第7話 国語授業に君は微笑む

今度は現代文の授業だ。おなじみの鐘の音が響き、ゆるりと始まりの礼をする。

…いや、別に私までゆるりとする必要は無いのだけれど、例の隣の席の彼がこれまたゆっくり礼をするので、気付かずして私までそんなゆるやかな礼になってしまった。


ちらと彼の方を見ると、案外に彼も同時に私の方を見て、目が合った。

目が合うなり、右手でぐっ、と、なんとなく気の入らないような、どこかやっぱり眠そうな目で親指を立てて「だいじょうぶ」の意を無言で送って来た。うっすら微笑んでいたけど、大丈夫だろうか。

思ったよりも大豆バーが効いているなと私はその効果にちょっと感心しながら、彼に向かってひとつ頷いてまた授業に戻った。


今日は梶井なんとかさんの、大正昭和の文章だかどうだか、初めて接する文章だった。だから何文かごとにひとりずつ、席順にへびを描くように段々読んでいく。私たちは窓際の方だからすぐ来るかなと思ったら、今日は先生の気まぐれで廊下側から読むらしく、大分後の順番になった。

ひとりひとり、声の色も大きさも違う生徒たちが一連の文章をなぞってゆく。

そんな静かながらも繋いでゆく文学のリレーは、学校特有の流れと独特の雰囲気を纏っていて、私はそれがなんとなく好きだなあと思った。


そうこうして話に浸っているうちに、私の番が近づく。別に気にしないでいいと思うのだけれど、何回やってもやっぱり少し緊張する。ああ来るな、って感じで、ちょっと先読みして自分の読むところを目で予習しておく。読めない漢字とか突っかえそうな所はあるかな、とか危惧して。…大丈夫そう。

そうしているから、いつも私の少し前の人たちが読んでいる部分をきまって曖昧に聞き流してしまう。そして自分が読み終わってから、その聞き逃した部分を急いで履修して追いつこうとするのだ。小心者の私は、いつもこんな感じ。

…きっと隣の彼は、そんな事ないんだろうな。ぼうっと、…しているようでちゃんと聞いていて、自分の番になったらすっと切り替えて平然と音読する。私みたいな急いた先読みはしないんだろうな。


そして音読の時間だからだろうか、彼はちゃんと目を開けていた。ちら、と隣を見るとそんな彼の様子が目に入ったからちょっとびっくりした。本当に大豆バーがそんなに効いたのかわからないけれど。とにかく、授業最初の、ぐっ、の合図は伊達じゃなかったようだ。

そういえば彼は音読の授業の時でさえも寝ていたな。いや、自分の担当箇所の直前になると何故か何事もなかったように、さも最初から真面目に受けていましたという顔つきで起き上がり、難なく普通に読みこなす。やっぱり頭がいい、…というか、要領が良いんだろうな。きっと最小燃料で行動される身体なんだろう。なんだそれ、今更ながらちょっと憎いぞ。


…いや、そう思いつつ、きっと憎めないんだから、彼は色々と要領の良過ぎる人だ。

ちょっとうらやましい。なんて思ったところでなにも始まらないけれど。


今回も彼は前の人の文章の流れを受け継ぎ、綺麗に音読を済ませた。彼の声には特徴が無いが、それと同時に耳触りが良く、澄んだ響きを持っている。改めて意識しないと気づかないけれど、あるようでないような声質だ。決して不快ではない事だけは確か。まるで彼自体のようだと思った。気にしないと見過ごすけれど、ちょっと目を向けると確かな長所が浮き上がってくる。

…ここまで考えて、私は何を考えているんだろう、と自らの観察力(…?)に呆れてしまった。だけど、こんなことを考えてる間、私は確かに何となく贅沢な、気恥ずかしい様な気持ちを感ずるのだった。何でかはよく分からないが。それも彼の持つ独特な雰囲気の所為だろうか。取り敢えず、その所為だということにしておいて私は教科書の内容に意識を向け直した。…結構進んでいる。つらつらと考え事をしていた内に遅れを取っていたようだ。ささっと急いで読み進め、なんとか今読まれている箇所の文章まで追いついた。


こんな事をしているうちにも、私は少なくとも嫌な気持はしていないのだった。

気付いたら彼の事に気を取られていたのも、ちょっとしゃくかもしれないけど。でもやっぱり、彼のことは到底「憎めない」のだった。


そうこうしていると私の番だ。ちょっと息が詰まりそうになりつつも、緊張を自覚しながらなんとか読み終わった。文字通りの一段落がついた。


…終わった。読むだけ、そう、文を声でなぞるだけなのだが、なんとなく、改めて授業中に声を出すことに慣れて居ない。みんなはそんな事無いんだろうなぁ。隣の彼みたいに発表を涼しくやりすごせるようになれたら…なんて考えてしまうが、それでも緊張した分、達成感は人一倍だった。こんなに小さな、ただの段落ごとの音読だけれど。ここにきて私は、あぁ自分の事も案外、…いわば、同じく憎めないんだな、と省みるのだった。

彼の事をつらつら考えたのをきっかけに、自分のこともちょっとばかし客観的に見られたみたい。そして心の中だけでひそかに、また眠そうな目をし出した隣の席の生徒…彼にこっそり笑って感謝をした。

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