シリアルキラーの賛美歌 5
「な、何言ってんだよ」
嫌な予感しかしない。安岡は錯乱している。永遠に、なんて、愛を誓う以外で思い当たる事といえば一つだけ。
「…そうだ、一つお前にも言いたい事があったんだ」
話しながら安岡が僕の方に近づき、思い切り腹を蹴り飛ばされた。思考が強制的に中断され、体がくの字に折れ曲がり、呼吸が止まった。口元から唾液が飛び散る。
「志村、お前も最近調子に乗りすぎなんだよ。気安く近づきやがって。長い付き合いなのと、カードキーを見つけてもらった借りが無きゃ放置してたところだ」
失せ物探しで命が救われたなら安いものだ。本当は別の理由がありそうだが。僕を車に乗せたまま焼死体にすると、助手席に誰か乗っていたのではと推測されるのを嫌がったからかもしれない。その理性を犯行に及ぶ前に発揮して欲しかった。
「鼻の下伸ばして響子を見やがって。残業にかこつけて飯に行くなんて、下心ミエミエなんだよ」
「ご、誤解だ」
死にそうなほど腹が痛いが、我慢して喋る。そうしないと本当に死んでしまう。
「僕も、響子さん」
「馴れ馴れしく彼女の名を呼ぶな!」
再度蹴られ、床に転がる。
「彼女! 彼女が何者かに狙われていると気付いたんだ!」
「あ? どうやって」
「夢だ。信じてもらえないかもしれないけど、僕は、夢の中で人とつながれる。その人の意識なんかを共有できるんだ」
「お前、こんな時に何をとち狂ったこと言ってんだ。頭おかしいんじゃないか?」
本当に頭おかしい奴に言われたくないが、今は反論する元気も勇気も無い。
「何て言われようと事実なんだ。その夢で、僕は巷を騒がせている殺人鬼の意識を共有した。次に、響子さんを狙う誰かの意識と共有した。狙ってるのは殺人鬼なんじゃないかと思ったんだ。だから出来るだけ一緒に行動しようと」
「余計なことをするな!」
また、腹を…。そろそろ内臓の一つや二つ破れそうだ。苦しくて転げ回り、どんと背中がぶつかる。振り向くと飯塚と目が合った。自分の未来予想図にしか見えない。
「響子は俺が守る。今までも、これからもだ。響子だって彼氏の俺に守られる方が良いに決まってる。そうだろ?」
安岡が響子さんと僕を交互に見やる。響子さんは相変わらず怯えていて、僕も死にそうな顔で安岡を見ている。それをどう受け取ったのか、焦ったように安岡は言った。
「そうだ。証拠を見せてやるよ。何でお前を高宮と一緒に焼かなかったか分かるか? 証人になってもらうためだよ。俺と響子がこんなにも愛し合っているっていう」
最初からそうしておけば良かった。見せつけておけば悪い虫もつかなかったと悪い虫である当人が言う。
やっぱり僕を連れてきたのは他に理由があったみたいだ。論理の破綻したとんでもない話だが、本人はいたって真剣そのもの。日本語を喋ってるはずなのに意思疎通がとれないってどういうことだ。
安岡が彼女に近づく。猿轡を外し、細い顎を片手で掴んで引き上げた。女子憧れの《顎クイ》とかいう仕草らしいが、イケメンならまだしも殺人ストーカーにされても誰も羨ましがらない。響子さんも目に涙をためて顔を背けている。
振り向かせようとする安岡と響子さんとの間で競り合いが起こる。一向に距離が縮まらないことに苛立つ安岡は、彼女を平手で殴りつけた。
「何でだよ響子。何で嫌がるんだ? あァ! 何でだよ!」
倒れ伏す彼女に覆いかぶさり、髪の毛を掴み上げる。
まずい。このままじゃ彼女が殺される。愛する人間を殺すなんて本末転倒だし馬鹿でもしないだろうが、やつは今狂っていて、多分、最初からそのつもりなんだ。さっき安岡が言ってた、永遠に警察に捕まらないって言葉は、彼女と心中するという意味なのだ。死人を捕らえる法律も方法もない。ロミオとジュリエットじゃあるまいし、悲恋の主人公なんてお前には似合わないよ。死にたきゃ一人で死んでくれ。
彼女の涙で潤んだ目が、僕に向けられた。助けて、と訴えているようだ。
視線を巡らせ、打開策を探す。
後ろを振り向いて、これしかないと思った。目に入ったのは飯塚の死体。その腹から出ている包丁だ。刃が少しだけ飛び出ている。
気付かれないように、そっと体を動かした。腐りかけの飯塚によじ登るのはかなりの抵抗があるが、こんな時に我がまま言ってられない。かすかな物音、自分の呼吸音にすらハラハラさせられながら、後ろ手に刃を当てる。テープに切れ目を入れて千切る。手が自由になったら次は足だ。ばれないように慎重に、だが可能な限り早く。納期に追われる度に響子さんが言っていた。
「可能な限り早く、でも焦らず確実に」
今日はそこに、もう一つ目標を付け加えよう。響子さんが殺される前に。これが最優先だ。
幸い、安岡は響子さんにご執心で僕の存在など既に頭から抜けている。その安岡に掴まれている響子さんは、身をよじって逃れようともがいていた。そのおかげで、偶然にも安岡は僕に背を向けるような形になる。
手足の自由を取り戻した僕は、包丁を持ったままゆっくりと後ろから近づき
「ん?」
気配に気付いた安岡が振り返る。
互いに驚き、一瞬の空白が生まれる。先に動けたのは僕の方だ。雄叫びをあげて安岡に突進し、タックルをかました。安岡は吹っ飛んで窓に激突。派手な音を立ててガラスが砕け、外からの風が流れ込む。安岡が怯んだ隙に響子さんの手足を縛っていたテープを切る。さすが響子さん。捕まってても冷静だ。安岡に気づかれないように腕をよじって、少しずつ隙間を広げていた。おかげで簡単に切れてくれた。
「響子さん逃げ」
最後まで言い切ることは出来なかった。今度は僕が安岡に襟首をつかまれ、勢い良く引っ張られたからだ。尻餅をつき、そのまま一回転する。
「ふざけやがって!」
ふらふらと立ち上がったところに、安岡が襲い掛かる。口喧嘩すら数えるほどしかしたことのない僕は、大柄で何人も殺している安岡に勝てるわけが無い。両手で首を絞められても、逃れる方法なんて知るわけない。
「死ね、死ね!」
血走った目の安岡が呪いの言葉を浴びせてくる。ああ、意識が遠のく。
首にかかっていた奴の両手の圧力が急に消えた。ふさがっていた気管を新鮮な空気が通過していく。咳き込みながらも戻ってきた意識が、誰かが僕を見下ろしているのに気付く。響子さんだ。安岡がいた場所に響子さんが呆然と立っている。なら、安岡はどこに?
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