第3話

 5.

 翌週。

 僕はいつも通り、彼女のそばに座っていた。

 ふと、会話を始めた。

「ねぇ」

「うん?何」

 僕は少しだけ、真剣な声で、真剣な顔をして、聞いた。

「調子はどう?」


  彼女は一瞬動きを止めて、

「元気だよーん」

 とうそぶいた。


 彼女はいつもそうやってごまかすことを僕は知っている。

 元気じゃない時も。もちろん元気な時も。


「そう」

  そういう時には、僕は笑うだけだ。きつく言っても答えてくれない。


 あ、


 コトン、と音がした。

 彼女の手のひらで転がっていた、が落ちた。


「まーくん」

「はいはい、待ってて」

 僕は彼女が口にする前に行動した。

 地面に落ちたを拾ってやる。


 僕はそれを手に取った。

「はい、手を開いて」

「はいはい、ごめんね」

 柚子は言われた通り、手のひらを開いて上に向けた。彼女の目は前をぼんやりと見ているだけだ。

 僕がしっかり彼女の手の中に戻してやった。

 

 ここで知らないふりをすることも出来た。

 だけど、もう一度問いかける機会でもあった。


 もう前よりも見えなくなっているのだろう。

 不安になった僕はもう一度聞いた。

「調子はいいの?」

 彼女は考え込んでから、

「あんまりよくないよ」

 と、寂しそうにつぶやいた。

「うん」

  やっぱり、悪くなっているみたいだ。でも、何も言えない僕は頷くしかなかった。


 母親みたいな顔をして、とりあえず受け入れるしかない。

 僕は話を変えた。

「あのね、柚子」

「ん?どうした?」

「前、柚子に見せた短編、どこかに送ろうと思うんだ」

「おー!すごいよ!やりなよ!」

 彼女は、とても嬉しそうな反応をした。綺麗な笑顔だった。

「そ、そう?」

「そうだよ」

 彼女は強く言い切った。何がすごいのかわからないけど、なんだか照れくさかった。

「あ、満更でもないんでしょ。うれしんだ」

「そりゃ、すこしは晴れ晴れとしたいさ。まぁ、落選するだけだよ」

「それでもいいじゃん。私は何かに引っかかることに期待するよ」

 彼女は先ほど落とした眼鏡を手のひらで握ったり離したりしながら答えた。

「そうかな」

「自信がないだけだよ。大丈夫だって」

 ふと手を止めて、まっすぐ宙を見た。

 きっとその眼にはもう病院の白さは見えていないんだろう。

「うん」

「いつもまーくんはそうやって女々しいんだから」

「女々しくてごめんね」

「謝らないの」

 彼女に怒られてしまった。

 

 こうして一通り会話を終えた僕はもう帰ることした。


「じゃあね、柚子」

「うん、バイバイ」


 病室のドアを開けた途端。後ろから声がした。

「はやく、彼女、作りなね」

 もちろん彼女の声だ。

「つくれるわけないだろ、こんな俺に」

 すこしだけ、鼓動が早くなった。ほんとうに、すこしだけ。

「え~」


 その声を背に僕は部屋をでた。



 6.

 彼女が何の病気か、僕には教えてくれない。


 どうやらその症状として、まず視力が落ちているらしい。彼女が言わなくても分かるまでに時間はかからなかった。

 彼女はゆっくりと、だんだんと、だが確実に、ものが見えなくなっているそうだ。最終的には失明までいくのかもしれない。

 いつからかルーペみたいに大きな眼鏡が欠かせなくなった。


 次に、食欲だった。失せたのだ。病院食を残す量が増えた。もともと小食だったが、それが悪化していった。ついに先々週から点滴に変わった。

 だけど、僕がそれに気付いても真面目なふりはしない。点滴に気付いた時には、知らない顔をして、でもいたずら心で聞いてやった。「今日のお昼はなんだったの?」

 彼女は、特に何の反応もなく「食べられないゼリーだよ」と答えた。「ふうん、そうなんだ。じゃあ僕の読めない小説と変わらないね」と言ったら、またいつもみたいにきれいな顔で笑っていた。「えへへ、私、うまく言えたかな?」「うん。こりゃ一本取られましたよ」



 彼女は僕に何の症状があるかをちゃんと説明したことがなかった。

 だから、僕にとってみれば、柚子はらしい。実際そのように振る舞いたがる。そんなことないのに。

 そんなことあり得ないって知ってるくせに。



 どうして彼女は言わないのだろうか。

 そもそも入院している時点で僕だって気づく。


 時に、言わない理由を考えることにする。


 ここから先は僕の妄想。僕の妄想ならば、どんなものでもいい。きっとこれは逃避なのかもしれないけど。


 彼女は言わない理由は何か?

 果たして彼女の病気とは何か?

 僕は妄想する。


 柚子は病気を言ってはいけないのかもしれない。それはまるで王様の耳はロバの耳といったように。あるいは雪女のように。秘密を洩らした瞬間に彼女の命は危機に瀕してしまうのかもしれない。もしくは秘密の闇組織との並々ならぬ因縁があるとか。

 じゃあ。僕が彼女を救わないと。言わなくても分かってやらないと。


 もしくは。ここまでが全部演技だった可能性もある。それは何か。

 実は彼女は、僕の気持ちなんてとっくの昔から気付いていて、でも、そんな僕のことが昔から疎ましかったのだ。ここで実は僕の知らない間に、柚子は彼女にとっての運命の人とかなんとかに出会ってしまった。この二人で愛を成就する際には僕が邪魔になる。ここで二人は考えた。僕の前から「柚子はもういなくなってしまった」と思い込ませるのだ……まぁこれ以上考えるのはよそう。


 さらには。彼女がそもそも人間じゃないという仮説だってある。地球にきて地球のなにか謎のウイルスに感染してしまったのだ。とりあえず、人間の形を取って入院してるとか。まぁ半分おふざけだけど。


 全部都合がいいものばかりだ。

 すべてを悟った僕が誰も予想しない行動を起こし、きっと最後はめちゃくちゃなハッピーエンドになる、のかもしれない。


 彼女との面会の帰り道は、いつもこんなことばかり考える。


 週一回の面会が終わると、僕はまた君に会いたくなるんだ。結構すぐに。結構っていうのは君と別れて家に帰ったときには、ぐらいかな。いつも何かが起こるたびに「これは柚子に話せるかな」って基準にしてしまうんだ。家でする独り言は意味なんてない。君と話したい。だからむなしい。



 僕はずっと妄想の世界でも彼女といた。彼女のことばかり考えていた。

 常に君と居た。そんなこと言ったら、本当に気持ち悪がられてしまいそうだ。




 だから、あの時。

 君が死んだなんて、全く信じられなかったんだ。

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