仮面の下 7
ああ、腑に落ちた。
六年三組のカウンセリングを終え、資料をまとめた頃には、既に日は落ちて就業時間をオーバーしていた。
私の中での事件取り扱いは、ニュース報道と同じくほぼ落ち着いていた。残った疑問も、偶然、という言葉が押し流そうとしていた。不幸な事故。警察が発表し、世間が納得した通りだった。ただその中には、少年の苦悩、葛藤があっただけで。その葛藤の部分を知れただけでも充分だ。
氷川に関しては、特に何も罰が下される事はないだろう。彼は既に自分が十字架を背負ったことを理解している。それは大人の倫理観から押し付ける手前勝手な罰よりも大きな罰だ。
残るは私が提出する報告書だが、私は外面を良くするのに長けている。今回聞き出した話を、お涙頂戴のストーリーに仕上げることなど造作もない。
私にここを紹介した営業担当の言う通り、現場でしか積めない経験を積んだ満足感が体中に満ちていた。
報告書を保存し、パソコンの電源を落とした頃。未だ保護者たちの対応に追われて疲れた顔の六学年の教師が、愚痴のような疑問を口にしていた。つい、聞き耳を立ててしまう。
「どうして橋本は家出なんかしたのでしょうか?」
当然の疑問だった。家出の理由は幾つかある。可能性が高いのは、橋本が聞き出したように家族間の問題だ。彼は家族の気を引きたくて家出したのではと考えている。両親とも仕事で忙しく会う時間は限られていた。氷川は「橋本は成績のことで家族に叱られていた」とも話していた。偶に会っても成績のことで怒られるばかりで、愛情を注がれていないと推測できる。大げさにしないでくれと頼み放置していた両親は、愛情を欲しがり、構ってほしかった子どもにとって、最悪の選択をしたことになる。
「わかるかよ。今となっちゃ。あぁあ、しかし警備員さんには悪いけど、何で見つけちゃったかなぁ」
もう一人の教師が背もたれに乱暴にもたれた。
「警備員さんにさえ見つからなきゃ、橋本はまだ生きてたかもしれないのに。生きてりゃ、つまんねえ家出なんて切り上げて、生きて帰っていて、こんな面倒なことにならずに済んだのによ」
言い草は酷いが、真理でもある。橋本以外で災難だったのは警備員だ。彼が発見してしまったから、橋本は逃げざるを得なくなり、そして事故に遭った。もっと別の対応は出来なかったのかと警備員、さらには所属会社まで責任問題が波及している。気づかなければ、教師の言う通り、橋本は今頃家に帰っていたかもしれない。警備員たちも責任など取らされなかったかもしれない。
「気づかなければ…?」
自分の考えを前提から覆す疑問が、自分の口から飛び出してしまった。
どうして上手く隠れていたのに気づかれたのか? しかも一階で。屋上にいれば見つかる事は無かった。よしんば見つかったとして、どうして逃げて撒く事が出来なかった? 警備員は元気とはいえ還暦近い高齢のおじさんだ。子どもの足に追いつけるわけが無い。
胸の中で、疑惑が膨らんでいく。一つ怪しいと他の何もかもが怪しくなってくる。白かったものが、黒へと変わっていく。
私に『フェイス/フェイス』で面倒な質問して来たのは、本当に橋本雄介だったのか。
決め付けていたが、もし違うとなると、相手は一体誰だ。
体を引き摺るようにして帰ろうとしていた三組の担任、佐藤を発見した。帰られたらまずい。
「すみません佐藤先生」
ようやく帰れるとホッとした表情が、私の顔を見るなりみるみるうちに陰っていく。だが今の私は、相手の心情を汲み取る余裕がない。露骨に面倒臭がる佐藤から回収した橋本のタブレットを借りる。画面をスクロールして、アプリを開く。
やり取りは存在した。間違いなく、一ヶ月に及ぶ質疑応答の山だ。ほっとしたのもつかの間、私の肩越しに画面を見ていた佐藤が気になることを言った。
「これ、橋本のだよな?」
佐藤は私からタブレットを取り上げ、裏返した。ショック吸収カバーに橋本雄介と書かれたシールが張ってあるのを確認し「間違いないよな?」と不思議そうに首を捻った。
「どう、したんですか?」
「いや、これって、八坂先生とのやり取りですよね?」
「え、ええ。四月に入ってからずっと、彼から質問を受けていたんです」
ふうん、と気のない空返事を返し、佐藤は顎をさすった。
「いや、橋本らしくないような気がして」
「え・・・何がですか?」
「この文章です。橋本はこんな丁寧な文章かけませんよ。作文なんか本人の一番苦手とするところで、何をどうしたいからどうするべきか、なんて文を組み立てられた試しがない」
「じゃあ、これは一体誰が質問していたと?」
「そんなこと知りませんよ」
もういいですか? と嫌そうな顔でこっちに尋ねてくる佐藤の顔が、見えない。それどころじゃ無かった。橋本のタブレットから橋本以外の操作の形跡がある。誰かが操作した、と考える。このタブレットは授業に使用していたから、四月中は本人がずっと持っていたはずだ。データから読み取れる彼の性格からは、自分の物を相手に貸し続けるなんて考えられない。貸すとしても短時間だろう。毎回貸してと言われれば、流石に橋本も不審に思うだろう。なら橋本に知られずに利用する。
リモートなら、それが可能だ。世の中には便利なアプリがある。パソコンとタブレット、両方に同じアプリをインストールすれば、どちらからでももう片方を操作できる。
理論上は問題ない。では、実施できるとすれば誰か。一人しか思い当たらない。彼と行動を共にしていたという、氷川だ。
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