第12話 大富との話2

「……カベドン?」


初めて聞く言葉に、俺は思わず復唱した。


「それはなんだ?」


大富はようやく緊張から解放されたのか目を閉じ大きく息を吐いたが、すぐさま下を向いて表情を見せないようにした。


「い、いえ……その……」


あまり顔は見えないが、その様子は明らかに困っているようだった。やってしまった、とでも言いたげに体が縮こまっている。


「……無理に話す必要はないが」


俺は再び沈黙が流れそうになるのを避けるため、あらかじめそう言っておいた。人に気を遣うという行為を行うのは初めてかもしれない。


「あ、い、いえ……話します……」


余り話したそうでは無かったが、彼女のほうも再び黙ってしまうのは避けたかったのか、非常に小さい声でそう言った。


テーブルに目を向けたまま、彼女はゆっくりと話し始める。


「……か、壁ドンは、……男性が、女性を……いえ、べ、別に決まってはないです……けど、……壁際に追い詰めて……か、顔のそばで、壁を、強く叩く……行為、です」


しどろもどろになりながら、彼女はようやく壁ドンについての説明を終えた。


だが、よく分からなかった。色々な意味で。


「その行為が何になるんだ?」


思ったことそのままに疑問をぶつけたが、彼女には責める言葉ととられたようで途端に委縮してしまった。


「そ、その…………わ、忘れてください……」


声はかすれ、今にも消えてしまいそうであった。なんだろう、すごく悪い事をしてしまった気がする。


そうだ。俺はあくまでアドバイスを貰う立場なのだ。その事を忘れてはならない。小針の時もそうだったが、意見を最初から否定してしまうのは良くない。俺はこの道について何も知らない立場なのだから、それはなおさらだった。


しかし壁ドン……言葉の意味は分かったが、いまいち想像がつかない。その行為自体に何か重要な意味があるのだろうか。いずれにせよ、実際にやってみないことには始まらなかった。


「実際に試していいか?」


俺は大富に尋ねた。彼女はピクッと体を震わせると、恐る恐る上目遣いでこちらを見てきた。


「……え、そ、それは」


相変わらず表情の変化は少ないが、彼女は少々驚いているようだった。


「駄目か?」


「い、いえっ……お、お願いします」


そう言いながら彼女はペコリ、と頭を下げる。いや、こちらがお願いしている立場なのだが……。





俺と大富は何も置いていない手頃な壁の傍に寄り、彼女指導の下、壁ドンを実践し始めた。


壁に背中を付けている彼女の顔近くに向かって、右手をトン、と突き出した。


「これであってるか?」


「は、はい」


彼女は頬を少し赤らめて答えた。


なるほど……なんというか、これは少し、恥ずかしい。顔が近いため、彼女の些細な表情の変化も読み取りやすくなっている。その小さい声もはっきり聞こえるようになっていた。


「……ど、どうなんだ?」


俺は非常に曖昧な質問をした。何か喋らなければ間が持たなかったのと、実際、何を聞けばいいか分からなかったからである。


「う、うーん……何かが……足りない……です……」


大富は目線を下に向けてそう答えた。こちらも曖昧な返事である。


「何が足りないんだ?」


そう質問すると、彼女は少し考える仕草を見せた。ちなみに、壁ドンが始まってからお互い目は一度も合わせていない。


「そうですね……こう、もう片方の手も顔の横に、お、お願いします」


言われたとおりに左手を壁につけると、彼女に軽く覆いかぶさる形になった。


「あっ、だ、大分良くなりました」


そう言いつつ、彼女は俺の顔から逃げるように真横を向いた。正直、有難かった。できるだけ顔を離すようにか、俺の両腕は無意識のうちにピンと伸ばされていた。


「でも……ま、まだ……ちょっとだけ……足りない、です」


そう言うと、彼女は再び考え始める。そろそろ、この体勢を保つのも辛くなってきた……


「多分……必死さといいますか、迫真さが足りないんだと、お、思います……」


言葉を選びながらそう話していく。彼女も慣れてきたのだろうか、最初に比べると随分と話すことができるようになっていた。声も心なしか大きくなっているように感じる。


「具体的にどうすればいい?」


「例えば、もっと恥じらいを無くすだとか、もっと強く壁を叩く、とか……でしょうか」


「壁を強く叩けばいいのか?」


俺はふとあることを思い出すと、一旦壁ドンをやめて部屋から出た。何故このような事を思いついたのか分からないが、今は何より、一度この体勢から解放されるための理由が欲しかった。





探し物を見つけると、俺はそれを装着・・して再び部屋に戻った。大富は律儀に壁際で俺を待っていた。


「……そ、それは、なんでしょうか……?」


彼女は訝しげな表情でこちらを見ながら、そう聞いてきた。


「パワードスーツだ」


俺はそう答える。

パワードスーツ。文字通り筋力を強化する機器である。随分前に、研究で力を使う部分があったため、MAJIUTSUに頼んで提供して貰ったものを俺が改造し出力の限界を引き伸ばしたものである。それ以来暫く使っていなかったが、電源は入ったので大丈夫だろう。今回は出力も抑え目にしている。


「もう一度そこに立ってくれ」


彼女は俺の言葉に従ったが、明らかに怯えているようだった。


「あ、あの、それは、やめといたほうがいいんじゃ……」


その言葉をよそに、俺はグググ、と腕に力をこめ壁ドンの準備に入る。



ふと、嫌な予感がして、俺は彼女に向かって大声で叫んだ。



「動くな!!!」



「っひぃ!!」



ズドン!!!


勢いよく放たれた俺の両腕は、大富の顔を挟み大きな音を立てて壁を突き抜けた。



い、痛い……


どうやら、出力の調整が正常にされていなかったようである。壁を突き破る程の威力が出てしまった。腕のガードが無ければ骨折していたかもしれない。


痛みが引いていき、ふと目の前を見ると、腕が壁にめり込んだこともあって大富の顔が5cm程まで迫っていた。


彼女の顔は今までの無表情が嘘のように歪み、目に涙を浮かべ、顔は真っ赤になっていた。


「す、すまん……」


その表情を見て俺は謝罪の言葉を口にした。人に謝るなんてことをしたのはいつ以来だろうか……






「す、すみません……取り乱しちゃいまして……」


数十分後、落ち着きを取り戻した大富と共に俺達はリビングのソファーに腰掛けていた。


穴の空いた壁は比較的薄い場所だったようで、空いていても特に生活に支障はないため放っておくことにした。


「いや、こっちが悪かった。すまん」


俺はもう一度謝った。一歩間違えば彼女に大怪我をさせていたかもしれない。パワードスーツは破棄することにした。メンテナンスを行っていない機器は使うべきではないな……


「いえ、その……最後のは、結構……良かったです……」


「……そうなのか?」


「はい……あ、あの機械はやめたほうがいいです……けど」


いまいち基準が良く分からなかった。機械は駄目だが壁ドン自体は良かったということなのか。スーツ以外に何が違っていただろう……


「ところで……」


俺は最後に一つ、疑問に思っていたことを聞いた。


「この壁ドンというのは、どういう時に使うんだ?」


彼女は10秒程考え込んだ後、こう言った。


「……わ、分かりません……」


「……」


「……」


「…………」


こうして、大富との壁ドン演習は家を損壊させるだけの結果となった。


この経験が役立つ日は来るのだろうか……

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