仮面の下 6

「君が?」

 動揺を悟られないようにしながら続きを促した。

 推測通り、氷川は橋本が学校で暮らすための補助をしていたことを白状した。なぜ彼が、普段から仲が良いとは言えない橋本を助けていたのかと問う。

「家出してきた橋本君と最初に出会ったのが、僕だったからだと思う。いつもみたいに威張ってるわけじゃなくて「助けて欲しい」「氷川が頼りだ」ってお願いされたんだ」

 氷川が身振り手振りを交えて橋本の行動を説明してくれた。

「自分の事を沢山喋って教えてくれた。家にお父さんもお母さんもいなくて寂しいって泣いてたし、偶に会っても成績の事しか話さない、しかも悪いから怒られた事しかないって。その事で慰めたら手を取って喜んでくれた。そのうち僕の話になって、話しているうちに見ているアニメや好きな食べ物が似てて。そうだ、カップラーメンも一緒に食べたよ。橋本君もね、三分待つところを二分で開けるんだ。僕と同じ固めが好きなんだって」

 彼の言葉の端々に心理的アプローチの影が見えた。相手と同じ動作や共感を得る事は、相手との距離を縮める効果がある。『ミラーリング』という、相手の動作を真似るコミュニケーション作法だ。他にも、『秘密の共有』があった。誰にもいえない秘密を教える事で、相手に親近感を持たせることに成功している。相手にとって自分は特別なんだと思うことで、相手との距離が縮まった感覚を受けるのだ。

「へえ、気が合ったんですね」

「うん」

 氷川は嬉しそうに顔を綻ばせた。良く遊んでいた仲ではない相手の事を話すのに、こんな表情をするとはね。

「後、これは、本当はダメな事なんだけど」

 氷川がちらっとこっちに視線を送り、伏せては送る、という、バツが悪そうな仕草をしていた。安心させるように大きく頷く。

「大丈夫。ここでの話は、先生たちには漏れません」

 事と場合によるが、と心の中で付け加える。私を信頼してくれたか、やがて決心したように氷川は秘密を暴露する。

「実は、橋本君が学校に忍び込む手伝いをしたのは、僕なんだ。帰る前に一階の教室の窓の鍵、カタツムリみたいな形の。わかる?」

「ええ。上に持ち上げて、もう一方の窓の止め具に引っかけるようになってますよね」

「うん。それを引っかからないようにして上げておいたんだ。それなら、鍵がかかっているように内からも外からも見えるから」

「なるほど」

「夜、僕は家を抜け出して、学校で橋本君と合流した」

「夜に抜け出すって、大丈夫なんですか? お父さんやお母さんにばれないのですか?」

「弟に変装してもらった。僕たち双子だから、服を変えたらお父さんでもお母さんでも見分けがつかないよ。それに、二人とも僕たちの部屋まで入ってこないし。子どもでもプライバシーの尊重? が必要だとか言って。だから、トイレに服を着替えた弟が二回行ったりして誤魔化せば、多分ばれない」

「け、計画的だね」

 でしょ? と氷川は言った。

「二人で窓から入って、職員室の鍵を開けた」

「少し、良いですか? 職員室には鍵がかかっているはずです。それをどうやって開けたんですか?」

「前に合い鍵を作っておいたって言ってた」

 合い鍵を? 小学生がそんな事出来るものなのか? 首を捻る私に「調べてみたら、以外と簡単そうだよ」と氷川が教えてくれた。鍵をライターで炙り、ついた煤をセロハンで取る。型のついたセロハンを空き缶等に貼り付けて型通り切り抜くだけだそうだ。玄関のようなセキュリティ上複雑な作りにしなければならない鍵は流石に無理だったが、学校内部の鍵の作りは単純で作成出来たらしい。

「でも、学校の中には至るところに監視カメラがあります。それをどうやって掻い潜ったんですか?」

「前に、スパイ映画でやっていたのを試したら、上手くいったよ?」

 監視カメラをやり過ごす手口を、氷川はなんて事ないように話した。

 方法は至って簡単だった。ネット通販で買える自撮り棒を使って、カメラの横で、同じ角度で写真を取る。その写真を現像して、通るときにカメラの前にセットするだけだそうだ。「なるべく景色の変化の少ない場所を選ぶのがコツだよ」と氷川が教えてくれた進入箇所は、外に植えられた樹木のせいで日中でも薄暗く様子が変わったのを察知されにくい校舎の北側廊下だった。

「そんな簡単な事で騙されるとは」

 思わず口を手で覆った。

「簡単で単純だからこそ、意外にバレないみたいだよ。後片付けも簡単だしね。それに、警備の人はこの学校に泥棒が入るわけないって思ってるからね。思い込んでたら、ちょっとの違和感にも気づかない。頭がそんな訳ないって判断するから、『変化』も『気のせい』に変化する」

「いや、流石にそんな事ないと思いますけどねぇ」

 一応フォローするが、確かに私から見ても、警備員にそこまで熱意があるようには見えなかった。

「わかるよ」

 首を横に振って、氷川が答えた。

「子どもでも、大人のそういうのは」

 だから、気づかなかったんだよ。

 そう言われたら、こちらには否定するだけの材料がない。

「前々から準備してたって言ってた」

 再び、氷川の話は橋本との犯行計画に戻った。

「秘密だよ、氷川だから話すんだよ、とも。悪い事だとは分かってた。けど、なんだかその時は、特別な事をしてるみたいで、楽しかったんだ」

 最後の質問『敵同士でも仲良くなる方法』で返した『ストックホルム症候群』の内容が活かされている。非日常体験を共有し、連帯感を生んでいる。どれもこれも、私が伝えた内容を上手く応用している。本当に成績が平均以下の児童かと疑ってしまうほどだ。

 これで四月から私を悩ませていた質問相手は橋本だと確定した。その時から、学校に忍び込む計画を立てていたのだ。それこそが、彼の家庭でのストレスを発散させる方法だった。

「協力してたのは君だけですか?」

「多分、そうだと思う。他の子は見た事ないし」

「その話を、私以外にしましたか?」

「友達にだけ話したかな。秘密だよって。でも、いつの間にかクラス全員が知っていた」

 秘密だよと言って秘密が守られる事はない。

 だが、これで疑問も解決した。氷川の話がクラスで広がったから一致団結していた。秘密の共有だ。恐怖していたのも、自分たちがこの秘密を黙っていたから、橋本雄介が死んだのではないかと怯えていたのだ。

「辛いことを聞きます。橋本君の事故の時、氷川君は一緒にいましたか?」

 ううん、と彼は首を振った。

「弟や友達とゲームしてた。その日は約束してなかったから、家は抜け出してない」

 警察のアリバイ確認じゃないんだから、と苦笑しそうになって、引っ込める。彼の瞳には涙が溜まっていたからだ。

 会話が途切れた。

「橋本君との約束を破ってでも、僕が誰か先生にこの話をしていたら、事故の時も、僕がゲームなんかしてないで彼と一緒にいたら、橋本君は死ななかった」

 つう、と彼の瞳から涙が流れた。

 このゲームで、彼は聞かれるのを待っていたのだ。彼がゲームの形で、何とか真実を話そうと勇気を振り絞っていた。

 私はたち上がり、彼の隣に座った。

「ありがとう。よく、話してくれました」

 彼の頭を抱き寄せた。胸元から、彼のすすり泣く声が聞こえる。

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