第2話


3.

 僕と彼女の関係を言葉で表現することは難しい。

 ただ、最初の話に戻るならば、彼女は僕の小説が読めないのだ。

 まぁ、僕は有名な作家ではない。そもそも本なんて出したことがない。学生時代の頃に、誰にも見られないように、こそこそと駄文を連ねていただけのアマチュアである。


 誰にも見せたくなかったけれど、誰かは評価してくれるんじゃないか、といつもそんな妄想ばかりしていた。学生時代に書いた文章は文庫本一冊にも及ばない少なさだけれど、当時はそれだけで偉大な作家になったような気分だったし、自意識も過剰だったのだと思う。


 彼女はそんな自分を見ていた。

 だけど、彼女は最初から読めなかった。読む気がなかったのではない。読めなかったのだ。

 それを知っていて、僕はいつも彼女に原稿を見せていた。

 


4.

「これ、どういう意味なの?」

 柚子がプリントされた原稿用紙を見ながら訪ねた。

「あぁ、これはただの言葉遊びだよ、それに意味なんてないんだ」

 僕は何気ない風を装って答えた。

「ふうん、あんまり見えないね」

 彼女の返事はそっけなかった。その反応は気になった。それは良しなのか悪しなのかはっきりさせてほしかった。

 彼女の質問は続く。これは小説を読むためには彼女にとって必要なのだ。


「これは? なんかわかりにくいけど」

 彼女が指摘したのは、物語の後半の変に文がねじれていくシーンである。もちろん僕にも考えがあってのことである。

「これは、僕のメッセージだよ。ちょっとわかりにくいけど。寓話みたいにしたかった」

「じゃあ。要は人間はおろかだったってようなことが言いたかったの?」

 彼女の目は真剣だ。ふざけて言っているわけではない。

 それは分かっているけれど、言うことが的外れな時もある。あるのだ。

「いや、そこまで大きなことは言ってない」つもりなんだけどなぁ・・・・・・と、声がしぼんでいって、後ろの部分は空気に溶けてしまった。

「でも、柚子がそんな読み方ができたなら、だいたい伝わってると思う」


 これは確実な嘘になると思う。確かにそこまで大きなことは言ってない。確かに寓話にしたかったから、愚かな人間の話を書くんだけど。しかし、彼女がそう語るならそれでいいんじゃないだろうかとも思った。


「これは?」

「これは読み手に考えてほしい部分だよ、まぁ僕の中で考えはあるけど」

「さっきと違うの?」

「いくつも読めるように狙って書いてるから、その人が持つ感覚で読めたら、それが正解なんだと思う」

「そんなこと考えながら書いたの、さすが」

「そんなことないよ、俺は結構へたくそだし。それよりも柚子にはどう読めたの?」

「うーん、ここはあんまり分かんなかったかな、ごめんね」

 そうやって謝られるとこちらも非常に困る。本当に分かりにくかったかもしれないから。

「いや、全然いいよ、大丈夫。そうか、読めなかったか」


 肩透かしを食らったように気持ちになったのは仕方ない。読まれると思ったものが読まれていないと悲しさはあるのは仕方がない。


 全部僕だけの勝手な気持ちだが、少しでも彼女に分かってもらえればいい。


「総じて……分かりにくいよ」

 彼女は、原稿をぱらーっと全部見ながら言った。

「知ってる、そうしてるんだよ」

「そうだとしても、わかりにくいの。これじゃあ、読む人困っちゃうよ」

「そうかな」

「そうだよ」


 彼女にそう言われてしまうと、気持ちが揺らいで、直したくなってしまうのだ。

「ちゃんと読んでる?」とは怒れなかった。いつもいつも。


 僕は気を改めた。どうせ僕がこの病室で、そばで解説すればいいことでもある。

「じゃあ、これは、何?」

「これは前回の伏線」

「まーくん、前、言葉遊びって言ってたじゃん」

彼女はちゃんと読んでない癖に、僕の発言だけはちゃんと覚えているのだ。

「そうだったけど、こうやって話が膨らんだら伏線みたいになったんだよ、きれいでしょ?」

「うん、確かにそれはそうだけど。うーん、ぴんと来ない」

 彼女は唇を下方向に引いて、何とも言えない顔をした。

 僕も何となく、同じ表情をした。

「なにしてるの?」

「君と同じ表情」

「分かんない」

 と彼女は笑った。

 あぁ、その笑顔、好き。そう思った。

 僕はいつでも彼女に読ませて、彼女に笑ってほしいんだ。それ以外に特に深い意味なんてない。本気で作家を妄想することはあっても、本気で作家なんて目指す努力をしたことがないのだから。


 要は、僕は彼女に惚れているだけであって。小説はただの二人だけの暗号で。僕は、ただ柚子という少女とつながってたいだけだった。彼女のそばにいられるなら、別に文学者になれなくてもいいと思っていた。小説家になるにはあまりにも不純すぎる動機だろう。


 一通りお話が終わったら、僕は帰ることになる。これがいつもの流れ。

 また、彼女のために何か良く分からないものを書き始めるのだろう。


「じゃあ、今度、またなんか書いてくるね」

「はーい、またね、元気でね」

 彼女は結局、僕が買ってきた本を読んでいた。入院中は暇なのだろう。

 僕は部屋から出ていく直前、もう一度彼女の姿を見て、ドアを閉めて出て行った。

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