第11話 快晴、朝の小さな会話

いつもと変わらない朝。制服を着て、ぽかぽかした町を歩く。町って言ってもそんなに人通りは多くないし、片田舎と形容しても差し支えないのかもしれないな。

犬を散歩させる奥さん、遅刻気味の中学生、…それを横切るように自転車がぽつぽつと走る。今日も晴天、変わりなし。


気持のよい陽射しに伸びでもしたくなる。ちょっと恥ずかしいからしないけど。


今日は、…隣の席のあの人はどうかな。

多分だけど、昨日起きていた分、さすがに寝ちゃうと思う。…って、普通起きてるはずだけれど…。やっぱり感覚が彼に影響されてるのかもしれない。まずい。いや、別にまずくはないか。


そのついでに、すっかり忘れていた昨日の帰り道の一連を思い出した。そうだ、そういえば昨日は彼と一緒に帰ったんだっけ。色々あったけど自然な流れで(たぶん)、方向が丁度一緒だったし大豆バーの話もあったからコンビニに寄り道したんだ。大豆バーはその前から話に上がってたから別に不自然ではない伏線だったなぁ。…伏線って私が仕組んだみたいだけど、そうじゃなくて、…兎も角、なんだか様々な要素が相俟って、ラッキーにも(?)、彼と帰りに寄道するという僥倖を得たのだ。きっとこんな機会滅多にない。ただでさえ何を考えて居るのか、どこに住んでるのか…は聞けばわかるだろうけど、全ての振る舞いが謎な彼と、ふと何気無い時間を共有できたのは面白かった。それと、やっぱり大豆バーへの関心が人並みかそれ以上あった。


だらだら考え事をしてるうちに校門前だ。そんなにボーっとしてたかなぁ。まぁいっか。


教室に入ると、昨日は休みだった一番の友達が私を見るなりこっちに向かって小走りで来てくれた。どちらにせよ席近いのに。


一緒に私の席まで歩きながら何気無い話をする。たった一日の久闊を叙す。そういえば短いような長いような一日だったな、昨日は。


そうそう、昨日は帰る前に先生の雑用手伝わされたよ、……と言うと、友達は「えー私が居たら手伝ったのに」とどこかもどかしそうに言ってくれた。


「あー、山背やましろくん達も丁度近くに居たから一緒に運んだよ」

「…え?手伝ってくれたの?」


彼の名を出すと、友達は急に意外そうな顔になった。それから「雑用する体力あるの」なんてちょっと一見失礼なことも零している。まあ皆の見る彼はいつも机に突っ伏しているから、無理のない臆測だし、妥当な心配といえなくもない。


先生に頼まれた後もめんどくさそうな彼の表情を思い出して、何だか一人で可笑しくなった。笑いをそっと抑えつつ、昨日の寄り道は私の想い出にしておこう、とそっと心に秘めた。


一時限目は数学だ。最初から数学って、いや別にいいけど、なんだか飛ばしてる感がある。

ただそんな得意でもないから、個人的な心構えが他の教科よりしっかりしてる、っていうだけ。


教科書を出して適当に準備していると、ふらりと彼がやって来て隣の席に腰掛けた。

一々彼は音が小さい。物音も彼の手に掛かると皆静かになってしまう。静かに入って来て、さらっと座る。毎日のことだった。


別に挨拶する決まりもないので、そのまま本を読んで居ると彼の方から「はよ。それ何読んでるの」と一言。

…はよ、しか聞き取れなかったので最初は何かと思ったら朝のあいさつのようだった。おはようの発音も何故か省エネになるらしい。歩いて来たばかりだからか、力ない息混じりに問うてきた。

彼は鞄を机の横に掛けながら此方を注視している。

無地のブックカバーからは確かに内容が窺い知れないから、当然といえば当然の疑問だ。でも普段他に無関心(と思う)な彼が自分から訊いてくれたという状況に少し不思議な感じを覚えた。


