シリアルキラーの賛美歌 4
不快なにおいが鼻をついた。五感のうち嗅覚は直接脳に感覚を伝えると聞いた事があるが、本当だ。あまりに刺激的なにおいを嗅いでしまうと、考えるより先に体が動いてしまう。暴力的な匂いに叩き起こされ、思わず鼻をつまもうとして、手が動かない。
「え、嘘だろ」
体をよじると、鈍い痛みが走っただけで、腕も、足も動かない。追加された焦りが、僕の意識を慌てて覚醒させた。開いた目が最初に映し出したのはどこかの部屋の壁だ。間違っても僕の部屋じゃない。次に自分の体に視線を向ける。手足をテープで拘束されていた。ああ、こりゃ動かないわ。
「何でこんな…、ん?」
どこかからうめき声が聞こえる。視線を巡らせると、響子さんが椅子に座って猿轡をかまされている。両腕は後ろで縛られているようだ。
「響子さんっ」
助けに行こうとしても、手足が縛られて芋虫みたいに這いずるしかできない。
「くそ。何で、何でこんな事になってんだよ。誰がこんな事を…。大体ここどこなんだよ!」
焦りといい知れぬ恐怖を押し隠す為に声を張り上げ、無理やり怒りの感情を出す。脳内物質をドバドバ出してなきゃ気がおかしくなりそうだった。
「隠れ家だよ。俺が準備したわけじゃないけど」
自分を奮い立たせるためだけの独り言に返答があった。足音が近づく。這いずりながら音源の方を向く。
「嘘だろ、何で…」
どうして安岡がここにいる。
「何でって、当たり前だろ。お前らが俺の恋人に気安く近づくからさ」
僕が言いたいのはそういうことじゃない。だってこいつはアリバイがあったから、早々にストーカーの容疑者の疑いが晴れたんだ。僕が響子さんをストーキングしている夢を見た日、安岡は早退した僕のフォローで残業していたはずだ。自分でそう言っていたし、裏づけの確認もした。
「どいつもこいつも、響子が優しいのをいいことに勘違いしやがって。迷惑してたのがわかんねえのかな」
「どいつも、こいつも…?」
誰のことを言っているんだ。いや、決まってる。高宮と僕だ。
「そうだ、高宮は?」
高宮の車に乗っていた響子さんと僕がいるのに、運転手である高宮がいない。僕が見た最後の高宮の姿は、へしゃげた車のドアに挟まれていく光景だ。
「高宮…ああ、あいつなら置いてきた」
「置いて…?」
どこに、など決まりきっている。あの事故車両に、だ。
「いつもいつも俺の前で響子にちょっかいかけやがって。鬱陶しいったら無かったぜ。会社で喋りかけてくるのはまだ我慢できた、が、さすがに今日はやり過ぎだ。だから思い知らせてやった」
「まさか、お前が車で突っ込んできたのか?」
「そうだよ。人の彼女を奪おうとするからだ。当然の報いだ」
「高宮は、どう、なった?」
どうして僕らの車がわかったんだ、まさかつけてきたのかなど等、色々聞きたい事はあるが、僕から出てきたのは高宮の安否だった。別にあいつが心配なわけじゃない。あいつの処遇が、そのまま僕に適応されるからだ。わが身可愛さからでた質問だった。
「知るかよ。あのまま置いてきた。車が燃えちまったから、今頃は荼毘にふされたんじゃないか?」
漏れてたガソリンに火をつけたのは俺だけど、と淡々と語る。
「後は、あいつ」
安岡は顎をしゃくった。その方向には、飯塚が倒れていた。目は虚ろで濁り開きっぱなし、ピクリとも動かず、胸から包丁の柄をつき出し、血を垂れ流して床に血溜まりを作っている。素人目に見ても生きてはいなさそうだ。悪臭の原因は飯塚からのようだ。腐っているのかもしれない。飯塚が現れなかったのは、ここで既に殺されたからか。
「あろうことか車で響子の後を尾行してやがった。家まで特定してやがったんだ。真面目な振りして、危ねえストーカー野郎だったんだよ」
「飯塚のストーカー行為に、気づいたのか」
「ああ。ま、気づいたのは偶然だけど。響子を家まで送り届けてたら、どうも同じ車が毎回同じ場所に止まってるなと思ってたんだ。その場所からは、響子の部屋が見えるからな。乗ってる奴を調べたら飯塚だった。そこでピンと来たわけだよ。こいつ、響子のストーカーだって」
飯塚の頭を勢いよく踏む。家まで送り届けるほどの間柄だったのか。じゃあ、本当に安岡は響子さんとつきあっていたのか?
