に反撃した。片腕が動かなくても、吉村はレスリングか柔道で国体に行った男よ。けんかは強いはずよ。

 吉村は小久保からライフルを奪い、製鉄所の溶鉱炉に投げ捨てた。小久保はジャックナイフで応戦した。吉村も傷を負ったが、最後は吉村が小久保の体を溶鉱炉に落とした。だがジャックナイフだけは現場に残された。

 ライフルと小久保の体は溶鉱炉の中で跡形もなく溶けてしまった。

 満身創痍の吉村は全力で出口に向かった。そこへ女子事務員が現れた」

「でも一つ疑問が残る」森沢君が言った。「吉村の『コロボックルにやられた』っていうダイイングメセージはどう説明する?」

「それはコロボックルじゃなくて、コクボ。つまり、小久保にやられたという意味よ。死にかけた吉村がはっきり発音できるわけがないし、女子事務員だって緊急事態で気が動転してるはずよ。コロボックルとコクボを聞き間違える可能性はあるわ」

 森沢君はその意見に激しく反対した。しばらくの間、二人は激しく議論を戦わせたが、そのうちにおとなしくなったのは兄の方だった。

「どうやら今日も」ぼくが言った。「涼子さんにチーズケーキをおごった方がいいですかね」

 涼子さんは勝ち誇ったように微笑んだ。

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