第10話 大富との話

チッ チッ チッ


「……」


「……」


チッ チッ チッ


「……」


「…………」



リビングには沈黙が流れ、時計の音だけが空間に響いている。


「……おい」


「……」


「もう一度話すぞ?」


「……」


目の前の少女は何も答えない。顔を10度ほど下に傾け、無表情を保っている。


俺はふぅ、と息を吐き、既に冷めつつあるコーヒーに手を付けた。





時は少し前に遡る。



中神に相談を受けたさらに次の日、俺は再び人を待っていた。そろそろマークスにも向かいたいところだが、準備を多くしておくに越したことは無い。


3人のバイトの内、最後の一人__ 大富おおとみ那希なき。20歳、大学生。バイトの中でも一番年長ということもあり、アドバイスにも期待がもてた。


予定の時刻になると、大富は玄関の扉を出来るだけ音を立てないように開けた。そのまままずは顔だけをこちらに覗かせる。その様子を俺は見ていた。


彼女は普段からこちらに気を使ってか極力音を出さないように努めているようだ。そのため普段俺が研究や考え事をしている時、彼女はいつの間にか俺の背後に立ってコーヒーを両手で抱えている。そのコーヒーの匂いでようやく彼女の存在に気付くのだ。



扉越しに大富と目が合う。


彼女は普段のバイトとは様子が違うことが気になったのか少しの間固まっていたが、やがてほんの少しだけ頭を傾けつつ(恐らく挨拶だろう)俺との目を逸らした。


「大富」


そのままキッチンへ行こううとする彼女の背に向かって俺は名前を呼んだ。


彼女の足がピタリと止まる。


「コーヒー淹れ終わったらリビングに来てくれ」


「……」


こちらを振り向くことはなく少しの間静止していたが、やがて音を立てずに再び歩き出した。


……まあ、伝わってはいるだろう。


俺は先にリビングのソファーに腰掛けた。





そして現在に至る。



「……というわけだ」


俺はことのあらましを再び説明する。説明とは言っても隣世界の事は当然伏せているので、結婚を阻止したい事、その為にアドバイスを受けていることぐらいで長くはかからなかった。


「お前からもアドバイスが欲しい。何かあるか?」


俺は再び大富に問う。まさか聞こえていないということはないだろうが、彼女は未だに黙ったままであった。


俺はさすがに言う事が無くなり、黙って大富が喋るのを待つことにした。



黙っている間、彼女の様子を観察する。


彼女の髪は首あたりまでの長さで、4人の中では一番短かった。今の俺の髪より少し長いぐらいである。

一番の年長ではあるが、見た目が小柄な為か、はたまた童顔の為か年齢よりも若く見える。


今までの3人はタイプこそ違えど共通点はいくつか存在したが、彼女にはそれが全く当てはまらなかった。


まず一つ。表情が全く変わらない。正確には全くの無表情という訳ではないのだが、今まで見た限りでは(ほんの少しの時間であるが)表情の変化を読み取ることはできなかった。基本的には顔を少し俯けており、そのためか若干不安げな表情に見える。


そして二つ目。全く喋らない。今まで話した3人は皆少し鬱陶しく感じるぐらいに口数が多かったため、こいつも例外なく良く喋るかと思っていたが、多いどころか彼女は今日出会ってから一言も言葉を発していなかった。


思い返せば、今までのバイト中も彼女の声を聞いたことはなかったかもしれない。そのことでバイトに支障をきたすことは無かったため、特に喋らないことにについて気にしたことは無かった。むしろ無駄に口数が多いよりはずっといい。



だが、今は別である。まさかこちらの質問にも答えないとは思ってもいなかった。ただ俺も人の事を言えるほど他人の話を聞く人間ではない。普段は甘い両親からも、これについては度々注意を受けていたことを思い出す。そういえば最近もそんなことがあったような……あいつの名前はなんだっただろうか。



大富を良く観察すると、少しだけ表情の変化が読み取れるようになる。俯いた顔と共に目線も若干下のほうに向けているが、何度か、一瞬だけこちらを上目遣いでチラリと見ては再び視線を戻す仕草を見せている。口元もほんの僅かではあるが唇を開いては閉じるを繰り返しているようである。どうやら、こちらの質問を完全に無視しているわけではないらしい。


だが、結局その口から言葉は出てこない。正直、俺も用件以外に喋ることは無く、何か気の利いたことを言えるわけでもないため、そのまま黙ったままであった。コーヒーは既に飲み終えてしまっている。






5分程経過した頃だろうか、さすがにこれ以上待っても時間の無駄だと思い、質問を切り上げようとした矢先、


「か……」



「……か?」


彼女がようやく音を発した。非常に小さい声であったが、思っていたよりもずっと高く綺麗な声であった。







「壁ドン……」



その小さな声は、静寂を保っていたリビングにすらかき消されるようであった。



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