仮面の下 5

 翌日。カウンセリングルームのドアがノックされる。

「失礼します」

 現れたのは、線の細い少年だった。名前は氷川司。家族構成は会社員の父に専業主婦の母、双子の弟の四人家族。成績は上の下。大人しいインドア派。橋本とはあまり接点がないように思えた。昨日の家庭訪問で気になった児童だ。

「いらっしゃい。良く来てくれました。どうぞ、好きな席に座ってください」

 氷川は四つに置かれた二人がけソファの中から、私の真ん前に座り、背もたれに体を預けずに座った。両肩が前に出て背中を丸め、手は拳を固く握り込んでいる。身構えているような、決意を固めているような仕草だった。不安または警戒か、何かを告白するつもりか? 随分緊張しているようだ。あえて言及せず、雑談を始める。

「昨日家庭訪問で会ったと思いますが、改めて。カウンセラーの八坂博巳と言います」

「あ、はい。六年三組、氷川司、です」

 小さく顎を引いた。

「でも、僕家庭訪問の前にも先生に会った事あるよ?」

「え? いついつ? どこで会いましたっけ?」

「始業式。みんなの前で挨拶してた」

「ああ」

 彼が言いたい事を理解した。

「覚えててくれたんですね。いやあ、あの時は緊張したなぁ。実はね。私にとって、あれは入学式だったんですよ?」

「入学式? もう大人なのに?」

「大人として、先生として初めて来たのがこの学校だから、うん。あれは私にとっては入学式ですよ」

「じゃあ、先生は一年生?」

「そう。ぴかぴかの。優しくしてくださいね。先輩」

 同時に顔を綻ばせる。導入はまずまず。次は信頼関係を築きたいところだが。

「先生」

 雑談を進める中、氷川が言葉と言葉の隙間を縫って問いかけを投げかけた。

「本当は、僕に聞きたい事があるんでしょう?」

 新展開だ。向こうから積極的に話題を振ってくるのもそうだし

「まあ、あると言えばありますが」

「橋本君のこと?」

 こちらの思惑を言い当てられたことには驚嘆の念を禁じ得ない。彼は体を前傾に倒して、下からこちらの顔を覗き込んでくる。子どもは鋭い。

「聞いても良いのですか?」

 下手に隠し立てするのは、逆に信頼関係の形成を悪化させると判断した。向こうが両手を広げて待ち構えているんだ。こちらからぶつかってがっぷり四つに組んでやる。

「うん。僕は最初から、それを聞かれると思っていたんだよ。昨日も、その事で来たんじゃないのかなって思ってたんだけど」

 家庭訪問の様子や、今の緊張はそれが原因か。始めから、ここで何が行われるか、自分は何のために呼ばれたのかを理解していたのだ。確かに、新入生に対しての優しさが見える。こちらのペースで話させてもらっていたのだ。自分の主張を押さえて、私の話を聞いていた。下手な大人より大人だ。

「氷川君に幾つか教えて欲しい事があります。答えたくない事は、無理に答えなくても良いし、嫌だったら嫌とハッキリ言ってくれて構いません。ここで何を言っても言わなくても、君の成績や評価には影響しません」

 経験豊富なカウンセラーなら、こんな事はしないのだろう。己の未熟さゆえに、話の持っていき方の選択肢がないのが現状だ。だが、彼はこれで理解できる、と確信していた。これまでの会話から、彼の知能指数、精神年齢は同年代に比べて非常に高い。

「先生の質問に答えればいいんだね。昨日は僕やお父さん、お母さんが話してばかりだったけど」

「はい。今日は、そうです」

「答えたくなければ答えなくて良い。黙秘権、みたいなモノ?」

「ちょっと意味が違うような気がしますが、おおむねその考え方であっています」

 よく知っているな、といかけた口を無理やり捻じ曲げて、ただの肯定に変える。よく知っていると言う言葉は、聞き方によっては相手を見下しているようにも捉えられかねない。相手の尊厳を傷つける言動はなるべく避ける。

「ポリグラフ検査みたいだね」

 どこでそんな言葉を覚えてくるんだ。内心の驚きを隠しつつ「機械はないけどね」と軽く流すに留める。

「こういうシチュエーション、少し格好良いなと思ってたから、ちょっとわくわくする」

「そうなんですか?」

「うん。ミステリーや警察ドラマ、お母さんが好きだから僕も良く見るんだ」

 そこからポリグラフが出たか。納得しながら話を合わせる。

「でも、事件の犯人のように、先生に嘘は勘弁してくださいね。ポリグラフのように、嘘は見抜けないから」

「嘘は吐かないよ」

 あはは、と誤魔化されたのかはぐらかされたのか、ともあれカウンセリング開始だ。

「じゃあ、最初に聞きたかったのは、氷川君は、私が嫌いですか?」

「どうして?」

「君は、私の真正面に腰を下ろしたから」

 椅子を指差す。氷川は少し首を傾げ、横目で自分のお尻が乗るソファを見下ろした。

「相手の、特に大人の真正面に座るというのは、そこに座って、と指定でもされない限り中々難しいんです。多くの児童は横のソファの端、真正面でも左右どちらかの端です」

 これは、心理学と言うよりも私の経験の方で話している。自分よりも目上の相手、特に先生等の自分に対して威圧的と感じる相手の真正面は出来るだけ避ける。視線や声が自分の体にぶつかる面積を、出来るだけ少なくしたくなるものだ。

