4ビンめ 黄色い鯨とドラゴンサソリ
女が『ラバルツの魔術書』と呼んだ書物は、革で造られたガッチリとしたもので、見るからにいわくありげな風貌をしてたが、はじめに少年の目に映ったように中身のページには、文字もしるしも記されてないように見えた。
この書物の中には字に相当するものは無い。そのかわりの役割を持ったもの――字で無い何かがそこにはあるのだった。
「……こ、こ、この中で動いてる鶏みたいなのはっ……何ですかぁっ……」
少年は小声で、書物に息がかからないよう真横を向いて問いかける。
女はそれを耳にすると顔の筋肉の緊張を少しゆるめ、少年を取り囲んだ尻尾で軽々と持ち上げ、濃い茶色の
あぶらのような感触のどろどろ尻尾が、腕や膝にべたっとまとわりつく。
「ドラゴンサソリの報告どおりだ、誰かさんはラバルツの眼になってるし、指になってる」
「ゆび……、えっ?」
女は細長い指を今度は少年の左の手の指にからめながら視線を落とした。
長い髪も同時に流れて手のまわりを囲むように垂れさがる。一段高いゆかの上にギシッと音をたてて坐らせられた少年は、またかたくかたくまぶたを閉じる。
「ずっと頼み込んだ効があった――ドラゴンサソリに言っておいたのさ、黄色い
少年のとび茶色の前髪を
「さっきのページに見えたのは鶏か……いいぞ。その鶏はどの方角を」
「んんん……」
目をとじたまま、さっきページに浮かんでたしみか影絵のような鶏が向いてた向きに首を動かす少年。
「鶏の方角は古い教えどおりか……、口伝も少しはあてになってたわけだ」
一段高くなっているゆかの右脇にはカウンター状の板が渡してあり、その上にひろげられていた濃い茶色の紙へ、女は赤色の液体で何かを書き付けた。視線は少年のほうを向いたままで、本当にザッとした走り書きだった。
「ようやく黄色い鯨があくびをした日が来たこと、感謝しなければな」
少年は、もうただただ女とそのどろどろ尻尾に肉迫されつづけるだけだった。
(……ほんとにいったいなんなんだ…………)
ほんの少しの間を置いて、いつ手に取ったのか女はまた書物を片手に持ち、片手で少年の口元に自分の衣裳を押し当てると、その『ラバルツの魔術書』の見開きを示した。突然、口元にちからが加えられたのでサイヴァイもかたくかたくとじてたまぶたを恐怖から開いてしまった。
「ここから先が望みにつながる箇所だ、さあ誰かさんのラバルツのちからを存分に借りたいぞ」
どろどろとした尻尾の何本かは少年の尻尾にまとわりつき、締め付けてはいないものの、すぐに行動は出せるという威圧を醸し出して身動きさせまいとして来る。
ページと視覚の間くらいの場所に浮き上がる曖昧≪あいまい≫な影絵のようなしみは、おもむろにその形をハッキリさせてった。
◆
何時間かが過ぎて、とび茶色の少年の髪には女がなでた痕跡として赤色の液体がいくすじかの線を引いてた。鶏のあとに『ラバルツの魔術書』のそれぞれの見開きから浮き上がって来たのは、
この書物に浮かび上がる影像は、女の目には確認できていないようで、さっき口にしてたラバルツのちから――どうやら、サイヴァイの手に起きた原因の不詳なピリピリが、その読み取りのカギをにぎってるようだった。
数が増えてゆくたび、女の表情は何かに高揚してるようで、少年の口元に押し当てる衣裳の手もときどき少し
「さんざん
「話しかけるな」
「でも……そのっ、……いったい……」
「か・け・る・な」
「ハ……っ、うっ!!」
いままで締め付けられることは無かった女のどろどろ尻尾が、強い勢いでまだ小さい
イスやテーブルにぶつけられたときの比じゃない程の勢いが尻尾の神経を通じて走り、少年は顔をくぐもらせてそのままゆかに倒れ込んでしまった。
「断片にすぎなかった口伝も、ラバルツのちからを受けた眼で筋道すべて明るくなった! 山羊の星をあおぐ先……鶏の鳴く先………山の
女はよろこびから出るのか小刻みな震えによって垂れかかる長い髪をしばしば分けながら紙の上の走り書きを見つめると、少年にからみつけてたどろどろ尻尾をほちほちと離すと、それをあとに引きながら室内を奥へと進み、大きな
短縮処理をかけてるのか、その呪文はほぼ2、3文字程だった。尻尾にちからを入れても痛みがやっとなくなって態勢を少しあげたばかりの少年には、短すぎて何の詠誦をしてるのかサッパリ聞き取れもしなかったが、顔をそちらに向けた頃には、女のそばにかなりの体高のドラゴンサソリが居たので、それが呼び出しの短縮呪文だったことはなんとなく知ることは出来た。
「ゴガジャジャジャ」
ドラゴンサソリが長い髪の女に向かって何かを語る。ドラゴンサソリたちの言語は、一定以上の魔法使いたちでなければ分からないと言われてるだけあって、サイヴァイには何と言ってるのか分からない。
それに対して女は、さっきの短縮呪文とは較べものにならない程の長さの呪文をドラゴンサソリに吹き込ませる。ドラゴンサソリこまかい配送先などを吹き込むときの呪文がとっても長いものだということは、少年も石室で何度か見たことのある光景と一致したので察しがついた、何か彼らに
「大事なことだ急げよ」
「ゴガジャジャジャジャ」
鎧戸をいつ通ったのか分からないうちにドラゴンサソリの姿は見えなくなってた。
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