仮面の下 3
私がホームページをこそこそ見ている間に、職員会議は終了し、校長が校長室に引っ込んだ。
職員会議が終わっても、教師の会議はまだ続く。学年別の会議だ。
「八坂先生」
声がかかった。件の、六学年の佐藤からだ。神埼に礼を言ってタブレットを返し、そちらに向かう。
「会議でも話にありましたが、うちのクラスの橋本君が家出した可能性があります」
六年三組担任、佐藤先生は、平静を装うことを意識しすぎた固い声で話を切り出した。相変わらず神経質そうな男だ。髪は手入れとは無縁そうで痛んでおり、青白い顔は病気を心配する程だ。初対面の挨拶時から仲良くなれそうに思えなかった。挨拶の時も今のように腕を組み、指で皮と骨だけの細い前腕を叩いていた。人と話をする態度ではない。
「ご家族からは風邪だと言われておりますが、本当かどうか判断のつかない状況です。もし万が一が起こった場合、何もしていなければ後で何を言われるかわかったものではありません。こちらがあの時風邪だと言ったじゃないかと訴えても、聞き入れてもらえるかわかりません」
佐藤は「そこで」と嫌な接続詞を使った。今後の展開はわからないが、面倒な話になる展開は予想できた。
「八坂先生には、橋本君の行方を調べて欲しいんです」
顔が引き攣らなかったか、自信がない。私の顔を見ている佐藤をはじめとした六年担当教師たちの表情から、特にぼろは出していないようだと結論付ける。ゆっくりと息を吐き出してささくれ立った心を落ち着かせ、言葉を返す。
「調べる、といいますと。具体的にどのようにすれば」
「そんなもの、カウンセリングで調べるに決まってるじゃないですか」
当たり前のことを聞くな、みたいな苛立った顔で見当違いのことを言い返されることほど腹立たしい物はないな。手が出そうになるのをこらえ、カウンセリングが何でも出来る魔法だと勘違いしている人間にどう説明したものかと悩む。悩んで、結局はどう言っても話が進まないだろうと諦めた。
「六年三組の児童にカウンセリングを受けてもらう、ということですか。それで、橋本君の行きそうな場所などを聞き出せと?」
それはカウンセリングではなく取調べだな、と自嘲する。
「ええ。カウンセリングのタイミングはお任せします。八坂先生の準備が出来たら声をかけてください。自習の準備をして、一コマ作りますから」
まったく頼まれている気がしない。まるで私の都合に合わせてやると言わんばかりだ。こっちだって仕事はある。一番厄介なのは収束したが、児童からの相談のメールはまだ全部片付いていないし、問題を抱える児童の学習支援保を行う予定だったし、保護者からの電話相談も突発的に入る事があれば今も継続しているのもあって後もう少ししたら連絡しなきゃいけないし、一部の良識ある教員からは児童の事で相談を持ちかけられているし。
大多数の私を良く思わない教員たちに隠れて相談を受けるのはかなり大変だ。相手のためにも場所や方法を選ばなければならない。気分はスパイだ。その苦労をわかっているのか、と憤慨し、その熱は一気に覚める。佐藤たちにとって、私の仕事など興味がない。興味がない相手に幾ら説明しても無駄だ。
予鈴がなり、各教員が職員室を出て自分の持ち場に向かっていく。職員質に、私だけが取り残された。
さて、カウンセリングしろと御下命を賜ったものの、いきなり実施して何でもかんでも出てくるわけはない。いきなり別室に呼ばれて橋本の事を話せと言われ、話せる児童がいるだろうか。その程度で話せるなら佐藤は私には頼まないだろう。学校では従うべき存在である教師に話さないのだから、何らかの理由があると考えるべきだ。その理由を児童から引き離して話すようにする、心を開かせるのが仕事になるが、昨日今日来た相手にそこまで心を開くかと言えば、正直やってみなければわからないというのが本音だ。しかも、私は小馬鹿にされるほどこの学校に対して無知だ。会話をするためにも事前に情報を探る必要がある。丁度、児童の本音をかき集められそうな場所を教えてもらったところだ。
裏掲示板は、公式とは違いIDもパスワードも必要なかった。橋本の家出に関係ありそうなスレッドをいくつか読んだ後、私も『噂・情報』の項目に書き込む。
