カルネアデスの天秤 5

 そんなこんなで、色々あって、結婚して夫婦になって、彼女の事業を手伝うことになった。今まで以上に苦労はあったけど、彼女が傍にいてくれるからどんな苦労も問題ない。

 そして結婚一年目。オサレなレストランで結婚記念日を祝おうと彼女から連絡があった。ドレスコードのある店だから、蝶ネクタイにタキシードで来いと。まさかタキシード着る羽目になるとは思いもよらなかった。人生って本当にわからない。


「お待たせ」


 店に現れた彼女は女神と見紛うばかりに美しかった。最高のディナーだ! その後も大変楽しみ! 今夜は寝かせないぜ! 明日二人とも休み取ったしね! 仕事押し付けられたライオットさんがぶちぶち文句言ってたけど気にしない。


「そう言えば一郎。知ってる?」

「何を?」

「『山羊』のこと」


 山羊って、あれか。謎のクラッカーのことか。


「捜査も手づまりになってるみたい。どうやら山羊が日本にいるという説は完全に空振りに終わったみたいね。隠れ家と思しき場所はすでにもぬけの殻だったみたい」

「・・・ふうん」


 そして、艶めかしい仕草で、彼女はテーブルに肘を付き、俺の顔を見上げた。何かの反応を窺うように。


「そういえば、気になってたんだけど」


 今度は俺から話を振った。


「今更だけど、どうして俺を選んだんだ?」

「それは、君が我々の求めるスキルを全て兼ね備えていたからよ。まるで、ね」

「でも、そんな人材は俺だけじゃなかったはずだぜ? アジア圏内にエンジニアがどれだけいると思ってる。その中からどうやって?」

「こればっかりは運がよかった、のかな。まずは社員総当りで色んなエンジニア派遣業を営む会社に連絡したわ。後は、SNS。職業をエンジニアでフィルターをかけて検索したり」

「完全なアナログ人間なのに、よくフィルターなんて言葉知ってたね?」


 茶化すと、彼女は「もう!」と可愛く頬を膨らませた。


「そうそう、SNSで思い出した。本当か嘘かわからないけど、こういう話があるの知ってる? あなたの国でも友達の友達はみんな友達、という言葉があるけど、まさにそれを証明するかのような話。友達の友達を六人目まで辿っていくと、世界中の人間につながるんだって」

「累乗の話かな? 一人当たり四十から五十人の友達がいたとしたら、友達の友達は二千五百人、友達の友達を六回つなげると、五十の六乗になるから、百億を超える」

「へえ、そういう理屈で全世界の人と繋がるっていってるのね?」


 感心したように彼女は小さく拍手する。そして、話を本筋に戻した。


「今君が言ったように、友達の友達で検索しても、膨大なエンジニアがヒットする。部下たちの友達は当たり前だけど同じ国内が多い。ヨーロッパ圏内から出るには、友達の友達を辿るしかなかった。ここからが面白いところなんだけど、私の部下、ZOS本社だけでも約千人いるの。彼らに協力をお願いし、自分のアカウントでSNSからめぼしい人材のチェックをしてもらった」


 ひとつ息を吸って、そして言葉と共に、一息に吐き出す。


「ほぼ全員が、友達の友達を辿ると真っ先に君に行き着いた。『運命』だと確信したわ」


 彼女の目が、俺を射抜いた。


「補足事項として聴いてほしいんだけどね。君を雇った後もサポート役のエンジニアは必要だと思ったから、再びヨーロッパの派遣会社に依頼した。いくら部下をつけてるとはいえ、専門知識を持っているのは君だけよ。大変だろうと思ってね。前のように渋られるのかと思いきや、拍子抜けするくらい簡単に人をよこしてくれたわ」

「とても助かってるよ。流石に二十四時間保守のメインを俺一人でやるのはきつかったし」

「喜んでもらえて何より。・・・さて、派遣会社とのやり取りがあまりにスムーズに行き過ぎたんで、逆に怖くなって尋ねてみたの。この前断られたのにどうして、と。相手は非常に簡潔なマニュアル回答をよこしたわ。『ZOSがブラックリストに乗っていないから』だそうよ」

「へえ、おめでとう。一年も経たないうちに、悪評は消えたわけだ。企業努力が実ったね」

「喜ばしいことね。本当にそうなら」

「違う可能性が?」

「あるわ。通常、ブラックリストには名前が数年は残るはずなの。一年と少しで消えるようなものではないのよ。それに、私たちには悲しいかな前科がある。その影響で、一度ブラックリストに掲載されたら、外されるには十年単位は覚悟が必要ね。でも、消えてたそうなの。他の会社も一緒。ZOSという会社はブラックリストの欄になかった。おかげで商売がぐっとやりやすくなって、また売り上げが伸びたわ。前年比二百%よ。社員全員に特別ボーナスを支給したわ」

