第8話 昼休憩の君に微笑む

三限目終了の鐘が鳴り、同時にお昼休みが始まった。

購買に行く人、お弁当の包みを広げる人、それぞれが一息つき始めた。


彼はいつもお弁当だ。シンプルながら綺麗な色どりで、いかにも彼らしいな、と思う。勝手な感想だけど、そこには彼の血を感じる。飾らない感じのお母上なのかなぁとか。


彼のところにはよく名上ながみさんが来て一緒にご飯を食べている。来て、というか元々前の席だけれど。毎日という訳ではないが、気まぐれで他の人と食べたり彼にちょっかい掛けにきたり色々だ。彼と食べる時は椅子をくるっと回して彼の机を特に断りなしに使っている。

近くに居る私はその名上さんとも自然と会話をするようになった。彼は隣の彼とは違って活発的で元気な人だ。でも自分の好きなようにしている、という点は案外に二人の共通点かもしれない。


私はいつもなら親しい友達がこっちに来るのだけれど、あいにく今日は法事で休みだ。だから彼らとのんびり話をしつつ弁当を広げることにした。


今日も名上さんはこちらで食べるらしい。一旦教室を出たかと思いきや、購買の袋を持って彼は気軽に現れた。

当然のように机を使ってくる彼に慣れたように山背くんは応対している。


「よ、皆川さん。今日こいつどうだった?」


…って、訊くまでもねえか。と、別に嫌味でもなく朗らかに言葉を続けようとした彼であったが、私の「あ、さっきとその前の授業は起きてたよ」という返しに、名上さんは思わず此方を二度見した。それから山背くんの方を見る。面白いリアクションだった。


え、えぇ、今日はどうしちまった…?と困惑しつつも名上さんは続けた。


「さっき…って事は国語と化学か」


山背くんはそれに返すことも無く弁当の包みを広げた。分かり切った事だから、沈黙が肯定ということだろう。


「ほー、変わったこともあるもんだな。にしても安心したよ。お前勉学だけは出来るけど授業態度ゼロじゃんかよ」

「……皆川さんが大豆バーくれた」


箸で一口目をつかみながら山背くんはそう言った。ここでまさか私のあげた大豆バーが出てくるとは思わなかった。それほど燃料あるのか、あの大豆バー。

本当に力になっているとは思わずこちらがびっくりしてしまった。


「え?大豆?ってよくあるあれか。俺もたまに食べるけど」

「そう。ひとつ余ってたし山背君にあげたんだ。お腹減ってたぽいし」


名上さんにそう答えると、彼はへー、と言いながら物珍しそうにちらりと山背君の方を見た。一方の山背君はというと平生と特に変わらずご飯を口に運んでいる。


名上さんはまた私の方に話を振って、「大豆バーってこれくらいの?」と、片手で大体の大きさを示した。一般的なあのくらいのサイズである。

うん、と肯定すると名上さんは黙々とお弁当を食べている彼に向って「お前燃費いいなぁ!」と改めて突っ込んだ。相変わらず自然で張りすぎない独特のトーンのツッコミである。学園祭で漫才とかやったら普通にウケそうだな。


特に大きな反応も示さないいつもの彼をいつも通りに見ながら「ふーん」と一段落した名上さんは、「じゃあ、その大豆のやつさ、まだあるの?」と何気なく切り出してきた。


「余ってたら俺にもくれない?」

「あー、さっきのが最後だったんだよね」


単純な事実を返すと、彼はさして落ち込みも驚きもせずに「あーそっか。そんなにこいつがエネルギー出すんだからどんなのなんだろって思ってさ。今度買ってこよーと」と、どこにも気を遣って居ない、少しぼーっとしたトーンで独り言のように語を継いだ。購買で買ってきた昼ご飯を食べ終わっていた彼は頭の後ろで両腕を組んで少し外を仰ぎ見た。良い青空。…ともなく、淡くて薄めの、水色をもう少し冴えなくさせたような空色だった。まぁ晴れていることには違いない。気分はそれなりに明るかった。


「それなんていうメーカーの?」

「えーっと、なんだっけな。テレビとかでやってるやつ。…なんだっけ」

「野端製菓のヘルシー大豆バー ホワイトチョコ」


あれだよあれ。有名なやつ、…とニュアンスで伝えようとしていたら、それまで私たちの会話を何となく聞き流していた山背くんがあっさり答えを差し伸べた。

よく覚えてるなぁ…。元々知っていたのかな。


「あーあれか。てかよく覚えてんな。気に入ったん?」

「さっき貰った時に外袋に書いてあった」

「それにしてもだよ。お前記憶力は良いよな。…よく寝るからか!」


同じような感想を抱いたらしい名上さんがふとその言葉を零すと、山背くんは当たり前のようなそうでもないような事を言った。そんなに凝視している様子はなかったけどなぁ。しかもフルで商品名を機械的に答えられるとは思わなかった。

名上さんは自問自答して、自らの答えが結局彼の一番の性格(?)である「寝る」に結び付いた事で納得したのか大きめに笑った。

それを山背くんは「そんなに面白い?」みたいな目でちょっと変わったものを見るような表情をしている。それさえたいして気になってはいないようで、まぁいいや、とまた箸を動かし始めた。


いつも通り、…ただ、私が彼らの輪に何となく最初から最後まで入っていて会話が私と名上さんによって主に続けられたこと以外は、ごくいつもの昼休憩だった。


山背くんがお弁当の最後の一口を運ぶ瞬間をなんとなしに見つめていた名上さんは、それから「よし!これで午後も起きられそうか」と訊いた。訊くというより決定事項のような口調だけれど。


「…うん、まぁ……頑張ってはみるよ」


私達二人の視線を受けながらちょっと目を何処かへやって山背くんが紡いだ応答は、傍から聞くとだいぶ頼りない言葉のようだったが、我々の感覚からすれば、否定をしないでとりあえず肯定的な返事が紡がれただけでおおいに驚きに値するものだった。感覚が多分、いや確実に彼に引きずられている。知らない間に。

名上さんも「おう、その意気だぜ」といつもの笑顔で拳を出す。山背くんはそれを暫く凝視してから、やる気なさそうにそこへコツン、と自らの拳をぶつけて応対した。一応乗ってくれたことに対して名上さんはけらけらと一層朗らかに声をあげた。


なんというか、端的な感想だけれど、平和だなぁ。ちょっとしたさざなみ程度の起伏しかない穏やかな一日が過ぎていく。私たちにとってはこれがこの上なく面白くて、たくさんの事件の積み重ねなんだけれど。地球スケールで考えてしまうとごくごく、もう何も起こっていないに等しいような日常だった。それが誠にありがたく、ずっと続けばいいなと思うのだった。…いや、当たり前のようにずっと続くものだと思っていた。本当に幸せな時間って、終わりを意識する隙間もほとんどないし、顧みられないようなものなんだよね。

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