シリアルキラーの賛美歌 3

 集めた情報を精査した結果、最終的にアリバイを確認出来なかった容疑者は二人。同じ部署の飯塚と別部署の高宮だ。

 飯塚は真面目で仕事の出来る、僕よりも一つ下の後輩だ。だが社交性に欠け、話し方もぼそぼそとして根暗なイメージがある。休み時間もいつも一人で、他の誰かとつるんでいるのを見たことが無い。当然、僕のSNSグループに入ってない。というよりも、どこかのグループに属しているかも怪しい奴だ。仕事が終わればさっさと帰ってしまい、その後何をしているか全くわからない。

 高宮は響子さんと同期で、飯塚と違い社交的で誰とでもすぐに仲良くなる。ただ、少し女癖が悪いともっぱらの噂だ。一ヶ月毎に違う女性を連れているという目撃証言もある。会社内でも言い寄られた女性社員は多く、僕の所属する部署に足しげく通うのも響子さんを口説いているから、らしい。モテるイケメンの出世頭に対する嫉妬という分かりやすい理由で、僕的には高宮が犯人なんじゃないかと思っている。

 以降、僕は可能な限り彼ら二人のみを視界に入れるようにした。確率は二分の一。どちらかの夢だ。数日中に判明するだろうと楽観視していたのだが、そこからが難航した。片方だけの顔のみを見るというのは想像以上に困難だった。必ず無関係の人間の顔が視界に入るし、よしんば成功してもその日に犯行の準備をするとは限らない。響子さんに対する執着も中々見せない。完全に一般社会に溶け込み、彼女への歪んだ思いを隠している。それを爆発させるのを今か今かと期待しながら。ストーカーなんだから毎日執心を抱けよ、姿を追い回せとこのときばかりは思った。

 想定外だったのはそれだけじゃない。正体を見破るために姿を確認したいのに、人間はなかなか自分の姿を見ないという事を思い知った。僕の力は、感覚を全て共有する。これは、相手の感覚イコール自分の感覚だから、相手が感じないこと、考えないことは共有しようにも出来ない。相手の中にその感覚が存在しないからだ。

 考えてみれば、確かに僕が鏡を見るのは朝の洗顔のときや、トイレに行ったときくらいだ。それ以外で自分の姿をはっきりと確認する事なんかほとんどない。よくガラスに映る自分の姿、なんて表現があるが、意外と人は、ガラスに映る自分なんかに気づかない。目に映っているはずだが、鏡などではっきりと映りでもしない限り、それを意識しないと気づかないし見えないのだ。たとえば、PCのディスプレイは電源をOFFにすると真っ暗になり、自分の顔が移り込む。しかし、それに気づいたのはごく最近。自分がどうやったら自分の顔を見ることが出来るかを考えていて、これなら見えるかと顔を見ようとしたからだ。これまでも真正面で映っていたはずなのに、全く気づかなかった。人間は見たいと思ったものしか視界に入らない。ある意味全人類が思い込みの強いストーカーなのだ。

 視覚が駄目なら他の感覚、触覚とか聴覚、嗅覚ならどうかと考えたが、これも難しい。視覚以上に他の感覚は本人の個人差・嗜好が反映される。たとえば僕は辛い食べ物が得意だが、安岡は辛いのが駄目だ。そんな僕たちが中辛のカレーに対して抱く感想は、僕は物足りない、甘く感じるというものに対して、安岡は丁度良い辛さと評価する。どの程度の辛さが駄目なのかは本人たちの匙加減だ。このように匂い、音、味覚、皮膚からの刺激は個人差が強すぎて参考にできなかった。視覚はその点、色盲等を除けば同一のものが見える。結局犯人が証拠を残したときに顔が見える、なんていう困難な条件でしか犯人を見つけ出すことが出来ないでいた。

 そんなこんなで中々犯人の証拠を掴むことができず焦る僕だが、良い事もあった。響子さんと可能な限り関わり合い、時には一緒に帰る栄誉もいただけたのだ。

 響子さんも突然僕が近づいてきて少し驚いていたが、面倒見の良い彼女のこと、仕事のことで悩みがあると言えば嫌な顔一つせず相談に乗ってくれた。嬉しいけど、少々心苦しい。騙しているわけじゃない、あなたを守るためだと言い訳して、彼女に接する。

 犯人探しに神経と胃壁をすり減らし、響子さんとの語らいで癒すという体に良いのか悪いのかわからない生活を一週間続けた。こんなやり方で本当に大丈夫かと弱気と疑問をぐるぐる頭の中で巡らせながら布団に入り…



 車の中から、部屋へ戻って行く響子を見守る。

 今日も彼女は、つれない態度で俺を試した。会話も最低限で仕事のことばかり。でも、仕方ない。原因は彼女を拗ねさせた俺にある。

 いつ勇気を出して、私を迎えに来てくれるの。

 たまに絡む視線が、ふとした仕草が、彼女が纏う雰囲気が、俺をそう急かす。

 許して欲しい。今まで君の期待に応えられなくて。でも、ようやく準備が出来たよ。

 明かりの漏れる窓に向かってお疲れ様と告げ、車のエンジンをかける。

 響子、待っていてくれ。明日君を迎えに行く。純白のドレスを持って。



 ようやく来た。

 殺人鬼がついに動き出す。僕は色んな意味で高鳴る胸の鼓動を落ち着かせるように深呼吸する。決行日は明日。このことを知っているのは僕だけだ。警察に連絡、は、できない。証拠は僕の夢しかないからだ。前の犯行の証拠でも見つけることが出来ればいいのだけど、警察でも見つけられないものを、僕みたいな素人が見つけられるわけがない。

