仮面の下

仮面の下 1

「また来たか…」

 顔をしかめ、三ヶ月切りにいってない伸び放題の髪をかきむしる。私の手元のタブレットには、相手からの返信があったことを示す表示が出ている。おそらく、いや、間違いなく心理学に関する児童からの質問だ。四月に入ってすぐだから、かれこれ一ヶ月、しかも日に何度も質問が飛んでくることもある。

 正直、子どもの好奇心を舐めきっていた。二、三回。多くても五回もやり取りをすれば満足するだろうと高を括っていたら、既に多くても、と推測した件数の十倍を超えた。いっそのこと学びに行け、良い所紹介するから、と教育機関に丸投げしたい。


 子ども嫌いなのに子どもに懐かれるからと、家族の勧めで渋々カウンセラーになった。

 昔から、あまり乗り気ではないことに限って、とんとん拍子にことが運ぶ。同期が内定を取れずに嘆く中、大学在学中に私はいとも簡単にカウンセラーの派遣会社の内定を得る事ができた。ある意味で、思い切りのいい面接が出来たからではないか、と自己分析している。落ちても良いや、という気持ちで、緊張せずにズバズバと言いたい事を言った。それが評価されてしまったのだろう。

 反対に、希望して履歴書を送った会社、IT関連だったが、軒並み不採用だった。IT関連なら上手くすれば人間関係のわずらわしさが少ないだろうと考えたのだが、最初の人間関係だけはもっと密接に、親密になるよう努力するべきだったと反省している。

 ともあれ、新社会人となり、会社にて一週間の研修を終えると、営業担当の社員に「八坂さん、ちょっと」と肩を叩かれ、資料を渡された。私の家から三十分圏内にある学校の一覧だ。

「明日から、面談行って来て。もうアポイントメントは取ってあるから」

 派遣会社のある意味豪胆なところは、新人であろうとすぐさま派遣先に面談を捻じ込むところだ。もう少し経験を積んでからじゃないんですかと、私としては至極全うな意見をぶつけたところ、営業担当は薄く笑って言った。

「その経験を積むために行くんですよ?」

 黙るしかなかった。納得は全くしていないが。

 まあいいさ、と開き直った。入社一週間の若造を取る様な学校はあるまい。交通費も出れば、面談後は直帰してもいいとのこと。座学ばかりの研修は眠くなって仕方なかったから丁度良い。落ちてもともと、気楽に行こうと簡単に考えて、一校目の校門をくぐった。この気楽に、という考えが、自分を追い込んだ事をすっかり忘れて。

「八坂博巳さん」

 会議室に通された私は、簡易机の上にて両手を組んで陣取る校長と、手渡した資料から顔を上げる気配のない教頭と対面していた。今私の名を呼んだのは校長の方だ。角刈りで色黒で細身。私の想像する校長とは正反対の印象を受けた。組んでいる手は節くれ、腕もただ細いわけではなく筋肉によって引き締まっていた。農作業や漁業に従事する人のような、外で良く働いている人の手だった。日焼けもサロンなどで焼いたものではなく、長時間の外での仕事を長期に渡って行ったためのものだろう。内心、校長なんて校長室で革張りの椅子に座って、ふんぞり返っているのが仕事だと決め付けていたからかなり意外だった。その校長が

「新学期からでいいかな?」

 厳つい見た目とは裏腹に、穏やかな声でわたしの穏やかだった心を波立たせた。思わず「え?」と聞き返した。

「だから、来月の、この新学期から勤めてもらいたいんだが、いいかな?」

 それとも他の学校の面談を回ってからにするかい? 校長は派遣業に理解のある言葉を付け加えた。動揺を隠しきれない私は、前向きに検討させてください、などとどっちが雇い主かわからないようなトチ狂った返答を残して会議室を後にした。すぐさま営業担当に事の次第を報告する。

「そこにしましょう。その学校が一番条件良いので」

 ツイてますね! 電話口でも嬉しそうなのが伝わってくる。確かに、私には何か憑いているのかもしれない。


 以上のような経緯で、今年の四月に赴任し、その際に学校側からタブレットを支給された。なんでも、近々教科書が全て電子書籍化するとのことで、教員と最上位学年で試験的に導入されているらしい。

「最上級生は、進学のことで悩みがあるかも知れないから」と一対一で対話できるクローズドトークアプリ『フェイス/フェイス』が事前に組み込まれていた。実際にカウンセリングルームに来るのは難しくても、ネット上でなら会話できるかも知れないという配慮だ。

 以降、私の元には児童からの遊び半分のコメントが届くようになった。それはまだ良かった。適当にあしらえば良かったからだ。だが、今回届いたような、きちんとした質問にはきちんと答えなければならない。このアプリのコメントは後のち学校を経由し会社に報告書として提出される事になっているからだ。

「は?『絶対にありえないもの同士、例えば嫌いな相手同士、敵同士とかでも仲良くなることはありますか?』だ? 知るかそんなもん」

 不味いインスタントコーヒーを一気に喉に流し込み、悪態をつきながらも、苛立ちの詰まった指でキーボードを叩き打ち込んだ文字は、私の荒れてささくれ立った気分とは正反対の、丁寧な返信内容になって並んでいた。就職難のご時勢、せっかく得た仕事を一年保たずに手放すわけにはいかない。気の乗らない仕事だろうと子供が嫌いだろうと、外に見える部分だけは真面目にこなす。

『どういった場面のことを考えているのか、先生にはわかりませんが、ストックホルム症候群という特殊なケースはあります。例えば…』

 ストックホルムで起きた銀行強盗が起源の症状の一つを説明し、参考になるようなウェブサイトのURLを貼り付けておく。これでダメならグーグルで勝手に調べろという気分で送信ボタンを押した。空気が抜けるような間抜けな音を立てて、メッセージが電子の海に飛んでいく。

「面倒臭いぃ…」

 たった一ヶ月。されど一ヶ月。ストレスが溜まるには十分な期間。完全に五月病だ。送信ボタンを押したまま、机に突っ伏す。

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