シリアルキラーの賛美歌 7

 記憶が一気に巻戻る。この歌。サビの部分での高いソプラノ。聞き覚えがある。いや、馬鹿な。この一年一緒にいて、そんなそぶりはまったく無かった。賛美歌なんか全く歌わなかったのに。

 なのに、何でだ。当時気付かなかったことまで思い返してしまう。一度気になると、全てが気になってしまう。僕の悪い癖だ。直しておけばよかったと心から後悔する。

 飯塚がシリアルキラーとして断定されてからも警察の捜査は進んだが、飯塚の犯行であると確定したのは二件で、残り三件は決め手に欠け、確定に到っていない。

 飯塚が殺害したと確定している被害者は、全員が廃墟に飾られていた。安岡に連れ込まれた廃屋にもそのための準備がされており、撮影道具一式が揃っていた。

 だが、残りの被害者は被害者宅に飾られていた。この相違点に誰も注目しなかったのは、順番が交互していたからだ。最初の犠牲者は被害者宅で、その次は廃墟、その次は自宅と狙ったように交互に発生した。交互に起こってしまったことで、また被害者を着飾るなんて大きな共通点のせいで連続殺人だと誰もが思った。マスコミが取り上げたのも、若い女性を着飾って殺すという箇所だけだ。

 殺害方法も検証すると、飯塚が殺害した被害者には抵抗した時に出来る防御創がごくわずかながら確認できたのに対し、その他の被害者には抵抗した跡がない。一撃で急所を刺され、即死している。


 なんて事だ。


 被害者の髪を整えたり着飾ったりする異常性ばかりが目に付いて、警察を含めて僕たち世間は全て同一犯だろうと決め付けていた。小さな防御創など、些細な違いは単なる偶然と片付けてしまった。けど、本当は別々の事件なんじゃないのか。シリアルキラーは二人いたんじゃないのか。

 記憶を掘り返す。犯人を見つけ出すために事件の資料はネットニュースから何から全て見ていた。殺害現場は廃屋と被害者宅の二種。きれいに交互に入れ替わっていたため、連続殺人犯というラベルがついた後は『そういう法則』を犯人が持っているものだと思い込んでいた。でもあれは、ただ別の人間が別の法則をたまたま交互にしていただけではないのか。

 いや、たまたまではないかもしれない。飯塚の日記には『素敵な出会い』をTVで見たら出会いを求める欲求が強くなるとあった。あれは額縁どおりの出会い、恋愛要素の事ではなく、何らかの殺人事件だとしたらどうだ。廃屋の殺人は被害者宅の殺人から三ヶ月以内に行われている。順番でも二番目からだ。飯塚は被害者宅の殺人に影響されて次の犯行を計画し始めたのではないか。

 反対に被害者宅での殺人は廃屋の殺人から半年近く間隔を開けている。間隔を空けるのはTVではクールタイム説が囁かれていたが、これは飯塚の出会いを求める欲求と矛盾する。奴は欲求を我慢できない。

 待て、待て待て。今現在飯塚の犯行だと確定しているのは二件。だが、僕が見た最後の被害者は現段階で飯塚の犯行だと確定的な証拠は無い。

 もしかして、もしかするのか。もう一人の犯人説が。

 そういえばシリアルキラーの特徴に、人体の構造に精通している可能性が上げられていた。

 突如として、恐ろしい想像が頭に舞い降りた。

「どうして、思いついちゃったかなぁ」

 泣き言が口から漏れた。

 当時、僕が夢を見る可能性があるにもかかわらず、真っ先に容疑者リストから外した人がいる。

 いや、そんなはずはない。だって彼女は被害者なのだから。

 でも彼女なら。

 彼女なら、特徴と合致してしまう。前職が看護師で人体の構造に精通し、男の痴漢を撃退するほどの技量を持っている。大柄な男の安岡を突き落とすことも可能だし、被害者を即死させることも可能だろう。何より、僕は彼女の顔を毎日見ていた。彼女と意識を共有したこともある。それに、それにだ。以前は単独犯という考えからアリバイを確認したが、別の犯人がいるとなると、僕のアリバイ確認方法では不十分だ。僕が見た悪夢、被害者宅の殺人のアリバイを確認していない。こちらの犯行なら、彼女でも可能になってしまう。

 疑えば疑うほど、もしかしたらという疑惑が何点も浮かび上がる。

 飯塚と意識を共有していたとき、飯塚自身が考えていたことを思い出す。

『彼女はたまに俺から離れる』

 それまでただの妄想か比喩表現か何かだと思って気にもしていなかったが、事実だったとしたらおかしくないか。ストーカーの尾行を撒くなんて、簡単に出来るとは思えない。相手に執着する事にかけては、ストーカーは刑事すら上回るのだから。その目を掻い潜れるということは、他の人からすれば彼女は消えたも同然。では消えた彼女は、その間一体何をしていた?