「これ?太宰の随筆だよ」


彼は「ほーん」と良く分からない相槌だか何かを打った。

家の書斎にあったからなんとなく持って来て読んでるだけ。暇つぶしである。正直、小説は普段あんまり読まないが、随筆ならすいすい読みやすい。読書の慣れになればいいと思って、気休め程度に目を通している。一回読み出すとなかなか面白く、次々と、義務でもないのに真っすぐ読み進めてしまっていた。これは文豪の為せる話術なのか、偶然私が読みやすいだけだったのか、いまいちわからない。他の人のも読んでみようかな、と、ちょっと読書に対して前向きな気持ちを持てるきっかけになっていた。


「僕は川端の随筆読んだことある」


そういや。と彼は付け足した。私が太宰と何気なく言ったから、彼も対句みたいに名字だけで言ったのかもしれない。でもなんだか、さらりと言うその台詞が友達同士みたいで妙にツボに入って笑いそうになってしまった。

彼も随筆読むんだなあ。本が…想像するにぴったり似合いそう。

本を読んで居るのを見た事がなかった(なぜならいつも寝ているから)けど、机に突っ伏す以外の動作をしている彼を想起するのは新鮮でなんだか面白かった。…と、心の声をいいことにだいぶ失礼なことを呟いている気もする。まあいいか。


「随筆面白いよな、その人の一面見てるようで」


彼はいつの間にか腕を机上に畳み、その上に頬を乗せてなんとなくこっちを見ていた。もう殆んど寝る体勢であるが、まだ寝てないのでセーフかな…って、何がセーフなんだろう、私は。

この後すぐ寝る姿が容易に導かれる。…それよりも今は彼が話題を発展させたその内容に注意を向けることにした。彼は結構随筆が好きらしい。その理由が「その人の一面見てるようで」と、なんとも人間らしい感想である。間違いなく彼も人間なんだけど、こう、他人に関心を持つさまをほぼ見た事がなかったのでこの発言はわりかし衝撃的であった。朝から大きな事件である。

黙っているのは変なので取り敢えず「私も随筆なら読めるかなぁ。なんか小説と違って、その人が言った文章って感じで読みやすいんだよね。話してるみたいな」…と、思っていた大して中身の無いことを返す。


「あ、小説読まないの?読む方だと思ってた」

「昔のが読んでたかなぁ」


どうやら私は彼に読書家(?)だと思われていたようで、意外な言葉が返って来た。彼の前で見栄を張る事もないので、事実をそのまま述べる。昔の方が読み物に多く触れていた気がする。絵本なら喜んで何回も読んでいたんだけどな。


「あー、僕もそうかな。気付いたら寝てる」


と、今度は何とも彼らしい発言。でも、いつも一冊は何か携えて読んでいるらしい。今は何か、と訊いたら「牛肉と馬鈴薯ばれいしょ」と返って来た。なんだそれ、おいしそう。


「あの時代によくある感じ。タイムスリップしたみたいで面白いよ」


あの時代、がぴんと来ないけれど多分明治とかその辺だろう。それから、「騒がしいから実際にあの空間入るのは僕は御免だけど…」と付け加えた。何処までも彼らしい。やっぱり賑やかなのは苦手のようだ。これは予想通りだった。彼によると登場人物が結構居るらしい。飲み食いしながら理想を語ったりする、と。

その時代の価値観だか背景だかがよく出ている、らしいけど小説をひとつ読み切るのに私は大分時間を食うタイプだから、彼と同じ本に就いて語れる日が来るのはいつの事か。


それでも、少し共通の話題で会話が出来たのはやっぱり嬉しい。もうちょっと読書家になってもいいかな、なんてどうにも単純な志が芽生えた。まぁ悪い事じゃないし、教養も増えるから、切欠をくれた彼に感謝だなぁ。


のんびり話していたらもう授業始めの鐘が鳴る時間になっていた。ふと時計を見たと同時に鐘が鳴る。先生が挨拶と共に入って来る。


起立、礼をする間も、笑みを引きずってしまっていた。慌てて笑いを引っ込め、きりっと授業モードに切り替える。

いつも授業は新しいことばかりで楽しいけれど、今日は特にエンジンが掛かった。図らずして背中をポンと押してくれた彼にまたもや感謝だ。

彼は知らないうちに、こうして他の人から感謝されているのかなぁ、…そして相変わらず素知らぬ顔で涼やかにしているんだろうなあと思うと、また笑いが零れそうになった。

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