偶然 2
後日、私は再び田中と佐藤から連絡を受け、施設の休憩室に呼び出された。
「何度もお呼びたてして申し訳ありません」
二人は丁寧に頭を下げたが、にこやかな笑顔に反して目は全く笑っていなかった。
「志賀さんの意見をお聞きしたいことがあったものですから」
「私の?」
「ええ。阿久戸さんの次にベテランのあなたであれば、我々の推理を補強してくれるのではないかと」
そう言って、今度は佐藤が会話を主導した。
「色々な可能性でこの案件を見ていくうちに、面白い仮説を思いついたものですから。ぜひ、専門家のあなたに聞いてもらいたいのです」
「私でお役に立てることがあるでしょうか?」
「あなたでなければならないのです。介護のプロであり、何より六科さんと長い時間過ごしてきたあなたでなければ」
ではご説明します、と佐藤はメモを開いた。
「六科さんが阿久戸さんをハンマーで殴打したのは、間違いありません。ただ、我々の中にそうするよう仕向けた人間がいるのではないか、と、まあ突拍子もない可能性を言い出した馬鹿がいまして」
「そんなこと、ありえるはずがありません。認知症の利用者様ですよ? そんな、人を殴るなんて難しい事が出来るのなら、ここに入居されるわけがない」
思わず指摘すると、田中がとりなすように「まあまあ」と私の前に両手を出した。
「ええ、ええ。わかっています。だから突拍子もない馬鹿な考えなんです。あなた方と違って、我々は認知症の方の行動がよくわかるわけじゃない。ですが悲しい事に、我々はそういう馬鹿みたいな、可能性の低そうなことも一つずつ潰していかなきゃならないんです。ひらにご容赦を。というわけで佐藤、続けて」
頷いた佐藤が話を続ける。
「以前お話を伺った時、六科さんはこちらでダンスを覚えたとおっしゃいましたよね。何度も何度も同じ曲で、同じ動作を繰り返して覚えたと」
「確かに言いましたが、それがどうしたんです? まさか、阿久戸さんを殴るように何度も何度もスタッフが教えたとでも?」
「あわてないでください。そんなことをしたら阿久戸さんが何回も殴られることになる。私たちが着目したのは、こっちです」
そう言って指さしたのは、以前のゲーム大会の写真だった。
「モグラたたきゲーム、これはあなたが考案されたんですか?」
「はい」
「ちなみに、これ阿久戸さんを殴打したハンマーです」
「確かに似ていますが、全く別の物ですよ。誰でも見ればわかります」
「認知症の方であれば、どうでしょうか? 眼鏡をかけた職員を、同じく眼鏡をかけた息子と間違う方なら? 可能性は、ゼロじゃないのでは?」
「ゼロじゃないかもしれません。ですが、見間違えるのと、それを実際振り下ろすまでには、幾つかの過程がありますよ。今がゲームの時間だと勘違いする過程、モグラと阿久戸さんを見間違える過程。細かい過程を上げればもっとです」
「仰る通りです。では、その過程の可能性を考えてくださいますか?」
そう言って佐藤が次の写真を私に向けた。幾何学模様の描かれた、阿久戸のシャツだ。
「阿久戸さん、こういう柄のシャツを好んで着ていたそうですね。丸や四角の描かれたこのシャツの柄、アレに似てません? モグラが飛び出てくる穴。比率的に、近くないですか? で、さっきと同じ論法なんですけど」
これなんか特に、と彼は右肩の上あたりにある黒い丸を指さした。
「息子と職員を見間違う人なら、モグラの出てくる穴と幾何学模様を見間違う、と言いたいんですか? そして、頭を机の下から上げた阿久戸さんを、モグラの頭と見間違えたと?」
「可能性は、ゼロじゃないんで」
すみませんね、と言いながら、二人の視線は鋭く私を射抜いている。
「利用者さんは、ゲームに熱中するんですよね。それに、六科さんは負けず嫌いだ。他の方よりも力が入るのでは? そんな時、誰かが彼にこう囁く。モグラが穴から出てきますよ、と。そうすると、六科さんの中では今がゲーム中だと錯覚するのではないですか? 近くにはハンマー、目の前には以前のモグラたたきの台に似た模様。そして、丁度いい高さで飛び出してくる丸みを帯びた頭」
