第5話 君にぴったりな間食を君に

翌日。

彼は相変わらずその窓際の席で寝ていた。


昨日の「努力する」宣言はなんだったんだ…。…いや、”努力する”…だから、実行に移すとは言ってないな…って、そういう問題では……。


私はやけに動きの無くなった隣の席に目を向けて、その安眠を確認すると、やっぱりなぁと内心微笑んでしまった。駄目なのに。授業を受けるのが本当なのに。


現在の教科は数学。並ぶ微分記号に彼の眠気も絶好調のようなのか…、いや、この彼にとってあまり内容は関係ないのだろう。彼はどの授業であれ寝ることを喜びと…?、というより人間としての本能としているのだろう。


それよりも、きっと彼は授業内容を容易に理解してしまうんだろうから、授業が分からないということは無いだろう…、ほんとになんなんだこの人は。


さっきの国語は起きてたのに。というより、今朝、私がそういうことを言ったからだろうけれど。「んーまあ……ああ昨日意外と楽しかったし…。」という案外肯定的な返事を受け取った私は、あわよくば今日一日彼は一回も寝ないかもと一瞬でも期待してしまったのに。

そんな甘くなかった。……って、そもそも彼が甘いのがいけないんだけど。


「はいここで微積分学の基本定理が~…」


まず数学は名前が立派だ。そこに惹かれる者もいれば、その威厳と立派さに固定観念を持ち謙遜してしまう者も居る。


彼はどちらかというと前者だと思うんだけど…。ちらと左隣を見て頬杖をつき小さく心で息をついた。


別にむずかしくは無いんだけど。響きがどうも難しそうな用語ばかり固められている所為かお固く聞こえる。


基本定理って言うくらいだから内容も比較的単純だけどその「基本定理」って響きが何故か難しそうに聞こえる。…なんてことを一人で思いながら一応授業を真面目に聴く。



―結局彼は起きなかった。終了の鐘でも起きないのかと思ったら、先生の号令で目が覚めた様子の彼はのんびりと椅子を引いて一応私たちと同じく礼をしていた。


「寝てたね」

ついそう左隣に向かって声を掛けると、うん…、と気の抜けたような返事を返してくれた。いや、うん…、じゃないよ…。でもテストではいい点を取ってそうだから、私がなんとか言うものではない。ただ、寝てたね。それだけ。


「ああーちょっとねーやっぱ癖はそう簡単には抜けないわ…」


そういう事か…、と何故かひどく納得して私はへえと頷いた。一応起きるつもりではあった・・・のかな、あったらしい。


次は科学だ。それを告げると「ああ~無理…午前中あと2時間もあるとか無理…」と弱音だか適当だかよくわからない、これまた気の無い声で机に突っ伏した。


子供か。いや子供…なんだけど。君、仮にもって言ったら失礼だけど、特進クラスだぞ。先生のあれとか大丈夫なのかな…とおせっかいにも心配になる。


「ああ~なんかおいしいやつとか無いと無理…」


珍しく彼の口から今まで聞いたことのない言葉を聞くと私はびっくりした。彼はいつも眠いか眠いか…まあそんな類の事ばかり口にしていたから。新鮮味があって驚いた。最近、今まであまり聞かなかったことをよく聞けるなぁ、と面白く思っていると、ふと鞄に入っている大豆バーの事を思い出した。ヘルシー志向。


「あっ…」と声を上げて鞄を漁りだす私を、彼は顔をこちらに向けてじっと見ていた。…私は鞄の中を見ているけれどなんとなくその視線が分かる。大豆バー…あ、あった。


これ。と彼にそれを見せると、「えっなにそれ…おいしそう…」と意外と食いついてきた。あれ。大豆バーなんて変わったチョイス笑われるかと思ったのに。中々渋いね、と友人にも決まって突っ込まれる。いや、これ、好きなんだよ。若干ホワイトチョコレートぽいのが掛かってて全体的に白くてヘルシーな感じがする。


意外と気に入ってくれたので私は気分がよくなってそのままはい、と渡した。

彼はそういわれると大豆が似合いそうな気がする。あっ、そういえば肌も白めだし。


よっしゃー、と棒読みにまで聞こえるいつもの気の抜けた声で彼はちいさく微笑む。それに私は思いだしたように、実際今思いだして彼に付け足す。


「それ食べたら頑張ってねー」


なんだか恥ずかしくて間延びした言い方になってしまった。けど、伝えたいことは伝えた。これで、授業、みんなと受けてくれると嬉しいんだけど。


「んーうま」


ありがとう、という声が聴こえたかと思うと、彼はもう袋を開けてバーを味わっていた。さっきの言葉、聞いてたかな。まあいっか。


彼はそれを美味しいとかどこで買ったのとか言って私と会話しながらそれを食べ終わると、ごみを捨てに前の席の方へと歩いて行った。


帰ってきた彼は、「科学…なんか4時限目までいけそう この大豆」と席につきながら私の方を向きつつそう言ってくれた。聞こえてたみたいだ。よかった。


大豆バーのファンがそっと一人増えて、私はその意味でも嬉しかった。また買いに行こう。今度は自分の分を。

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