「しかもその後も、君は背もたれに背中をつける事もなく、ずっと両手を硬く握り、膝の上に置いたままでした。楽にしても良いよと伝えたにも拘らず。出したお茶も飲まず。ずっと身構えていた。緊張状態、臨戦体勢をずっととっていたんです。他には、目線や喋り方。話すときの目線は私の目を捉えていたし、話の前後を無視して本題に切り出そうと話題を変えたりするのは、まるで自分が優位に立とうとするみたいでした。以上の事から、君は私が嫌いなんじゃないかな、と思ったわけです」

 一息に話きり、相手の反応を伺う。

 しばらく氷川司はぼうっと、視線を宙に彷徨わせていた。何か言い訳の言葉を考えているのか、放心しているだけなのか。私の勘は、前者であると告げていた。彼は既にクレバーという言葉が似合う人間だ。この程度で放心するとは思えない。

 果たして、氷川の目に色が宿った。

「それだけじゃ、ないんでしょう?」

 私の勘は良くも悪くも外れた。どうやら、彼は私の想像の斜め上を行くらしい。

「僕の方こそ、先生に聞きたいな。どうして、僕が、先生が嫌いだと思ったの? 仕草とか態度なんて、それこそ幾らでも例外はあるはずだ。でもそう思ったって事は、僕が嫌うような、避けたくなる要素を先生自身が持っているって自覚しているからだ。そして、その要素は今回の橋本君の事以外ありえない。先生は、僕と橋本君との間に何かがあると疑っているんだ」

 そうでしょう? と微笑まれても困る。この件でハッキリした。話が通じない子どもも嫌いだが、話が通じすぎる子どもも大嫌いだ。

「君の言う通り、君と橋本君の間に何かがあったのではと私が思っているとして、尋ねたら君は、素直に話してくれますか?」

「素直には話せない、かも」

「それは、他の友達も関わっているから?」

 勘だ。しかし、勝率は高い。ここでの会話で情報を得ていたのは氷川だけではない。私も一応、話しながら、昨日のカウンセリングのことを思い出していた。同級生が死んだ直後だと言うのに泣き叫ぶ者も無く、皆が皆同じ受け答えなのは、佐藤たちに徹底されただけではないし、子どもだから死の概念がまだないというわけでもない。逆にきちんと理解し、その上で三組の児童全員が結束しているからだ。全員が口裏をあらかじめ合わせているなら、今までのやり取りは納得できる。そして、唯一の例外。氷川こそ、彼らの中心人物ではないのか。

 ぐっと、彼が上目遣いに見てきた。

「先生は、そんなところも疑っているんだね。先生というか、おまわりさんみたいだ」

「ごめん。嫌な思いをさせてしまいました」

 彼らもまた、警察の事情聴取を受けている。そのことを失念してしまい、向こうからの攻撃的な言葉に反応してしまった。

「別にいいよ。ルール違反じゃないし。先生が質問して、僕が答える。そうでしょ? シャーロック」

 ひるむどころか、こちらを手招きしてみせた。本当に小学生かと疑わしくなる。上等だモリアーティ。

「では、正にそのことを尋ねます。橋本君とのことです。彼とは良く遊んでいた?」

「いいや。僕はゲームが好きだけど、橋本君は外でサッカーや野球するのが好きだったみたいだったから、遊んだ事はないよ」

「そう言えば、ルール違反とか、氷川君はこのやり取りをゲームのように見立てているね。ゲームが好きなのですか?」

「うん。家にいるときは宿題を終わらせたら弟とやってるよ」

「友達とはどうですか? 家に集まって一緒にしたりします?」

「そんな日もあるし、集まらない日もあるかな」

「集まらない日?」

 集まらないでどうやってやるのか。

「対戦ならネットでも出来るから」

 どうりでかみ合わないわけだ。彼が言っているのはTVゲームの事だ。

「そっか、最近はネットがあればお互いが家にいても出来ちゃうんだ。先生が子どもの時は、ネット環境が今みたいに整ってなかったからなあ」

「コンシューマーもやるよ?」

 何だそれ。単語の意味が理解出来ないのだけれど。

「据え置き機。多分先生のイメージにあるゲーム機」

「なるほど。そう言えば、橋本君はパソコンのことを勉強していたと聞いたんですが、氷川君は何か知っていますか?」

「聞いた事は、ないかな。勉強の成績のことで親から良く怒られるって話は聞いたことあるけど」

 それは噂か? それとも本人からか? 気になるが、追求はもう少し後だ。

「ちなみに氷川君は、パソコンって得意ですか?」

「ゲームとスマートフォンのバックアップ、後は調べ物するくらいしか使わないよ」

「充分得意なように思うんですが」

「ううん。もっと上手な子がいるよ。自分でアプリを作って販売してる同い年の子だっているし」

「氷川君は、将来はゲームとか、アプリとかを作る仕事とかに興味あります?」

「あるけど、今は先生みたいな、カウンセラーの仕事の方が興味あるな。言葉で人を治せるんでしょう?」

 そこまで万能なら、もはや魔法だ。だが、子どもの夢を真っ向から否定するつもりはない。

「興味を持ってくれて嬉しいな。仕事仲間が増えるのは私としても大歓迎です」

「先生は、どうしてカウンセラーになったの?」

「それはね。一言では言い表せないほど色々な事があったんですよ」

「ああ、就職難、ってやつだね?」

 一言で察して頂けて嬉しいよ。さて、そろそろ本題に入ろうか。

「彼が家出したことを最初から知っていましたか?」

「うん」

 ためらうことなく氷川は答え、続ける。

「僕が、家出の手伝いをしたからね」

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