第4話 君の概念を君は上塗る

「そこでEUが―…」


はい始めるよ、と竹崎先生の手を叩く音で始まった四時限目の現代社会。通称現社。


今日は世界の連盟や国際連合の話。おうおう。ここら辺は中学時代の知識とも繋がってくる。ひだり隣のあの人も興味を持って楽しんでくれるといいんだけど。


……おー…おう?私は左隣をちらと見て、いや見るつもりだったのだがつい数秒凝視してしまった。失礼かもしれないが意外と、思いのほか、に彼はまっすぐ前を向いて先生の話を聞いていた。いや、もうこれは「聴く」なのかもしれない。すごく身をまっすぐに現社に向けて授業に臨んでいる。もはや以前の彼の姿が嘘のようだ。すごいな、と思う。


慌てて私も目線を前に向け直して授業に集中した。隣の彼もあんなに頑張っているのだから私も頑張らなくちゃ、という気分が自然と訪れる。


ああ多い。ASEANとかOPECとか。まだ序の口らしく、他にもありますよ~と軽い補足のように先生は次々アルファベットの略字を口にしては日本語名称を次に述べる。欧州なんとか機構、多すぎだろ。



……な、なに――…っ!?


何か隣の方が動いたので横を見ると、なんと彼はノートを書いていた。あ、あの彼が板書…!?と失礼ながらまたしも驚愕していると、ふと周りの生徒たちが目に入る。みな普通に授業を受けているが、数人眠たそうなものもいる。きっと夜が遅めだったんだろうな、と同情しつつまた授業に意識を向ける。


彼、まずノート持ってたんだ…現社用のノートではないのかもしれないが、彼が現社でまず起きていたことが無いのでましてや現社でノートを取るだなんて今まで考えたことすら無かった。それ以前に想像も付かなかった。


それから彼は圧倒的な"真面目でできる高校生のような雰囲気"を絶やすことなく授業終了まで持ち込んだ。


正直あたりを見渡しても、彼ほどきらきらと授業に集中している者は居なかった。クラスで一番しゃきっと姿勢も正し、視線はまっすぐ前方を見据えていた。自然と隣にいる私まで「真面目にならなければ」と思わせられた。


…この子、才能あるんじゃないかしら。と半ば親馬鹿の母のような感想を抱いて終了の起立、礼を済ませた。




「すごいね…、全然寝るどころかめちゃくちゃ授業態度良かったじゃん…」


「え そう」


ちらと見た彼のノートにはOPECとかUNICEFとかと書かれている。

彼はちらとこちらを向いて一言、語尾をほわんと上げて聞き返してきた。嘘でしょ…自覚無いの…、とこちらも語尾をふわんと上げて訊き返す。


自覚が無くてあの態度だったらきっともともと授業の受け方が完璧なのだろう。姿勢も良くてまなざしはまっすぐで、なにより「聞いてます!!」という全身からのアピールが感じられる。評定あがりそー。それ続けてたら、の話ですが。


「あっ、絶対その授業態度続けてたら成績伸びるよ。続けよう」


彼は机に突っ伏して顔だけこちらに向けて、「えっそう??」ともう一度返した。


なんとなく腑に落ちなさそうな雰囲気なので逆にこちらが思っていることを訊いてみる。なぜ今までずっと授業寝て過ごしてきたのか、と。力量はあるのに勿体無い。


―――…いやー最初はねー1年の頃はねー良かったんだけどさ、一回すごく調子悪い日があって…それで一回、科学だか生物だかの時かな、寝ちゃったんだよね。

そっからなんだかーーリミットがこう、外れたみたいな?いや、寝てもいいんだわ、というか、授業中って寝ても死なないんだわ、っていや当たり前だけどさーでなんか癖になってさ、あと最近学年上がってからなんかだるくて寝てた



…ほう。その彼が説明してくれた返答をふむと無言で頷きつつ聞き入れる。あれ、意外とさっぱりした原因だったな?とこちらが呆気にとられ、少し拍子抜けしてしまう。


なるほど、それまで居眠りしたことは無かったが、その一回が味を占めてしまったということか。

高校が義務教育の頃のようにあまりうるさく生徒を起こさないので、それも相まったのだろう。いや、まああきらめというのもあるのだろうが。にしてももう少し先生は彼を起こしてあげなかったのか…



「そっか、じゃあもともと普通だったんだね」


というと「普通って」、と彼は顔を崩して笑った。


その朗らかな笑みは最近いつの間にか私の励ましや「頑張ろう」と思える元気のもとみたいになっていた。元気の素、っていうのも些か恥ずかしい気もするけど。でも私はもともと人とお話しするのが好きな方だから、少なくとも彼からの会話の返答で私はよい気分転換を得ていた。


「ところで、どうだった?」授業。 とひとこと。それが訊きたかった。いったいどうだったのか。私の提案は苦痛を生み出していなかったかと……、って、いやもともと授業は起きてるものだけどね。


うーん、と少し思いを巡らせるしぐさを見せてから彼は言った。


「久しぶりにまともに授業を受けてたけど・・・、やっぱ楽しいね。意外と。やっぱ好きだわ。ノート取るのもなんかひっさしぶりでわくわくした」


はは、授業っておもしろかったんだな、そういえば、と笑う君の表情をみて、こちらもはっとさせられた。なんだ、もともと寝てる人じゃなかったのか。彼っていつもそういう姿しか見せたことないから、私は、そういうものなのだと勝手に思い込んでいた。やっぱ失礼だったな、と反省して彼を見直す。確かに彼がノートを取るのは「ひっさしぶり」だろう、だって隣の私も初めて見たんだから。


一年生の頃の毎日いつも真面目に授業を受けてる彼も見てみたかったなぁ…と思ってから私はもう一度思い起こして彼にそっと言う。


「じゃあ、これから一緒に授業受けます?」


何故か改まって訊いてしまう。元々授業は同じクラスで受けていたが、彼はそのたび別の世界(?)に行ってたから先生の話を一緒に聴くという事もあまり無かった。隣に居つつ、全く別の事をしていた。…って、別の事をしてるのはクラスで君の方だけなんだけど。



「えーうんーでもなんか…ライフが…なんかあんまり残ってない」



――――やはり長い間の癖を直すのにはそれなりのゆっくりとした時間が必要なのだった。


ちょっと婉曲的にやんわり不可能の可能性を仄めかす彼に、私はどこかでちょっと「いつもの知ってる」彼に落ち着いて、私の中の彼のイメージと迎合して呆れ笑いをしつつもどこかでほっとしてしまっていたのだった。

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