 安岡に捕まっていたとき、彼女は拘束テープを自力で緩めていた。もう少し時間があれば、僕の助けなしでも逃げられるほどに。気丈な女性とはいえ、殺人犯に捕まっている状況でそこまで冷静でいられるものだろうか。

 安岡に襲われていたときも、僕の行動を安岡から見えないように体を動かしていた。あれが偶然で無く狙ったものだとしたら?

 その少し前もそうだ。彼女は助けてと訴えるように僕を見た気がした。でも実は、僕の後ろに転がっていた飯塚の遺体、それに刺さっている包丁を確認したんじゃないのか。両手の拘束を外し、安岡を突き飛ばしてからの行動を冷静に脳内でシミュレーションしていたんじゃないのか。そのシミュレーションの応用が、何の躊躇もない安岡殺害につながったんじゃないのか。

 事件は終わり、証拠は失われた。証拠品は事件が終わり、裁判で証拠として使われた後は処分されると聞いた事がある。再審が考えられる案件では警察や検察が保存するらしいが、今回の件で再審なんかあるわけない。シリアルキラー事件の犯人である飯塚は死んでしまったのだから。ドラマでよくある、被疑者死亡で不起訴、事件終了だ。わずかな証拠も、シリアルキラーという恐怖もそれに対する警戒心も人々の中から消えていく。これで、次の獲物はさぞ探しやすくなるだろう。事件から一年。クールタイムとしては十分だ。再び行動し始めても全くおかしくない。

 極めつけは、さっきの会話。僕が会社で居眠りしていたときの話だ。僕にとっては、ストーカーとシリアルキラーと飯塚はセットだったから、自分の会話に何一つ違和感がなかった。だが、彼女にとってはどうか。彼女にとって、僕が寝不足だったその時はストーカーの飯塚と意識を共有しただけで、シリアルキラーとはイコールじゃなかった。僕の指摘は彼女に違和感を与えたはずだ。聡明な彼女なら必ず気づく違和感。仕事では不明点があれば上司にだって食って掛かって説明を求めていたし、子どものナゾナゾでさえわからないと気になってネットで調べるほどわからないのをわからないままに出来ない性格なのに、指摘も立て続けに質問することもなかった。僕が知る彼女なら、ありえないことだ。ありえないことが起こっているのなら、何らかの理由がそこには存在する。それこそありえない理由が。


 彼女が犯人だとして。


 僕は拉致されたあの時、殺人鬼と意識を共有したことがあると言った。彼女は危惧したはずだ。そして探るはずだ。僕がどこまで知っているかどうか。調べつくす為に結婚までして。

 下手な証拠を残さない為にそこまでやるのか。いや、やる。そこまでの潔癖さが無ければ、これまで警察の手から逃れ続ける事なんかできないはずだ。

 そしてさっきの会話で、彼女は確信を得たんじゃないのか。最後の被害者を殺害した時の記憶を僕が持っていることに。だから忘れましょう、なんて言ったのか? いずれ、あの事件が飯塚の犯行でない事に気づかれないように。

 そんな彼女になんて言った? 飯塚は誰でも良かったのか、だなんて疑問、捉えようによっては別の犯人を考えているようなセリフだった。だから驚いて、僕の腕を強く抱きしめたのか。緊張で力が入ってしまったから。そしてごまかすように照れて見せたのか。じゃあ、手で隠していた口元に浮かんでいたのは、照れによる笑みではなく…。


 色んな疑問が形を持ち、悪夢となって僕の前に現れる。全ては僕の勝手な推測に過ぎない。考えすぎだ。でも、どうしても不安は胸の内に広がり、心に影を落とす。

 今僕は、僕のことを誰も知らない街にいる。仮に死んでも、誰も気付かない場所だ。


 床の軋む音で、僕は現実に引き戻された。

「どうしたの?」

 優しく微笑む彼女を、僕はもう、まともに見れない。

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