『橋本雄介はいなくなる前、学校で見かけられたのが最後らしい』
当たり前の話だが、これは私のでまかせだ。だが、これで反応が上がるはず。否定でも肯定でも、また違う意見でも、何でもいい。真偽にかかわらず、情報は多ければ多いほど有用だ。真であれば当然、偽であっても、その裏には真につながる何かがある。
掲示板の反応を待つ間に、今度は学校の在校生に関するデータにアクセスし、橋本雄介の学校生活について調べを進める。どんな児童だったかを知れば、家出の原因につながるかもしれないからだ。
橋本雄介。成績は平均より少し下。体格は他の児童よりも頭一つ抜きん出て大きく、運動神経もいい。性格は良くも悪くも活発で、クラスのガキ大将的ポジション。
「特にいじめとか、そういうのに関わっていたとか、遭っていたわけじゃない、ね」
学校が嫌だから家出した、というわけではなさそうだ。
次に家族構成だが、市議会議員の父と飲食店経営者の母との三人暮らし。三者面談でも家庭訪問でも特に目立った問題は見受けられない。ただ、両親共に多忙で、一人で過ごすことが多い、とある。もしかしたら、息子を放置していた事が今回の件で明るみになるから大事にはしたくないのかもしれない。人気商売は大変だ。ちょっとのことがスキャンダルに繋がる。
橋本雄介の、一年生からこれまでの成績や行動記録を一通り読んだが、特に問題行動を起こすような記述は見受けられなかった。問題ないのだから、先生方から貰った問題のある児童のリストにはなかったのも頷ける。
「もしかしたら書いてないだけかもしれないけどね」
傷のない橋本の評価を見ながら皮肉る。親が怖くてきちんと全て書いてない可能性は捨てきれない。そして、外部から来た私に対して、意図的に橋本の存在を隠そうとした、というのは考え過ぎだろうか。
タブレットで掲示板を覗くが、まだ特に反応はない。授業中だから当然といえば当然だが、私が学生の頃は隙を見てやりとりしていたものだった。真面目な児童ばかりだと感心する。それならそれで、やることはまだある。これからカウンセリングを行う予定の六年三組全員の情報を仕入れておけばいい。
昼休み、弁当をつまみながらタブレットで掲示板を覗く。真偽入り混じった書き込みが、目論見通り私の書き込みの後にずらずらと続いていた。
『俺は商店街で見かけた』『私は公園で見かけた』という別の目撃証言から『最近勉強のことで悩んでいた』『パソコンを勉強しているって聞いた』『いや、悩んでいたのは友達のことだ』など、最近の橋本雄介の様子がわかる内容もあった。
「友達のことで悩み…」
ふと、ここ一ヶ月の間やりとりしていたことを思い出す。やりとりの内容もまた、友達、人間関係に関することだった。時期も一致する。もしや、彼が質問の相手だったのだろうか。今度は橋本雄介個人に対する情報だ。これは掲示板に質問を投げるだけでなく、アプリ『フェイス/フェイス』を用いて六年生全員に投げかけた。せっかく匿名で話せるアプリがあるんだ。お互い利用しないと。
しかし、返ってきたのは特に変わったところのない橋本の評価だった。体が大きい、運動が出来る、リーダーっぽいなどだ。異常性癖があるとかまでは期待していなかったが、いじめをしていたとか、ガキ大将によくある負の噂を少し期待していただけに肩透かしを食らった。
掲示板も同じで、これ以上得られる情報はないだろうと見切りを付ける。明日佐藤に一コマ自習時間を作ってもらい、カウンセリングを始める。最善は、その前に橋本雄介が自宅に帰り、明日元気に登校してくれる事だ。私の手間も省けて、教師たちも心配のタネがなくなり、誰もがハッピーになれる。
ただ、その望みは薄そうだとも自覚していた。望まない方向にはトントン拍子で話が進むということは、望む方向には進んだことがないってことでもある。
そして事態は、やはりというか、最善とは真逆の方向に進んだ。
その夜、橋本雄介が死亡した。
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