「可能性は、認めましょう。六科さんは幻覚症状もありましたから。ハンマーを見間違えるかもしれません。シャツの柄をモグラの穴と見間違えるかもしれません。負けず嫌いな性格ですから、佐藤さんのおっしゃる通りゲームに他の方より熱中していたのは事実です。もし、誰かが六科さんにそう言えば、もしかしたらゲームをしていると勘違いするかもしれません。ですが、それらが全部同時に起こる事なんてあるんですか? ハンマーを見間違え、折り紙が足元に落ちて、私が他の方の対応をしていて、代わりに阿久戸さんが拾い、阿久戸さんが幾何学模様のシャツを着ていて、的と穴を見間違えて、それらが全て整ったタイミングで誰かが六科さんにモグラたたきをしようと言う。そんな偶然に偶然が重なるようなこと、起こるものですか?」
「可能性は低いでしょうね」
「でしょう? 偶然を装って仕向ける事なんて、不可能ですよ」
「おっと、何か勘違いされているようですね」
田中が言った。
「可能性が低いのと不可能なのは、イコールではないのです。最初からお伝えしているように、私たちはとてつもなく低い可能性のものであっても、一応検証はしなければならないんです。そして、可能性はある」
「私が、殺したと? 六科さんを仕向けて?」
「まあ落ち着いてください。そんな結論を急がずに。最初に申し上げた通り、私たちはプロの意見を聞きたいだけですよ。で、どうでしょう。可能性は低いですが、もしあなたが計画するとして、この方法は可能ですか?」
「気の長い話になると思います。モグラたたきをしたのは今年から始めて、まだ数回です。ダンスは週に二度、ボランティアの方が確か、一年は通ってくださって、ようやく簡単な振り付けを覚えました」
「月に八回を十二回だから、約百回か。定期的に行ってようやく覚えたわけですね」
「そうです。モグラたたきの時も、まず『ハンマーで』『殴る』という事を教えなければならない。手本を見せながら教えないと手でモグラを持ったりしてしまいます。そして『穴から』『モグラが出てくる』という事も。それらを教える必要がある」
「でも、出来ますよね?」
「何度も繰り返し教えて、同じ条件を整えたらもしかしたら、という程度です。それでも絶対じゃない」
「充分です」
「充分? 本気ですか? 出来るかもしれない、ということが分かっただけですよ? 実際に出来るとは限らないんです。むしろできない可能性の方が高いのに」
そう指摘すると、佐藤も田中も一瞬怪訝な顔をして、しばらく顔を見合わせた後「ああ」と何か納得したように頷いた。
「もしかして志賀さん。あなた、今回の事件が計画的犯行だと思われているのですか?」
「違うのですか?」
あんな話し方をするから、てっきり。
「違いますよ。計画的じゃないんです。なんというのかな。うん。この際はっきり言ってしまいましょう。この事件の犯人は、事件を本気で起こすつもりはなかったんだと思います」
「事件を起こす気はない? でも、阿久戸さんは亡くなられたんですよ?」
「それは結果です。仕掛けた人間にとっては、別に起こっても起こらなくても良かったんです。百分の一、いや、千分の一の可能性がたまたま、偶然発動してしまった。今回の件は、それだけの話なんですから。そうなればいいな、という願望が生んだ、ちょっとした腹いせ程度の仕掛けです。それが胸の中にあるだけで、その人物は阿久戸さんからのパワハラに耐えられた。いつでもお前を殺せるんだと自分の中で精神的優位を持つだけで落ち着けるものです。私がそうですから」
腹の立つ人間はどこにでもいるものですので、田中はおどけるように言った。
「ですが、想像だけで済ませるのと、実際に起こるのとでは天と地ほどの差があります。人が死んでいるわけですから。我々警察は真相を解明する責任と義務がある」
あなた方が、利用者さんを守るのと同じです。田中はそう言ってスマートフォンを取り出す。
「ですので、ぜひ真相解明に協力していただきたい」
画面に映像が流れた。六科の居室だ。そこでは、後輩の中島と六科が映っていた。六科がパジャマを着ているということは、夜間帯だ。何度も何度も、ハンマーを振り下ろす練習をしている。体で覚えさせているのだ。体から、力が抜けていくのがわかる。瞑目し、項垂れた。
