仮面の下 8
彼が質問相手だとして考えていくと、橋本雄介に協力していたのは偶然ではなくなる。彼から近づいた可能性の方が高い。家庭の事も何もかも聞き出したに違いない。
そうなると、クラスが一致団結していた理由も考え直さなければならない。彼らが守ろうとしたのは、橋本雄介ではないからだ。では、団結する理由は何か。ガキ大将と敵対する明確な理由。それは。
「ちょっと、宜しいですか」
佐藤を人気のない所に呼び出し、率直に聞いた。これまでに、橋本が問題を起こした事は本当に無かったか。私に提出された情報は本当に正しいのか。裏掲示板のことすら私に伏せていた彼らは、一体どんな爆弾を隠しているのか。
途端に、佐藤の顔が曇った。口を一文字に引き結び、固く閉じられる。財布の紐より硬そうなそれを、何とかこじ開けなければ、真相に辿り着けない。
「今更、橋本の話しなんかしても意味ないでしょう。彼は死んだんだから」
「そこをなんとかお願いします。どうしても知りたいんです」
「勘弁してくださいよ。八坂先生みたいに暇じゃないんです。明日も各ご家庭に説明行脚に行かなきゃならないんです。もう帰らせてください」
「いいから答えてください!」
暇にさせているのはお前らが情報を全部渡さないせいだろう! という言葉は何とか飲み込む。私も積極的に集めに行かなかったという非がある。新人で非効率が多い動きだったなんてのは言い訳だ。もっと児童に接して、情報を得る方法はあったはずだ。
「すみません。怒鳴って。しかし、児童が一人死んでいるんです。先ほど佐藤先生も仰ったように、警察も気にしなかった小さな疑問が幾つか残っているんです。それをうやむやにしたままで良いとは思えないんです。橋本君のためにも、他の児童のためにも」
死人すら盾にする、かなり卑怯な言い方をしていると自覚している。これでもダメならもう諦める。そんな心境で苦しそうに俯く佐藤の言葉を待った。
「噂、本当に噂程度です。その、橋本君がいじめをしていると」
「それは、誰ですか。もしかして、氷川君…?」
「いえ、氷川君はまだ上手く付き合っていた方だと思います。彼が特にいじめていたのは多嶋さん、多嶋葵さんです」
多嶋葵。その名を記憶する。
「彼女は、五年生の時に橋本君と同じクラスでした。可愛らしい子で。最近の子どもはませていて、橋本君もその一人で。彼女に告白したそうなんです。でも、彼女は彼を振った。可愛さ余って、というか、好きな気持ちが全部憎しみに変わったんですかね。彼女を執拗にいじめるようになった、と聞いています」
佐藤は無意味な予防線を張った。
「確証は何もなく、本人もすっとぼける。それでも追求しようとしたら親の名前をちらつかせる。こんなところは本当に小狡かった。うやむやのまま春休みに入り、彼女は新学期から不登校です」
そっちの方が大問題じゃないか。
「どうして、私にその話がきてないんですか」
「八坂先生は今年から赴任されましたから、徐々に慣れてもらおうかと。いきなり不登校児と問題児を任せるのは、ちょっと」
「新任の若造じゃ手におえないと思われましたか」
それとも、いじめが発覚するのが怖かったですか。
四月から赴任してきたカウンセラーは、いわば彼らの児童に対するコミュニケーションの粗を探す厄介者だ。その粗の如何によっては、自分たちがとばっちりを受けるかもと、いじめを無かった事にしたかったのか。
何とか、汚い言葉を飲み込む。カウンセラーが相手の心を壊してどうする。今大事なのはそんなことじゃない。
「申し訳ございません。自分のいたらなさのせいで、先生方に気を使って貰って。ですが、彼女の事も、私に任せて頂けませんでしょうか。死ぬ気で頑張りますから。今は、情報をください」
「情報と言っても、後は、彼女は氷川君の幼馴染、ということくらいしか」
くらい、じゃない。充分な動機だろうが! 怒鳴りつけたいのをこらえて、代わりに礼を述べ、踵を返した。
これではっきりした。しかも佐藤は、特に、と言った。つまり、他にもいじめられていた子どもが大勢いたという事だ。橋本は、彼らにとって守るに値しない人間だった。
恐ろしい想像が脳内で絵を結んだ。
幼馴染をいじめていた橋本を打倒するために、氷川がクラスを煽っている図だ。彼らの中の橋本に対する憎しみを煽り、大きな炎に変えた。新学期から計画は進んでいた。八坂から人に信頼される手法を聞きだしたのもその一環だ。