 だが、収穫もあった。奴は車を発進させる前にちらとバックミラーを覗いた。後ろから車が来ていたからだ。ハイビームが車内を照らした時、奴の顔がミラーに映った。

 口の端を吊り上げ、陰気な顔を笑みの形に歪めた飯塚がそこにいた。


 犯人は飯塚だった。今の僕には奴を追及する材料はない。けれど、犯行を妨害することは出来る。奴を見張ればいい。ちょうど一緒にやってる仕事がある。それを口実につきっきりで、終わったら強引に飲みに誘えばいい。彼女から離しておけば安全だ。

 彼女は僕が守る。二度顔を叩いて気合を入れ、会社に向かう。


「今日は、飯塚君は休み?」

 響子さんが部署を見渡しながら不思議そうに言った。

 出足を完全にくじかれた。休むなんて想定外だ。他のプランなんか考えてない。どうしよう、どうしたら…

「志村君」

 突然名前を呼ばれて、慌てて返事をする。

「あなた、飯塚君と一緒に作業進めてたわよね。納期が決まってる作業だから、あまり遅らせたくないの。悪いんだけど、今日残業できる?」

「えっ、あ、はい…」

 頭が真っ白なときに言われ、思わず良い返事をしてしまった。なぜOKしてしまったのか。言ってから後悔した。残業なんてしたら犯行を防ぐことが出来ない。

「ごめんね。無理言って。私も手伝うから」

 災いが転じた。苦悩している僕を、本心では残業したくないからだと響子さんは受け取ったらしい。責任感の強い彼女は僕の仕事が終わるまで作業を手伝ってくれるようだ。好都合だ。彼女と一緒にいれば守ることが出来る。飯塚の動きが読めない今、僕に出来る唯一の方法だ。

 その日、色んな要素によって緊張し続けていた僕をあざ笑うかのように、飯塚は現れなかった。ほっとする反面、まだあの緊張が続くかと思うと、気が滅入る。




 業務が終わったのは、夜十時を過ぎた頃だ。

 飯塚が会社を無断欠勤してから、三日が経った。あの悪夢以来、僕は飯塚の作業のフォローに追われ、連日の長時間労働を余儀なくされていた。ただ、今日も飯塚は動かなかったという徒労感はあっても、疲労感はさほどない。なぜって? 響子さんが残業のおわびにとご飯につれて行ってくれるからだ。疲れたなんて言ってる場合じゃない。もちろん彼女を守るのが最優先だが、楽しんでも罰は当たらないはず。今日迎えに行くと言って三日経過してるのが少し気になるが、考えたって仕方ない。

 今日も尻尾を振りながら彼女とともに退社、ビルから出たところで

「あれ、響子?」


 どうして、こうなる。

 彼女を呼び止めたのは高宮だった。奴も残業していたとかで、目ざとく声をかけてきたのだ。本当は待ち伏せしてたんじゃないかと勘繰ってしてしまうほどのタイミングの良さだ。

 いや、ポジティブに考えよう。僕一人では不安が残るが、高宮が一緒であれば危険度はかなり減る。しかも帰りは車で送ってくれると言う。車という移動城塞に乗ってしまえば移動中にさらわれることもない。彼女を守るためだ、と自分に言い聞かせ我慢する。


 三人で食事した後、高宮は助手席に響子さん、後部座席に僕を乗せた。前と後ろで区切ろうという魂胆が見え見えだが、置いていかれなかっただけマシだ。

 よし、今日も何とか乗り切った。だが、いつまでもこのままじゃいられない。今日で飯塚が抜けた分の遅れは取り返したし、明日以降は飯塚がいない前提で、響子さんがスケジュールを組み直した。一緒に帰る事が困難になる。プランの修正が必要だ。いつまでも彼女を危機に晒し続けるわけには行かない。そんなの僕の精神も持たない。どうやって飯塚を捕捉するかが…鍵…

 ガクンと頭が垂れ下がった。自分の意思じゃない。あわせて急激な眠気に襲われる。何だ、これ。意外と疲れていたのか?

 いや、違う。助手席の響子さんからかすかな寝息が聞こえる。二人揃って眠気に教われるなんておかしい。まさか、一服盛られたのか?

 徐々に重たくなる頭を首と背中の筋肉を総動員して持ち上げ、前を見る。ミラー越しに高宮のいやらしい笑みが見えた。くそ、どいつもこいつも。何で響子さんはこんなキチガイばかりに好かれるかな。

 このままじゃ命は助かるかもしれないが、響子さんが別の危機を迎えてしまう。どうする、徐々に力の抜けていく体で何が出来る?

 何かないか目を懸命に動かす。そんなけなげな努力が実を結んだのか、一筋の光明が目に差し込む。同時に激しいモーター音が近づいてきた。

 車だ。目に差し込んだ光は光明なんかじゃなく、ただの車のハイビームだ。

 スピードを落とすことなく右手方向から突っ込んできた車が、高宮の車の横っ腹に食らいついた。運転席がゆっくりとへしゃげていく。激しい横揺れで頭を揺さぶられた僕は、そのまま意識を失った。

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