「阿久戸さんの虐待の証拠を掴もうと、職員の一人、元木さんです。彼女が隠しカメラを仕掛けていたことを話してくれました。証拠がなければ通報できないのなら、証拠を掴もうとしたわけです。おかげで阿久戸さんの虐待の証拠の他、中島さんと六科さんの練習風景が撮影されていました」
「どうしてだ、中島君」
頭を抱える。
「あなたの前に、中島さんに事情を問いただしました。彼は、利用者さんに阿久戸さんが虐待するところを見てしまったそうです。でも、いくら自分たちが責任者に報告しようと、阿久戸さんは上手く言い訳して罪を逃れてしまう。そして、阿久戸さんは告げ口をした中島さんに執拗な嫌がらせを行っていた。無茶なシフトを組んだり、仕事を押し付けて残業をさせたり。こちらの施設、残業をするには責任者への申請など面倒な手続きが多く、その申請もああだこうだと理由をつけられて中々認可されないので実質サービス残業化していたそうですね。それもまあ問題なんですけど。こういった理由がいくつも重なったゆえに、先ほどお伝えしたのと同じで少しでも精神的安定を求めるために、いつでもお前を殺せるんだぞという仕掛けを作った、とのことです」
本当にこんなことになるとは、と中島は泣いて話したそうだ。
「私の、責任です」
顔を覆った両手の隙間から、何とか絞り出した。
「彼が苦しんでいるのは知っていました。ですが、私も同じように阿久戸さんからパワハラを受けていて、自分の事で精いっぱいで。見て見ぬふりをしていました」
「それ、元木さんも同じ事を言っていました。もっと早く、証拠を掴む行動を起こしていれば、こんなことにはならなかったのに、と後悔されていました」
「私は、その行動すら起こさなかった」
そのことなんですが、と今度は佐藤が私に話しかけてきた。顔を上げると、笑顔を消し、真剣な表情の佐藤がこちらをじっと見ていた。
「ここからが、あなたに教えて欲しい本題です」
「ここから、ですか? さっきの検証のことでは」
「アレとはまた別です」
「別、ですか」
「まず一つ。あなたは本当に、二人の後輩の行動に気づかなかったんですか?」
「どういう意味ですか?」
「いえね。我々警察も周囲の異変を見落とさないよう、こう、常にアンテナを張っているわけですよ。そして、こういう業界の人も、利用者さんの変化を見落とさないように、常に周囲に気を張っていると聞いたものでして。そして、他の方からの事情聴取で、あなたがこの施設で一番優秀だと話を伺ったものですから。常に利用者さん目線で物事を見て、環境を整備したり、リスクを事前に回避するためのヒヤリハットを作成し注意喚起したりしていたと。そんな方が、中島さんが夜間のたびに行っている六科さんとの練習や、六科さんの部屋に仕掛けられた隠しカメラに気づかないことなんて、ありえますか?」
「申し訳ありません。恥ずかしながら、気づかなかったとしか言いようがありません。エアコンはこの時期使いませんし」
「おや? 誰がエアコン付近にカメラが仕掛けられていたと言いました?」
「画像の角度から、そのあたりだろうと当たりをつけただけです」
「画像からそこまで気づくような方が、見落とすとは思えないんですけど、ま、良いでしょう」
「先ほど、見て見ぬふり、と仰いましたね」
今度は田中が私に尋ねた。
「それは、嘘でしょう。あの二人は、あなたに感謝していましたよ。何度も相談に乗ってもらったとか、夜中に電話やメール等で愚痴をいつも聞いてもらったとか、阿久戸さんとの間に入って庇ってもらったこととかね。見て見ぬふりどころか、しっかりフォローなさっている」
「そのフォローが無駄だったのだから、見て見ぬふりと同じでは?」
「逆ですよ。そのフォローが彼らの後押しをしたのではないですか? 例えば、阿久戸さんのことで『死んでくれないかな』『虐待の証拠さえ見つかればな』と話したりしたとか」
「それは、そのくらい許されるのでは? むかつく上司や先輩の悪口なんて、誰だって愚痴るはずです。吐き出すことで落ち着くこともある。実際に殺したわけではないのに責められる理由はないですよね」