だとしたら。橋本が屋上で生活していたことも、ロープで逃げようとしたのも、全て氷川の指示ではないのか。それほどの信頼関係を結んでいたのだから、もはや橋本は氷川の言うことなら何でもきいたに違いない。
裏掲示板。あれは氷川が用意したのではないか。目的は一つ、騒ぎを大きくするためだ。
彼の怒りは橋本本人だけ出なく、彼の家族にまで向いていた、というのは考えすぎだろうか。きちんと親がしつけをしていれば、そもそもこんなことにはならなかったのではと考えなかったか。いや、考えたはずだ。なぜなら私がそういう話をした覚えがある。人は環境によって作られると、アドラー心理学の内容を細かく咀嚼してわかりやすく解説した。
橋本から橋本の両親の性格を聞いていた氷川は、捜索願が出されないことを読みきった。子どもが家出をしているのに、何の手も打たなかった両親というラベルがこれで貼り付けられた。結果、橋本市議は辞職に追い込まれた。母親の経営する飲食店も、悪戯や嫌がらせが多発し、閉店に追い込まれつつある。
一階で警備員に見つかったのも、本当は橋本ではなく氷川ではないのか。屋上に誘導し、橋本をロープで逃げざるを得ない状態にした。誘導に使ったのはおそらく音だ。警備員も、姿を見たわけじゃない。音がしたから、音の方に近づいた。氷川は、足音を録音した音源、それこそ写真を撮ったスマートフォンなどで再生し、自分は別の階で隠れていればいい。階段は吹き抜けだ。最上階で鳴らせば、警備員には上から足音がするようにしか聞こえない。
厄介なことに、この氷川が当日学校にいた仮説はきっと棄却される。なぜなら、氷川はその時間、双子の弟と一緒に、友達とゲームをしていたのだ。自分と同じく、多嶋葵と仲の良かったと思われる弟と。氷川の事だ。親でも見分けがつかないほどソックリな弟の存在だけでなく、他にも自分がそこにいたという証拠を作っているに違いない。例えば、ネットゲームのログ。友達とインターネットで対戦していたと彼は言った。だがそれは、リモートでも可能ではないか? 例えばテレビ電話を繋ぎながら、移っているのは部屋にいる弟、操作は兄の持つタブレットなどだ。もちろん、警察が本気になれば使用された基地局やログの解析などで居場所は割れるかもしれない。アリバイを崩せるかもしれない。けれど、そこまでする必要はない、そこまで誰も辿り付けないと氷川は踏んだ。その通り、警察は既に事故として処理してしまっている。いくら私が声高に叫ぼうと、再捜査はされないだろう。警備員に対して呟いた、氷川の言葉が蘇る。
『思い込んでたら、ちょっとの違和感にも気づかない』
あれは警備員だけのことじゃない。大人全員に対して発した言葉だったのだ。一つの結論が出てしまったら、大人達は他の細かな疑問を偶然で片付けてしまった。
だいたい、誰が信じる? 小学六年生が同級生を計画的に殺害しただなんて。こんな仮説を立てている自分ですら、半分は信じていない。あるはずないと。それでも頭は勝手に終わった事を穿り返す。橋本を死に追いやった原因、ロープが切れたことについてだ。
幾ら子どもでも、落ちたら死ぬかもしれない場所にロープを張っていたのだ。安全を確かめないはずがない。伝え聞く限りでは、迷うそぶりもなくロープにむかって逃げたらしい。ということは、既に何度か試していた可能性すらある。試して大丈夫だったから、次も大丈夫、という慣れだ。そんなロープが偶然、突然切れるというのは、果たしてありえるのだろうか。切れ目が入っていたなど、何らかの工作がなされていたと考える方が自然ではないか。切れ目を入れるタイミングは試した後ならいつでも良い。幾ら大丈夫だと分かっていても、高所を何度も行き来することはないだろう。事件後は、警備員の目を盗んで取り変えれば良い。警備員が三階から一階に行くまでに数分、その時間があれば簡単だ。
そもそもロープは、屋上からどこに繋がっていた?
靴を履き替える暇も惜しんで、踵を履き潰して外に飛び出した。橋本雄介の落下地点に急ぐ。息を整えながら、落下地点から、ゆっくりと上へと視線を移す。
六年三組の教室があった。窓の向こうは真っ暗で何も見えない。
「何が『嘘は吐かない』だ」
やっぱり、子どもは嫌いだ。
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