確認のために、響子さんの方を見た。僕の視線を受け、響子さんは必死で首を横に振っている。今の話は違う、という意味で受け取ると、響子さんは安岡と一緒に帰っていない。でも、安岡は彼女をつけていた飯塚を見つけた。では、答えとして導き出せるのは、安岡も響子さんをつけていたってことになる。安岡は自分が今言った飯塚の行動が、自分にも当てはまる事に気づいているのだろうか。響子さんをつけていた者同士、考える事も覗き見ポイントも似ていた、だから飯塚に気づいたのか。
「車から出てきたところを捕まえて、吐かせるつもりだったんだがなぁ。勢いあまって殺しちまった。しょうがないよな? 不可抗力って奴だ」
僕の認識している不可抗力と、こいつの不可抗力は、どうやら意味合いが異なるようだ。
「さて、飯塚殺したはいいものの、どこに隠したらいいかわからない。とりあえず山にでも行くかとあいつの車に乗り込んだら、ナビにここが目的地として登録されてた。あいつの家かと思った。もしかしたら響子の私物を盗んでるかもしれない、それなら奪い返さないといけないなと思うのは彼氏として当然だ。だが来てみたら人家のない廃屋だった。まあ、死体を隠すのには都合が良い。死んだ持ち主に代わって有効利用してやろうと思ったわけだ」
そうか、僕は思い違いをしていた。ストーカーは一人じゃなかった。飯塚と安岡がストーカーだったんだ。でも、一体いつからだ。安岡の意識を共有したことは何度かあるが、これまで響子さんをストーキングしてるようなそぶりは無かったのに。
まさか、僕達のせいか? 僕達が彼女に接近したから、安岡の恋慕は誰かに取られるという焦りと憎しみから歪んだ愛情になってしまったのか? 僕達がただの片思い野郎をストーカーに変えたのか?
「前々から、怪しかったんだよ。陰気な、気色悪い目で響子の事を追っていた。なんかあるなとは思ってた」
「それで殺した、のか。飯塚も、高宮も」
僕の確認のための問いに、安岡は人差し指をこちらに向けて左右に振った。
「守ったんだよ。映画で良くあるだろう。ヒーローが恋人を守るために悪党を大勢殺すのと同じだ。ヒーローは非難されるどころか賞賛されるだろ? 同じ事をしただけだ」
「映画と現実は違うだろ! この国で人を殺したら、警察に捕まって非難されんだよ!」
叫ぶ僕の耳に、サイレンが届く。遠くで緊急車両が走り回っているようだ。当たり前と言えば当たり前だ。安岡の言ってることが正しいなら、車に火をつけたのだ。ガソリンに引火して景気良く燃えたに違いない。必ず誰かが通報している。すぐさま警察や消防が駆けつけ、調査に乗り出す。ここに辿り着くのも時間の問題だ。
「ほら、あれだけ騒いでる。もう諦めろって。自首しよう? な? 飯塚の件も高宮の件も、上手くすれば情状酌量とか認められるんじゃないか?」
飯塚は響子さんを狙ったストーカー、高宮は眠らせて拉致し、襲おうとしていた。あいつらの犯行を防いだと認められればまだ罪は軽くなる。そう説得しようとした。だが、安岡は聞く耳を持たない。
「馬鹿だな志村。俺たちは捕まらないよ。もう誰も、俺と響子の仲を裂く事は出来ない。永遠にだ」
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