「何度も何度も、それを二人の前で刷り込むように言葉を繰り返したら、あなたに恩のある二人が聞いたらどうでしょう。行動に移すと思いませんか? 他にもゲームのレクリエーションの時に間違って殴られないように、とか、エアコンの上の埃は気づきにくいけど掃除しておく必要があるとか、遠回しな言い方で必要な情報を少しずつ彼らに与えた」
「待ってください。私が二人の行動を操作したとでも? 忖度するように誘導したと?」
「可能性は、ゼロではないですよね?」
「何でもかんでも、それで済ます気ですか?」
「だから、言ったじゃないですか。可能性の問題です。今回の事件は起きたらいいな、という願望から始まっているんです。もしかしたら起きるかも、という可能性が事件の肝なんですよ」
「私が、発端だと言いたいんですか?」
「動機は、他の二人以上にあるでしょう?」
「否定はしません。最も付き合いが長いのは私ですから。可能性はあります。正直に申し上げれば、最も阿久戸さんを恨んでいたのは、私でしょう。でも、警察はそんな可能性で、しかも証拠もなく、実際にしたかどうかもわからない事で逮捕はできませんよね」
彼らの言う事はほとんど当たっている。本当にそうなってくれれば、という私の願望を口にしていた。
「中島君のことだってそうです。あの動画はただレクリエーションの練習をしていただけと言われたらどうです? それなら、彼が罪に問われることはありませんよね? 明確な犯罪は、阿久戸さんの虐待だけです。それ以外は、事故みたいなものでしょう」
「そこが、我々も大いに悩んでいるところなんですよ」
そこがもう一つのお聞きしたいことなんです、と再び佐藤が口を開いた。
「介護のプロとして、お答えください。本当に、六科さんは認知症ですか?」
「どういう、ことでしょう」
本当に、言われた意味が解らなかった。彼らには病院からもらっている診療情報も渡している。間違いなくアルツハイマー型認知症だ。
「ここまで認知症の方を利用したのではないか、と言っておいて、それを覆すような質問で申し訳ありません。ですが、人を殺すというのは、ダンスを覚える以上にいくつもの過程があります。この場合、障害と言っても良いでしょう。例えば、動物はライオンの子殺しのような例外を除いて、同族を殺すことは滅多にありません。これには諸説あるでしょうが、私としてはやはり、同族を殺してはならない、という動物的な本能に加えてこれまでの生活の中で育まれた常識というストッパーが働いているのではないかと考えています。そのストッパーは並大抵のことでは外れない。もし外れるとしたら、強烈な動機がいります。認知症の方はそんなネガティブな感情を抱けますか?」
「抱けるとは思います。認知症の方の傾向として、徐々に理性が薄れ、それまで抑え込んでいた欲望の部分が出やすくなることは充分にあり得ますから。我儘になるのも、怒りやすくなるのもその一つです。ですがこの場合、問題になるのは継続です」
「継続?」
「はい。六科さんは記憶障害の症状が出ており、最近の記憶を覚えておくのが難しい方です。強烈な動機、例えば私たちのように阿久戸さんからのパワハラを受けたとしても、時間が経てば忘れてしまいます。先ほどの話ではないですが、何度も小さな嫌がらせをされると殺意まで積もるかもしれませんが、一度の大きな嫌がらせだけでは強烈な動機となりうるでしょうか? それも、一日で忘れてしまうんです。たとえその時怒りや憎しみを抱いたとしても、継続するのは難しい。そして、私たちはシフト制です。阿久戸さんが出勤しない日もある。また、会えば毎日虐待するわけでもないでしょう。業務の関係上、接触は最低限の場合だってある。数日も空けば、どれほどの事をされたとしても六科さんはその時の怒りを忘れてしまう」
「継続するには、ダンスを覚えるように何度も繰り返すしかない、ということですね?」
頷く。
「それ、あなたならできませんか?」
佐藤が私に向かって、いっそ軽薄にも思えるような口調で言った。
