神は隠さない
神は隠さない 1
悩みがある。深刻な悩みだ。
生きていれば人間誰しも悩みはあって当然だと思う。深刻な悩みを持つ人は、かなり大勢いるだろう。全人類の半数は深刻な悩みを抱えていると思う。もちろん、個人差はあるだろう。自分の悩みが他人にとっては大した事ないってのはよくあるし、逆も然り。結局の所、存在するほとんどの悩みの深さは主観によって決まる。僕が幾ら深刻だと言っても、人によっては深刻じゃないと判断するかもしれない。
否定して欲しいわけじゃない。共感して欲しいわけでもない。ただ、アドバイスは欲しい。この悩みをぜひとも解決したい。ただそれだけなんだ。
僕の悩みを話そう。僕の悩みは、妻が殺人鬼かもしれない、という件だ。
妻の名前は志村響子。年上なので、響子さんと呼んでいる。
響子さんは素敵な女性だ。綺麗で茶目っ気があり、優しくて頼りがいもある。仕事も家事もそつなくこなす万能ぶりで、運動神経も抜群だ。理想の女性と言っても過言ではない。
彼女が素敵という事実は、僕の贔屓目ではなく、客観的に見ても間違いないと思う。以前彼女が勤めていた会社には、彼女狙いの人が大勢いた。同じ会社に勤めていた僕もその一人で、彼女と一緒に仕事をしていただけで、彼女のファンの一人から酷い目に遭ったことがある。
才色兼備で言う事無しの彼女が殺人鬼かも、なんて、どうして思うのか。人によっては罰当たりだとか、幸せすぎて気が狂ったとか、僕が間違っているかのように言うかもしれない。僕も、そうであってくれと願っている。心から。
ただ、こんなことで悩むからには、それなりの根拠がある。その根拠を話す前に、少し、僕の体質について説明しておく。
僕、志村大介には、生まれつき、変な力があった。
眠っている間に意識が体を飛び出して、起きている人の体に入り込むのだ。入り込めるのは眠る前の二十四時間以内に顔を見た人からランダムで選ばれ、入り込むとその人が抱くあらゆる感覚、感情や思考、五感に到る全てを等しく感じられる。
これまで、別段不都合なんか無かった。むしろドラマを感情移入して見ているようで、刺激的な娯楽とさえ思っていた。けれどある時、僕は連続殺人鬼の意識を共有し、殺人事件を犯人視点で目撃してしまった。その殺人鬼と共通する部分の複数個が、彼女に当てはまってしまったのだ。
以来、僕は彼女の顔をまともに見れない生活を送っている。
「どうして?」
幼い子どもの、掠れた声が鼓膜を震わせる。散々泣き喚いた後の子どもの声だ。これから起こる最悪の未来に抗う気力も失せ、諦めと絶望の入り混じった声は、何度聞いても胸が引き裂かれそうなほどだ。
目の前に、小学校低学年ほどの子どもがいた。手足を結束バンドで拘束され、アイマスクで視界を塞がれて、地面に転がっている。
子どもにゆっくりと近付く。視界を奪われているからだろうか、微かな衣擦れの音や、地面の振動で、子どもは私の接近を感じ取る。横隔膜が引き攣ったような悲鳴を上げて後ずさった。とはいえ、四肢を拘束された状態では転がる事しか出来ず、大した距離は稼げない。構わず、子どもの体を跨いで、ゆっくりとしゃがみ込む。俗に言う、馬乗りの状態だ。両手を伸ばし、子どもの首に手を当てる。ゆっくりと、力を込め、首にかかる圧力を上げていく。苦しげな吐息が子どもの口から漏れた。子どもの体が、釣られたばかりの魚の如く激しく揺さぶられる。気持ちは折れていても、体はまだ生きようとして、必死に抗っている。
可哀相に。苦しいだろう。怖いだろう。普段なら、暖かい布団の中で眠っている時間だろう。なのに何故、自分は今こんな辛い目に遭っているのか。頭の中が疑問と恐怖で埋め尽くされていく。
体のもがきが、徐々に弱くなっていく。首に添えた手から伝わる脈動が弱々しいものになっていく。命が事切れる瞬間が近付いている。
可哀相に。
心からそう思いながらも、手の力を緩める事はなく。子どもの呼吸が止まってからも、
手はしばらくの間、細い首に回したままだった。
完全に動かなくなった子どもからアイマスクを剥がす。虚ろな瞳がこちらを見返していた。涎が口元から流れ、失禁のためか、酷い悪臭が漂っている。
可哀相に。そっと、開いたままの瞼を下ろす。子どもの人生の幕を強制的に下ろした、この手で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます