仮面の下 4

 翌朝の学校の体育館で開かれた緊急の全校集会。校長の長い話を聞きながら、私は事故死として処理された橋本雄介の事件を考えていた。


 昨夜、突然学校側から呼び出しがかかった。わけもわからぬまま着の身着のままで向かうと、教員たちの他に警察が待ち構えていた。そこで事情聴取を受け、橋本雄介の死を初めて知った。

 嘘から出た真で、『橋本は学校で見かけた』という嘘を言った当人である私が一番驚いたのが、橋本雄介の潜伏場所だ。橋本雄介は学校の視聴覚室や屋上に潜んでいたのだ。だが、よくよく考えれば学校には無線WiFiがあり、エアコン完備、毛布もある。下手な隠れ家や秘密基地よりも、よほど潜むのにはもってこいの環境が整っていた。

 彼を発見したのは夜間巡回中の委託警備員だ。一階を巡回中、物音が聞こえたので不審に思い音の方へ近くと、タッタッタと足音が遠ざかる。気のせいではなく、誰かが侵入している。警備員は警察を呼ぶか一瞬迷い、追いかけることを選んだ。姿は確認できないが、足音は小さく軽やかだった。警備員は、侵入者が児童ではないかと推測したようだ。児童相手に警察を呼ぶまでもない。捕まえて叱り、親御さんに連絡すればいい。そう考え、警備員は足音を追った。足音は、音はすれども姿を見せない、絶妙な距離を警備員から取りながら階段を駈け上がる。警備員も肩で息をしながら後に続いた。一番上まで登りきった警備員は、足音の正体を見つけることはできなかった。確かに上に登ったはず、撒かれたのか、それともまさか、学校によくある怪談かと顔を青くした警備員だが、屋上のドアの横下にある、小さな窓が開いているのを確認した。屋上に出たのかとドアを開けて辺りをライトで照らした。円形の光の中に、驚いた様子の橋本が浮かび上がった。彼は警備員の制止の声に耳を貸さず、一直線に屋上の縁に駆け寄り、自分で用意したであろうロープを伝って降りて逃げようとした。その時ロープが切れ、落下。橋本は緊急搬送されたが、病院内で死亡が確認された。

 以上が、警察経由の又聞きで知った事の顛末だ。

 だが、と私は思う。辻褄があってそうであってないような話なのだ。

 そもそも、子ども一人の力で誰にも見つからないように学校で数日過ごすことは可能だろうか。施錠された教室にどうやって入ったのか、食事はどうしていたのか、監視カメラの目をどうやって掻い潜ったのかなど、いくつかの問題が立ち塞がるはずだ。

 行き着いた結論は、協力者がいるのではないか、というものだ。食事や鍵の問題については、協力者がいれば解決できる。教室の入り口に鍵がかかっていても、窓の内鍵を開けておけば簡単に入れる。食料の受け渡しもランドセルで持ってきて、指定の机やロッカーの中に入れておけばいい。監視カメラも、どこかに死角があるはずだ。カメラの位置を調べてくれる仲間がいたのではないか。

 協力する可能性が最も高いのは、同じ三組のクラスメイトだ。


「カウンセリング?」

 憔悴しきった顔の佐藤に提案した。放課後から夜九時まで開かれていた家族説明会で、監督責任問題で執拗に叩かれたのだから無理もない。ようやく長い一日が終わろうとしているところに、厄介な頼みごとをされた佐藤は思い切り顔をしかめてこちらの顔を覗き込んだ。

「ええ。今回のことで全児童がひどいショックを受けています。特に同じクラスの六年三組の影響は計り知れません。これから中学受験を見据えている児童もいることですし、心のケアは早めに実施した方が良いかと思いまして。そこで、佐藤先生」

 半分は建前だ。児童の未来などどうでもいい。ただ、気になることを解決しておきたいだけだ。ずいと一歩踏み出した。佐藤は仰け反り、壁際に追いやられる。

「明日各ご家庭に事情説明に行くんですよね。私も、家庭訪問に連れて行ってください」

 面倒臭いと全身が表しているが、佐藤はどうにか折れてくれた。カウンセリングで児童の心のケアを行なっていると家族にアピール出来る。そんなソロバンが弾かれたのだろう。どんなソロバンでも良い。私の思う通りになるならば。

「さて、と」

 なんだかんだあったが、ようやく本業のカウンセリングだ。しかも、共犯者を探すという側面もある。

 児童の名簿に書かれた住所と、目の前にある家を見比べる。出ている表札も間違いない。


「何で、全員同じ話しかしない…」

 カウンセリングは親子一緒に行った。一対一も考えたが、それは次の機会で良い。今日は家族の中に漂う空気と、児童の様子を確認できれば良い。ボクシングのジャブだ。軽く打って、反応を見よう。気になった児童は、後日改めて話をする。そういう計画だった。だが、結果は空振りに終わった。

 マスコミ対策として下手な発言をしないよう、佐藤たちが徹底的に児童に指導していた。その甲斐もあり、ニュースでは児童たちが追い回されるのは初日くらいで、熱はすぐに収まった。あまり喋らないその他大勢の児童より、事故死した子どもの父親で、現役の市議の方が取り高は良いから、そっちに移ったというのもあるだろうが。

「ニュースのインタビューは終わってるっての」

 だからって、こっちの問いかけにまで同じような態度を取られるとは思わなかった。徹底のしすぎで、事故の話を聞かれたらパブロフの犬宜しく心を閉ざして機械的に振舞うようになったんじゃないだろうか。事故以外の事は普通に話すし、冗談を交えれば時折笑顔も見せてくれるのに。

 多種多様な話をしたのは親の方だった。学校はどういう責任を取るのか、対応はどうするのか、自分の子どもをこのまま通わせても大丈夫か等だ。その意味するところの大半は、自分の子どもの安否と将来に関するものだが、冷静な親もいれば、感情的になって言葉を荒立たせる親もいた。型にはめたような受け答えの児童と正反対だ。唯一の救いは、橋本が死んだ事で不安を訴える、もしくは体に何らかの不安症状が出ている児童がいなかったことくらいか。親からも、子の異変に気づいたような話は話題に上がらなかった。異変が起きたらどうするんだというのは必ず上がったが。

「どうですか? 何か分かりました?」

 疲弊した私を佐藤が冷めた目で見下ろしていた。

「正直、分かりません」

 佐藤の口元が馬鹿にしたように歪んだ。何しに来たんだと言わんばかりだ。

「ただ、少し気になった児童がいます」

 ほとんどの児童の態度は同じだった。俯き、硬く口を結んでいた。一人の例外を除いて。

「気になった児童?」

「はい。その子だけ、他の児童達と態度が異なりました。他の児童が貝みたいに閉じこもっているのに対して、その子だけは、こちらの動きを伺っているような、そんな感じを受けました。できれば、その子ともう一度、今度は一対一で話をしたいのですが」

 伺うように佐藤を見上げる。うんざりした顔で、しかし佐藤は言った。

「誰ですか? その児童は」

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