「流石に警察の方でも失礼ではないですか。可能性があるなら、何でも言っていいと思っていませんか?」
「失礼は承知の上です。でも、ここは事件の肝なので確認を怠るわけにはいきません。あなたは六科さんの耳元で会うたびに囁いたのではないでしょうか。『阿久戸さんはあなたにいつも嫌がらせをする』『この前もあなたを侮辱した、暴力を振るった』『あなただけではなく、私たち皆に彼は横暴に振る舞い、理不尽な要求をする』『誰かが彼を懲らしめてくれないかな』というような」
「あなたは、私が中島君の計画を補強するように、六科さんの怒りを忘れさせないようにしたと仰るのですか」
瞬きする。一瞬の暗幕にこれまでの自分が映る。更衣介助、入浴介助、二人きりになる度に、六科だけでなく、他の利用者相手にも阿久戸の愚痴をこぼしていた。
「違います。順番が逆です。あなたが六科さんに愚痴を言っていたのは、精神を安定させるためでしょう。愚痴を吐き出さなければやってられないからです。相手は、時間が経てば忘れてしまう認知症患者だから、何を言っても忘れてしまう。愚痴を聞かせる相手にはうってつけだ。何度同じ話をしても、初めて聞くように聞いてくれる。中島さんは、それを偶然見かけた。彼も、尊敬する先輩と同じように、自分の精神を安定させるために利用者さん相手に毒を吐き出し始めた。実際に殺すわけではないからと言い訳して、ハンマーを握らせた」
条件が揃ったのではないか。今度は田中が言った。
「あなたが長年コツコツと積み重ねてきた阿久戸さんへの恨みつらみ、中島さんの計画、そこに、レクリエーション中に起きた『たまたま』が重なった。本当に、宝くじに当たるのと同じくらいの偶然が重なって、ハンマーは阿久戸さんへ振り下ろされた」
まあ全部想像になるんですけどね。田中は肩をすくめた。
「ただ、気になることはあるんです。我々は唯一偶然ではない部分、誰が六科さんにモグラ、阿久戸さんの頭を叩くよう指示したかを探しているところなのですが」
「それは、中島君では?」
訓練していた彼にしか、六科の背は押せない。
「我々もそう思っていたんです。ですが、彼は否認した。その時は、丁度三時のおやつの準備をしてキッチンにいたと。中島さんがいたキッチンからリビングまで距離がある。その距離から六科さんに話しかけたらかなりの声量になるでしょう。そんな声は聞こえましたか?」
「いえ、全く」
「元木さんはその時物品の整理で外の倉庫にいたので、声をかけるのは不可能です。あなたは他の利用者さんの対応をしていたので同じく不可能。ですので、実行可能な人間がいないんですよ。だから、お尋ねしたんです。六科さんは、本当に認知症ですか、と」
知らず、手が震えている。もしかしたら偶然でも何でもなく、六科は阿久戸を殺したかったのかもしれない、という可能性があるなんて。
しかもだ。これらは全て私たちのせいにできる。六科は虐待を防げなかった私たちを恨んでいた。だから、私たち全員が人を死なせたかもしれないという罪悪感と葛藤を一生抱えていくように、私たちすら利用して、私たち全員に復讐した。
信じられるわけがない。認知症患者が、そんな事考えられるわけがない。計画を立てられなくなるのも、認知症の症状の一つのはずだ。だが、絶対ではない。そして、ごくまれに短時間、正気に戻る認知症患者は存在する。それが彼ではないと断言できない。
六科の顔が頭をよぎる。時たま見せる何の感情も読み取らせない無の表情で、淡々と私の愚痴を聞いていた。あの時一体何を考えていたのだろうか。
「認知症なのは間違いありません」
頭に浮かんだ可能性を無視して、事務的に、客観的な事実だけを伝えた。
「ですよねぇ。じゃあ、一体誰が、彼の背中を押して、最後の一線を越えさせたんでしょうね?」
佐藤はため息をついた。
「強い感情は残る、とおっしゃいましたよね」
田中が念を押すように尋ねてきた。彼の目に私の顔が映る。
「殺意は、残ると思いますか?」
私は答えた。
「可能性はある、と思います」
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