「ライオットさんもウハウハだね。また車買い替えるのかな?」

「今度はフェラーリ買うって」


 乾いた唇を湿らせるように、彼女はシャンパンを口に含んだ。俺もそれに倣う。


「山羊の話に戻るわ。山羊が追い詰められている、という話をしたけど、私が思うに、山羊は本当に追い詰められていたと思うの。だから『彼』は手を打った。個人で限界があるなら、組織の力を借りようと」

「ふむ、納得だ。しがらみも多いけど、組織の力は大きい」

「でも末端じゃ駄目。すぐに切り捨てられてしまう。組織の中核、なくてはならない存在に自分をしなければならない。その位置にいれば、自分と組織、二つの防御壁が構築できる」


 いくら警察でも、巨大な組織の幹部クラスを相手にする時は、細心の注意を払う。間違って疑いをかけたりすれば、手痛いしっぺ返しを食らうからだ。そして山羊は、不意打ちで強制捜査でもされない限り、証拠を見つけられるヘマはしない。


「『就職活動』をしていた山羊は、そんな時、ある企業が事業拡大におけるインフラ整備で四苦八苦していることを知った。いえ、能動的にそういう情報を集めていたんでしょうね。山羊とは違い、素人同然の知識しか持たない企業は必ず協力会社に依頼する。ここを隠れ蓑に出来れば。しかし、企業はヨーロッパに本社を置いており、自分に声がかかることは通常ではない。どうするか。ヨーロッパで人材を発掘させなければ良い。だから、協力会社に協力させないようにした。ブラックリストに名前を載せて。山羊の思惑通り、ヨーロッパでの人材確保が難しくなった企業はアジアに目を向けた。だが、アジアも同じく協力会社には渋られた。残すは、個人。それも、どこかの企業に所属しているエンジニアを取り込むのが好ましい」

「どうして企業に所属していたほうが好ましいんだ? フリーの方が雇いやすかったろ?」

「これは企業の方針、というより社長の偏見が関係していると思うわ。フリーですでに活躍しているエンジニアは、すでに安定している今のスタンスを崩すことがない。結婚もして家族もいるでしょうから、私たちの国にまで来てくれないと思ったのよ。実際、フリーランスは平均四十代で既婚者が多かった。そういうわけで、企業はSNSという便利で、また不安要素の多いサービスから一人の人材に目をつけた。まだ若いが技術は確かで経験も豊富、独り身という身の軽さ、まさにうってつけの人材を。早速オファーしようと動き始めたら、今度は会社の重鎮たちが難色を示した。前身はマフィアである企業の重鎮は、組織、彼ら風に言えばファミリーの結束を重んじる。外部の、それも東洋人を取り入れることで結束が崩壊するのではないかと恐れたの。習慣が違えば考え方も違う異邦人は、確かにファミリーの結束を脅かすかもしれない。だが企業としては、これほどの逸材を逃す手は無い。そこで、試験を行うことにした。その人材がファミリーに名を連ねるのにふさわしい人間か。社長は重鎮相手に言ったそうよ。この人物が期待通りの人間なら、自分の婿にしてファミリーに加える。それならば結束は守られるだろう、とね」


 まさに、山羊の思惑通りだ。社長の婿ともなれば、企業にとってもファミリーにとっても不可欠の人間だ。彼の評判がそのまま会社のイメージに繋がりかねない。そうなれば、企業は全力で彼を守るだろう。そして山羊も守られるだけではない。企業の成長のためにこれまで培った能力を遺憾なく発揮するだろう。まさにWin‐Winだ。


「企業にとって、山羊は期待に応えられているのかな?」

「期待以上の働きをしているみたいよ。夫としても申し分なく、最高の旦那じゃないかしらね」

「そりゃ、何よりだ。山羊も幸せ者だ。綺麗で優しくて、しかも頭まで切れる、才色兼備の嫁さんを得られたのだから」


 互いに見つめあい、笑う。これからも山羊は捕まる事はないだろうし、山羊が企業を、そして妻を裏切ることはないだろう。浮気もしないんじゃないかな。さて、答え合わせの時間だ。


「最近気づいたんだが、山羊は英語でGOATゴート、と言うらしい。おや、君の旧姓と奇しくも似た発音だね」

「・・・へえ?」


 笑みには、笑みを返す。


「ねえ一郎、私に隠してることって、ある?」


 彼女の質問に『僕』は素顔を曝して答える。


「夫婦でも、秘密はあった方が良いらしいよ。夫婦円満の秘訣だそうだ」


 互いにグラスを掲げて、シャンパンを飲み干した。

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